風祭文庫・アスリート変身の館






「流行」


作・風祭玲

Vol.686





とある平日の夕方…

仕事を早く終えた僕は駅前で人を待っていた。

ザワザワ…

僕の周囲には帰宅する学生やサラリーマン・OL達、

また、これからどこかに出かけようとする人などが、

次々と通り過ぎてゆく。

「ふぅ…」

そんな人たちを眺めながら僕は大きく息を吐くと、

駅前広場に掛かっている時計を見る。

待ち合わせ時刻までまだ20分近くあるようだ。

ふと、ポケットの中のケータイに手を伸ばすが、

「まだ、いいか…」

そう考えると僕はその手を表に出した。

「じゃぁ、明日ぁ」

「ばいばい」

僕の傍でその声が響くと同時に、

ドンッ

と背中に何かが当たった。

「ん?」

当てられた方向を向くと、

「あっごめんなさい」

と顔を真っ赤にして制服姿の少女が僕に向かって頭を下げると、

その頭に結われた髷がちょこんと小さく動き、

フワッ

僕の鼻に鬢付けの香りがほのかに漂う。

その匂いを嗅ぎながら

僕は謝る少女に”いいよ”という意味合いを込めて

右手を小さく挙げる。

「あはっ、

 どじぃ」

それを見た彼女の友人だろうか、

同じ制服の少女達がその少女を指さし笑うと、

「なによぉ!

 もぅ!」

と少女は怒りながら彼女へと向かっていった。

キュッ!

白いセーラーの上着の下、

ギュッ!

と彼女の腰に締められた紺色の廻しが、

引き締まった彼女の腰をことさらに強調する。

「ふっ、

 やっぱり、女子高生は紺廻しだよなぁ…」

そんな彼女たちの姿を見ながら僕はそう呟くと、

駅前広場へと視線を戻した。

ザワザワ

ザワザワ

駅前広場は相変わらず行き交う人でごった返し、

正面のビルに掛かる巨大プラズマディスプレイには

今日の取り組みの結果が表示されている。

相撲…

かつて相撲という競技はガタイの良い男達が廻しを締め、

髷を結い、

そして土俵の上で己の全てを賭けて戦っていた。

だが、彼らが締めていた廻しはもちろん、

鬢付けの匂いまでもが少女…

いや、女性達のものになってしまっていた。

極ミニスカート、

ガングロ、

ルーズソックス、

少女達は新しいファッションを考え、

そして、彼女たちは次の標的として

相撲の廻しに目を付けたのだ。

スカートではなく廻しを締め、お尻を剥き出しにした女子高校生が、

渋谷を闊歩するようになって早10年以上の月日が過ぎていた。

最初は意味不明に思えた彼女たちのファッションが、

いつの間にか日本中に染み渡り、

女子高生はもとより、

その下の中学生からさらには小学生、

また、上の年齢では20台の女性にまで廻しファッションは広がっていき、

街中に廻しを締め、お尻を晒す女性達で溢れかえるようになった。

そして、彼女たちは白か濃紺しかなかった廻しの色をカラフルにし、

赤や黄色、さらにはレインボーカラーと言った廻しまで出回るようになり、

さらにはすっかり廃れてしまった相撲までもが見直されるようになると、

廻しを締めた女性たちは土俵に立つようになっていった。

こうして街の相撲道場は女性達の社交場となり、

ついには髷を結う女性が姿を見せるようになった。



「イチッ

 ニィ」

「イチッ

 ニィ」

若い女性の声が響き渡ると、

交差点の向こうの歩道上をトップレスに廻しを締め、

髷を結った少女達がランニングをしていた。

彼女たちが締めている廻しの柄から見ると、

近くの女子大の相撲部のようだ。

稽古で鍛え上げたのか、

筋肉が盛り上がる肩と、

それに続く太い腕、

そして、筋がピンと張る、

太い太股が夕日に映える。

プルン

プルン

と乳房を揺らす彼女たちの姿を見ていても、

昔みたいに誰からも注意を受けることはない。

すっかり当たり前の景色となってしまっているのだ。

逆に廻し姿の彼女たちを見てオロオロする方がおかしく見られる。

「ふっ

 すっかり、変わってしまったなぁ…」

そう思いながら僕はポケットの中の小瓶を軽く触った。

もぅ…10年以上前だろうか、

当時高校生だった僕が彼に出合ったのは…



『やぁ、

 君1人かい?』

塾からの帰り、

僕はある男性に呼び止められた。

髪を7・3に分け、

顎が長く、

見たところ、どこかの会社の営業風の男性は僕を呼び止めると、

『これを、君にあげよう』

と言ってこの小瓶を僕の手に渡した。

『なんですかこれは?』

渡された小瓶を訝しがりながら僕は聞き返すと、

『ふふっ、

 わたしの会社で開発した新商品だよ、
 
 君にテストをして貰いたい』

と彼は僕に告げた。

『テスト?』

『そうだよ、

 この鬢の液体を数滴取りだし、
 
 そして、君がこの世界に流行らせたいことを
 
 吹き込めば良いんだ』

『はぁ?』

『まぁ、試してみれば判る…』

男性は僕にそう言うとまるでかき消すように僕の前から姿を消した。

手渡した小瓶を残して…

『なっなんか、

 どこかのマンガで読んだような話だな…』

その小瓶を片手に僕は四次元ポッケを持つネコ型ロボットを思い浮かべていたが、

『んー、

 でも、試して見たいきも…』

と半信半疑ながらも試したくなった僕は、

渡された小瓶から数滴中の液体を落とすと、

こう吹き込んで見た。

『女の子に相撲ファッションが流行り、

 相撲は女の子のモノになる』

と、そうしたら…

あっと言う間に女の子達の股間を廻しが締め、

さらに髷をも結うようになると、

そして、国技館の土俵には

廻し姿の女性力士が割拠するようになってしまったのだ。

あの男性が言ったことは本当だったのだ。



「ふふっ、

 まぁいいか…」

廻し姿の女性達を横目に見ながら僕は大きく背伸びをすると、

「お待たせ!

 待った?」

の声が響いた。

僕がいま付き合っている香奈恵の声だ。

「ん?

 いまついたところだよ」

彼女の声に僕がそう返事をしながら振り返ると、

そこには緑の廻しを締めた香奈恵の姿があり、

「ごめんなさい…

 廻しを選ぶのに時間が掛かっちゃって…」

と謝りながら顔を赤らめる。

「いいんだよ」

そんな彼女を僕は抱きしめると、

フゥ

鬢付けの匂いが僕の鼻をくすぐり、

目の前に彼女の髷が間近に迫る。

「あら、このネクタイどうしたの?

 素的じゃない?」 

いつもと違うネクタイに気づいた香奈恵が指摘すると、

「ふっ

 香奈恵が締めているその廻し、

 そっても鮮やかで君に似合っているよ」 

と僕は囁き、彼女腰の結び目をキュッと持ち上げる。

ごくありふれた夕方の出来事であった。



え?

この流行はいつ終わるかって?

まっ僕が飽きるまで続けてみようか。



おわり