風祭文庫・アスリート変身の館






「螺旋」
(第1話:不祥事の代償)


作・風祭玲

Vol.1057





響き渡る大歓声と共に舞い上がる座布団。

そのときのわたしはその真っ只中にいました。

”砂被り”

と呼ばれる座敷席に座り、

目の前の真っ白に光り輝く土俵上で

勝ち誇るかのように仁王立ちをしている横綱を見上げながら、

「すごい…

 お相撲ってこんなにすごいんだ」

そう呟くと、

「あぁ、

 ライバル関係の相撲部屋対決。

 まして共に連勝同士の対決となれば、

 大一番になるのは間違いなしだ」

隣に座る”彼”も感慨深げに頷いて見せます。

本当にお相撲ってすごいんだ…

これまでの相撲のイメージを一気に突き崩す壮絶な一番を思い返しながら、

わたしは感激していると、

「ふんっ、

 とんだ茶番だったな。

 なにが大一番だ」

と言う声がわたしの耳に届きました。

「え?」

その言葉にわたしは驚き、

声をした方を振り向くと、

「周りが見ろ見ろって小煩いからこうして来たが、

 まったく下らん」

胡坐を組んでいた足を叩きつつ、

禿げ上がった頭の男性が腰を上げたのです。

「茶番って、

 失礼じゃないですか?」

感動を踏みにじられた悔しさからか、

初老と思える男性に向かってつい言い返してしまうと、

「ん?

 なんだ、お嬢さん。

 わたしに説教かね?」

温和そうながらも鋭い視線でわたしを見つめつつ、

男性はそう返すと。

「うっ、

 だってみんな男らしく

 一所懸命、お相撲をとっていたでしょう」

負けじとわたしも言い返します。

「やれやれ、

 男らしいか…

 お嬢ちゃんにはそう見えるか。

 そうだなあの土俵に立つ者が

 本当に男の中の男だと言うなら、

 その言葉の価値はあるだろうけど 

 まったく、相撲もとんだ魔物に支配されたもんだ。

 真っ当な男たちが真剣勝負をしていた頃が懐かしいわい」

そう言い残して男性は桟敷席から去って行ったのです。

「ちょっ」

男性を追いかけようとわたしは腰を浮かせた時、

「茉莉亜、やめろ」

諭すような声と共に”彼”が制止します。

「でも…」

振り上げかけた拳の納めどころを失ってしまったわたしは、

訴える目で”彼”を見ると、

「ほっとけ、

 あの爺さんは未だに大相撲にしがみついているんだ」

彼はそう言い切りました。



かつて大相撲と呼ばれていた相撲がありました。

しかし、続発した不祥事によってその存在意義を問われた結果、

大相撲は根本から改革され真相撲としてよみがえりました。

そして、土俵の上で繰り広げられる、

”偽りなしの真剣勝負”

によって、かつての輝きを取り戻したのです。

「相撲の魔物に支配された…」

去ってく男性が残した言葉が、

わたしの心の奥に響き渡ります。



「本当に凄いですね、

 横綱は…

 今場所も全勝優勝でしたっけ」

タクシーの中でわたしはあの大一番の興奮を思い出しながら

隣りに座る”彼”に話しかけますと、

「うんっ、

 今の金剛龍は気合も体力も一番充実している。

 ずっと彼を応援してきた僕の目に狂いは無かったし、

 わざわざ福岡まで来た甲斐があったよ。

 本当は宿舎に出向いて、

 タニマチとして何かお祝いの言葉を言ってあげるべきだけど、

 あいにく予定が入っていてね。

 このまま東京にとんぼ返りだなんて、

 デリカシーの無い男だと思っているだろう。

 ごめんな」

と”彼”は金剛龍を褒め称えた後、

とんぼ返りで東京に帰ることを謝ります。

「あっ気にしないでください。

 あたしこそ、こっちで仕事があって、

 そのついでに居残っていたのですから、

 でも…相撲の魔物って金剛龍のような人を指すんですね」

 ”彼”の手にあたしは自分の手を重ね合わせてそう話しかけますと、

「相撲の魔物…?」

と彼はあたしの言葉を繰り返してみせます。

「あぁ…

 さっきのおじいさんが言っていたんです。

 横綱を相撲の魔物って」

”彼”に向かってあたしはそう返すと、

「相撲の魔物か…

 うん、確かにそうだな」

白い歯を見せながら頷きつつ、

「そうだ、

 来月のクリスマス・イブ、予定入っている?」

と聞き返してきたのです。

「え?

 クリスマス・イブですか?

 えぇっと…何も予定はありませんが」

突然の質問にあたしは驚きながら返事をしますと、

「じゃぁクリスマス・イブの夜から朝まで予約したよ」

”彼”はあたしの手を握りそう囁いたのです。

「うそぉ!!」

まさに天に昇る気持ちとはこのことを言うのでしょうか。

夜から朝まで…それはあたしへの愛を確かめることに相違ありません。

あたしの胸は一気に高鳴り、

全ての感覚が消えていきます。

…あぁ…ついにこの時が来たんだわ。

…あぁ…幸せってこう言うことを言うのね…

…あぁ…いつまでも続いてほしいぃぃぃ…



「…ぁ…」

「…山ぁ…」

「毬乃山ぁ…」

どこからでしょうか、

叫び声が聞こえてきます。

そして、その声が徐々に近づいてきますと、

バシャァァ!!

いきなり冷たい水が頭から浴びせかけられました。

「うわぷっ!」

突然のことにあたしは飛び上がりますと、

パァンッ!

「誰が稽古中に”寝ろ”と言ったぁ!」

ドスの利いた怒鳴り声が響き渡るのと同時に

あたしの腿に熱い痛みが広がってきます。

「すっすみませんっ」

反射的に掠れかかった声を上げて周囲を見ますと、

無数の視線があたしに向かって投げかけられています。

「あ…ぐっ」

それらの視線を一身に浴びてあたしは立ち往生していると、

「ぶちかまされたぐらいで寝やがって、

 罰としてシコ踏み200回っ

 すぐにやれ!」

その中から鋭い視線をあたしに向けて

親方は手にした竹刀で自分の肩を叩きつつ命令をします。

「ごっつあんですっ」

その言葉にあたしは頭をぺこりと下げて返事をしますと、

パァンッ

パァンッ

両頬を2回叩いて立ち上がりますが、

すぐに梅雨時特有の蒸し暑さがあたしの体を包み込んでしまいます。

「暑い…」

今年の梅雨は例年以上に蒸し暑く、

稽古によって噴出した汗は蒸発することなく

腰に締めている廻しへと流れ込み、

たっぷりと水分の含んだ廻しはその重量を増してゆきます。

「うっしっ」

バァン!

重石のようになった廻しを叩いて、

あたしは気合を入れますと、

腰を落とし片足に全体重を掛けると、

浮いた片足を高々と上げてシコを踏みます。

一つシコを踏むごとに、

あたしは自分の腿を叩いて気合を入れ、

そして、次を踏みます。

初めは威勢よく掛けていた声はいつの間にか出なくなり、

代わりに荒い息遣いをしながらあたしは片足を上げると、

ドスンッ!

と踏みしめるように上げた足を地面に打ち続けます。

そしてそんなわたしの目の前では、

「おらぁおらぁ、

 腰が高いって言っているだろう」

「美麗山っ、

 なんだそのへっぴり腰は!」

「体が動いていないぞぉ!」

鍛え上げた体に黒廻しを締め、

そして頭に髷を結う”力士”と呼ばれる人達が

激しい稽古の真っ最中です。

そんな彼らに向かって

この相撲部屋の親方・富嶽親方は竹刀で叩きつつ檄を飛ばすと、

「ごっつぁんですっ」

汗をしぶきのように振りまいて、

力士は気合をいれ、

体中の筋肉を震わせながら激しくぶつかり合います。

まさに汗と血が支配する世界です。



大都会の下町に居を構えるこの相撲部屋に連れてこられて、

もぅどれくらいの月日が流れたのでしょうか。

1年…

2年…

ううん、3年…

途方もない月日が流れたように感じていますが、

でも親方が言うにはまだ半年だそうです。

まだ、半年…たった半年しか経っていないのに…

クッ!

あたしは筋肉で太くなった脚を高々と上けると、

そのまま一直線に

ドスンッ!

脚を地面に打ち付けます。

バッ!

それと同時に滝のように身体から流れ出る汗が一斉に飛び散り、

ブルンッ!

大きく膨れたお腹が揺れますと、

ワンテンポ遅れて

潰れた鏡餅のような姿になった乳房が震えます。

つい半年前まであたしはこんな姿ではありませんでした。

小振りながらも美しい曲線を描くバスト。

白く細い腕。

括れたウェスト。

張り出したヒップと細く長い脚…

身長は165cmと女性としては高めでありながらも、

親譲りの”そこそこ”の顔と、

音楽教室で鍛えた歌唱力のお陰で

所属するアイドルグループ・KGS48の総選挙では常にトップであり、

あたしは定位置となっているセンターで輝いていたのです。

それがあたしでした。

それがあたしだったのです。

でも、いまのあたしにはその頃の面影は何一つありません。

筋肉と脂肪で膨れ上がった身体は、

かつてのステージ衣装に袖を通すが出来ません。

その代わり、無粋で色気のかけらも無く、

汗と砂で汚れた漆黒の木綿廻しがあたしの衣装となり。

毎日念入りに手入れをしていたロングの髪は

鬢付けが塗りこまれ、

髷となって頭の上に結い上げられています。

「毬ぃ、

 目が覚めたか、

 こっちにこいっ、

 可愛がってやる」

土俵に立つ兄弟子がここでのあたしのあだ名を呼びました。

「はっはいっ」

その声を受けてあたしはシコ踏みをやめると、

「お願いしますっ」

の声と共に土俵に立ちます。

ザラッ

この場で流した者たちの汗と血をたっぷりと含んでいる砂を足先で掛け分け、

ゆっくりと腰を下ろしたあたしは小山のような兄弟子・美麗山を見つめます。

「でかい図体してさっきみたいに張り手一発で気を失うなよぉ」

集まってきた力士達からそんな冷やかしが飛びますと、

「うっ」

あたしは思わず頬を赤くしてしまいました。

すると、

「毬ぃ、

 集中しろ」

と美麗山の声が飛び、

「ごっつあんですっ」

あたしはそう返事をすると、

グッ

腰を落として低く構え、

渾身の力をこめて飛び出します。



パンッ!

土俵に拍手の音が一斉に響き渡ると今日の稽古は終わりです。

体中に砂をまぶし、

傷だらけのあたしも土俵の隅で拍手を叩き稽古を終えるのですが、

でもこれで締めている廻しを外すことは出来ません。

食事の支度にお掃除、そして大勢居る兄弟子達のお世話。

下っ端力士のあたしには

稽古のほかにこなさなければならない雑事がいっぱいあるのです。

「あっママ、

 お相撲さんだ」

廻しの上に着流しを羽織っただけの姿で、

表で干してあります兄弟子達の廻しの片づけをしていたとき、

不意にその声があたしの傍で響きました。

「え?」

声がした方を振り向きますと、

歳は5歳くらいでしょうか、

1人の女の子があたしに向かって指をさしています。

廻しを干しているのは大通りに面する部屋の駐車場、

一般の人たちの目に付く所でもあります。

「お相撲さん…」

女の子を見つめながらあたしは彼女が発したその言葉を繰り返しますと、

「すっすみません…お邪魔してしまって」

その女の子の母親でしょうか、

20代半ばと思える女性が目の前に飛び出してくるなり、

幾度も謝りながら女の子の手を引いていきます。

すると、

その女の子の肩に下がるKGS48の集合写真が印刷された

肩掛けカバンを見るなりあたしはハッとしました。

写真の真ん中で笑みを浮かべる女性…

それが半年前までのあたしです。

ステージのセンターに立ち、

ファンからの熱い声援を受けていたあたし、

でも、いまは…

そう考えたところで思わず目を伏せてしまいます。

無言で親子を見送った後、

大きく飛び出したお腹を眺めながら、

「あたし…

 もぅ茉莉亜じゃないんだよね…」

そう呟きながら顔を上げると、

止め処もなく沸いてくる涙が頬を伝わっていきます。

その感覚を感じながら

ギュッ

唇をかみしめるのです。

髷が結われた頭、

部屋の名前が染め抜かれた着流し、

そして腰に締められている漆黒の廻し…

その姿は紛れもなく力士と呼ぶ者の姿です。

しかもそれだけではありません。

締められた廻しの中…

あたしのお股には本来あるはずの無いオチンチンが付いているのです。

無理やりオチンチンを付けられ、

髷を結われ、

廻しを締められ、

そして、身体を筋肉と脂肪の塊にさせられ、

力士・毬乃山として相撲の稽古に励むあたし…

あのイブの夜、

幸せの絶頂だったあたしからすべてを奪い、

鬢付けと汗の臭いを漂わせる力士に姿を変えさせたのは

”相撲の魔物”と呼ばれる”女”だったのです。

そして、その”女”はもっともあたしの身近に居たことに、

あたしは気づいていませんでした。



半年前のクリスマスイブ。

人気絶頂のイケメン俳優であり、

と同時に資産家でもある”彼”とあたしは

都内に聳え立つ高級ホテルのスィートルームで二人だけの時を過ごしていました。

眼下に広がる街の明かりを見下ろしながら、

あたしは彼の腕に自分の手を回しますと、

「茉莉亜…

 君に朝までの時間をあげるよ」

そう”彼”は囁きます。

「うれしい」

”彼”のその言葉を聞いたわたしは甘えるように体を寄せますと、

彼の手がわたしの腰を回り

そっと抱きしめたのです。

「あぁ…

 このときが永遠に続きますように」

幸せと言う言葉を全身でかみ締めながら、

あたしは彼と向き合うと、

”彼”は手馴れた手つきであたしの服を脱がせます。

そして、下着になったあたしは”彼”その首に自分の両手を掛け、

そのまま静かにデープキス。

幸せでした。

本当に幸せでした。

そのまま広くて大きなベッドの上に押し倒され、

”彼”が行う抱擁を体全体感じながら幾度も唇を重ね合わせます。

そのときでした。

ドガンッ!

大きな物音が響くと、

ガラガラガラ…

部屋の中に何かが倒れる音が続いて響き渡り、

ヒュォォォォッ

部屋を満たしていた暖かい空気が一気に抜け、

変わって冷たい空気が部屋の中を支配して行きます。

「なんだ?」

「なに?」

突然の事にあたしと”彼”は飛び上がりますと、

音がした方へと駆けつけます。

そして、あたし達が見たのは

無残に吹き飛ばされた部屋のドアであり、

それがこれから始まる苦痛の始まりを告げる号砲だったのです。



「たっ大変だ。

 すぐにフロントに…」

突然の惨事を見た”彼”は

急ぎフロントに連絡をしようとあたしに背を向けたとき、

ドスッ

鈍い音が響くと、

「うぅっ」

ドサッ

お腹を押さえながら崩れるように倒れてしまったのです。

「だっ誰か…」

その様子を見たあたしは悲鳴をあげると、

そのあたしの声を制するかの様に

「くふっ

 どうかされましたか、

 KGS(沼ノ端)48の指扇茉莉亜さん?」

と聞き覚えのある声が響いたのです。

「え?

 あっAYA…?」

驚くわたしの前に姿を見せた女性の名は的場彩。

あたしと同じKGS48に所属する彼女は自らAYAと称し、

妹的なキャラクターイメージで男性ファンの心を鷲づかみにすると、

実力本位のこのグループの中で頭角を現してきました。

そして、あたしの定位置であるセンターを狙いはじめたのです。

まもなく始まるKGS48の総選挙。

”彼女には負けられない。”

あたしはいつしかプレッシャーを感じていたのです。



「なんで、あたがここに居るの?」

AYAを指差してあたしは尋ねますと、

「あっとその前に、

 メリークリスマス!

 茉莉亜さん」

AYAは声を張り上げてあたしに敬礼をして見せます。

彼女の腕にはブームの火付け役となったリストバンドが光ります。

「で、挨拶はここまでで、

 さて、

 まぁ、なんといいますか、

 その、お仕事で来ました…」

彼女はトレードマークとなっているツインテールを軽く揺らしながら、

売りにしている妹キャラ全開で返事をしたのち、

あたしに向かって敬礼をして見せます。

「なに、この子」

はっきり言って彼女のキャラ作りには

吐き気を催すほどあたしは毛嫌いしていました。

あまりにもあざとくて、

あまりにも見え透いている、

こんな女の何処に萌えるのか、

彼女を支持する男性ファンの心理は理解できませんでした。

「お仕事…?

 それってどっきりって奴?」

腕を組みながらあたしは問いただしますと、

「いえいえ、

 TVのお仕事ではありません。

 どちらかと言うと、

 くふっ、

 事務所のお仕事です」

と彼女は意味深に答えます。

「事務所?」

それを聞いたあたしの脳裏にあることが思い出されると、

「あっ」

思わず声を上げかけた口を手で塞いだのです。

すると、

それを待っていたかのように、

「あらあらあ〜ら?

 指扇茉莉亜さぁん?

 一つ聞いていいですかぁ?

 時はクリスマスイブの夜。

 場所は高級ホテルのスィートルーム。

 そのスィートルームで、

 下着姿になってイケメン俳優と二人っきり。って状況は

 一体どういうことですか?

 何かの撮影ですか?

 それとも…

 指扇さんにこんなことを尋ねるのは失礼ですが、

 恋愛ご法度の事務所の掟はご存知ですよね」

とAYAはわざとらしくたずねます。

「うっ…」

その質問にあたしは答えられずに居ると、

「うーん、まぁ、

 クリスマスイブの夜に、

 ”彼”とこのスィートルームで下着姿になって

 仕事の打合せをしていたのなら、

 マネージャをちゃんと同席させてくださいね。

 で、済みますが、

 でも、もしも…

 もしもですよ。

 あの向こうのビルで写真週刊誌のカメラマンが、

 超望遠・軍用特殊赤外線カメラでこの部屋を狙っていたらどうします?」

彼女は窓向こうのビルを指差して言います。

「まさか、

 ありえないわ」

あたしは即座に否定すると、

「そうですかぁ?

 あたし達のスケジュールは事務所が完全管理していて、

 外部に漏れることはありませんが、

 ”彼”は信用して大丈夫なのでしょうか?」

とAYAは倒れている”彼”を指差します。

「そんな…」

「くふっ、

 まぁ、美化委員を務めるあたしが来たからには、

 そのような不埒者はとうに駆除済みですが、

 指扇茉莉亜さん。

 脇が甘すぎます」

困惑するあたしにAYAは指摘すると、

窓のほうを向き、

腕を上げて丸印を作って見せます。

すると、

チカチカ

向こうのビルの窓から光の合図が返ってきたのです。

それを見た途端、

あたしの背筋に冷たいものが走りました。



美化委員…

KGS48を主催する事務所には

取材を受けた雑誌の管理のお手伝いをする図書委員。

イベントなどでのお弁当の手配のお手伝いをする給食委員。

と言った学校のクラス委員のような係が置かれ、

メンバー達は芸能活動のほかに、

事務所の社員の方のお手伝いをいるのです。

でも、

AYAが行っている美化委員は掃除のお手伝いというより、

あたし達が芸能活動を行うことによって生じる

様々な”穢れ”の始末を行っているのです。

無論、このような事を行うには相応のお金が掛かるはずですが、

しかし、AYAの実家はかつてはお殿様だったという名家であり、

一人娘のAYAの頼みとなれば、

彼女の両親はいくらでもお金と人を注ぐことが出来るらしいのです。

「くふっ、

 情報を制する方が勝ち。

 ビジネスの常套手段ですわ」

勝ち誇ったようにAYAはあたしを見つめながら言います。

そして、

「くふっ、

 指扇さん。

 今夜のこのこと、

 美化委員として事務所に報告をしなければなりません。

 それがわたしの務めですし、

 事務所はそれを求めています」

蔑むような目であたしを見ながらAYAはそういいますと、

「事前に抑えることができてでよかったですわ、

 一人の身勝手な行動でみんなが迷惑をするところでした。

 あら、そんな目でわたしを見ないでください。

 これでも指扇さんを助けてあげたのですよ。

 もっとも、この先あなたを待っているのは、

 良くて、事務所が手がけている

 ご当地アイドルグループへの左遷か、

 最悪、クビになるか…ですが」

と続けます。

「やめて!」

それを聞いたあたしは耳を塞いで声を張り上げますと、

「あらあら、

 くふっ、

 どうしましょう…」

あたしの取り乱した様子を見たAYAは困惑した素振りを見せた後、

「勝負をしませんか?」

そう持ちかけたのです。

「え?」

彼女のその言葉に顔を上げると、

「わたしと指扇さんとの間には

 色々とわだかまりがあるのは事実です。

 ですから、そういったものを一掃するために、

 勝負をしましょう。

 無論、お互いに全力を出し切ったマジの真剣勝負です。

 いかがですか?

 指扇さんがわたしに勝てば今夜のことは一切不問にしますし、

 ”彼”ととのお付き合いも全面的にバックアップします。

 しかし、わたしが勝てば…

 指扇さん、無条件であなたはわたしの指示に従ってもらいます。

 だけど、勝負そのものを断るのなら、

 今夜の件は事務所の判断を仰ぎましょう」

あたしにむかってAYAは条件を出したのです。

「勝負って?

 なんの勝負をするの?」

AYAに向かってあたしは尋ねると、

「ハッケヨイ、

 ノコッタ!

 お相撲なんてどうでしょう?」

とAYAは相撲をとる素振りを見せながら言います。

「お相撲?

 何を言うのかと思えば…」

それを聞いたあたしは笑って見せると、

「いいわ、

 お相撲で勝負しましょう」

そう返事をしたのです。



いま思えば浅はかな判断でした。

もし、あのときに戻ることが出来れば、

あたしはAYAの提案を蹴って、

ことの経緯を事務所に話し、

沙汰を待つべきだったのです。

たとえアイドルを辞めることになっても、

女で居られたのですから…



「くふっ

 さすがは指扇さん。

 賢明な判断ですわ」

あたしの返事を聞いたAYAはそう褒めると、

パチンッ!

と指を鳴らしたのです。

その途端、

「お呼びでしょうか、

 お嬢様」

の声と共に数名のメイドが姿を見せ、

AYAの足元に傅いて見せたのです。

「メイド…

 本物?」

メイド喫茶に居るようなメイドとは

明らかにオーラが違う彼女達を見ながらあたしは驚いていると、

「まずは、この方を介抱してあげてください。

 それと、わたしが突き破ったこのドアも直しといてください。

 あと、クルマの準備は出来ていますか?

 これからわたしはこの人とお相撲の勝負をすることになりました」

メイドたちに向かってAYAは矢継ぎ早に指図をしますと、

「はい、

 かしこまりました」

の返事と共にメイドたちは倒れている”彼”をベッドへと連れて行き、

壊れたドアの修理を始めたのです。

「まさか、

 このドアってあなたが突き破ったのですか?」

ドアを見ながらあたしは聞き返しますと、

「えぇ、

 鍵が掛かっていたので、

 テッポウを一発放ってみました。

 元が脆かったのですね、

 いとも簡単に外れてしまいましたわ」

とAYAは返事をしたのです。

「まさか…」

「くふっ、

 えぇ、まさかですわ」

「あたしをからかっているの?」

「信じる信じないは自由です。

 それよりも場所を変えましょう。

 ここではお相撲はできません。

 それといつまでもそんな格好していないで、

 早く着替えてください」

あたしに向かってAYAはそう指示をしたのです。



ホテルの正面ロビーから黒塗りのリムジンが静かに走り始めます。

車内には運転手のほかにあたしとAYA

そして、AYAの配下であるメイドが数人…

「大丈夫ですわ、

 厄介者はとうに駆除していますし、

 ホテルの人間はこの件について口を割りません。

 これから行うわたしと指扇さんとのお相撲勝負は、

 その場に居合わせた者以外、

 誰も知ることはありません。

 だから、安心して思いっきり勝負しましょう。

 そして、お互いに立ち上がれなくなるまでやりましょう。

 くふっ、

 約束ですよ」

とAYAは癖になっている笑いを入れながらあたしに言います。

「えぇ、

 あたしもそのつもりよ、

 センターは守らせてもらいますから」

まさに売り言葉に買い言葉でした。

そして、そのときのあたしのその言葉が、

いまのあたしを苦しめることになるなんて、

夢にも思わなかったのです。



キッ

イブの夜を走り抜けたクルマはとある建物の前で止まりました。

「さぁ着いたわ、

 降りて」

AYAにそう言われて降り立ったわたしの目の前に

”富嶽部屋”

と墨で書かれた大きな表札が目に飛び込みます。

「ふがくべや?」

書かれている墨書をあたしが読みますと、

ガラッ

「こんばんわー」

の声と共にAYAはメイドを引き連れて建物に入って行きます。

応対に出てきた髷を結った大柄男性…

そう力士に向かって何かを話していたのです。

「お相撲さん?

 ここって…

 ひょっとして相撲部屋ですか?」

あたしは側に立つメイドに話しかけますと、

「はい」

メイドは笑顔で答えます。

「そんな、

 お相撲勝負って、

 相撲部屋で、するんですか?」

そのことにあたしは驚くと、

「お嬢様!!」

の声と共に頭を短く刈り込んだ、

男性が姿を見せました。

「富嶽親方さん。

 こんばんは、

 突然で悪いですけど、

 土俵を使わせてもらえますか?

 この方とこれからお相撲の勝負をしたいのです」

AYAは表に居るあたしを指し示しながら、

男性に向かって事情を話します。

すると、

「え?」

さっきAYAの応対に出ていて、

いまは横に退いている力士があたし存在に気づいて、

驚いた顔をして見せたのです。

「なに…かしら」

彼の視線を浴びながらあたしはモジモジしていると、

「そうですか、

 判りました。

 急いで支度をさせます」

親方は力士達を呼び出すと色々と指示を始めます。

そして、その様子を見ながら、

「失礼します…」

そう挨拶をしてあたしが中に入ると、

「(何で入ってきたの、

  早くここから逃げなさい。

  理由は何だっていい、

  早く!)」

とさっきの力士がわたしの側に立つなり、

そう囁いたのです。

「え?

 どういうことですか?」

言葉の意味がわからないわたしは聞き返すと、

「さぁ、支度が整ったみたいですから行きましょう」

と先に上がったAYAはあたしに声を掛けたのです。

「あっはい…」

その声に導かれるようにあたしは靴を脱ぎますと、

「(あっ、

  バカ…)」

そんな声が後ろからそのような声が

聞こえたような気がしました。



「うわぁぁ、

 これが相撲部屋の稽古場?」

初めて足を踏み入れた稽古場にあたしは目を輝かせると、

四角い稽古場の真ん中に俵で仕切られた丸い土俵があります。

そして、その周囲には廻しを締め、

髷を結った力士があたし達を迎えていたのです。

「えぇ…そうよ。

 こういう所は初めて?」

とAYAは聞き返してきます。

「はい…

 一度来てみたかったんです」

あたしは喜ぶ素振りを見せながら返事をしますと、

「そう、それは良かったわ、

 さて、じゃぁ、

 着替えましょうか」

そうAYAは言うと、

着ている服に手を掛けます。

「着替えるって?」

「決まっているでしょう、

 その格好でお相撲を取る気?」

服を脱ぎながらAYAは返事をしますと、

「格好って…

 え?

 まっまさか…

 フンドシになるんですか?」

「フンドシではありません。

 マ・ワ・シよ。

 相撲を取るときの正装です」

驚くあたしにAYAはそう返すと全裸になり

メイドが差し出したピンク色の布を跨ぎます。

そして、

シュルシュルシュル…

メイドの手助けを借りながら、

あたしの見ている前で布を腰に巻き、

最後に締め上げたのでした。

「よっしっ」

パァン!

気合を入れるAYAの声が響くのと同時に、

廻しを叩く音が響きます。

「さっ、

 なに見ているの、

 早く廻しを締めなさいって」

解いたツインテールを結びなおしながら、

AYAは催促をすると、

「指扇さま、

 お手伝いしてあげます」

とメイドがAYAが締めているのと同じ

ピンク色の布束をあたしに差し出したのです。



「うー、

 恥ずかしい…し

 それにキツイ…」

AYAのメイドの手を借りて、

股間を割るように締め上げられた廻しの感触に戸惑いつつ、

あたしは露になっている胸を両手で隠して顔を真っ赤にしていると、

「さて、じゃぁ始めましょうか」

曝け出した胸をプルンと揺らしてAYAは笑いながら言います。

「あの…

 力士さんたちが居るんですけど」

二人だけのプライベートな相撲勝負を想像していたあたしは、

そう指摘しますが、

「構わない、

 構わない、

 女のヌードなんて珍しくないわよね。

 さっ土俵に下りて、

 まずはシコ踏みよ」

AYAは力士の存在など意に介さず、

土俵へと入っていきます。

「そっそうですか

 でも…

 あの…

 女の人が土俵に入っていいんですか?」

あたしは不安そうに彼女に尋ねますと、

「大相撲では確かに禁止でした。

 でも、真相撲はOKです!

 そうでしょう?」

あたしに向かってAYAはそう返事をすると、

稽古場の隅に退いている力士達に同意を求めます。

「はっはぁ…」

その言葉になぜか彼らは顔を赤くして返事をすると、

「あらあら、顔を赤くしちゃって、

 このスケベ」

AYAはそんな彼らをからかって見せますが、

「可愛そうに…

 でも、

 あら?」

あたしは力士達の乳首が妙に大きいことに気づくと、

「男性の胸ってあぁいうのものだっけ?」

と思ったのです。



「いち、にぃ、さん、しっ」

「にぃ、にぃ、さん、しっ」

稽古場にAYAの声が響きますと、

追ってあたしの声が小さく響きます。

「茉莉亜、声が小さい!」

それが気に入らないのか、

AYAはあたしの名前をあげて指摘すると、

「はっはい…」

KGS48では先輩のはずのあたしが、

AYAの後輩のように返事をします。

そして、

「じゃあ、シコ踏み行こうか」

AYAは声を張り上げてぐっと腰を落とすと、

ぱぁん!!

と拍手打ちます。

そしてお相撲さんがする”塵手水”と言う所作をしてみせると、

再び腰を上げて立ち上がり、

今度は股を大きく開いて腰を中ほどに落とすと、

そのまま右足を高々と上げたのです。

「すごい」

ピンを天井に向けてAYAは足をまっすぐに伸ばすと、

「どすこぉぉぉいっ!」

と豪快に踏みしめます。

そして、

「いよぉぉおっ!」

ごしごしっと足の裏を地面に擦りつけたのち、

「そぉれ、

 もういっちょーーーうっ」

と反対の足もピンと伸ばして同じように踏みしめたのです。

「すごい…」

AYAが見せるシコ踏みを見てあたしは驚いていると、

「おぉ、さすがはお嬢様だ。

 実にきれいなシコだ」

と稽古場に居る親方は大きくうなづき、

「おいっ、

 お前達。

 シコはあぁやって踏むんだ。

 良く見ておけ」

居合わせる力士達に向かって声を張り上げたのです。

「いよぉぉぉぉっ、

 はぁっ!

 いよぉぉぉぉっ

 はぁっ!」

AYAのシコ踏みは続き、

彼女の身体は流れる汗で光り始めます。

そして、

「茉莉亜も、

 見てないで、

 あたしと一緒に、

 シコを踏むのっ」

汗を流しながらAYAはあたしに命じますと、

「はっはい、

 いつ、いよぉぉ…

 はっ、はっ、はぁぁぁ…」

あたしは見よう見まねでシコを踏み始めたのです。

けど、あたしの足はAYAのようには真っ直ぐにならず、

ひざの関節は曲がったまま、

それどころか、片足を上げるだけでもふらつく有様です。

KGS48のステージのために

スタジオレッスンは欠かさずにしてきたあたしでも、

相撲のシコ踏みはまるで歯が立ちません。

「はぁはぁ

 はぁはぁ

 はぁはぁ」

全身汗だくになりながらあたしはシコを踏み続け、

「よーしっ、

 じゃぁ、摺り足行こうか」

そうAYAが言ったときには、

ドサッ

立つことすらままならなくなっていたあたしは、

尻餅をつくように座り込んでしまったのです。

「ちょちょちょっとぉ、

 何ですか、

 シコを踏んだだけでしょう」

汗だくになって息を切らしているあたしに向かって、

AYAは不機嫌そう言うと、

「だって…はぁはぁ、

 あたし…はぁはぁ

 シコなんて…はぁはぁ

 踏んだこと…はぁはぁ

 ないんです…はぁはぁ」

肩で息をしながらあたしは返事をします。

「もぅ…興ざめね」

そんなあたしの姿を見下ろしながらAYAは呟くと、

「勝負はどうするの?」

と尋ねます。

「勝負…」

「そうよ、あたしとの相撲勝負。

 茉莉亜は受けて立つ、

 って言ったわよね。

 それ、どうしてくれるの?」

廻しを締めた腰に手を当ててAYAは迫りますと、

「それって、

 延期できませんか?」

あたしはそう申し出ました。

とてもこれでは相撲なんて出来ません。

「はぁ?

 冗談はやめてよ、

 あなたが相撲勝負に同意したから、

 ここに来たんでしょう。

 もし、勝負が出来ないのなら、

 あの提案は破棄、

 美化委員として事務所の川越さんに

 茉莉亜さんのことを報告をします」

とAYAは言います。

「それは…

 判りました。

 しましょう、

 お相撲の勝負を」

フラフラになりながらあたしは立ち上がりますが、

シコ踏みで力を消耗しきってしまっため、

「あっ」

ひざの力が抜けてしまうと、

あたしはその場に倒れこんでしまったのです。



つづく