風祭文庫・アスリートの館






「密告」


作・風祭玲

Vol.547





「はぁ…」

ため息と共に洗濯物をたたむ手が思わず止まった。

傾いた西日が照らし出す、とある平日の午後。

「んっ

 何ため息をついているんだろう」

自分がついたため息にあたしはそう呟くと、

再び洗濯物をたたみ始める。

もぅ借金に追われる事は無い、

廻しを締めて土俵に立つ事は無い。

そう、何もかもが過去の事なんだ。

あたしはそう自分に言い聞かせながら立ち上がると

「さーて、

 今日の夕ご飯は何にしようかな…」

洗濯物をたたみ終わったあたしは今日の夕食の献立について考えながら腰を上げる。



居間の隅に置かれている鏡台に映る自分の姿は

廻しを締め髷を結った力士のものではなく、

ごく普通の主婦の姿であった。

「ダメよ、

 あれは良くない事なんだから…」

首を振りながらあたしはそう呟き、

そしてキッチンに立つ。

トントントン

野菜を切る音、

グツグツ…

鍋で湯が煮え立つ音を聞きながらあたしは夕食を作っていると、

「あっ」

思わず声をあげてしまった。

「もぅ、ちゃんこを作っているんじゃないんだから…」

無意識にちゃんこを作りかけていた事にあたしはクスリと笑うと、

急いで食材を切なおそうとした。

しかし、

「まっ

 たまにはちゃんこでもいいか…」

と自分で納得をするとちゃんこ作りを続け始めた。

「はぁ…

 なんか懐かしい匂いね」

ちゃんこが入った鍋から立ち上る湯気を嗅ぎながらふとそう呟くと、

「さてと、

 雨戸を閉めなくっちゃ」

夕食作りが一段落した事であたしはキッチンから去り、

そして、雨戸を閉め始めた。

ちょっと無理をしてローンを組み、

この建売に引っ越してきたのは5年前、

最初は順調だった返済計画に狂いが生じたのは3年前の事…

そう、夫の会社が上役達が起こした不祥事の影響で業績が下がり、

当てにしていたボーナスが3回続けてカットされたため、

ローンの支払いにあちこっち駆け回るはめになったのであった。

そして、その窮地を打開するため、

あたしはクスリを飲み、力士となった。

夫よりも高い身長、

女性のときの2倍以上の体重。

そして、廻しを締め、頭に髷を結い。

あたしは土俵に立った。

初めての場所は無残に負け越したものの、

しかし、次の場所までの間

稽古に稽古を積み重ね、

そして、数場所勝ち越してあたしは力士から女に戻った。

無論、ローンはあたしが勝ち取った懸賞金でなんとかなり、

いまこうして普通の主婦としての暮らしを取り戻していた。

「過ぎたこと…

 もぅ、あそこに戻る事は無い…」

幾度も自分にはそう言い聞かせてみるものの、

しかし、大相撲の中継を見るたびに、

あの相撲取りの中に力士になった女性がいると思うと、

なぜが胸が騒いでしまう。

恐らく力士としての生活が身体にしみこんでいるせいだと思うけど、

でも…

もしも…

また、土俵に立てと言われれば、

「はいっ」

と頷いてしまいそうで仕方が無かった。

「相撲か…」

最後の雨戸を閉めた後、

あたしはそう呟きながら、

パンッ

「ほっ!!」

尻を叩きシコを踏む真似をすると、

「ふふっ」

軽く笑う。



カタンッ!

ポストに投げ込まれていた夕刊を抜き取るったとき、

「あら?」

ポストの中に一通の封筒が入っていることに気づいた。

「郵便かしら?」

そう思いながら封筒をあたしは取り出すと、

表と裏を見てみる。

しかし、

「【至急】静香さまへ」

とあたしの名前と【至急】の赤判以外に何も無く、

どうやら、誰かが直接ポストに放り込んだものらしかった。

「あたしに?

 誰からかしら?」

不審に思いながらあたしは封書を持って家の中に戻ると、

ダイニングのテーブルの上で封書にはさみを入れる。

すると、

バサッ!

封書から出てきたのは10枚近い写真と、

コロッ

青い錠剤が一つ転がり落ちる。

「これは…」

見覚えのある青い錠剤にあたしは驚きながら、

出てきた写真を見てみると、

「え?

 なにこれ?」

その写真に映し出されているものに目を奪われた。

どこかの温泉地だろうか、

夫と共に親しそうに笑みを浮かべる女性…

「だれなの?」

次々と写真を捲りながらあたしは

信じられないものを見せられている気分になってしまった。

そして、

バンッ!!

それらの写真を思いっきり叩きつけると、

「誰よっ

 こんな悪戯をするのは!」
 
と怒鳴り声を上げ、

写真をゴミ箱に放り込もうとした。

しかし、

ピラッ

あたしの手からこぼれた写真が一枚、足元に落ちると、

その写真に思わず視線が移動していく。

そして、

写真に映し出されている日付を見たとき、

「!!っ

 これの日って確か…」

夫と女性が写っているその日は、

そう、あたしが力士として土俵に立っていた日であった。

「まさか…

 そんなことを…」

写真の日付を見ながらあたしはショックを受けていると、

写真と同封されていた青い錠剤に目が入ってくる。

「!!っ」

その錠剤をあたしは手に取り、

寝室に上がるとクロゼットを開ける。

すると、そのクロゼットの奥で忘れ去られたかのように

相撲部屋の名称が入った風呂敷包みが一つ眠っていた。

もぅ二度とこれには手を触れまい。

そう思っていた風呂敷包みにあたしは手を伸ばし、

それを抱きかかえた。



カチッ!

待つこと、約1時間…

「ただいま」

玄関に夫の声が響くと、

程なくして

「ん?

 今日はちゃんこか?」

の声と共に夫が姿を見せた。

いつもならここであたしは笑顔を見せるところなのだが、

しかし、今日は睨みつけると、

「ちょっと、

 あなたっ
 
 あたしに何か隠し事をしていない?」

と聞き返す。

「はぁ?」

あたしの言葉に夫はキョトンとすると、

「いっ一体何のことだ?」

と合点がいかない表情で聞き返す。

「あっそっ

 じゃぁこの写真なに?」

そんな夫に向かってあたしは封書に入っていた写真を突きつけると、

「えっ」

それを見た途端、夫の顔色が青ざめ、

「いっいやっ

 これはだな…
 
 しゃっ社員旅行で…」

と言い訳を始める。

しかし、

「社員旅行?

 あの時はあなたの会社が危なくてそれどころじゃなったんじゃないの?」

あたしはそう指摘すると、

「あっいっいやっ

 その…」

夫は冷や汗を流しながら口をパクパクさせ始めた。

「ふぅぅぅん、

 そのとき、あたしはなりたくも無い力士になって、
 
 土俵の上でがんばっていたのに…
 
 それなのにあなたときたら、
 
 こんな女と仲良く温泉旅行だなんて…
 
 情けないというか…」

あたしは目に涙をためながらそう呟く、

「いやっ

 違うんだ、
 
 もぅもぅ、この女性とは別れているんだよ、
 
 いまはまったく関係は無い。
 
 あのとき、僕がとった行動は確かに非難されるべきだろうけど、
 
 すでに彼女とは縁が切れているんだよ、
 
 まったく…
 
 いまではアカの他人だよ…」

あたしの元に跪いて夫はそう言い訳をする。

しかし、あたしにはそういう行動を取った夫が許せなかった。

ガタンッ

あたしは立ち上がると、

そんな夫を残しひとりで寝室へと向かう。

「あっ

 おっおいっ」

あたしの行動に夫は慌てて追いかけてくるが、

バンッ!!

あたしは思いっきり寝室のドアを閉めると、

内側より鍵をかけてしまった。



ドンドン

ドンドン

『悪かった…

 ぼっ僕が悪かった。
 
 反省をするよ、
 
 だから…』

ドアの向こうから響く夫の声を聞きながらあたしは着ていた服を脱ぎ捨てると、

置いてあった風呂敷包みを解く、

すると、

バサッ!

風呂敷包みの中から風呂敷包みの柄をネガ反転した柄の着流しと、

汗と砂で変色をしてしまった相撲廻しが1本姿を見せる。

そして、それらを見ながらあたしは錠剤を口に入れ、

ガリッ!!

思いっきり噛み砕いてしまった。



『…なぁ…

 僕が悪かった…
 
 すまんっ』
 
ドア越しに響く夫の謝罪の声を聞きながら、

「うっくっ」

メリメリメリ!!

ググググッ!!

あたしは滝のような汗を吹き上げながら、

身体中の筋肉が盛り上げ、

そして身体全体が大きく肥大化していく。

「うぅぅぅぅ…」

初めて味わったこの苦しみのときは

あまりにものの苦しさに思わず死んでしまいたい。

とも思ったのだが、しかし、今日味わっている苦しみは

そのときに比べると優しく感じられた。

「くはぁ

 はぁ
 
 はぁ

 うぅっ!!
 
 うがぁぁぁ!!」

股間より男根が長さを伸ばし、

そして、その付け根には皮袋が膨らんでいく。

「うぉぉぉぉぉっ」

咽ぶような汗の匂いを吹き上げながら、

グンッ!!

あたしは丸太のように太くなった腕を突き上げると、

そこには一人の女性の姿は無く、

代わりに髪を振り乱した力士が立っていた。



「ふぅふぅ」

大きく盛り上がった肩を上下に動かし息を整えながら、

あたしは自分の姿を映し出す鏡を見ると、

ギュッ!!

乱れた髪を握り締め、髷を結っていく、

そして、本職の床山の髷に比べると荒っぽい作りの髷を結い上げると、

シュルッ

男根が下がる股間に廻しを通し、

ギュッ!!

手馴れた手つきで廻しを締める。

2度となるまい…

そう誓っていた力士の姿にあたしは変身をすると、

フンッ!!

バシーンッ

バシーンッ

自宅を揺らす勢いでシコを踏む。

『………』

そのシコに恐れをなしたのか、

あれほどドアを叩いていた夫は沈黙してしまっていた。



パァァン!!!

気合入れるためにあたしは両頬をはたくと、

カチャッ!!

かけていた鍵をはずし、

バンッ!!

思いっきりドアを開ける。

すると、

「ひぃぃぃ!!!」

寝室から出てきたあたしの姿を見た夫はたちまち腰を抜かし、

そして、アタフタと逃げ始める。

それを見たあたしは

「おまちっ!!」

逃げる夫の襟首を捕まえると、

「あのとき、あたしはこの姿で相撲を取っていたんだよっ

 お前のためになっ
 
 それなのにお前はあたしに隠れて女と遊んでいた。
 
 この落とし前、
 
 きっちりとつけてもらおうかっ」

夫を子猫のように持ち上げながら迫り、

「みっちりと稽古をつけてやる…」

とあたしは言うと、

「ひぃぃぃ!!」

夫はさらに縮みあがった。

数日後…

「たっただいま…」

顔に青あざを作った夫が帰宅すると、

「遅いぞ!!」

廻し姿のあたしは玄関で土俵入りをしながら夫を向かいいれる。

「きっ今日もやるのか…」

土俵入りをしてみせるあたしに夫はそういうと、

「何を言っているっ

 さぁ、

 稽古を始めるぞ」

あたしはそう返事をしながら、

ザッ!!

大きく足を上げた。



「あたしを負かすまで、許さないからね」



おわり