風祭文庫・アスリート変身の館






「部屋を継ぐ者」
(第2話:澪の場合 −心−)


作・風祭玲

Vol.619





それは良く晴れ渡った初秋の朝、

唐突に起きた出来事であった。

「何であたしが!!!」

部屋のハンガーに掛かるセーラー服を左右に揺るがし、

大賀澪の怒鳴り声が響き渡る。

「頼む、

 もぅ澪にしか頼る相手はいないのだよ、

 この通りだ!!」

その澪の足下で床にめり込むくらいに頭を付け、

必死に懇願しているのは澪の父親でもあり、

また相撲部屋「丸子山部屋」の親方でもある大賀賢であった。

「イヤったらイヤっ

 絶対、お断りよ!」

父親の頼みにも関わらず澪はそう言いきると、

「澪ちゃん。

 この部屋を潰さないためにもお願い、

 ひと肌…じゃなかった、

 一つお父さんの力になってあげて」

と賢に続いて澪に頼み込むのは澪の母でもあり

「丸子山部屋」おかみさんでもある大賀明美だった。

「そんなママまで…

 もぅ何度頼まれてもイヤと言ったらイヤ」

両親に懇願されてもかたくなに拒む大賀澪は

現在17才、聖女学園高等部2年に在籍し、

新体操部のキャプテンとして部を全国大会へと導いた功労者だったが、

しかし、その澪にとって青天の霹靂といえる事態が発生していたのであった。

「澪…」

「澪ちゃん!」

自分の名前を呼びながら両親は迫り、

そして澪は追いつめられていくと、

「いやぁぁぁ!!!」

耳を塞ぎながら悲鳴を上げた。



「………

 澪っ
 
 澪ったらどうしたの?

 元気ないみたいだけど」

「(ハッ)え?

 あっ

 うっうん」

親友の声に澪はハッと顔を上げると辺りを見回した。

タンッ!

シュルッ!!

すると自分の目の前をカラフルなレオタードに身を包んだ少女が

手具を片手に広い体育館を所狭しと飛び回り、

また、体育館の隅では、

「イチィ

 ニィ
 
 イチィ
 
 ニィ」

別の少女達が柔軟運動に汗を流していた。

「あっ、

 そっか、部活だったっけ」

少女達と同じ柄のレオタードを身につけた澪はそう呟くと、

額に浮かんでいる汗を思わず拭う。

すると、

「あっそうだっけって、

 ちょっと、澪っ
 
 しっかりしてよ」

そんな澪に向かって、

同じ2年の金山静香にそう注意をすると、

「え?

 あぁ、ごっごめんね」

と澪は謝った。

そして少し間を開け、

「………あのさ、

 なにか、すごく落ち込んでいるみたいだけど」

と髪をシニョンに結い上げ静香は心配そうに顔をのぞき込んでくると、

「ううん、なんでもないよ」

澪はそう返事をし、

「ほらっ

 練習が疎かになっている」

とジッと自分達を見ていた他の部員に注意をした。

「あっはーぃ」

澪の言葉にその部員はクルリと向きを変え

そして、手具を手に取ると、

タンッ!

次々と舞い始める。

タンッ!

タタッ!

ダン!

「はぁ…」

新体操部専用となっているこの体育館の中を舞う、

レオタード姿の部員達を見つめながら、

「はぁ…」

澪はため息をつくと、

「もし良かったら、相談に乗るよ…」

と静香の声、

「え?

 あっ静香、まだ居たの…」

「ちょっとぉ、

 ”まだ居たの”はないでしょう」

澪のその言葉に静香が怒り始めるが、

スッ

そんな静香を無視して澪は手具を手に取り前を見据える。

すると、

『お願いだ…

 澪…』

と今朝、澪に向かって懇願する父親の姿が目に浮かんだ。

その途端、

「いやっ」

澪は頭を左右に振り、

そして、それを振り払うように踏み出ると、

シュッ!

体育館の中に可憐な花が一輪咲いた。



「うわっ

 大賀キャプテン、すごい」

「さすがは前大会入賞しただけのことはあるわね」

「はぁ、あたしもキャプテンのように出来たらなぁ」

澪が舞い始めた途端、

他の部員達は一斉に練習を止めると、

澪の姿に見入ってしまい、

そして、澪もまた後輩達の注目を一身に浴びながらリボンを巧みに操る。

リボン演技は澪の得意種目であった。

たった一本のリボンに命を吹き込み、

まるで生き物のように動かす。

猛獣使い…

いや、命を創造する神になったかのような感覚が澪は好きだった。

タンッ!

シュッ!

「だれが…

 だれが…
 
 お相撲なんてするもんですか!」

リボンを舞わせながら澪は心の中で叫んでいたのであった。



今朝、澪の父である大賀賢より懇願されたのは、

澪に角界入り…

そう”相撲取り”になって欲しい。

と言うものであった。

大輔はかつてこの丸子山部屋に所属してた力士・男錦であり、

横綱にこそなれなかったが、

しかし、合計5回の優勝を経験を持つ名大関だった。

そして、その勲功もあり、

先代親方の娘であった明美(澪の母親)を娶ったために

引退後丸子山部屋の親方になったが、

しかし、その頃を境に部屋の勢いは徐々に下がり始め、

先代より親方を引き継いだときには幕内力士を擁していた丸子山部屋も、

ついに一人の力士も居なくなってしまい、

棟続きの稽古場から四股を踏む音が途絶えてかれこれ1年以上が経とうとしていた。

もしもこのまま新弟子を獲得しなければ、

この丸子山部屋は閉鎖、

賢に与えられていた年寄り株を返上しなければならない。

まさにピンチという言葉がピッタリ当てはまる状況になっていたのであった。

無論、賢もじっと手をこまねていたわけではなかった。

かつてのつてを頼りに全国を渡り歩き、

有望な人材を集めたのだが、

しかし、相撲部屋での生活はいまの気風に合わないためか、

一人逃げ、二人逃げと、

その結果は惨憺たるものだった。

そして、追いつめられた賢はついに

一人娘である澪を丸子山部屋の力士にすることで、

この危機を乗り越えようと考えるようになったのであった。

無論、最初この話を賢から聞かされた明美は大反対をしたが、

しかし、追いつめられた部屋の現状や、

澪の持ち前の運動神経の良さ、

そして、高校で新体操をはじめる前にしていた

柔道での実績を考えるつその考えを変えていたのであった。



「イヤよ、

 折角、女の子らしくなったのに…
 
 折角、みんなから女の子って認められるようになったのに…」

レオタードを汗に濡らしながら澪は舞う。

相撲部屋の一人娘…

そんなレッテルが昔から彼女を苦しめていた。

「やーぃ、相撲取り」

「お前、家ではふんどし締めて居るんだろう」

小学校の頃、

クラスの悪ガキからいつもそうからかわれていた。

「うるさいっ!」

無論、澪も黙っては居なかった。

女の子故、相撲は出来ないが、

しかし、何か武道を…

と言う賢の考えもあり、

澪は幼少の頃から柔道を習っていた。

小さかった頃は不思議にも思わなかったが、

でも、多感な時期を迎えはじめると、

澪は自分が置かれている境遇に不満を持ち始めた。

そして、その結果、

「うりゃぁ!」

ビターン!

「うわぁぁぁん!」

「このっ男女!」

「学校にはふんどし締めてこい!」

キレた澪に投げ飛ばされ、

悪ガキ達は泣きながら逃げていく。

「ふんっ」

逃げ出すガキ共を澪はいつも腕を組んで見送るが、

「なによ、

 あたしだって、
 
 女の子よ…」

と澪は心の中で呟いていた。

そして、受験を経てこの学園に入学したとき。

「これだ!」

新入生の勧誘で見せた新体操部の演技に澪は思わず心を奪われた。

「心・技・体(じゃなかった)

 まさしく女の美を追究した競技…
 
 新体操こそがあたしの進む道…」

華麗なレオタードに身を包んで女であることアピールし

その一方で、力強い動きと繊細な手具裁きに

その姿に澪は即座に柔道を捨て、入部を申し込んだ。

そして、瞬く間に澪は新体操の腕を磨き、

ついには初出場の大会で入賞を果たすほどになっていたのであった。



「新体操を捨て、

 男と偽って、

 ふんどし一丁で男達と相撲を取るなんて、
 
 死んでもイヤ、
 
 あたしは…
 
 あたしは…この新体操に全てを捧げるんだから」

まさに澪の心の叫びであった。

タンッ!

その叫びと共に澪はフィニッシュを決めると、

うわぁぁぁぁ!!

パチパチパチ!

澪の演技を見ていた部員達から拍手がわき起こった。

「あっ…」

その様子に澪は我に返ると、

「ほらっ

 みんなっ
 
 身体が止まっているよ」

と指摘するなり、

手にしていた手具を後輩に渡し、

更衣室へと向かって行った。

パタン…

ドアが閉まる音共に、

「ふう…」

澪は壁にもたれかかる。

ヒヤッ

冷たい壁の感触がレオタードを通り越し、

火照った澪の肌を冷ましてゆく、

「相撲なんて…
 
 誰がするもんですか!」

再び響いた賢の言葉に向かって澪は小さく叫ぶと、

ドン!

壁を強く叩くと、

「…相撲が…どうしたのですか?」

と少女の声が更衣室に響いた。

「静香…」

その声に澪は振り向くと、

スッ

澪の前にレオタード姿の静香が歩み寄ってくる。

「澪…

 何を悩んでいるの?
 
 今度の大会のこと?
 
 それとも別のこと?」

そう囁きながら静香は澪の頬の手を添えると、

軽くその頬にキスをした。

そして、そのまま唇同士を合わせると、

お互いに相手の股の間に足を挟み抱き合う。

「静香…」

「澪…」

汗に濡れたレオタードを艶めかしく輝かせ、

二人の少女は絡み合い、

「好き…」

「あたしも…澪が好き」

しっとりと濡れはじめた互いの秘所に手を添えると、

その手を動かしはじめる。

クチュッ

クチュクチュ!

「あっ」

「あはっ」

「好きです」

「好よ、静香…」

「あんっ澪もっと、

 もっとして」

クチュクチュクチュ!

レオタードの染みを広げながら

澪と静香は激しく愛し合う。

2人しかいない更衣室、

その更衣室の中で二人は痴態を繰り広げていた。

「あっあっあ!」

「あんっ

 いっイッちゃう」

「くっくるくるくる」

「あんっ」

汗の臭いと愛液の臭いをまき散らしながら

二人は絶頂へと登っていく、

そして、

「んあぁぁぁぁ!!」

「あっはぁぁぁ!!」

同時に絶頂を迎えると、

唇を再び合わせその場に崩れるようにして座り込んでしまった。

ハァハァハァ

ハァハァハァ

「澪の汗…とってもしょっぱいよ…」

「うふっ、静香の汗もね」

大きく開いている胸元にキスを仕合ながら二人は抱き合っていると、

「で、さっき言っていた相撲ってなんですか?」

上気した顔で静香は澪に尋ねた。

「え?

 何でそんなこと?」

結い上げた髪を軽く乱しながら澪が聞き返すと、

「だって、澪が並んでいる事ってそれでしょう?」

と静香は言う。

「うっ」

静香の指摘に澪は声を詰まらせると、

「実は…」

と事情を話し始めた。



「えぇ?

 相撲取りに?」

「うっうん、

 ホラっ
 
 ウチってさ、
 
 相撲部屋でしょう、
 
 でも、所属力士が居なくってさ、
 
 で、パパったら何を血迷ったのか、

 あたしに相撲取りになれって…
 
 あはっ
 
 おかしいよね、
 
 女のあたしに相撲取りにだなんて…
 
 第一バレたらどうするの、
 
 それこそウチの部屋はおしまいよ」

と澪は小さく笑いながら言う。

ところが、

「なんだか素敵…」

それを聞いた澪の話を聞いた静香はそう呟くと、

「え?」

澪は思わず耳を疑った。

「だって、

 澪がお相撲さんになるってすばらしい事じゃない?
 
 あたしだったら絶対に応援しちゃうな…
 
 髷を結って、
 
 ふんどしを締めた澪が土俵に立つ…
 
 あぁっ
 
 なんだか燃えちゃう」

「じょ冗談でしょう?

 相撲取りよ、
 
 相撲取り!
 
 あんな汗くさいデブになんてなりたくないわよ」

力士姿の澪を妄想する静香に向かって澪はキッパリと言い切ると、

「あら、相撲取りが全員デブではないでしょう?

 中には筋肉質の相撲取りも居るわ、
 
 あたし、そういうのって弱いの…」

と静香は言い、澪のお腹を触る。

「あっ」

レオタードに覆われ様子は見えないが、

澪の腹は鍛えられた腹筋が6つに割れているのであった。

「澪…

 お相撲さんになって、
 
 そして、あたしを抱きしめて、
 
 お願い」

腹筋を撫でながら静香はそう呟くと、

澪の唇にキスをする。

「そっそんなこと言われても…」

予想外の静香の言葉に澪は困惑し、

そして、相撲取りになることを否定し続けてきた

自分の意志が微かにぐらついてきたのであった。



「静香ったら…

 人ごとだと思って…」

部活からの帰り道、

一緒に歩いてきた静香と分かれた途端、

澪の口からそんな言葉が漏れた。

「もぅ!

 あたしのこともっと真剣に考えてよ…」

と文句を言いながら自宅に近づいてきたとき、

「あれ

 なにかしら…」

自宅の前に人だかりが出来ていることに気がついた。

そして、その人だかりの向こうには

回転する赤灯の灯り。

「え?

 なに?
 
 何かあったの?」

それを見た澪は考えたくないことを考えながら走った。

「あぁ、澪ちゃん!

 大変よ」

「親方が…」

様子を見ていた近所の主婦が澪に声をかける。

「ぱっパパに何かあったんですか」

その声に澪はヒステリックに叫ぶと、

「どいてどいて…」

と自宅の中から担架が運び出され、

その上には父親・賢の姿があった。

「ぱっパパ?」

生気のない父親の顔に澪は凍り付くと、

「やっ澪ちゃん!!」

追って出てきた母親が抱きつき泣き出しはじめた。

「いっ一体、

 何が起きたの?
 
 パパはどうしたの」

泣き崩れる母親の肩を揺すりながら澪は理由を尋ねると、

ポ・ピーポピーポ!

賢を収容した救急車はサイレンを鳴らし走り出した。

遠ざかっていくサイレンの音を聞きながら澪は母親を振り払うと、

自宅の前にいる警察官に

「あたし、この家の娘です!

 中に入ります!」

と怒鳴り、

「え?

 あっ!」

突拍子を付かれた警察官を突き飛ばすと、

自宅へと飛び込んだ。

そしてもっとも警察関係者が集まっている稽古場に行くと、

そこには天井からさがる一本の紐…

「!!っ」

それを見た瞬間、澪の顔から一気に血の気が引いていく。

「まっまさか…」

まるで引き寄せられるように澪は紐に向かって歩いていくと、

「あぁちょっと、

 ここは立ち入り禁止だよ」

と鑑識の腕章を腕に着けた警官が澪を制止しようとする。

しかし、

「ぱっパパは…

 パパはここで何をしたんですか…」

澪はそう尋ねると、

「パパは何をしたんですか!」

と大声を上げた。

すると、

「君は?」

一人の警官が澪に近づき、

そして尋ねると、

「澪です…

 娘の…」

と澪は呟く。

「そっか…

 君のお父さんはここで自殺していたんだよ、

 なにか、心当たりはある?」

と警官はここで賢がしたことを告げ、

澪に心当たりについて尋ねた。

「そっそれは…」

警官の言葉に澪は喉まで出かかった言葉を押し込むと、

「わっわかりません…」

と返事をする。

「そうか…

 まぁ、発見が早かったのが幸いだったみたいだ、
 
 発見した後援会の人が直ぐに人工呼吸をしてくれたそうだよ」

と警官は賢が自殺したものの絶命していないことを告げた。

「そっそうですか…」

それを聞いた途端、

澪の脚から力が抜け、

「おっおいっ

 君!」

驚いた警官の叫び声を聞きながら、

土俵の上に倒れてしまった。



”土の臭い…”

そっか、これはパパの臭いだ…

いつも漂わせていた。

そして、稽古場からは力士達の音が響いていたっけ、

『さん…』

『大賀さん、

 まだ諦めるのは早いって』

…誰だろう

 この声は滝山のおじさん?

『だめだよ、

 どうしても新弟子が集まらないよ、
 
 現役力士の居ない相撲部屋なんて、はは』

…パパ…なんか元気ない…

『だから、

 他の部屋に応援を頼もうではないか、
 
 力士を回してくれるって言う部屋もあるって言うじゃないか』

『いや、それだけは出来ない。

 丸子山部屋の力士は私の手で育てた力士じゃないと、
 
 先代に申し訳が立たない』

『大賀さんっ

 いつまで意地を張って居るんだ、
 
 時代は変わったんだよ』
 
『ダメだ、

 どれだけは出来ない。
 
 してはいけないんだ』

『じゃぁどうするんだよ』

『くっ

 先代から受け継いだ丸子山部屋を潰すくらいなら
 
 潰すくらいなら…
 
 俺は死んだ方がマシ』

『馬鹿な考えはやめなって、

 とにかく後援会も応援して居るんだから短気を起こしちゃぁダメだよ、
 
 良いね、
 
 絶対に短気を起こすなよ』

…なんか大変なんだ…

『たっ滝山さん!!』

…あれ?、ママ…

 どしたのそんなに慌てて…

『どうした奥さん?』

『ウチの人が…

 ウチの人が…』

…え?

『え?』

…なに?

 何が起きたの?

…キャァ!

 ぱっパパ!!

『ばっ馬鹿野郎!

 なんてことを!』

『とにかく切れ!

 何でも良いから切れ!
 
 良かったまだ脈がある…
 
 おいっ
 
 馬鹿野郎、
 
 自分から死のうとする奴があるか!』

…いやだ、

 パパ、死んじゃイヤだ!



…ねぇ澪…

 お相撲さんになって…

 お相撲さんになって、あたしを抱きしめて!

ハッ!

閉じていた目を澪が開けると、

「おっ目を覚ましたようだ」

と男性の声が響いた。

「あっここは…

 居間?」

額に乗せられた濡れタオルを取り去りながら澪は周囲を見ると、

「はぁ、良かった、

 親方に続いて澪ちゃんまで入院となっては、
 
 おかみさん、起きあがれないよ」

と男性は言う。

「あなたは…」

「あぁ、私は後援会の柴田という者だよ

 滝山さんは親方に付き添って病院に詰めているからね、
 
 わたしがここで留守番をしているんだよ」

柴田と名乗る人物は物腰柔らかく澪にそう言うと、

「おかみさんは隣の部屋で寝ているよ、

 疲れがそうとう溜まっていたみたいだ」

と母親も倒れたことを暗に告げた。

「まっママも…」

その言葉に澪の心の奥に罪悪感が頭をもたげてくる。

「それにしても、

 親方も相当切羽詰まったみたいだったなぁ…」

たばこを咥えながら柴田はそう言うと、

その先に火を付けた。

「あっあの…

 パパはパパはどうなったのですか?」

「ん?

 あぁ、一命を取り留めたけど、

 医者の診察では後遺症が残るかも…

 って言っていたな…

 まぁ、命があっただけだけでも良かったのかも知れないが…」

と柴田は賢の容態を説明し、煙を揺らせる。

「そうですか…」

彼の言葉に澪の心は見る見る締め付けられていくと、

「全部…

 あたしが悪いんです」

と呟いた。

「え?」

澪が呟いたその言葉に柴田は驚くと、

「なんで、澪ちゃんが悪いんだ?」

と理由を尋ねる。

「そっそれは…」

その質問に澪は喉をカラカラに渇かしながら、

「あっあたしが、

 相撲取りになるのをいやがったから…」

と呟いた。

「はぁ?」

澪のその言葉に柴田は驚くと、

「だって、

 澪ちゃんは女の子じゃないか

 女の子は力士になんてなれないし、

 協会だって認めやしない」

と柴田は言うと、

「でも、パパはそうしないとこの部屋はおしまいだって言っていました。

 パパは自分が1から育てた力士を国技館に送りたかったんです」

柴田に向かって澪は叫んだ。

「それにしても、

 また無茶な…

 第一、廻しを締めれば一発で女の子であることがばれるじゃないか」

華奢な澪を見ながら柴田は困惑した表情をすると、

「もし、このままだったら、

 ウチはどうなるんです?」

と小声で尋ねた

「え?」

「パパが入院したままだったら、

 この丸子山部屋はどうなるのですか?」

驚く柴田に澪は再度尋ねると、

「そうだなぁ…

 親方が入院、
 
 所属力士は居ないとなると…

 まぁ、他の部屋と合併するしかないか」

と柴田は答えた。

「合併ですか…」

「まぁな、

 丸子山部屋は歴史がある部屋だからねぇ…

 その歴史を欲している相撲部屋は幾らである。

 まぁ、こっちには力士は居ないのだから、

 いわば部屋の看板を売り渡すようなものだ」

と柴田は言い、

新しいタバコに火を付ける。

「そうなったら…

 あたし達はどうなるのですか?」

「え?

 あぁ…
 
 まぁ何処が買うかは判らないが、
 
 新しい丸子山部屋と澪ちゃんは全く関係はない。
 
 だから、澪ちゃんが廻しを締める事なんてないから
 
 安心して良いよ」

今後について柴田は説明をすると、

「ダメ…

 それだけはダメ…」

と澪はつぶやき、

ギュッ!

両手を強く握りしめると、

「柴田さんっ

 お願いがあります。
 
 あたしを…

 あたしを相撲取りに…
 
 力士にしてください!」

と懇願した。

「は?」

澪の唐突な申し出に柴田は唖然とすると、

「あたし、判ったんです。

 この丸子山部屋を無くしては行けないって事を、
 
 そして、パパの部屋はこのあたしが守らなくてはいけないことを」

と澪は柴田に決意を言った。

すると、

「ふふっ」

その柴田が急に笑いはじめると、

「やっぱり蛙の子は…

 蛙か…」

と言うなり、

キッ!

キツイ視線で澪を睨み付けると、

「言っておくけど、

 相撲は女の子の遊びじゃないよ、
 
 男と男が命をかけてぶつかり合う、
 
 いわば戦いの場だよ、
 
 そんなところにふんどしを締めて力士面した女が飛び込んでも、
 
 大けがをするだけだよ」

と警告をした。

「柴田さん…」

さっきまで見せていた雰囲気とは違う柴田の姿に澪は困惑しながらも

「あたし…

 女を捨てます。
 
 女を捨てて、力士になります」

と決心を伝える。

「ふんっ、

 口では幾らでも言えるか…
 
 でも、まっ、
 
 親の後を継ぐというその心意気は認めてやろう」

柴田はそう言いながら膝を叩くと、

「まっその前に、

 この俺がお前が何処まで出来るかテストしてやろう、

 俺を土俵から押し出せれば、
 
 澪ちゃん、
 
 君を力士にしてやろうではないか」

と言うなり、

立ち上がると、

「ふっ、

 言っておくけど、
 
 俺は昔、髷を結っていたことがあったんだよ」

と澪に告げる。

「判ったわ…」

そんな柴田を澪は睨み付けながら立ち上がると、

「土俵に来いっ

 警察はもぅ居ないよ」

と一言言い、

稽古場へと向かっていった。




賢の自殺未遂で大騒ぎだった稽古場は、

検証をしていた警察も引き上げ、

いつもの静けさを取り戻していた。

そして、その静けさを破るように、

パーン!

腰に締めた廻しを叩いて柴田が土俵に上がると、

「よーし、

 3番勝負で俺との押し相撲に勝てみろ」

と新体操のレオタードの上に廻しを締めた澪に告げた。

「はいっ」

柴田の言葉に澪は頷くと、

ザッ

生まれてこの方一歩も入ったことが無い土俵に足を入れる。

「ふっ

 相撲の神様が見たら怒るだろうなぁ…
 
 女を土俵に入れたってことで」

と柴田は笑い、

「さぁこいっ!」

と気合いを入れた。

ザッ!

その声に澪は腰を落とすと、

「ヤッ!」

と言うかけ声と共に柴田にぶつかる。

がしかし、

「おら、どうした

 本気で押せ、
 
 本気で!」

と柴田は一本も引かず余裕の表情を見せる。

「くっ

 なにこれ、まるで壁だわ…」

まるで動かない柴田に澪は驚くが、

しかし、幼い頃から叩き込まれた負けん気を発揮し、

なおも押し続ける。

すると、

ズッ

ズズッ

鉄壁と思われた柴田の身体が少しずつ動き始め、

「おっ」

それに柴田が驚くと、

「うっしゃ」

その途端、重心を下げた。

「あっ

 くっ」

柴田の重心が下がり、

再び動かなくなると、

「くぅぅぅぅ!!」

澪は顔を真っ赤にして、

押しはじめる。

「おらおら、

 腰が高いぞ!」

そんな澪に柴田からの注意が飛ぶと、

ブンッ!

あっ澪の視界が一回転したと思った瞬間、

ドッ!

澪は腰から土俵に落ちてしまった。

「痛い…」

レオタードに土俵の砂が付き、

澪は痛む腰を押さえていると、

「油断するな、

 早く押し出さないと、

 攻撃を食らうぞ」

と柴田は笑みを浮かべる。

「くそっ」

その言葉に澪の闘争本能に火がつき、

「やっ!」

再度、押しはじめた。

しかし、

「おらっ!」

「きゃっ」

柴田に軽くあしらわれると、

また澪は尻を突いた。

それでも、澪は飛びかかり3度目の対戦に挑む。

「くっ

 こいつ、根性は力士並みか…
 
 ふっ、親方も人が悪いよ、
 
 しっかりと娘を仕込んでいるんだからな」

鬼のような表情の澪を見据えながら柴田はそう呟くと、

「うしっ」

全身の力を込める。

「くおっ」

「うりゃぁ!」

柴田と澪の押し相撲、

その3番目となる勝負はなかなか付かなかったが、

でも、澪はジワジワと柴田を押していくと、

ついに土俵際へと追いつめた。

ヒタッ!

「こいつ…」

俵に脚が付いた感触に柴田は驚くと、

「うぐぅぅぅ!」

澪はさらに押す。

その姿はまさに父親・賢を彷彿させ、

「お前…」

その姿に柴田は驚愕した。

そして、

「うりゃぁ!!!」

と叫び声と同時に全身の力を込めて澪は柴田を押し出してしまった。



「はっ負けたよ、

 ほんと、なんでお前は女で生まれたんだろうなぁ…
 
 男だったら、
 
 もっと早く土俵に立っていたのに…」

澪に押し出された柴田は軽く笑うと、

「いいだろう、

 お前を男に…
 
 力士にしてやるよ」

と告げた。

その翌日、澪は学校を休んだ。

「ねぇキャプテン、

 休みなの?」

「うん、

 なんでも、お父さんが入院したんだって」

「え?

 そうなの?」

「知ってる、知ってる、

 キャプテンのお父さん、
 
 何でも自殺したんだって」

「うっそぉ!

 それって本当なの?」

「ほらっ、

 みんなっ
 
 キャプテンが居なくても練習練習!」

うわさ話に花を咲かせようとする新体操部員達向かって上級生が仕切るが、

その一方で、

「キャプテン…大丈夫かしら?」

澪と関係を持っている静香の心に不安が広がっていった。



そして、さらにその翌日、

澪と柴田は退学届けをもって学校に登校した。

勉学と相撲との2足草鞋は不可能ではないのだが、

しかし、女であることを捨て、

力士として生きていくことを決めた澪にとって、

女子生徒としてここに通うことは出来ない相談であった。

「いっ一体、なんで…」

「申し訳ありません」

「ひょっとして学費のことかね…」

「申し訳ありません」

一様に驚く担任を含め関係者は、

澪の退学理由を尋ねるが、

しかし、澪は一身上の都合。

と言うだけで本当のことは口にしなかった。

結局、澪の退学届けは受理され、

澪はこの学園の学籍から外れることになる。

そして、その日、

澪は晴れて力士への道を歩み始めたのであった。



つづく