風祭文庫・アスリートの館






「週末奇譚」
(前編)


作・風祭玲

Vol.571





パン!

パパン!!

「メーン!」

ズダン!!

「ドッ!!」

澄み切った朝の空気を切り裂くように剣道場に稽古の音が響き渡る。

パァンッ!!

「次っ!」

「お願いしますっ」

「うりゃぁっ」

その中で剣道着に防具を身につけた俺は

何かを吹っ切るかのように稽古に打ち込み汗を流すが、

しかし、休むことなく竹刀を降り続ける肘はパンパンに腫れ、

また、剣道着からは白い湯気が立ち上り始めていた。

俺の名前は西島俊介、水無月高校の2年生、

部活は剣道部に所属している。

「西島先輩…

 目茶気合いが入っているけど

 どうしたの?」

「さぁ?

 何に目覚めたのか知らないけど、

 急に稽古熱心になられてもねぇ…」

「はた迷惑だよなぁ」

「うん…」

稽古に打ち込む俺の姿を傍目で見ている部員達よりそんな声が漏れるが、

しかし、

「次ぃ!!」

俺はその声に耳を傾けることなく竹刀を振っていた。



「お先に失礼します」

「おうっ」

稽古後、

更衣室で着替えている俺の横を

制服に着替えた部員達が挨拶と共に通り抜けていく、

すると、

「あっそうだ先輩、

 武井の奴、意識が戻ったそうですよ」

部室から出ていこうとした部員の一人が思い出したように立ち止まると、

同じ剣道部の武井の意識が戻ったことを知らせてきた。

「なに?」

その言葉に俺は驚きながら振り返り、

そして、

「おいっ!

 それは本当か?」

とその部員の胸倉を掴みあげると、

「うわっ!!」

俺の剣幕に彼は驚きの声を上げ、

「ほっ

 本当です。

 武井と僕は同じクラスですので、

 昨日連絡が入ったんですよ」

と情報入手の経緯を説明した。

「あおっそうかっ」

それを聞いた俺は少しホッとした表情をしながら

部員を下へと降ろすと、

「あれ?

 先輩、武井のこと心配していたんですか?」

と部員は意外そうな顔をしながら聞き返して来た。

「うるせーっ

 そう言うことはスグに先輩に報告する。

 当たり前のことだろうが、

 ほらっ

 着替え終わったらさっさと教室に行けっ」

不思議そうに尋ねる部員に向かって俺は言い返すと、

「そっか…意識が戻ったか」

俺は安堵の気持ちで一杯になりながら

一人、背中を壁に付けていた。



武井とは俺の1年後輩で、

実はこの月曜日、

俺が無理やり言いつけた買い物に購買部まで行く途中、

どこを胴間違ったのか階段から落ちてしまい、

病院へとかつぎ込まれたのだが、

しかし、ずっと意識が戻らず、

そのことで俺は精神的な責めを感じていたのであった。

「とにかく良かった…」

このことを知っているのは俺と武井の2名だけで、

俺が口を噤んでいれば誰も知る由もない。

けど…

日に日に増してくる良心の呵責に俺は押しつぶされ掛けていたのであった。

そして、その呵責から解き放たれたこともあってか、

「次ぃ!!!」

「お願いしますっ!」

その日の放課後の稽古はいつもより内容の濃いものになり、

俺が剣道場を出たのはすっかり日も暮れた頃であった。

「さぁて、

 明日、武井の見舞いにちょっと行ってみるか…」

そんなことを考えながら俺は軽い足取りでエレベータから下り、

自分の部屋へと向かっていく、

コツコツ…

俺が立てる足音がマンションの廊下に響き渡り

その反響音が俺の背後に誰かいるような錯覚を起こす。

「!!

 誰だ?」

ふと立ち止って俺は振り返るが、

しかし、俺の背後に誰の姿もなく、

小さくなったエレベータのドアが明かりに浮かんでいた。

「気のせいか…」

エレベータのドアを一目見た後、

俺は再び歩き始め、

そして、廊下の角を曲がり俺の部屋のドアが見えたとき、

「!!」

部屋の前に白い何かが蹲っているのが目に入った。

「うわっデタ!!」

それを見た瞬間、

俺の心臓は一際大きく鼓動をすると、

サァー!!

頭や顔から一斉に汗が引き、

体がカチコチに固まってしまった。

「うっ動かない…」

硬直してしまった体をギリギリと動かしながら、

俺は一歩、また一歩と進むと、

次第にその物体の詳細が見えてくる。

「ひっ人?

 まっまさか、本物の幽霊?」

次第に姿を見せてくるその姿に俺は幾度も生唾を飲み込むと、

「おっおいっ」

と声をかけた。

すると、

スッ

廊下に蹲り、頭を膝の上に組んだ腕の中に埋めていたそいつは

ゆっくりと顔を上げ俺を見る。

「なっ

 なに?」

そいつは紛れもないあの武井大輔だった。

「たっ武井?」

予想外の人物に俺は驚くと、

「にっ西島さん?」

ジーパンに白のシャツを着た武井は

俺の名前を”さん”付けで呼びノロノロと立ち上がる。

「なっなんだよ、

 お前…入院していたんじゃないのかよ、

 びっ病院から抜け出してきたのかよ、

 あはは、りっ律儀な奴だなぁ、

 でもな、いまはケガを治すことに専念しろ、

 なっ

 俺は逃げも隠れもしないから」

無理に用事を押しつけた俺に抗議しようとするのか

徐々に寄ってくる武井に向かって俺はそう言うと、

スッ

無意識に構える。

すると、

ジワッ…

武井の目から涙が溢れ始めると、

「うわぁぁぁん」

と泣き声を上げながら俺の懐に飛び込んできた。

「え?

 なに?」

またも裏をかかれた。

武井の予想外の行動に俺はまんまと動きを封じられてしまった。

「西島さぁーん、

 あたしどうしたらいいのぉ〜」

そう叫びながら武井は俺の身体をヒシッと抱きしめ、

まるで女のような言葉を言いながら泣き続けた。

「なんだ?

 なんだよ、これは?」

脱力感が俺を襲い、

俺は武井の意のままに翻弄される。

そんな時間が20分近くも過ぎて、

ようやく腕に力が入ると、

「えぇぃっ

 いつまで泣いていやがるんだよ
 
 それでも男か!!」

俺はそう叫びながら抱きつく武井を無理やり引き離すと、

「あっ」

武井は自分の身体を見直し、

そして、改めて俺を見た。

「なっなんだ、

 やるか」

そんな武井の姿に俺は改めて構えると、

「あっあの…

 あたし、武井君じゃないんです。

 西島君と同じクラスの宮沢凉子なんです、

 しっ信じて!!」

と俺に向かって訴える。

「はぁ?」

またも、裏をかかれた…

本来ならここで2・3発ド突いているところなのだが、

「宮沢ぁ?

 そんな奴、いたっけか…」

武井のその言葉に俺は考え込むと、

「あの…

 あたし、病気がちだったし…

 それに、クラスでも陰が薄かったので…」

と武井は小さな声で俺に言う。

そして、

「でも、本当よ、

 本当にあたし…」

「ちょっと待て!」

必死に訴えかける武井に向かって俺は右手を伸ばしタイムを取った。

そして、

「(落ち着け、

  落ち着け、

  これもまた、アイツの心理攻撃だ。

  ったくっ

  こんな冗談で俺を追いつめる気か?
 
  言っておくが、俺だって散々苦しんだんだぞ…)」

そう自分に言い聞かせると、

「武井、

 ちょっとそこに居ろ、

 いっいま救急車を呼んでやるからな、

 なっ

 なっ」

俺はジッを俺を見つめる武井にそう言い、

大急ぎで携帯を取り出すと119番をかけようとした。

すると、

「シクシク…」

武井はいきなり泣き出し始めると、

「月曜日、学校の階段を上っていたら、

 飛び降りるようにして降りてきた剣道部の武井君とぶつかって、

 そのまま、落ちてしまったのよ、

 そして、目が覚めたら、

 あたし、武井君になっていたのよ、

 みんなにこのことを話しても誰も信じてくれなくて…

 ひょっとしたら西島君なら信じてくれると思ったのに」

と泣きながらそんな事を言い始める。

「え?

 階段で?

 武井とぶつかった?

 ちょっとまて…

 それってどういうこと…って

 あっいやっ

 その…」

泣き続ける武井とそれを宥める俺の姿を見てか、

廊下を通りがかるマンションの住民達は冷たい視線を投げかける。

「武井っ

 ちょっと、こっちこいっ」

そんな状況の中から脱出するように俺は武井の腕を掴むと

強引に自宅へと引っ張った。

そして、玄関のドアを閉めた途端、

「宮沢…ってあぁ!!」

そのときになってようやく俺はクラスに

”宮沢凉子”と言う名前の女子が居たことを思い出すと、

「思い出してくれた?」

武井は期待を込めた目で俺を見る。

「あぁ…

 確かに居た…

 小学校、中学校、

 そしていまの高校までなぜか俺と一緒のクラスに居る女…

 でも、どんな顔だっけか…

 なんか暗い奴だったのは覚えているけど、

 うーん、思い出せないや」

宮沢凉子について俺は一つ一つ思い出しながらそう言うと、

「ひっどーぃ!!

 そんな言い方しなくても良いじゃない!!」

と武井は涙目で訴える。

「いや、

 だから、その女言葉止めろよ、

 気味が悪くて仕方がないんだ」

武井の肩を持ちながら俺は言い聞かせ、

「確かに、

 宮沢は病気とか言って学校に満足に来ていなかったし、

 それに影が薄かった…

 うん、

 でも、それが一体なんだというのか?

 その宮沢に怪我を負わせたのも俺の責任だというのか?

 なぁ、武井、

 なんでお前はそこまでして俺を責めるんだ。

 もぅ十分だろう」

と言うと、

「そんなこと言っても…

 あたし…本当に宮沢凉子なんだもん…」

俺の声に反抗するように武井は呟く。

「………」

重苦しい無言の時間が過ぎてゆく、

その時間を断ち切るように

「……判った、

 武井、お前がそこまで俺のクラスの宮沢だというのなら、

 俺の昔の出来事知っているよな…

 お前とはまだ昔話したことはないし、

 お前が女と一緒にいる事もなかった…

 それにお前と宮沢は住んでいる所も違う…

 宮沢とお前の接点は階段でぶつかったときのみで

 それ以外ではどこにもない。

 だから尋ねる。

 俺と宮沢しか知らないこと…

 小学校あたりで起きた出来事…

 そーだな…

 俺にとっては大事だけど、

 事件としては小さな事を何か一つ言って見せろ、

 もし、ズバリ指摘できたら俺は認めてやる」

武井を見つめながら俺はそう尋ねると、

「うん」

その途端、武井は考えるそぶりをし、

そして、

「…小学校2年の時」

とぽつりと呟いた。

「2年の時?」

「うん、

 西島君、学校帰りに交通事故に遭ったでしょう?

 でも、あのときあたし見ていたのよ、

 西島君は交差点で右折した車に引っかけられた事になっているけど、

 実は道ばたから飛び出したネコに驚いて、

 慌てて自転車のハンドルを左に切り、

 自分から車にぶつかってしまったことを…」

と武井は俺を指さしそう告げた。

「…小学校2年の事故?

 あっあれか…
 
 確かに、俺はネコに驚いて一瞬ハンドルを道路側に切ったんだ、

 そしたら、右折車が居て…
 
 でも、車の運転手も気が動転しててそのことには気づかなかったし、
 
 すべては右折車の不注意になったんだ…」

未だに事故の顛末を覚えている俺はそう呟くと、

キッ!!

じっを俺を見つめている武井を睨み付け、

「確かに…

 お前の言うとおりだ」

と告げる。

「じゃぁ、

 納得してくれた?」

武井は目を輝かせながら尋ねると、

「半分だ」

その体を押し返して俺は言う。

「なんでー?」

俺の言葉に武井は不服そうに文句を言うと、

「いきなり信じられるか、

 俺の目の前にいる武井は実はクラスの宮沢と言う女なんです。

 なぁんてこんなこと…」

吐き捨てるように俺は返事をする。

「あたしだって…

 信じたくないわよ」

その言葉にふくれっ面をしながら武井もそう返すと、

「じゃぁこれからどうするんだよ、

 このまま武井として生きていくのか?」

皮肉を込めて俺は尋ねた。

「うん、そうねぇ

 武井君の体って剣道部で鍛えているだけによく動くし、

 それに、あたしの体と違って丈夫そうだけど、

 でも、やっぱり元の体がいいわ」

「ふーん…」

「ねぇ、今晩一晩泊めてくれる?」

「はぁ?」

「今日退院してきたんだけど、

 でも、なんかに武井君の家には戻りたくないの…」

「まっまぁ…俺は良いけど

 でも、大丈夫なのかよ」

「ふふっ

 大丈夫大丈夫」

懸念する俺の言葉に武井はウィンクをすると、

クルリ…

武井は部屋の様子を見た後、

「ねぇ、ご家族の姿が見えないけど」

と俺に質問してきた。

「あぁ…

 親父とお袋は商店街のくじに当たったとか言って現在旅行中、

 帰ってくるのは来週だよ」

「ふーん」

「姉貴は嫁に行ったし、

 弟はこの週末、バイトでここには帰ってこないよ」

家族不在の理由を俺は説明すると、

「そうなんだ…」

武井は幾度も頷き、

「そうだ、何か作ってあげようか、

 あたしこれでも料理得意なのよ」

と言うとキッチンへと向かって行く。

「あっちょっと」

「んーと、

 冷蔵庫の中は…
 
 あぁん、あんまり食材はないのね、

 仕方が無いなぁ…

 とりあえずあり合わせのもものでカレー作ってあげるね、

 ニンジンとジャガイモはあるから、

 タマネギ買ってきて、
 
 それとお肉もあった方がいいから、
 
 お肉もね…
 
 はいっ行ってらっしゃいっ」

てきぱきと武井は俺に向かって指示を出すと支度を始め出す。

そして、

パタン…

追い出されるようにして俺は表に出されると、

「はぁ…

 なんか…とんでもないことになったな…
 
 でも、武井が宮沢だと言うことは、
 
 じゃぁ武井本人はどこに行ったんだ?
 
 それに宮沢は…アイツ…まさか死んだのか?」

俺は疑問点を整理しながら歩いていった。



「え?

 武井君はどうなったかって?」

「そーだよっ

 お前が宮沢なら、
 
 武井本人はどーなったんだ?

 お前の体の中に入っているのか?
 
 それに、宮沢、
 
 お前の体はどうなっているんだよ、
 
 死んだのか?」

「んーと…

 判らないよ、そんなこと…

 あたしだって、

 いま自分の体がどうなっているのか気がかりだけど、
 
 でも、この体では確認するコトできないモン」

夕食時、

湯気の上がるカレーを食べながら俺と武井はそんな話をする。

「そーか、

 じゃぁ、明日、
 
 宮沢、お前が担ぎ込まれた病院に行ってみるか?」

「え?」

「うちでグダグダしてても仕方がない、

 幸い明日は土曜で休みだし、

 とにかく行って見よう」

「うっうん」

煮詰まった事で堂々巡りをするのが嫌いな俺は直ぐに決断をすると、

武井も困惑しながらも頷いてみせる。

そして、朝、

「ねぇねぇ…」

「ん?」

武井の声と共に揺り動かされた俺は目を覚ますと、

「あー…

 まだ時間はあるだろう?

 どーした?」

布団に突っ伏したまま返事をする。

「あっあのー…

 ちょっと起きて、
 
 大変なの…」

俺の言葉の後、武井の困惑した声が響くと、

「大変って何が…」

まだ事態を飲み込めていない俺はのんきに返事をする。

すると、

「もぅ!!

 起きてよ、

 オチンチンが大変なことになっているのよっ」

の言葉と共に俺はたたき起こされてしまった。

「はぁ?

 オチンチンが大変って?
 
 なんだ、小便でも止まらないのか」

頭を掻きながら不機嫌そうに俺は言うと、

「それに近いのよ、

 ほらっ
 
 朝起きたら
 
 こんなに大きく、
 
 固くなったまま元に戻らないの」

そんな俺に武井は文句を言いながら俺の手を自分の股間へと導いた。

ビンッ!!

「うわっ」

手に伝わる固い肉棒の感覚に俺は悲鳴を上げると、

「ほらっ

 やっぱり驚いた。

 ねぇ、これって病気なのかな?

 やっぱり、お医者さんに行った方がいいのかな?」

不安そうな表情を見せながら武井は俺にすがり寄る。

「あのなー」

「なっなによ」

「いいから…」

「ん?」

「いいから、ここに来いっ」

そんな武井に俺は自分の前の場所を叩き、

そこに座るように指示をすると、

言うとおりに座った武井に向かって、

「それは、

 男の生理現象!

 健全な男なら毎朝そうなるの。

 放って置けば自然に元に戻るし、

 どうしても気になるのなら小便でもしてこい、
 
 直ぐに元に戻るから…」

と言い聞かせる。

「へぇ…そうなの?」

俺の説明に武井は目を丸くすると、

「そう言うものなの」

頭を抱えながら俺は言い切った。



そして朝食後、

俺と武井は宮沢が入院しているという病院に向かって電車に乗った。

「で、身体の具合はどうなんだ?」

吊革につかまりながら俺は武井の具合を聞くと、

「うん、痛みは無いわ、

 さすが剣道部ね」

「そうか、それは良かった

 …さて」

「なっなに?」

「武井、お前の話を総合するとだ」

「うん」

「今週の月曜日の放課後、

 宮沢と武井は学校の階段で衝突をした。

 そして二人はバランスを崩して階段から落ち、

 これから向かう病院へと担ぎ込まれた、

 間違いないよな」

「そうよ」

「そして、

 次に目が覚めたら武井の体になっていたと」

「うん…」

「つまり、意識があるうちでは

 武井本人とお前との接点はどこにもなかった。

 と言うわけだな…」

「そうよ、あたしも武井君も話したことなんかないわよ

 ただ、武井君は西島君の後輩で、

 あたし達が卒業した後、
 
 剣道部を率いていく貴重な人材であること、

 西島君との練習試合では

 インターハイ準優勝の西島君に2勝していることくらいかな…」

「ちょっと待て、

 随分と俺と武井のこと知っているじゃないかよ」

俺のことを意外としていることに俺は驚くと、

「えへっ

 まっ…ねっ」

武井は小さく舌を出して誤魔化してみせた。



つづく