風祭文庫・アスリートの館






「臭いの罠」
(凪の場合)


作・風祭玲

Vol.784





洗いざらしの色あせた剣道着。

使い古され吸い傷だらけの防具。

猛稽古に汗を流した剣士を思い馳せながら、

剣道着に袖を通し、

防具を紐を結んだとき、

あたしは剣士になる…



「はぁ…」

9月…

あたしは教室の窓辺にもたれ掛かりながらため息をついていた。

「南野先輩…」

眼下に望む武道場。

その開け放たれた入り口のドアの向こうでは

剣道部が放課後の稽古に汗を流している。

そして、その中でただ一人、

声をあげ、

稽古の指揮を執っている一人の剣士をあたしは見ていた。

南野毅…

あたしより一つ上の先輩であり、

3年生が去った剣道部のリーダーである。

「はぁ…

 先輩…」

そんな先輩の姿を見つめながら、

再びあたしはため息をつくと、

「ん?

 どうしたの?

 凪っ

 ぼんやりを外なんか眺めて…

 さっさと部活に行こうよ、

 グズグズしていると

 まーた、脇野に怒鳴られるわよぉ」

と同じクラスの斉藤由菜が声をかけてきた。

あたしの名前は高坂凪。

新体操部の1年生。

そして、由菜は同じクラスの友人である。

もっとも、あたしが新体操部に入ったきっかけも、

この由菜に無理やり誘われて。だけど…



「え?

 由菜かっ

 うん、いま行くぅ」

その声にあたしは振り向き返事をすると、

「なぁに

 窓辺にもたれ掛かりながら

 ため息なんてついちゃっているのよ?」

と由菜はあたしを押しつぶすかのように、

圧し掛かってくると、

あたしの視線の方向にある武道館を見る。

「ほーぉっ

 剣道部が稽古中だねぇ…」

額にピンと伸ばした手を当てながら由菜はそう呟くと、

「由菜っ

 どいてよっ

 重いよぉ」

下敷きにされているあたしは声を絞り出しながら押し返した。

しかし、

「で、

 今度の憧れの君は…

 剣道部にいるのかなぁ?

 姫様?」

と由菜は含み笑いをしながら聞いてくる。

「なによぉ、姫様って

 それにその”今度の憧れの君”ていうのはどーゆこと?」

彼女の言った言葉にカチンと来たあたしは聞き返すと、

「おほほほほっ、

 御免あそばせぇ

 愛の狩人たる姫様には無粋な質問でしたわねぇ」

と由菜はわざとらしく笑って見せる。

「しっ失礼ねっ

 誰が愛の狩人よっ

 あたしの恋は一途なんだからぁ」

そんな由菜にあたしは顔を真っ赤にして言い返すと、

「はぃはぃ、

 そういうキャラクタ設定にしてあげるわ、

 で、ターゲットは誰なの?」

と一段と圧し掛かりながら由菜は尋ねる。

「あのねぇ…」

半ば押しつぶされかけながらあたしは声を上げると、

「先鋒の中神君?

 それとも次鋒の東山君
 
 まさか、中堅の西田君?

 え?、副将の北川君?

 ひょっとして大将のキャプテン・南野君なのぉ?」

一人一人読み上げるようにして名前を挙げると、

「うっるさいわねぇっ

 誰だっていいでしょう?」

とあたしは怒鳴るが、

「それとも…まさか、その他大勢?

 あっウチの剣道部って5人しかいないんだっけ。

 ねぇ、だれよぉ?」

そんなあたしの機嫌など意に返さず、

また諦めもせずに由菜は根気良く尋ねた。

「はぁ…

 はぃはぃ、

 由菜には負けましたよ」

一度かじりついたら納得がいくまで離さない。

スッポン女の異名を取る彼女に根負けしてしまったあたしは、

休憩になったのか丁度武道館の中から出てくると

汗をぬぐい始めた南野君を眺め、

「あのね…」

と言いかけるが、

「ほほぉ…

 なるほどぉ

 なるほどぉ

 姫様に置かれましては

 剣道部・キャプテン南野殿を食してみたいと申されますか、

 なかなかお目が高い」

と由菜は感心した声を上げる。
 
「んなっ!」

それを聞いたあたしは思わず驚き、

「何て事をいうのよっ

 大体”食して”ってどーゆー意味よぉ!」

と由菜を押しのけ怒鳴ると、

「やぁねぇ

 どーゆー意味も、

 こーゆー意味もって、

 いますぐにでも南野君を押し倒して

 食べてしまいたいんでしょう?

 うふふっ

 このドスケベがぁ」

由菜は笑みを浮かべながらあたしの額を突付いた。

「もぅ知らない!!」

そんな由菜に背を向け、

あたしは部活で使うレオタードが入っている袋を手に取るなり、

脱兎の如く教室から出て行く。

ホント、由菜が絡んでくるとロクなことはない。



「遅いぞ!

 高坂に斉藤!」

更衣室でレオタードに着替え、

練習場に入ってきたあたしと由菜に

ミーティングをしていた新体操部顧問の脇坂が声を上げた。

「すっすみません」

由菜と一緒にあたしは謝ると、

「柔軟50回」

と脇坂はあたし達に言葉短く指示をした。

「はーぃ」

その指示にあたしたちは従い、

そして、組になると、

クスクスと笑う他の部員達の横で柔軟運動を始めだした。

「は〜ぁっ、

 由菜と一緒だとこんなことに遭ってばかり…」

「なぁに言っているのよ、

 あたしこそ、凪が絡むとトバッチリを受けるわ」

柔軟運動をしながらあたしと由菜は鞘当をしていると、

「では、新入部員を紹介する」

と脇坂が言った途端、

新体操部のレオタードを身に着けた一人の少女が一歩進み出た。

「あれ?

 また新入部員だ…」

それを見たあたしが指摘すると、

「そうねぇ、

 最近中途入部が多いわね」

と由菜も頷く。

確かに最近、うちの新体操部には新入部員が多い…

しかもどの新入部員も女の子にしては妙に骨太・筋肉質で、

またレオタード姿が恥ずかしいらしく、

みな俯き加減である。

「変なの…そんなに恥ずかしいのなら、

 無理して新体操部に入らなくてもいいのに…」

これまでの新入部員と同じように、

同じように俯き加減の彼女を見ながら呟いていると、

「あれ?」

一瞬、彼女と目が合うが、

その目線は由菜を睨み付けているように見えた。

「ねぇ、由菜。

 彼女、由菜のことを睨んでいるみたいだよ」

それを見たあたしはそう指摘するが、

「そう?

 それよりもさっ」

と由菜は彼女のことは構わずに話しかけてきた。

「なぁに?」

あたしは返事をすると、

「剣道部の南野君にアタックするんでしょう?」

と由菜が尋ねる。

「その話はいいでしょうっ」

あたしはムッとした表情で言い返すと、

「まぁまぁ…

 老婆心で一つ警告をしてあげようとしているのよ」

そう由菜は言い、

「剣道部員とのお付き合いの大敵は、

 臭いよ」

と言い切った。



「臭い?」

彼女の言葉にあたしはキョトンとすると、

「あら、知らないの?

 剣道部って目茶臭いのよ、

 そりゃぁ気にする人はそれなりのケアはしているから、

 臭いも大したことはないけど、

 でも、男ってそういう不精の人多いからね。

 部活帰りに捕まえてコクろうとしたものの、

 その臭いに思わず退散!

 なぁんて事になったら、

 男狩りの勇者・凪の経歴にキズがつくからね」

と由菜は笑う。

「由菜ぁぁ…

 ここであたしに喧嘩を売る気?」

ギュゥゥゥゥ!!!

それを聞いたあたしは由菜の股関節をわざと大きく広げてあげると、

「ギャァァァァ!!!」

その直後、由菜の悲鳴がこだました。



「うーん、

 確かに剣道って臭うわねぇ」

部活の帰り、

剣道部の部室の傍を通ってみたあたしは、

そこから漂ってくる臭いに思わず鼻を覆ってしまうと、

由菜の警告が頭の中に響いた。

「なにか臭い消しが必要かも…」

そう考えたあたしの足は自然と国道沿いにあるディスカウントストアへと向き、

そして、併設されているドラッグストアに入ったものの、

デオドラントスプレーのコーナーで唸ってしまっていた。

「あちゃぁ

 困ったなぁ…

 どれも女の子向けばかりで、

 男性が使っても問題がないものがあまりない。

 と言うか、殆どない…」

予想外のラインナップを見て

あたしは冷や汗を流しながら困惑していると、

『おや、

 デオドラントスプレーをお探しですかぁ

 お客様?』

と突然声をかけられた。

「あっはいっ」

その声にあたしは慌てて振り返ると、

ヌッ!

販売促進なのだろうか、

愛くるしいウザギのお面を頭に付けた。

中肉中背の初老の男性が手もみをしているのが目に入った。



「え?

 あっあの…お店の人ですか?」

一瞬、目が点になりながらも、

恐る恐る男性に尋ねると、

『はい、

 何をお探しで?

 見たところ…デオドラントスプレーをお探しかと…』

あたしを覗き込むように男性は尋ねると、

「えぇっとそうです。

 あの…

 男の人の汗の臭いを一瞬に消してしまうものってありませんか?

 男の人が使ってもおかしくないような…」

あたしは答えた。

すると、

『ほぉほぉ、

 それでしたらこれなどはいかがですか?

 臭いの元を元から消してしまいますが』

あたしの話を聞いた男性は一本のスプレー缶を手に取り手渡した。

「はぁ」

味も素っ気もない”臭断”と書かれたスプレー缶を

あたしは怪訝そうな目で見ていると、

『臭いは漂ってくるのを消すだけではダメですよ。

 元の元を臭わないようにしないと…

 この間も男性の方が買われていきましたよ、

 なんでも、彼女に汗臭いといわれたとかで…』

と男性は耳打ちをした。

「そつそうですか?」

それを聞いたあたしはそれを手にレジへと向かっていくと、

『毎度ありがとうございます』

と言う声が後ろから響いた。



「業屋製薬?

 聞いたことがないわね」

翌日の昼休み、

あたしが買ったデオドラントスプレーを見ながら由菜はそういうと、

「さぁ?

 結構利くみたいよ」

とあたしは返事をしながら手紙を書いていた。

「ん?

 さっきから何を書いているの?」

それに由菜が気がつくと、

「けい想文」

とあたしは答えた。

「はぁ?

 あたしの気持ちを読んでくださいってか?

 いつからそんなに乙女なキャラになったの?

 つーか、

 そういうものって家で書いてくるんじゃないの?」

由菜は鋭い針のような言葉であたしの痛い所を突いて来た。

「べっ別にいいでしょう?

 夕べは寝ちゃったんだからぁ」

由菜に向かってあたしは言い返すと、

書いていた手紙を手早く折りたたみ、

封筒に入れる。

「ふーん、

 で、なんて書いたの?」

興味津々そうに由菜が尋ねてくるが、

「ひ・み・つ」

あたしはそう答え、

封筒をスカートのポケットに入れた。



そして、放課後…

新体操部の部活を切り上げたあたしは、

剣道部が稽古をしている武道場へと向かっていく、

「ふっふっふっ

 臭いの結界などこのスプレーがあれば無いも同然。

 さっきの定点観測では4人の部員は先に帰宅し、

 今現在、南野先輩は一人で武道場に居るわ、

 うふふふっ

 待っててください。

 あたしといっしょに愛をはぐくみましょう」

頭からハートマークをいっぱい飛ばしながら、

あたしは武道場へと向かっていく、

そして、

閉じられたドアの前に立ち、

大きく息を整えた後、

「南野先輩っ

 いらっしゃいますかぁ?

 1年C組の高坂凪と申します。

 大事なお話があってきましたぁ!!」

と元気良く声を張り上げ、

武道場のドアを開け放った。

そして、その次の瞬間。

「きゃっ!」

野太い男の悲鳴と共に

「…………

 …なっなにこれ?」

唖然とするあたしの声が中にこだまする。



「なっなにこれぇ?」

稽古に汗を流した部員達の臭いがこもる武道場。

だが、

その武道場に飛び込むのと同時に

唖然としてしまったあたしの前には

新体操部のレオタードを身につけ

ハーフシューズを穿いた南野先輩の姿があり、

手具のボールを片手に持ちながら、

新体操の練習をしている光景が広がっていたのであった。

「あっ」

突然開け放たれたドア、

そして、女子生徒の制服姿のあたしを見た先輩は、

一瞬、動きを止めあたしを見る。

重く息苦しい沈黙の時間がゆっくりと過ぎていくと、

トン!

先輩の手から離れた手具のボールが転がり落ちると、

あたしの足元に転がってきた。

「先輩…何をしているのですか?」

剥き出しのすね毛と艶かしく輝くレオタードの

見たくないコラボレーションに目をそむけながらあたしは尋ねると

「いやぁぁ、

 みっ見ないでぇ…

 お願いだから見ないでぇ」

突然、先輩は泣き叫ぶと、

武道場の隅へと逃げ込み、

そこでレオタードの裾を必死に下げながら訴えた。

「なっなんで…

 何で泣くのよっ」

そんな先輩の姿を見せ付けられたあたしは情けなくなると、

「ふっふっふっ不潔よぉ〜っ!!!!!」

思いっきり叫びながら、

シュワァァァァァァァ!!!!

先輩めがけてスプレーを発射し、

スプレー缶が尽きるまで発射し続けていたのであった。



「ふーん、

 南野先輩に女装癖があっただなんて、

 ショックだねぇ」

翌日、

ウンウンと頷きながら由菜がそういうと、

「まったく…」

あたしは鼻息荒くため息をつく。

「しかし、

 剣道部退部なんて、

 先輩も思い切ったことをしたもんだねぇ…」

そんなあたしに由菜はそういうと、

「仕方が無いでしょう?

 あの身体ではもぅ剣道は出来ないでしょうから」

とあたしは言うと、

開けられているドアの向こうに見える体育館を見た。

「…おっお願いします」

丁度、そのとき、

レオタード姿の先輩が脇坂に紹介されて

新体操部員のみんなに頭を下げているところが目に入った。

「はぁ…

 しかし、あのデオドラントスプレーを浴びただけで、

 あぁなってしまうとはねぇ…」

その先輩を見ながら由菜はそういうと、

レオタード姿の先輩の胸には2つ膨らみがあり、

骨太ながらも、

キュッと括れたウェスト、

むっちり膨らんだヒップがここからも見て取れる。



「…女の子になっちゃったか…」

そう呟きながら由菜は視線をあたしに向け、

「で、凪は、

 それでいいのね」

と尋ねてくると、

「仕方が無いでしょう?

 こうなっちゃたんだから…」

剣道着に胴・垂をつけた姿のあたしはそう答え、

そして、面と篭手をつけると、

竹刀を片手に立ち上がった。

ギュッ!

股間に締めた六尺が生えたばかりのチンポを締めると、

ピンッ!

緩んでいた気持ちが引き締まる。

「お願いします。

 稽古をつけてください」

とわたしの口からその言葉が響くと、

一人の剣士がわたしの前に立ち、

静に竹刀を構えた。

ドンッ!

太鼓の音が鳴る。

「はぁ…

 自分までスプレー浴びちゃって、

 男になっちゃっただなんて…

 間抜けというか、

 凪らしいというか…」

剣道部員となったあたしを見ながら、

由菜はため息をつくと、

「やっぱり、

 変なメーカーの製品はむやみに使わないほうがいいのよねぇ」

と呟いていた。



おわり