風祭文庫・アスリート変身の館






「付喪神」


作・風祭玲

Vol.1119





月の明かりが差し込む夜の剣道場。

人気が無い夜の道場と戸を一枚隔てた更衣室に、

フッ

屋外より”気配”が一つ入り込んだ。

入り込んだ”気配”は更衣室に陰干しされている剣道着の間をすり抜け、

やがて屋外へと立ち去っていく。

だが、”気配”がすり抜けた後、

フワツ

隅で干されていた剣道着が静かに揺れると、

ふわぁぁぁぁ

その揺れに呼応するかのように次々と”気”が励起され、

それらがゆっくりと纏まったとき、

パチッ

『あれ?』

三島由乃がはっと目を覚ました。



彼女は真っ暗な剣道場の中に一人正座して座っていた。

『え?

 え?

 え・え?』

肌から伝わってくる刺子の剣道着の感触、

視界を遮る面防具、

手には籠手、

胸周りを覆う胴。

彼女は剣道着に防具を着装した姿で座っていたのであった。

『やだ、あたし。

 何をしていたんだろう』

夜の帳が下りている道場の様子に困惑しながら由乃は

慌てて左手で右手の籠手を掴みそれを外そうとするが、

だが、いくら引っ張っても彼女の籠手は抜けることはなかった。

『ちょっとぉ、

 どうして外れないのぉ?』

渾身の力を込めて籠手を引っ張るものの

微動だにしない籠手に由乃は苛立ちを覚えながらも、

今度は左手の籠手を外そうとする。

しかし、

彼女の左手の籠手も右手と同じく抜けることはなかった。

『どうして?』

困惑しつつも由乃は両腕を目の高さに掲げて

面防具の中より籠手を締めている紐の様子を見てみるが、

籠手の紐はいつもと変わりはなかった。

『困ったなぁ、

 籠手が抜けないと防具が外せないよぉ』

泣きべそをかきながら由乃は立ち上がり、

それに合わせて袴の擦れる音が道場に響き渡る。

『うーん、どうしよう

 とにかく明かりをつけなきゃ』

防具を身につけている上に

照明が落とされている道場は余計視界が利きにくいため、

由乃は壁伝いに歩きながら配電盤がある用具倉庫へと向かっていく、

ところが、

『あれ?

 開かない?』

鍵などは掛けられたことがない用具倉庫の戸はいくら引っ張っても開くことはなく、

それどころか

『えぇ?

 更衣室もダメ?』

いつも着替えをしている更衣室の戸ですら開けることはできなかった。

『ちょちょっとぉ

 どういうことなの?

 これぇ?』

言いようもない不安に駆られ由乃は走りだし

道場の入り口へと向かっていく。

そして、閉められている戸をあげようとするが、

『開かない?

 ちょっとぉ

 誰かぁ

 誰かぁ

 開けてよぉ』

閉じられている戸を思いっきり叩いて由乃は助けを呼ぶが、

彼女の声を聞きつけて駆けつける人の姿はなかった。

『お願い?

 開けてよ、

 何のいたずら?

 ねぇ、誰かいるんでしょう?』

声を思いっきり張り上げて由乃は訴え続けるが、

彼女の前に立ちはだかる扉は開くことはなかった。

そして、翌朝。

「おーすっ」

「おはよーっ」

朝練の剣道部員たちが剣道場の前に集合すると、

昨日閉じた道場の扉の鍵を開け、

扉を勢いよく開けて見せた。

同時に朝日が差し込む道場の様子が目に飛び込むと、

部員たちの顔から一斉に血の気が失せていく。

その直後、

声にならない悲鳴が辺りに響き渡ったのであった。



「剣道場にお化けが出たぁ?」

悪い噂が広まるのはあっという間だった。

「あぁ」

「お化けってやっぱり?」

「三島由乃…

 先日事故死した女子剣道部のキャプテン」

「マジかよ」

「あぁ、防具姿で道場に立っていたんだって」

「驚く剣道部員達の目の前でスーッと消えたそうな」

「この世に未練があるのかなぁ」

「そういえば、

 三島さんが使っていた剣道着や防具ってまだ道場内に置いてあるそうだよ」

「片付けようとした顧問が大けがをしたとか」

「触ったら祟られるのか」

「クワバラクワバラ」



「ったく、

 好き勝手に噂しやがって」

興味半分に広がっていく噂話を苦々しく聞いていた生徒がいた。

大岩武

男子剣道部の主将であり、
 
女子剣道部を率いていた三島由乃とはある意味ライバル関係であった。

「で、なんで俺がお前に付き合わないとならないんだ?」

夕方、武に引っ張られて高蔵寺倉見が剣道場に連れてこられてくると、

小言を言いはじめた。

「悪いな、

 でも、こういうことは一応詳しいんだろう?」

神社の神主の家系である関係上、

倉見にはこのような相談事が寄せられやすく、

また武とは小学校のころからの付き合いであるため、

嫌々な素振りは見せつつも剣道場に武に付き合ったのである。

「言っておくが、

 三島由乃の葬儀はしっかりと終え、

 彼女はちゃんと弔われている。

 幽霊の出番はない」

そうきっぱりと幽霊話を否定しようとすると、

「俺だって信じたくはないよ。

 だが、剣道部の部員たちが彼女の姿を見たと言っている以上、

 無視はできないんだ」

剣道着に面垂れの防具を着装した姿の武はそう返事をする。

「随分と物々しい恰好だな」

完全武装の武の姿を見て倉見は呆れたように言うと、

「うるせーっ、

 これが、俺の流儀だ」

と武は言い返した。

「人のうわさも放っておけば消えるのにか」

「女子部であっても剣道部員がうそつき呼ばわりされたくはない」

「ふむ、

 まぁ、お前らしいか」

気が変わったのか倉見は頭をかきながら武の防具を叩くと、

「お前が納得するまで付き合ってやるよ」

と言う。

そして、日が落ち暗くなっていく剣道場の隅で

二人は時が過ぎるのをじっと待っていた。

「なぁ」

「ん?」

「ここに張り込む許可は取ってあるのか?」

「道場の鍵の管理者は俺だ。

 それに顧問は怪我でずっと休んでいる」

「なるほど」

じっと目を凝らしながら二人は待ち続け、

時間は宵の口から深夜へと過ぎて行った。

「ふわぁぁぁ、

 結局何も出ないんじゃないのか」

大あくびしながら倉見はそう言ったとき、

フワッ

道場の空気に揺らぎがでた。

「ん?」

その揺らぎに倉見が気がつくのと同時に、

「しっ」

武は自分の口元に籠手の手先を立てる。

程なくして、

『…れか…

 誰が…』

道場の中に女性の声が微かに響き始めると、

すーっ

広い影が剣道場の中を揺らめくように動き始めた。

「おっおいっ」

それの光景に倉見は驚くと、

「…間違いない…

 アイツの声だ」

道場に響く声が死んだはずの由乃であることを確信する。

そして、

「三島ぁ」

そう声を張り上げて道場内に飛び出してくと、

「こんなところで何をやっているんだ」

白い影に向かって声を張り上げた。

すると、

『おっ大岩くんっ?』

武の声に気がついたのか、

由乃の安心したような声が響き、

白い影は白防具に身を固めた剣士へと姿を変える。

「おいおい、

 マジで幽霊か?」

その光景に倉見は驚きさらに食い入るように見つめると、

「ん?

 幽霊ではないな…」

と呟いた。

「お前は事故で死んだんだ。

 こんなところに居るんじゃなくて、

 さっさと上に登って行けよ」

白防具の剣士に向かって武は怒鳴る。

『何を言っているの。

 あたしは死んではいないわ。

 ここから出られないよ。

 それにこの防具も脱げないし、

 ちょっと、手伝って

 これを外してよ』

と剣士は籠手が填まっている両腕を掲げて見せる。

「そんなこと言われても」

剣士の訴えに武は困惑していると、

「武ぃ、

 そいつは幽霊ではないぞ」

と倉見が声をかけてきた。

「幽霊でない?

 ってどういうことだ」

「付喪神…と言った方が良いかもな」

「付喪神?」

「あぁ、判り易く言えば

 長い間使い続けられ道具にしみ込んだ持ち主の”気”が

 何かの拍子で合体融合して、

 一つの意識体として纏まったものだ」

と説明をする。

「ん?

 それと幽霊とは何が違うんだ?」

意味が理解できない武が言い返すと、

「そだな」

倉見は少し考えたのち、

徐に剣士に近づいていく。

そして、

「………」

何やら文言を唱えたのち、

ポンッ

と伸ばした手で剣士の肩を叩くように抑え込んでみせた。

『何をするのよ?』

倉見の行為に剣士は嫌がって見せるが、

ポンポン

グッグッ

倉見は武に見せるように剣士の体の至る所を叩きながら、

「見ての通り、

 この様に叩いて押してみれば、

 確かに骨・筋肉があるように見えるだろう、

 だけどな」

と言ったところで、

武の手にある竹刀を取り、

バッ!

剣士の袴をめくって見せると、

そこにあるはずの足は無く、

「暗くて見えにくいけど、

 ご覧の通り、

 足は全くありません」

と手にした竹刀で剣士の足元を通過させてみた。

「うそっ」

驚く武にさらにダメを押すように、

「武ぃ、

 スマホの明かりをつけてこいつの面を照らして見ろ、

 スマホ程度の明かりなら大丈夫だ」

と指示をする。

「あっあぁ」

言われたまま武が籠手を嵌めた手で、

苦労しながら剣士の面防具を照らして見せると、

「うわぁぁ!」

悲鳴に近い声を上げた。

「判っただろう」

上から目線で倉見は言うと、

「そんな、

 中身が空っぽだ

 と、透明人間なのか?」

「足がなかっただろう?」

「ど、どういうことなんだよ」

「だからぁ、

 彼女が使い込んできた剣道着や防具に染みついた”気”が、

 まるで彼女が存在しているように振舞っているんだよ。

 彼女の死を理解できない剣道着は彼女の肉体が存在しているように演じ。

 防具は各々の持ち場で生きているような意識を作る」

「そんなことがあり得るのか」

「ごく稀に起こる。と聞いたことがある」

「じょ、成仏できるのか?」

「よほど大事に使ってきたんだろうな。

 道具に染みついた純粋な気は短い時間で神格を得る。

 もぅ神様なんだ。

 成仏とかそう言う次元の話では無い」

「じゃぁ、どうすればいいんだよっ」

「剣道部の顧問は彼女の道着防具を片付けようとして神罰が落ちた。

 触らぬ神に祟りなし。

 このまま放っておくしかない。

 とは言ってもな。

 ずっと道場の中を彷徨わせていると、

 災神に転じてしまうし」

と言いながら考え込む仕草をすると、

『あの、

 わ・わたシ…ド・ドウスレバ

 イイ?』

剣士は困惑しながら倉見に問い尋ねる。

「…このままにして置いてもマズイか」

横目で見ながら倉見は考えると、

スンッ

漂ってくる防具の臭気にムラが出てきた事に気がついた。

「なぁ、

 この臭い…」

鼻の頭を弄りながら武に声を掛けると、

「なんだよっ、

 剣道場で防具の臭いのことは言うなよ」

と不機嫌そうに武は言う。

「いや、ちょっと聞きたいけどさ。

 この臭いってやっぱり個人個人違うのか?」

そう尋ねた。

「そりゃぁまぁ…なぁ」

「そっか、

 ちなみにアレか?

 練習の時とか、

 試合の時なんかでも臭いは違ってくるか?」

「倉見、お前、何が言いたいんだ?」

「質問の答えは?」

「なんだよっ、

 そりゃぁ違うに決まっているだろう」

「じゃぁ、いま彼女から出ている臭いは…

 どう言う時の臭いだ?」

「ん?

 うーん、稽古の時…かな」

「おっけーっ、

 なんとかなるかも」

「何が判ったんだよ」
  
「今から教える。

 だが、お前に一肌脱いでもらうことになるな」

と言うと、

「えっと、
 
 三島さん?

 君は今一番何がしたい?」

そう剣士に向かって尋ねた。



翌日。

「ひそひそ」

眉をひそめる剣道部員たちの前で、

お札が貼られている由乃の道着防具を着装した武の姿があった。

「おいっ、

 何がおかしい」

そんな部員たちに向かって武が怒鳴り声をあげると、

「いっいえ、

 なんでもありません」

部員たちはそう返事をすると稽古を始めだした。

「ったくぅ、

 なんで俺が女の白剣道着と白防具を身につけないとならないんだよ」

不貞腐れながら武は文句を言うと、

「まーま、

 それが防具の望みとなればそれを叶えるのが君の役目。

 まぁ頑張って」

と横に建つ倉見は言う。

「これで防具は収まるのか?」

「しばらく使い続ければ否応なく防具は君の臭いで染まっていく。

 それと相対的に彼女が防具に染め込んだ”気”は消えていく。

 防具自身もそれを望んでいるし、

 幸い三島さんと君の基本寸法が同じで良かった」

「人が気にしていたことを…

 あのな、お前にはわからないだろうけど。

 白道着と白防具は男が着たら女装と同じなんだよ。

 みっともなくて他人には見せられないぞ」

とボヤいて見せる。

「おいおい、

 迂闊なことを言うな」

「なんでだよ」

「いま着ている剣道着と防具が君を女の子にしちゃうぞ。

 チンチン小さくなってきてないか?

 おっぱい、膨らんできているように見えるけど?」

と尋ねながら武の背中を倉見は叩くと、

「やめろ!

 女なんかになりたくねぇ」

武は悲鳴を上げる。


そんな武の姿を見ていた時

ふわっ

彼の横を気配が通り過ぎていった。

「ん?」

その気配を追って倉見が視線を動かすと、

道場の扉を透かして立つ剣道着姿の少女があり、

武を指差して笑っていた。

「まだ居たのか。

 気がすんだらさっさと成仏しなさい」

と倉見は呆れ顔で呟く。



おわり