風祭文庫・アスリート変身の館






「螺旋」
(第4話:もう一つの国技館)


作・風祭玲

Vol.1060





春場所の対戦成績は

7勝3敗、棄権5の成績でした。

初めてにしてはまずまずの成績で、

兄弟子達もまた勝ち越しが多く、

宿舎を引き払う前の打ち上げでは、

富嶽親方は終始ご機嫌でした。



「よしっ、

 戻ったら、

 AYAと相撲勝負して、

 アイツを再起不能にしてやる」

真相撲の場所で勝ち越しできたことで自信を持ったあたしは、

意気揚々と引き揚げると、

あたしをこのような姿にしたAYAへの復讐を開始することを腹に決めたのです。

AYAは春場所が始まる直前、

突然KGS48を脱退すると

芸能活動の停止と電撃的結婚を発表したのでしたが、

生憎、場所前だったあたしにはそのニュースは届くことがありませんでした。

けど、富嶽部屋に戻ったその日にそのことを知ると、

「なにそれ…

 そんなのってないよぉ」

あたしの心の中を言いようもない怒りと悔しさが満ち溢れ、

一晩中、泣きはらしましたが

けど、それで気が晴れた訳ではありません。

ますます、AYAへの復讐心が燃え上がりますと、

稽古の合間を見つけてAYAに連絡を取ろうとしたのです。

「何が結婚よっ、

 自分だけ幸せになろうって言う気?

 そうはさせないんだから」

苛立ちながらあたしは電話をかけようとしたとき、

「バカなことを考えるのはよしなさい」

と美麗山が忠告をしてきたのです。

「なんでです?」

あたしは美麗山に食って掛かると、

「春場所で勝ち越して気が大きくなったのは判りますし、

 AYAとの因縁があるのも判ります。

 でも、少し落ち着きなさい」

美麗山は言います。

そして、

「あなたには以前、真相撲の裏を教えましたが、

 その際にまだ言ってなかった事があります」

そうあたしに告げたのでした。

「言ってないこと?」

思わぬその言葉にあたしは困惑すると、

「あたしやあなたにオチンチンをつけて富嶽部屋に放り込んだのは、

 間違いなくAYAです。

 KGS48に入る前のAYAは

 私がいたモーフィング娘のメンバーでしたので。

 あなたも判ると思いますが、

 こんな行為は無論認められるものではありません。

 第一、事務所の面子が丸つぶれです。

 けど、AYAは政財界に顔が聞く親の立場を利用して、

 その横車を平然と押すことができるのです。

 真相撲の力士は全員、AYAの犠牲者…と言ってもいいでしょう。

 そのため、当然の如くAYAに恨みを持つ者は

 真相撲に所属する全ての力士が持っています。

 あなたのような新弟子から、

 全勝優勝の横綱まで含めて…

 でも、AYAはあなたがいたKGS48のセンターとなって

 この間まで平然と芸能活動をしていました。

 おかしいとは思いませんか」

と指摘します。

「確かに…」

AYAは見ての通りの妹的非力なキャラであって、

その気になれば闇討ちで叩きのめすことが可能。

「でも、

 ボディガードが居るじゃないですか。

 めちゃ強そうなの人たちが」

常にAYAの周囲にで彼女を守って居るボディガードの事を指摘すると、

「確かにそれはあります、

 それでも、

 これまでAYAが全く無事であるという結果を

 証明するには足りません」

「じゃぁなんですか?

 理由を知っているんですか?」

美麗山のもったいぶる言葉にあたしはイラつきながら聞き返すと、

「判りました、

 AYAの

 AYAだけが持っている秘密を教えます。

 けど、他言無用でお願いします」

美麗山はキツイ眼差しであたしを見つめながら、

AYAの秘密を話し始めようとしたとき、

「おいっ、

 鞠ぃ、

 お客さんだ」

親方が顔を出してくるなり、

あたしに客が来ていることを告げたのです。

「一体誰が?」

訝しがりながらあたしは応対のために稽古場に赴くと、

「あら、元気してた?

 鞠乃山」

部屋の力士達の視線を浴びて、

一人立っているAYAは

悠然とあたしに向かって声を掛けます。

「あっ

 あっAYA…様…」

彼女の姿と声を聞いた途端、

反射的にあたしの口からその台詞がこぼれます。

それほどまでに、

AYAに竹刀でお仕置きされたあの夜の事が

あたしの体に染み込んでいたのです。

「あら、

 AYA様だなんて…どういう風の吹き回しかしら?

 それにしてもすっかり相撲取りらしくなりましたね。

 見違えました」

近々盛大な披露宴を執り行うと聞いているAYAは

以前の妹キャラとは打って変って落ち着き

そしていっとき流行語になったセレブと言う言葉の香りを

プンプン漂わせながら話しかけます。

「なにこの豹変振りは…

 それにしても結婚だなんて、

 真面目に女の幸せを噛み締めているコイツを

 いまこの手で張り倒せたらどんなに気持ちが良いだろうか」

美麗山を含めてAYAの犠牲になり力士にされた女性達のことを思うと、

あたしの頭の中にそのような考えが浮かびますが、

でも、大きく厚くなったあたしの手はぴくりとも動きません、

「あら?

 どうしたのです?

 そんな怖い目であたしを見て?

 あたしが憎いのかな?

 くふっ

 そうでしょうねぇ…

 女だったあなたにオチンチンを着けた上に、

 相撲取りにしてしまった張本人ですから…

 でも、

 それは身から出たサビ…

 あの日、さっさとあたしと相撲勝負をすれば、
 
 こんな事にはならなかったわ

 まぁここで相撲取りとして頑張ることね」

と彼女はあたしを嗾けるように言います。

「だったら…

 何しに来たのですか…」

そんな彼女に向かってあたしは声を震わせて尋ねると、

「くふっ

 決まっているでしょう。

 あなたがどれだけ立派な相撲を取れるのか確かめに来たのよ」

そうAYAは返事をすると、

「鞠乃山を借りていくわ、

 いいでしょう?」

と稽古場に顔を出している親方に一言挨拶をする。

「はい、

 奥様がそれでよければ」

親方の言葉を背中で聞きながら、

AYAは廻し姿のあたしを表へと連れ出すと、

待たせてあったリムジンへと押し込んだのです。



「うわぁ、

 汗くさいわねぇ…」

街中を疾走するリムジンの中で

あたしの隣に座るAYAは思わず鼻をつまんでみせます。

「…あたりまえでしょ。

 稽古の途中でしたのでこういう匂いなんです」

そんなAYAに向かってあたしは不満そうに言い返しますと、

「くふっ

 でもすっかり男の臭いになっているわ。

 相撲取りの匂いってものかな」

と今度はその匂いを楽しむように目を閉じてAYAは言ます。

「なによっ

 さっきは臭いと言い。

 今度は匂いって言って…」

彼女が見せる笑みにカチンと来たあたしは口を尖らせます。

すると、

「ねぇ、

 ここはどうなのかしら?」

とAYAは廻しが締めるあたしの股間に手を差し込み、

意味深に尋ねてきました。

「なっなにが?」

「なにがって…

 決まっているでしょう。

 鞠乃山に着けてあげたオチンチンよ。

 あの夜から大分日にちが経っているんだから、

 元から自分に付いているような感覚になって居るんじゃないかしら。

 あたしをオカズにしてもぅ何回出しましたの?」

「うっ」

笑いながら尋ねるAYAのその言葉があたしの胸に突き刺さります。

確かに最初は嫌だった男のオナニー。

でも、このオチンチンに馴染んでいくにつれてそれが苦にならなくなり、

今では自らオチンチンを握ってオナニーをしていますし、

オシッコだって立ってすることが出来なかったのが、

今では廻しからちょこっと横にずらして

ジャーと小便器に向かって豪快に放尿をするようになっています。

あたしはこのオチンチンによって女を失い、

身も心も男性化しているのです。

そして

モゾッ

オチンチンを意識したためでしょうか、

廻しの中のオチンチンが蠢くと次第に大きくなってしまうと、

「あぁ、だめ」

あたしは思わず慌てますが、

「あら、早速オチンチンを大きくしているの、

 スケベなお相撲さんね、鞠乃山は」

あたしをからかうようにAYAは笑って見せます。

「だから…なんなのっ」

AYAから受ける言葉の辱めにあたしは顔を真っ赤にして言い返すと、

「それでこそ、お相撲さん…

 ところで、体重は何キロになったの?

 身長も伸びたんでしょう?」

あたしの体を素手で触りつつ体重と身長について尋ねてきました。

「体重はひゃっ180kgです…

 身長は190cm…」

ぶっきらぼうに返事をしてみますと、

「まぁ、

 あっという間に女の子だった頃の4倍近くになっているの?

 凄いわぁ…

 よほど薬が体にあったみたいですね」

それを聞いたAYAはオーバーに驚いて見せ、

「そうだ、

 次の場所には夫を連れて観戦に伺いますわ、

 そして、あなたが土俵の上で高らかに脚を上げているとき、

 あたしは夫に言うの…

 ほら、あれをご覧なさい。

 いま、脚を上げているあの相撲取り

 鞠乃山って言うそうだけど…

 どこかで見たことが無い?

 知らないはずは無いわ、

 あなたが良く知っている女のなれの果てよ。

 さぁ、見てあげなさい。

 あの女のお相撲を」

悪魔のような笑みをたたえながらAYAは言います。

「ちょっと、待ってっ」

それを聞いたあたしは思わず身を乗り出すと、

「あなたの旦那さんがあたしを良く知っているって何よ」

と聞き返したのです。

すると、

「くふっ、

 細かいところは良いじゃないですか、

 夫はあなたが女性だったころしか知らないのですから」

と言うと、

「これはその時のあたしのお楽しみなのっ、

 夫がどんな顔をしてあなたを見るのか、

 楽しみだわぁ」

そう言い放ったのです。

まさに悪魔の言葉です。

「あなたって人は」

あたしは横に座るAYAに抗議しようとしましたが、

もはや何を言っても無駄と思うと、

あたしはそれ以上は何もいえませんでした。



程なくしてリムジンは長い飾り塀が続く通りに出ると

その塀に沿って走り始めます。

「…公園?」

そう思いながら車中からずっと続く塀の奥に注意を向けますと、

塀の奥には鬱蒼とした森が広がっています。

「そこは公園なんかじゃなくて、

 わたくしのお屋敷よ」

そんなあたしに向かってAYAはそう言うと、

やがて行く手に門らしきものが見えて来ました。

リムジンは減速しゆっくりと門に向けて進路を変えます。

そして、

キィ…

軽い軋み音を発して無人の門が開くと、

リムジンは敷地内へと向かっていきます。

「これから…どこに…行くのですか?」

見ず知らずの土地へと向かっていくリムジンに

あたしは不安に駆られながら尋ねると、

「どこって…

 さっきも言いましたがわたくしの屋敷です」

とAYAはあっけらかんと答えます。

「それは判っています」

その言葉にあたしは不服そうに答えると、

「広いお屋敷ですね。

 さぞかしお金はいっぱいあるんでしょうね」

動く窓の外を眺めつつあたしはAYAに言います。

「それが?」

あたしの言葉にAYAは感情を殺した声で返事をします。

「聞きました。

 そのお金をバックにしてあなたはあたし以外にも

 大勢の女の子を力士にしていることを、

 真相撲の力士は横綱からみんな、

 あなたの犠牲者なんでしょ」

とまくし立てると、

「そうねぇ…

 でも、犠牲者と断言するのは、

 どうかと思います。

 わたしは人助けでしたのですから」

AYAはそう返したのです。

「人助け?

 嫌がる女の子を無理やり力士にすることが…」

それを聞いたわたしは思わず怒鳴ってしまうと、

「ふふっ、

 そう人助けですよ。

 そのうち判りますわ」

とAYAは返事をし、

コキッ

と指の関節を鳴らして見せたのです。



キッ

長い間走り続けていたリムジンがようやく止まると、

「さっ降りなさい」

の声を残してAYAが先に降りていきます。

「……」

それに続いてあたしもリムジンから降りると、

そこは大きなお屋敷の正面玄関前であり、

ずらりと左右に分かれて並んでいるメイド達が

「お帰りなさいませ。

 お嬢様」

と一斉に声を上げて頭を下げたのでした。

「………」

あたしはポカンとしながらコーラスラインを思わせるその光景を眺めていると、

「ちょっと余興に付き合って貰うから、

 この者・鞠乃山の支度を調えてあげて、

 支度が調ったら知らせてきなさい。

 あとはわたくしがします」

とAYAはあたしを指さしメイドに向かって指示を出します。

「はい、畏まりました

 お嬢様」

その言葉を受けてメイドは頭を下げると、

「さっ、鞠乃山関

 どうぞこちらへ」

メイドのその声と共にあたしはAYAが入っていった方向とは違うところへと連れて行かれます。

「あっあのぅ…

 どこに…」

廻し一丁の相撲取りが裸足で歩くのには不釣り合いな絨毯敷きの廊下、

その廊下を進みながらあたしは先導するメイドに話しかけると、

「ご安心ください。

 鞠乃山関、

 これよりあなた様をお支度部屋へとご案内いたします」

とメイドは立ち止まるとにこやかに説明をしてくれました。

「お支度部屋?

 このあたしが何を支度するのです?」

その説明にあたしは小首を捻ると、

「お嬢様のご指示です。

 鞠乃山関はそれに従っていれば良いのです」

とメイドは言うと先を進んで行きます。

「なにそれ…」

ますます事情がわからなくなったあたしは渋々着いていくと、

先を行くメイドは渡り廊下へと進んでいきます。

と同時にある建物が姿を見せたのでした。

「これは…

 国技館!」

そう、姿を見せた建物は両国にあるあの国技館と全く同じ建物でした。

「なんで国技館がこんな所に…」

見た目ではうり二つと言っても良い建物の佇まいにあたしは目を奪われていると、

「鞠乃山関、こちらです」

とメイドはあたしに向かって声を掛けます。

「は…はい…」

その声に導かれるようにしてあたしはその建物へと向かっていきました。



「なっなんなの…これは…」

メイドに案内されて連れてこられたのは紛れもない支度部屋でした。

国技館のと全く同じ支度部屋の様子にあたしは唖然としていると、

「鞠乃山関、

 髷の整えさせて貰います」

の声と共に普段床山が使う道具を手にしたメイドが声を掛けるや、

「ささ、こちらにお座りください」

の声と共にあたしは大判タオルが敷かれた桟敷の縁に座らされます。

するとメイドはあたしの髷を手早く鬢付けで整え、

キュッ!

っと紐で縛り上げます。

「これって大銀杏じゃない。

 どこでそんな事を覚えたのですか…」

富岳部屋の床山よりも良い手際に感心しながらあたしは尋ねると、

「うふっ、

 それは秘密です」

とメイドは答え、

「あたしの仕事はここまでです。

 次は別の者が廻しを代えを持ってきます」

の声を残して去って行きました。

「廻しを代える…

 なんで…」

稽古に場所にと使い続け、

もはやあたしと一体化していると言っても良い黒染めの木綿廻しに手先を触れさせながら

あたしはそう呟いていると、

「鞠乃山関、この廻しをお使いください」

の声と共に別のメイドが幕内力士が使う繻子織の青い絹廻し持ってきたのです。

「いや、それは…

 幕下のあたしがそれを締めるわけには」

幕下力士としての自覚でしょうか勧められた廻しを断ろうとすると、

「いえいえ、

 ここではこの廻しを締めて貰わなくてはなりません。

 あなた様は力士なのですから」

メイドは言うや、

パチンッ

と指を鳴らします。

すると、

「ささ、お召し替えてください」

数人のメイドが出てくると、

あたしは半ば力ずくで締めている廻しを解かれ、

真新しい繻子織の絹廻しを締められたのです。

「うっ、

 これが…幕内の廻しの感覚?

 なんか、恥ずかしいし。

 こんなの兄弟子に見られたら…」

木綿の廻しとは明らかに違う肌触りにあたしは戸惑っていると、

「お似合いですよ、

 さぁ、これもおつけください」

の声と共に”鞠乃山”と刺繍された化粧廻しと横綱が着けられたのです。

「うっ、これじゃぁ、

 まるで土俵入りする横綱じゃない」

あまりにも自分の分とはかけ離れた格好をされたことにあたしは頬を染めると、

「その通り、

 これより鞠乃山関の土俵入りですわ」

とメイドが声を上げたのです。

「土俵入りって…」

彼女の言葉にあたしは困惑していると、

「さっ、あたしたちが太刀持ち・露払いとしてご案内します」

と廻し姿に髷を結うメイドが姿を見せたのでした。

「あなた達…

 そんな格好をして恥ずかしくないの?」

乳房丸出しの力士スタイルのメイドに向かってあたしは声を掛けると、

「それがなにか?」

「恥ずかしがらないとならないのですか?」

と彼女達は反論してきます。

「いや…

 だって」

あの相撲部屋に放り込まれたときの恥ずかしさを思い出しつつ、

彼女達の反論に言い返せないでいると、

「さっ、鞠乃山関、

 参りましょう」

「はい…」

あたしは彼女たちに言われるまま、

彼女達を太刀持ち露払いにして支度部屋を出たのです。

「なにが…どうなって…」

まさかの横綱待遇にあたしは困惑しつつ、

あたしに向かってお尻を見せるメイド達の後に着いて花道へと踏み出すと、

館内はやはり両国の国技館と同じ造りであり、

枡席は大勢のメイド達で大入りとなっています。

そして、あたしが花道に姿を現した途端、

一斉に歓声と拍手が上がったのです。

「……」

もはや何も言えません。

圧倒してくる空気に気押されながら花道を進んでいきますと、

と同時に土俵の向こう側からも歓声が上がり、

土俵を挟んで反対側の花道を廻しを締めたメイドの太刀持ち露払いをさせて、

花道をゆっくりと進んでくる人物の姿が見えました。

そしてその人物の詳細を見た途端。

「うっうそっ!」

あたしは思わず両手で口を塞いだのです。



「なんで…

 どうして…」

つり屋根に水引幕が張られた土俵の下。

向こう側に立ち、化粧廻しに横綱を締める相手を見ながら、

あたしは同じ言葉を繰り返していると、

「これより、東西両力士の土俵入りです」

と軍配を持つ行司役のメイドの声が上げます。

その声を受けて、

ノッシッ!

悠然と相手が土俵に入ってきました。

途端に黄色い歓声が沸き起こりますが、

相手はそれに応えるような真似はせず、

それどころかあたしに見せつけるようにして、

ビタンッ!

ビタンッ!

力強くシコを踏んでみせると、

ズズズズズズ…

見事な不知火型の土俵入りを見せたのです。

「…すごい…」

まさに完璧な土俵入りです。

両国の国技館で見た本物の横綱の土俵入りでも

ここまで見事なものはありませんでした。

「さっ、

 鞠乃山関」

相手が土俵から去った後、

太刀持ち達があたしに向かって声が掛けられます。

「はっはい…

 でも、土俵入りだなんて…」

幕下力士であるあたしにはまだ縁遠いものと思っていたために戸惑っていると、

「鞠乃山関」

「えぇいっ」

彼女達に促されて意を決すると、

あたしは本場所で横綱がしていたのを思い出しつつ雲竜型の土俵入りを披露したのでした。

「おぉ…」

「さすがは本職ね」

「でも彩様の方がきれいでしたわ」

「そうかしら…」

あたしの背後から感嘆の声と共に両者を比較する声も聞こえてきます。

「それにしても一体、何でこんな事を…

 あたしをからかっているの?

 あたしに相撲力士だってことを思い知らしめようとしているの?」

土俵入りを終えたあたしは不愉快そうにこれを仕組んだAYAの真意を探りつつ、

横綱と化粧廻しを取ると、

土俵に背を向け取り組みに向けての準備運動としてシコを踏んで見せます。

そして、

「ふぅ…」

シコで軽く汗を流すしたあたしは振り向くなり改めて相手を見据えます。

「ひがぁしぃ〜、

 彩ノ海ぃ〜

 にぃしぃ〜

 鞠乃山ぁ〜」

独特の言い回しで相手とあたしのシコ名が読み上げられると、

パァンッ

あたしは気合いを入れるように両手で自分の頬を叩き土俵に入っていきます。

と同時に相手も…

いいえ、赤い廻しを締め乳房を露にするAYA本人が土俵に入って来たのです。

「これってどういう事なの?」

土俵の中で向かい合ったあたしはAYAに向かって単刀直入に尋ねると、

「どういう事って…

 決まっているでしょう?

 これからあたしと鞠乃山はここで相撲を取るのよ」

そう答えながらAYAは腰に締めた繻子織りの絹廻しを

ポン

叩いて見せます。

「相撲を取るって…

 あなた、本気であたしと相撲で真っ向勝負する気?」

髷が整うほど元の髪が長くないためか

頭の上で髪を縛っているAYAに向かってあたしはそう警告をすると、

「さぁ、どうかしら?

 くふっ

 少なくてもあなたをに土をつける自信はありますわ」

とAYAは自分の腕に付けているリストバンドを弄りながら言い返します。

「それ、まだ付けているの?」

すでにリストバンドなど付けていないと思っていたあたしは

驚きながら指摘すると、

「えぇ…

 わたくしにとってこれはお守りなのでね」

と彼女は返事をします。

「お守りね…

 それにしても本気であたしと相撲を取る気?

 見て判ると思うけどあたしは本物の力士よ

 あなたがそのように改造したんでしょう」

「えぇ…判っています。

 だからこそ大一番が期待できそうですわ」

「頭、大丈夫?」

「くふっ、

 見た目に騙されて舐めてかかると

 そっちが怪我をすることになりますわ」

「後悔しても知らないわよ」

「わたくしの事が憎いんでしょう?

 そのわたくしが同じ土俵の上で勝負をつけさせてあげるって言うの。

 くふっ、感謝ぐらいして欲しいわ」

あたしの言葉にAYAじは不敵な笑みを浮かべつつそう言うと、

「あっそっ」

あたしの心の中からためらいが消え、

「ならばペシャンコに潰してあげるわ。

 昔ならいざ知れず、

 相撲の稽古で体を作ってきたこのあたしと真っ向勝負で相撲をとるなんて、

 どう考えても馬鹿げている。

 でも希望と言うなら…あの夜の続きをつけてあげる」

清めの塩を盛大に振り撒きながらあたしはそう思うと、

土俵の中で塵浄水の後、シコを踏んで見せます。

そして、仕切り線の向こうで小さく見えるAYAを見据えると、

「望み通り…

 殺してやる」

と殺気を振りまきながら呟いたのでした。

「待ったなし、

 はっけーよぉぃっ」

行司装束に身を包んだメイドが軍配を手に声を上げます。

グッ!

その声にあたしは拳に力を込めると、

スーッ

静かに息を殺します。

観客達の声が消え、

一瞬の静寂が訪れます。

あたしとAYA双方の息があった瞬間。

「のこったぁ!」

行司のかけ声と共に、

クンッ!

あたしの拳は土俵を蹴り、

目の前のAYAに襲いかかりました。

「死ねぇぇぇっ!」

これまでの恨み辛みをぶつけるかの如くあたしはAYAを顔を張り倒します。

しかし、

スカッ!

あたしの手は空しく空を切ってしまうと、

「え?

 AYAはどこ?」

あたしは姿が消えたAYAを探したのです。

それと同時に、

スンッ!

あたしの肩が強い力で真下に向かって押されてしまうと、

「あっ」

声を出すまもなく、

ビタンッ!

あたしは土俵に這い蹲ってしまったのです。

「彩ノ海ぃぃ!」

行司が勝ち名乗りを上げると、

「くふっ、

 呆気なく勝負がついたわね」

AYAの声が頭の上から振ってきました。

「くっ!」

その声に歯を食いしばりながらあたしは立ち上がると、

「何をしたの?

 どうせ卑怯なことをしたんでしょう」

とAYAに向かって食ってかかります。

しかし、

「何を言っているの?

 ただの”浴びせ倒し”よ。

 あなたが前傾姿勢で突っ込んできたから、

 ちょっと飛び上がって真下に押してあげただけのこと」

顔色一つ変えずにAYAはそう告げたのでした。

「うっ……」

確かにその通りです。

相撲経験が全くないのならともかく、

日々稽古に精進し、

土俵で闘っている相撲取りの言いがかりとしては

あまりにも情けないレベルです。

「くすっ」

「くすくす…」

そんなあたしの無様ぶりをせせら笑う笑い声がそこかしこから聞こえてくるようです。

恥ずかしさから顔を真っ赤にしながら、

「うるさい、うるさいうるさい!」

それを振り払うようにあたしは声を張り上げ、

「ちょっと油断しただけよ、

 勝負はまだこれからよ」

とAYAを指差したのです。



つづく