風祭文庫・アスリートの館






「恵子の廻し」


作・風祭玲

Vol.538





「さて、どうしましょうか」

「うっ」

午前の日差しが差し込む事務所、

机越しに金藤達也は反対側に座る峯島恵子に向かって尋ねる。

「でっですから…」

喉をカラカラにしながら恵子は声を絞り出すと、

「残念ながらウチではもぅあなたへお貸しする事は出来ません」

と柔らかな口調で達也は恵子に告げる。

「そっそこを何とか…」

「残念ですが…」

「ごっ5万円でいいです」

必死に食い下がる恵子の姿に

ガタッ

達也はおもむろに立ち上がると、

「そのまえに、

 まずわたしがあなたにお貸ししたお金を返す事が先では?」

と恵子に告げた。

ビクッ

達也の言葉に恵子は身体をこわばらせると、

「現在、あなたへのご融資額は以下のようになっておりますが、

 この返済計画をお聞かせください」

「そっそれは…」

達也が提示した借金の額を見せ付けられ、

恵子は顔色を青くする。

「そろそろ、ご主人に相談いたしますか」

「え?

 そっそれだけは…」

「どうなされました?」

「しっ主人は関係ありません…」

「おや、ご存知ではなかったので?

 奥様のご融資を?」

「はっはい…」

夫・恒夫との結婚から3年が過ぎ、

新婚当初は蜜月もいまではすっかり乾いたモノへと変質させていた。

そして、恵子は潤いを求めてギャンブルに手を出してしまったのだが、

しかし、その代償はとても大きいものであった。



「困りましたねぇ」

恵子の説明に闇金を営んでいる達也は困った顔をすると、

「さぁて、

 どうしましょうか…」

と恵子に尋ねる。

「あっあの…

 お金は用意いたしますから、
 
 主人には借金のこと言わないでください」

達也に縋りながら恵子はそういうと、

「でも、あてがあるので?」

タバコを手に達也は恵子に聞き返すと、

「………」

恵子は言葉に詰まった。

すると、

「わたしの古い友人が人を探していましてね、

 そこで働いてみますか?」

と達也は提案した。

「え?」

達也の提案に恵子は顔をこわばらせると、

「ふふっ

 大丈夫ですよ、
 
 風俗なんかではありません。
 
 わたしの友人は相撲部屋の親方をしていましてね、
 
 ちょっと人手不足で困っているそうなんですよ」

恵子を安心させようとしているのか、

達也はそう説明をする。

「そっそうですか…」

達也の言葉に恵子は少し安心をすると、

「では、わたしのほうから電話を入れておきます、

 そちらに入って下さい」

と達也は恵子に告げ、

「あっそうそう

 このクスリを飲みますと、

 気分が落ち着きますよ」

その言葉と共に恵子へ青い錠剤と水の入ったコップを手渡した。

「はっはいっ」

喉が渇いていたのか恵子は渡された錠剤と共に一気に煽ると、

「しっ失礼します」

の言葉と共に事務所から去っていった。



達也の言う相撲部屋は事務所から比較的近所にあった。

トクン…

トクン…

高鳴る心臓を押さえながら恵子は

「こっここね…」

’驫木部屋’の看板が掛かる建物を眺めつつそう呟くと、

「うんっ

 いっ行こう…」

流れ出る汗を拭きつつ部屋のドアを開けた。

「やぁ、

 待っていたよ」

恵子の前に姿を見せた驫木部屋の親方・驫木辰雄は

笑みを浮かべながら恵子の訪問を歓迎すると、

「はっはぁ…」

恵子は汗を拭きながら返事をする。

「いやね、

 まさか、金藤君に頼んでからすぐ人が来るだなんて、
 
 あはは、
 
 いやぁ助かる」

困惑気味の恵子に辰雄はそういうと、

「ん?

 ずいぶんと汗をかいているようだけど、
 
 大丈夫かね?」

汗だくの恵子の様子を見ながら尋ねた。

「え?

 えぇ…
 
 なんか、熱くて…」

滝のような汗をハンカチで拭きながら恵子は返事をすると、

「あぁ、

 じゃぁ、シャワーを浴びてくるといい、
 
 その後、説明をしよう」

辰雄はそういうと、

恵子にシャワーを浴びる事を勧めた。

「はぁ

 では…」

いつもならこういうことは断る恵子だったが、

しかし、吹き出る汗の処置に困っていただけに

辰雄の好意に甘える事にした。

そして、教えられた脱衣所で着ていた服を脱いでいると、

ドクンッ!!

「うぐっ!」

第一波が恵子を襲う。

グハッ!!

ハァ

ハァ

「なっなに?

 今の…」

まるで殴られたかのようなその衝撃に恵子は驚くと、

ズンッ!!

間髪入れずに第二波が襲い掛かった。

うぐわぁ!!

うめき声に似た悲鳴を上げ恵子は脱衣所の床に両手を着くと、

ボタボタボタ!!!

噴出した汗がその下に汗だまりを作っていく。

ハァハァ

ハァハァ

ドクン!

ドクン!

狂ったように脈を打つ心臓と、

滝のような汗に恵子は恐れおののくが、

しかし、彼女の変化はそれだけではなかった。

ビシッ!!

床に着く手に筋が走ると、

ムワッ!!

恵子の身体よりキツイ汗の匂いが噴出し、

ムリムリムリ!!

続いて手の中から筋肉が膨らみ始めた

そして、それは恵子の手だけではなく、

脚も、

また体中から筋肉が盛り上がりだしていたのであった。

「いっ

 いやぁ!
 
 やめて!!」

喉仏が盛り上がり、

次第に低くなっていく声を張り上げながら、

恵子はのた打ち回るが、

恵子の変身はさらにその身体を作り変えて行く。

そして、

「ふぐぅぅぅぅ!!」

ビクン!

ビクン!

田型に腹筋を盛り上げ、

胸板を膨らませながら恵子が力んだとき、

ピクッ

彼女の股間がかすかに動くと、

ムリムリムリ!!!

肉の棒が勢いよく延び

伸びきったところで次第にその頭を膨らませていくと、

ムリッ!

肉棒はツルリとした亀頭を持つペニスへと変化し、

恵子は筋骨逞しい男性へと変身してしまったのであった。



ふぐぅ

ふぐぅ

ペニスを勃起させ、

筋肉を盛り上げた肉体を持つ男に変身してしまった恵子は

変身には気づかずに脱衣所の床に寝転がると息を整える。

そして、ようやく息が落ち着いたとき、

ハッ

閉じていた目を開け起き上がった。

「こっこれは…」

シュゥゥゥゥ…

息は落ち着いたものの

体中より噴出した汗の湯気を立ち上らせながら

恵子は眼下に見える自分の身体を見て驚きの声をあげる。

すると、

「よう、なかなか鍛えがいのあるガタイになったじゃないか」

との声と共に辰雄が背後から声をかけてきた。

「きゃっ!」

その声に恵子は悲鳴を上げるが、

しかし、この声は男性の声色のように低く、

「えっ」

声色に驚いた恵子は思わず口をつぐむ。

「ははははっ

 やっぱり驚くか、
 
 なぁに、男はみんなそんな声だよ」

驚く恵子を見下ろしながら辰雄は豪快に笑うと、

「おっ男って?」

振り返りながら恵子は尋ねる。

すると、

「んー?

 まだ判らないか?
 
 お前さん、男になったんだよっ」

と辰雄は恵子が性転換してしまったことを告げた。

「おっ男って…」

「おいおいっ

 自分の身体よく見てみろよっ
 
 でっかいチンポおっ勃てておきながら、
 
 それはないだろう?」

恵子の股間を指差しながら冷やかし半分に辰雄は言うと、

「ちっチンポって…

 え?
 
 ええ?」

辰雄の指摘に恵子は自分の股間を見た途端、

小さな目が見る見るまん丸に見開き、

そして間髪おかずに、

「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」

驫木部屋中に叫び声が響き渡った。



「かーっ

 そんな声を出す奴があるかっ」

耳を押さえながら辰雄は文句を言うと

「いっ一体、

 なっなんですかっ
 
 これは!!」

真っ青な顔をして恵子は辰雄に掴みかかる。

「んー?

 なにって、
 
 お前さん、相撲取りになったんだよ」

恵子の太い腕から放たれる強烈な力で揺さぶられながら辰雄は指摘すると、

「え?

 すっ相撲取り?」

その言葉に恵子の手が止まった。

「あぁ

 お前さんは、この相撲部屋である驫木部屋に力士として入門したんだよ、

 だから、相撲取りになってもらった。

 別におかしくはないぜ」

めくれあがったシャツを直しながら辰雄はそういうと、

「そっそんなこと聞いていませんっ

 あっあたしは…
 
 金藤ささんにここに行くようにって言われて…」

と筋肉で盛り上がった肉体をよじりながら恵子は訴える。

すると、

「あぁ知っているよ、

 金藤とは長い付き合いだからな」

恵子の訴えに辰雄は涼しい顔でそう返事をし、

そして、

「まぁ、持ちつ持たれつも関係かな」

と言いながら笑い始めた。

「かっ帰らせてもらいますっ」

辰雄の響き渡る笑い声に恵子は怒鳴りながら立ち上がると、

グンッ

辰雄の前に身長190cmにも及ぶ巨体がせせり立つ。

「あっ…」

視界の変化に恵子は戸惑っていると、

「ふーん?

 いいのかい?」

そんな恵子に向かって辰雄はそう言う。

「え?」

恵子はさっきよりも小さく見える辰雄を見下ろすと、

「くくっ

 おいおいっ、
 
 こんなチンポを生やしたデカイのガタイのまま、

 旦那に会う気なのか?」

と恵子を見上げながら辰雄は指摘をする。

「あっ!」

その言葉に恵子は驚くと、

「くくっ」

辰雄は笑いをかみしめる。

そして、

「もっ戻してくださいっ」

と訴える恵子に

「んー?

 戻せって言ってもなぁ…
 
 お前さんが飲んだクスリは、
 
 最低2週間は空けないと戻るクスリは飲めないんだよ」

と恵子を男にしたあのクスリは2週間、間を空けないと飲めないことを告げた。

「クスリって」

「んー?

 金藤のところで飲んだ奴だよ

 あれはなっ
 
 女を男にしてしまうクスリなんだよ」

「そんな…」

「くくっ

 諦めな、
 
 どっちにしろこれから2週間の間、
 
 お前さんは相撲取りだ、
 
 素直にフンドシ締めて丁髷結ってもらうしかないな」

「うっ」

愕然とする恵子に辰雄は笑いをかみ殺しながらそういうと、

「くくっ
 
 まだ、相撲のとり方も知らないだろう、
 
 今から俺がみっちりと教えてやるぜ、
 
 なぁに、勝ち星しだいでお前さんの借金はチャラになるんだ、
 
 簡単なもんだ
 
 さっ、いつまでもでかいチンポ見せびらかしているんじゃない、
 
 廻しを締めてやる、
 
 おいっ」

呆然としている恵子に辰雄はそういうと

外に向かって声をかけた。

すると、

「うっすっ」

挨拶の声と共に漆紺の布束を持った砂と汗まみれた力士が数人姿を見せ、

「おいっ、

 こいつが今日からこの部屋で相撲を取る事になった…
 
 えーと、そうだな…
 
 名前は…
 
 よしっ
 
 お前さんの名前を一字とって恵岳だ」

と力士達に恵子をしこ名で紹介する。

「恵岳…」

自分のしこ名を呼ばれて恵子はビクッと身体をこわばらせると、

「おいっ」

力士の一人が恵子に声をかけ、

「廻しを締めたら、俺達はお前の兄弟子だ、

 いいか、その事を忘れるなよ」

とキツイ口調で言うと、

「おらっ

 股を開け」

恵子に向かって命令をした。

「うっ」

力士達の命令に恵子は片足をずらして股を開くと、

「おらっ、

 ここを持っていろ」

力士は布束の片方を恵子に持たせ、

それを起点に恵子の腰に縦廻し、横廻しの順に廻しを巻いてゆく、

そして、最後に、

ギュゥゥゥゥゥゥッ!!

思いっきり締め上げると、

「あっうっ

 つっつぶれるぅぅぅ」

恵子は出来たばかりの股間の男性器が締め上げられることを訴えると、

「バカッ

 男だろう、

 それくらい我慢しろ!」

と罵声が浴びさせられた。

こうして、恵子の腰に廻しが締められると、

「さて、じゃぁ拓さんっ

 コイツに髷を結ってくれ」

辰雄は床山に向かって指示をすると、

「はいっ」

という返事と共に床山が恵子の傍に立ち、

「さっ

 座ってください」

恵子に向かって告げた。

「うっ…」

「さぁっ」

促す床山に恵子は目に涙をためながら腰を下ろすと、

サッサッ

床山は手際よく恵子の髪に触れ、

そして、櫛を通すと髷を結う下準備に入った。

「うぅ…

 なんで…
 
 なんでこんなことに」

飲まされたクスリによって男性化し、

それどころか、

こうして力士として廻しを締め、髷を結われる。

2週間の間とは言え、恵子にとってショックであった。

ポタ

ポタ

床山を背に正座する恵子の手に涙が零れ落ちるが、

しかし、そんな恵子の事情にはお構いなしに、

髪には鬢付け油が塗られ、丁寧に髷が結われていった。

「よーしっ、

 立て、恵岳っ」

髷が結い祝った途端、辰雄は怒鳴り声を上げると、

「うぅっ」

廻しを締め、髷を結った恵子はのろのろと立ち上がる。

「なんだ、その顔は!!

 力士の端くれになったんだビシっとしろ」

なみだ目の恵子に向かって辰雄はそう怒鳴り、

「いいかっ、

 お前はたったいまから、恵岳だ。
 
 いいか、相撲取り・力士の恵岳だ
 
 そこをキチンと弁えるんだな」

と告げると、

「さっ稽古だ」

の言葉を残して稽古場へと去っていった。

そして、辰雄が去っていくのにあわせて力士達、

そして床山が去ると脱衣所には恵子いや、恵岳一人のみが残されていた。

「あっ

 あっ…」

一人残された恵岳は手を自分の頭に当て、

そこに髷が結われている事を確認すると、

続いて腰に巻かれているフンドシ・廻しを触ってみる。

「あたし…

 本当にお相撲さんになっちゃった…
 
 あっあなた…
 
 ごっごめんなさいっ
 
 あたし、お相撲さんにされてしまったわ」

と恵岳は夫へ向かって侘びの言葉を叫びながら泣き伏してしまった。



その日の夜…

カタン…

稽古を終えた恵岳は廻し姿のままそっと驫木部屋を抜け出すと、

夜の街へと消えていった。

あの後の辰雄との稽古は激しく、

そしてきつく、相撲の経験のない恵岳に相撲のイロハを叩き込んだ。

無論、恵岳も土俵に突っ伏すたびに身体に汗が噴出し傷が増え、

文字通り、恵岳の身体はボロボロになっていた。

そして、稽古中に気を失ってしまった恵岳はそのままの状態で放置されていたのであった。

ズキッ!

「うっ」

痛む身体を引きずりながら恵岳が向かった先は、

昨夜まで主婦として自分が住んでいた我が家だった。

「明かりがついていない…」

1時間かけて恵岳が自宅に着いたとき、

窓の明かりは消え、

闇に浮かぶ自宅に恵岳は驚くと、

「あっ

 そうだ、
 
 恒夫さんは今日泊まりだったんだ」

と夫が帰宅しない事を思い出すと、

カチャッ

隠してあった鍵で自宅の中に入った。

そして、

カチッ

パッ!

暗い部屋の明かりを付けた途端、

恵岳の目の前に見慣れた部屋の光景が広がっていく。

「あっ…」

その光景を見た途端、恵岳は恵子に戻ると

一歩

一歩

踏みしめるように自宅の中を歩いていく、

朝、出かける前に汚れ物を突っ込んだままの洗濯機、

朝食の洗い物が残っている流し、

そして、脱いだままのパジャマが置かれている寝室のベッド…

それらを見ながら恵子はパジャマを手に取ると、

「はっ」

眼下に見える自分の傷だらけの腕にハッとすると、

クルッ

反射的に横を見た。

すると、部屋の隅に置かれている姿見には、

女物のパジャマを抱きしめている

廻しを締め、髷を結った傷だらけの力士の姿が映し出されていた。

「………」

その力士の姿を見ながら恵子は

「戻りたい…

 女だったあたしに…」

と呟くと、

その場に座り込みそして泣き始めた。

すべては自分の不始末…

それは骨身に沁みるほど判っていた。

そして、これからしなくてはならないことも…

小一時間近く泣きはらし、

ようやく涙も尽きたころ、

プルルルルル!!!

電話の呼び出し音が鳴り響いた。

「え?」

ビクッ!!

その音に恵子は驚き、そして飛び上がると、

ベッドの横に置いてある子機は電話の主が

恵子の夫である恒夫から携帯電話であることを告げた。

すると、

「あっ

 ダメッ」

恵子は一度は伸ばした腕を慌てて引っ込めると、

「ダメよ…

 今のわたしはこの電話を取れない、
 
 だって、わたし…お相撲さんだから…」

そう呟きながら、自分の腰を締め付けている廻しを触る。

そして、

「あなた、待ってて…

 わたし…
 
 必ず元の姿に戻るから、
 
 こんな丁髷を結ってフンドシ締めている男から、
 
 あなたの妻に戻るから、
 
 待ってて…」

と決意を告げると、恵子は力士・恵岳へと戻り、

自宅から去っていった。



こうして、恵岳にとってはじめての場所が始まり、

恵岳はなれない相撲にもかかわらず、

持ち前の粘り強さで休場なしの10勝5敗という好成績で終わった。

「ん?

 女に戻るのか?」

「はいっ

 2週間という約束でしたから」

鬢付け油の香りを漂わせながら

着流し姿の恵岳は辰雄に向かってそういいきると、

「もったいないなぁ…

 休場なしでフタケタの勝ち星だなんて、
 
 そう滅多には出来るものではないぜ

 お前さん、相撲取りの素質あるよ、

 くくっ

 俺ならこのまま相撲取りとしてやっていって
 
 横綱、狙ってみるけどな」

辰雄は残念そうな表情で前に座る恵岳に言うと、

「そっそれは…」

辰雄の言葉に相撲に魅力を感じ始めた恵岳の表情に迷いがでる。

しかし、

「いいえっ

 わたしは女性です。
 
 相撲取りなんかではありません。
 
 相撲を取ったのは、
 
 その…金藤さんからの借金の返済です。
 
 でも、もぅ借金は返済しました。
 
 ですから、元の女性に戻ります」

首を左右に振りながら恵岳はそう言い切ると、

「判った!

 確かにその約束だったな」

恵岳の言葉に辰雄はそう言い、

「ほらっ

 コレが女に戻るクスリだ」

と恵岳に赤色の錠剤を手渡した。

「あっありがとうございます」

辰雄より錠剤を手にした恵岳は笑みを浮かべながら受け取ると、

ドタドタドタ!!

一目散に脱衣所へと向かい、

慌て急ぎながら2週間袖を通してきた着流しを脱ぎ捨てる。

そして、脱衣所の鏡に写る筋骨逞しい力士の肉体を恵岳は少しの間見つめた後、

「だめよっ

 あたし、女に戻るんだから」

と決意を新たにしながら

ゴクリ!!

恵岳は赤の錠剤を飲み込んだ。



「うっ

 わぐわぁぁぁっ!!!」



それから数分後、

脱衣所から恵岳の叫び声が上がり、

そして、その声が徐々に甲高くなっていくと、

シュゥゥゥゥゥゥ…

ハァハァハァ…

脱衣所には噴出した汗を湯気のように吹き上げる、

一人の女性がうずくまっていた。

ハァハァハァ

クハァ…

ハァ…

ハァ…

結い上げていた髷を乱した女性は荒れた息を徐々に整えると、

「あっ

 あぁ…」

声にならない声を挙げながら両手を掲げ、

その手の形をしっかりと確認した後、

続いて胸の膨らみ、

腰の形などを触って確認する。

そして、股間に手を押し込んでそこの形状を確認すると、

「あは…

 もっ戻っている…
 
 あたし…
 
 女に戻っている
 
 よかったぁ!!!」

と困惑と歓喜の入り混じった表情をしながら自分で自分の身体を抱きしめた。



「どうも、お世話になりました」

鬢付けではないシャンプー仄かな香りをたてながら

2週間前、この部屋に来たときと同じ姿の恵子は

辰雄に向かって髷を解いた頭を下げると、

「おっおうっ」

辰雄は言葉短く返事をした。

「恐らく、二度と来る事は無いと思いますが、
 
 親方もお元気で…」

そんな辰雄に向けて恵子はそう言いきると、

クルリと背中を向ける

と、そのとき、

「恵岳…じゃなかった、

 美和坂さん。
 
 これを持っていきな」

という辰雄の声が響くと、

ボスッ!!

恵子に一つの風呂敷包みが渡された。

「これは?」

風呂敷包みに驚きながら恵子は尋ねると、

「場所中、お前さんが着ていた着流しと、

 廻しさっ」

と辰雄は説明する。

「いっ要りませんっ」

辰雄の言葉に恵子は即座に叫んで、

包みを突っ返そうとするが、

しかし、

「まーまっ

 それはお前さんのだ、

 他の者が使うわけには行かない。
 
 自宅に戻ってから処分方法を考えてばいいよ」

辰雄はそう言い聞かせると、

「じゃっ、

 気が変わったらまた来いよ、
 
 俺は待っているからよ」

と告げ、恵子を送り出す。

「もぅ…」

辰雄のその言葉に恵子はふくれっ面をするが、

しかし、女性の姿で驫木部屋から出ることができた事を実感すると、

「ふふっ

 うふふふっ」

風呂敷包みを抱いて歩く恵子の口から笑い声が漏れていた。



そして、恵子が力士・恵岳より主婦へと戻り二月が過ぎた。

自宅に戻った恵子は今回の原因となったギャンブルからも手を引き、

普通の主婦であることに感謝しながら

日々の家事をこなしていた。

しかし、そんな恵子の表の心とは裏腹にその奥底では

力士・恵岳として土俵に立ち、

勝ち名乗りを受けていたあの日々のことを忘れてはいなかった。

「だっダメよ、恵子…

 あれは悪夢だったんだから」

蘇るその記憶を恵子は強く否定し、

そして、掃除をするためにクロゼットを開けたとき、

ボスッ!!

恵子の顔目掛けて風呂敷包みが降ってきた。

そう、驫木部屋を去るとき辰雄から手渡されたアレである。

自宅に戻った恵子は夫・猛に見つからないように包みをクロゼットに隠していたのであった。

「あっぷっ」

いきなりのコトに恵子は慌てて風呂敷包みを叩き落とすと、

バサッ!!

風呂敷包みの縛り目が解け、

その中より”驫木部屋”の名前が染め抜かれた着流しと、

男の汗と砂の匂いを撒き散らす漆紺の廻しが恵子の足元に転がり落ちる。

「あっ…」

それを見た恵子は顔を赤らめながら周囲を見回し、

誰も見ていない事を確認した後、

慌ててそれらを仕舞い込もうとしたが、

しかし、

「………」

廻しを手にした恵子はそのままギュッと廻しを抱きしめると、

「あたし…お相撲さんになって

 これで、お相撲を取っていたんだよね」

と呟き、

「あぁっ

 ダメッ
 
 忘れられない、
 
 土の感覚
 
 ぶつかる衝撃、
 
 投げ飛ばした快感、
 
 あぁ…
 
 まっまた…」

股間に潜り込ませた手を動かしながら

恵子は土俵の上で味わった戦いの感覚を思い出すと、

はぁはぁ

はぁはぁ

「なりたい…

 お相撲さんに…
 
 なりたいよぉ!!」

と声をあげた。

そして、

廻しをジッと見据えた後、

コクリ…

意を決すると、

その廻しを抱きしめたままリビングに置いてある電話を取り、

ある電話番号を打ち込んだ。




「あっ親方ですか、

 けっ恵子です。
 
 美和坂恵子です。
 
 あっあのぅ…
 
 そっそのぅ
 
 まっまたお世話になっていいですか?
 
 すっ相撲を取りたいんです」



おわり