風祭文庫・アスリートの館






「繭子の帯」
(前編)


作・風祭玲

Vol.566





『ねぇ、大輔…』

『なんだよっ』

『大輔の目標ってやっぱり金メダル?』

『まぁそうだなぁ…』

『ふふっ

 そっか…』

『なんだよっ、

 変な笑い方しやがって』

『いーじゃないっ

 でも、良かった…

 大輔とあたし、同じ目標で』
 
『ハァ?

 なんだよっ

 繭子っ

 お前も取るつもりなのか?

 そうよっ

 あたしも大輔と同じようにずっと柔道やってきたんだもん。

 あたしだって目指すわよ、

 金メダル……
 
 ふふっ大輔にだって負けないんだから…』

『え?

 なっなんだよ、繭子っ
 
 その身体っ
 
 まっまるで男じゃないか…』

『何を言っているんだよ、

 俺は男じゃないか、

 そしてお前は俺が倒さなければならないライバルなんだよ、
 
 おらっ
 
 試合だぞ』

『えぇっ

 ちょっと待って!!
 
 うっうわぁぁぁぁ!!……』




「起きろぉぉぉぉぉぉ!!!」

金メダルラッシュに湧いた夏も終わり、

秋の風がかすかに香り始めた朝、

耳元で突然女の子の叫び声が響き渡ると、

「うわっ!!」

深い眠りから一気に呼び起こされた俺は思わず飛び上がり、

何が起きたのかと、周囲を見回した。

そして、朝日が照らし出す部屋の様子に

「なっなんだ、夢か…」

と今し方までの会話が夢であることに気づくと、

「ほらっ!

 さっさと起きる。

 朝練まで時間がないよ!」

と言う声とともに

バフッ!!

俺の顔めがけて白いYシャツが投げつけられた。

「ぶっ何するんだよ、繭子!!」

頭からすっぽりと被ってしまったYシャツを取りながら俺は文句を言うと、

「あたしにも時間が無いの?

 わかるかな、大輔クン?

 だったらさっさとしてよね」

学校の制服姿の彼女は両腰に手を当て、

ズィッ

と身を乗り出しながらまるで幼児に言って聞かせるようにして告げると、

「わかったよっ

 まったく、

 どうせなら巨乳の女の子に起こしてもらいたかったな」

俺を幼児扱いするその言葉に俺は皮肉を込めて返事をする。

「なんですってぇ!」

「なんだよっ

 悔しかったらその洗濯板のような乳を何とかするんだな」

「うるさいっ!」

「貧乳!」

「やるかっ」

「おうっ

 望むところだ」

まさに売り言葉に買い言葉、

険悪な空気が部屋の中を覆ったとき、

カチッ

キンコーン!

部屋の中に時報を告げるチャイムの音が響き渡った。

すると、

「あっいけないっ

 もぅ時間だわ

 じゃっあたし先に行くから

 テーブルに朝食用意してあげておいたので、

 ちゃんと食べて来るのよ」

時計の針をチラリと眺め、

慌てて彼女は玄関へと走っていくと、

「あっ、食べ終わったら流しにもって行っておいて、

 夕方あたしが片付けるから」

「はいはい」

繭子は俺に向かってそう言い残して

パタン

とドアを閉めた。



繭子…小森繭子と俺は俗に言う幼馴染という奴で、

二人ともガキの頃から近くの道場で柔道を習い、

そして、同じ小学校から同じ中学校、

そして高校と繭子と俺はなぜか離れることなく、

同じ学校で柔道部に所属していたのあった。

部の口悪い奴はそんな俺と繭子の関係を”赤い糸が結んでいるだよ”とからかうが、

しかし、俺自身、繭子を女だと思っていなかったし、

また繭子も俺のことを男として意識している素振りは見えなかった。

いや、仮に…神様が間違いを犯して繭子が俺に変な気を起こしたとしても、

俺は…ちょっと遠慮したい。

「えぇ…なんでぇ!?

 俺だったら大歓迎だよ」

俺が繭子に一切気がないことを言うと、

10人中、10人がそんな返事をする。

どうやら、連中からすれば繭子はヒロスエ似の

美人グループに属するそうだが、

しかし、俺にはあの繭子のどこをどう見たらヒロスエに見えるのか、

どうしても理解できなかった。



「まったく、人の家に勝手に入り込みやがって」

繭子が閉めた玄関ドアを呆れた視線で俺は見ると、

ゆっくりと台所へと入って行った。

フワッ…

ダイニングの真ん中に置かれているテーブルの上にはその繭子が作ってくれた、

スクランブルエッグと焼きトーストが香ばしい香りを漂わせていた。

俺の両親はいま、父親の仕事の都合で外国に行っている。

そして、その間、

マンションの下の階に住んでいる繭子がこうして俺のところに押しかけ、

俺の身の回りの世話をしていくのであった。

なんでも俺のお袋から頼まれたそうだけど、はっきり言って迷惑千万。

ついこの間も隠していたエロ本を引きずり出され、

まるでさらし者の如く見せびらかされたばかりだった。

「けっ

 あんな奴…居なくなった方が清々するぜ」

そんなタメ口を吐きながら俺は繭子が作った朝食を口に運んだ。

しかし、俺と繭子がきちんと話をしたのはこの日の朝が最後で、

その日の夕方、

繭子は交通事故にあったとかと言うことで入院をしてしまうと、

俺が見舞いに行く前に亡くなってしまった。



「しかし、まだ信じられないよ…

 あの小森が死んじゃっただなんて…」

「うん…」

「なんか寂しいよなぁ」

葬祭場で行われた告別式の帰り、柔道部員達はそう囁き会うと、

「なぁ、市原って、

 小森とは長い付き合いなんだろう?」

と部員の一人が俺に話を振る。

「んあぁ…

 そうだなぁ…

 小学校からの付き合いか…」

その言葉に俺がそう答えると、

「へぇぇ、そうなんだ」

「なぁ、それって

 無茶辛くねぇか」

俺の返事に部員達は顔を見合わせると、

次々とそう言ってきた。

「え?」

予想外の反応に俺は驚くと、

「べっ別に…」

鼻をかきながらそう返事をする。

「え?

 辛くないのかよ」

「だって、彼氏・彼女の間柄なんだろう?

 小森とは…」

「おっおいっ

 なに勘違いしているんだよ、

 小森とは幼馴染であって彼女なんかじゃないぞ」

「そうか?」

「そうには見えなかったがなぁ」

「うんうん、いっつも二人っきりで道場に篭って、

 いちゃいちゃしてたじゃないかよ」

「誰がだ!!」

俺と繭子を恋人同士と決め付け始める、その言葉に俺が怒鳴ると。

ポンッ

俺の肩に手が乗せられ、

「市原…お前…

 あんまり無理をするなよ、なっ」

そうキャプテンが話しかけると。

「泣きたいんだろう?

 さぁ、俺の胸で思いっきり泣け!」

と叫びながらガバッと胸を開いた。

その途端、

「誰が、泣くかぁーーー!!」

その叫び声と共に俺は部長の胸倉を掴みあげると、

背中を部長の腹に当て、

思いっきり背負い投げをかけた。

「おぉ!!」

その瞬間、一斉に拍手が沸き起こり、

次の瞬間、俺の下には投げ飛ばされた部長が白目を剥いていた。

「まったく、

 どいつもこいつも」

肩で息をしながら俺は白目を剥いているキャプテンを見下ろすと、

「あーぁ、

 完全にイッちゃっているよ、

 市原ぁ、ここは道場じゃないんだからよ

 少しは手加減しろよなぁ」

と先輩は俺に注意するが、

「油断しているキャプテンが悪いんです!!」

その言葉に俺は強がるように怒鳴り返し、

「ふんっ」

鼻息荒く歩きはじめると、

「しっかし、変な葬式だったよなぁ」

一人の部員がふと呟いた。

「何が?」

「いや、葬儀屋の立ち話をちょっと聞いたんだけど、

 あの棺の中に小森の死体が入ってなかったんだってよ」

「え?

 なにそれ?」

「死体の代わりに石でも入っていたとでも言うのか?」

「おいっ、

 戦死じゃねぇんだよ」

「じゃぁ何か?

 小森の死体はどこか別のところにある。

 って言うのか?」

「さぁ?

 あの中に入っていないってことは…

 そういうことになるよなぁ…」

と部員たちが話し合うと、

「なに?」

その言葉に俺は振り返り、

「おいっ!

 いまのは本当か?」

その話をした部員の胸倉を掴みあげた。

「うわっ!!」

俺の剣幕に彼は驚きの声を上げると、

「ほっ

 本当です。

 葬儀屋の人がそう言っていましたから」

と慌てながら説明する。

「ちっ」

それを聞いた俺は舌打ちをすると、

まるで地面に叩きつけるように部員を下へ下ろすと、

「なぁ…

 市原…お前、本当は小森のことが…」

俺のそんな様子を見た柴田がそう話しかけてくると、

「知るかよ!!

 あんな奴、いなくなって清々しているのは俺の方だよ」

その言葉になぜかカチンを来た俺はそう怒鳴ると、

その場から逃げるようにして走り出す。



そして、走りながら、

「なんで、小森が死体が棺の中に入っていないんだ?

 じゃぁ…

 あの葬式は茶番だったとでも言うのか?」

と空を見上げながら

俺は心の奥底に湧いて出てきたモヤモヤをぶつけてみせる。



そして、それから一月が過ぎ、

俺と同じクラスだった小森の机の上に置かれたいた花瓶も取り払われ、

いつもの賑わいを取り戻したクラスから

小森の存在は次第に忘れ去られようとしていた。

そして、

セイッ

セイッ

俺はひたすら柔道の稽古に汗を流し、

また稽古が終わっても一人居残って稽古を続けていた。

ある日、

「ん?」

居残り稽古をしていた俺は誰かの視線を感じ立ち上がると、

道場の出入り口を見る。

すると、

「え?

 小森?」

その出入り口にたたずむ人影を見た途端、

俺はその人影が繭子に見えて驚くが、

けど、

「貴方一人なんですか?」

と人影は俺に尋ねながら道場の中に入ってくる。

「あぁ、そうだが…なんだ、男か…」

近づくにつれ、人影は男子の制服を着ていることに気づき、

俺は安心しながらも何か裏切られたような気持ちになって

掛けていたタオルを手に取ると汗を拭いてみせる。

「なに?

 入部希望?」

入ってきた男子生徒に向かって俺は尋ねると、

「えぇ…

 恐らく入ることになります」

とその男子は返事をする。

「ふーん、

 どこのクラス?

 あぁでも、

 部長はもぅ帰ったから今すぐ手続きはできないよ」

男子生徒の返事に俺はそう答えると、

「いえっ

 まだどこのクラスになるか判りませんから」

と彼は言う。

「クラスが決まっていない?」

「あっはい、転校してきたんです。

 今日はその書類などを持ってきて…

 で、帰ろうとしたらここに明かりがついていたので」

「なんだ、転校生か…

 柔道の経験はあるの?」

「はぁ、まぁあまり経験はないのですが…」

「ふーん…

 いま時間ある?」

「え?」

「君がどの程度の実力があるか見てやるよ、

 一人の稽古にも飽きたところだからね」

「あっでも、ご迷惑では」

「いーっていーって

 入部すれば明日から柔道部の仲間だし遠慮するな」

彼がうちの学校の転校生であることがわかった俺は、

壁に掛けられたままのちょっと使い古された柔道着を持ち、

「道着は持って来ていないんだろう?

 じゃぁこれに着替えてな」

と言いながら彼の前に放り投げる。

「え?

 あっはいっ」

「んー?

 どーした?」

「はぁ…」

「なんだよっ

 男同士だろう?

 恥ずかしがることないだろう」

道着を持ちためらいを見せる彼に俺は肩を叩きながら促すと、

「はぁ…」

男子生徒は俺に背中を向け制服を脱ぎ始めた。

「ちゃんと、パンツも脱ぐんだよ、

 すっぽんぽんに道着なんだからな」

着替えを始めた男子に向かって俺はそういうと、

「はっはいっ」

男子の困惑したような声が響き、

そして、

「あの…着替えました…」

の声が響くと、

「あれ…」

そこにはだぶだぶの柔道着を恥ずかしそうに着る男子生徒の姿があった。

「あっそーか、

 その道着は雲家先輩のだったか…

 先輩…90キロあったからなぁ

 でも、まっいいか…

 受身と乱取りぐらいだからなぁ」

彼のそんな姿を見ながら俺はそう思うと、
 
「そういえば、名前まだ聞いてなかったよな」

と男子生徒の名前を尋ねると、

「あっ

 あの、小森武といいます…

 小さい森と書いて…」

そう彼は返事をした。

「小森?

 へぇ…繭子と同じ苗字か…」

小森武と名乗る彼の言葉に俺は何か因縁めいたものを感じるが、

「よしっ

 じゃぁ、

 まずは、柔軟運動から始めようか」

「はい」

と言いながら、俺は彼に柔軟をするように言うと、

グッ

武は俺の前で柔軟運動をしてみせる。

「おっ、

 なんだよっ

 結構柔らかいじゃないか」

関節の動きと筋の伸びが思いのほか良いことに俺は驚き、

そして柔軟運動をほどほどに切り上げると、

続いて受身をさせてみるが、

それらをそつなくこなすその姿に俺は驚きながら

「へぇ…なんだよ、君っ
 
 柔道歴長いのと違うか」

と尋ねるが、

「いえっ

 そんなこと無いです」

武は顔を赤らめながら返事をする。

「ふーん、

 じゃぁ…

 乱取りしてみるか」

受け身を終えた武を道場の真ん中に引っ張り出した俺は

「はいっ

 礼っ」

の声と共に頭を下げ、取り組みはじめるが、

しかし、柔道着の合間から見える武の胸板の厚さに俺は驚くと、

「おっ、

 結構鍛えているじゃないかよ?」

と尋ねて見るものの、

「いえっ

 なにも…」

武はやや俯き加減にそう返事をするだけだった。

「そうか…

(これだけのガタイになるくらいに鍛えるには、

 相当、筋力トレーニング積み重ねないとならないぞ)」

彼の返事に俺はそう思いながら、

バッ!

一気に技を掛けにはいる。

けど、

ガシッ!

「なにっ」

予想よりもはるかに強い力に阻まれてしまうと、

ドンッ!

逆に俺のほうが振り回され、

そのまま、畳の上へと落とされてしまった。

「くっ」

完全な柔道技ではないものの、

でももしこれが試合なら

確実に有効が取られていたシチュエーションである。

「え?

 あっあっすみません」

「てめぇ…

 シロートだと思って手加減をしてあげれば…」

困惑する武にキレた俺はマジモードに入ると、

一気に寝技を仕掛けるが、

しかし、

グっグググググググ!!!

「んなっ

 なんてバカ力なんだ…

 こいつは…」

武は力で攻める俺の寝技を逆に力ずくで解き始めた。

「なっにぃ…

 この俺の寝技を切るっていうのかよっ

 おいっ」

次第に持ち上がっていく自分の腕に俺は驚きながらも、

「くそっ」

渾身の力を込めて押さえつける。

しかし、

グンッ!!

「うわっ!!」

それ以上の力で俺の腕がはずされてしまうと、

ドンッ!!

今度は俺のほうが武に押さえこめられてしまった。

「しまったっ」

油断していたとはいえ、

県大会で上位入賞経験のある俺が

完璧に押さえ込まれてしまった事に情けなくなるのと同時に、

そんな自分に腹が立つと力の限りを使ってはずしに掛かった。

けど、

ギリッ!!

武に締め上げられ、

このままでは落ちてしまうことを悟った俺は、

パンパン!!

締め上げるその手を2度叩くと、

パッ!!

スグにその腕は放され、

ぜはぁはぁはぁ…

俺は息を吹き返した。

「あっあのぅ…」

「お前…柔道初心者っていうのは嘘だろう」

俺を負かした男…

そう言う視線で武に尋ねると、

「………」

急に武は悲しい目で俺を見つめ、

「あっあのぅ

 ありがとうございました…」

呟くように挨拶をすると道着を脱ぎ始めた。

「おいっ、

 お前っ

 いや、小森っ

 明日、またここに来いっ

 いいか、これは俺からの命令だ。

 今日はあくまで油断しただけだ。

 入部の手続きは俺からしておくから、

 いいなっ

 絶対に来いよ」

真新しい制服に着替え、

そして道場から出て行く武に俺は思いっきり怒鳴ると

「畜生!!!」

負けたことへの悔しさに俺は畳の上で大の字になった。




「では、紹介する

 小森武君だ」

翌日、昨日と同じ制服姿の武が俺のクラスで紹介された。

「こっ小森武です。

 よっよろしく…」

昨日俺を負かした割には小さな声で挨拶をすると、

「ねぇねぇ…

 なんか可愛くない?」

「そうねぇ…」

やや内気そうに見えるその容姿から女子達からそんな声が響き、

一方、

「たく、カマみたいな奴だな…」

「あぁ言うのに限ってスケベだったりするんだよ」

「ふんっ

 どうせ、ヲタクだろう?」

と男子達からは芳しくない評価があがる。

すると、そんな男子達に向かって、

「あいつ…

 あんな顔をしているけど柔道黒帯だぞ…」

と後ろ頭に腕を組みながら俺はそう呟くと、

「え?」

周囲の視線が一斉に俺を見る。

「何で知っているんだ?」

「知り合い?」

「あぁ…まぁな…

 昨日、俺と軽く手合わせをした」

「そうなの?」

「で、結果は?」

「あぁ?

 良いじゃないかよ、そんなこと」

「おっ!

 ってことは市原っ

 お前、小森に負けたのかよっ」

「うるせーなっ」

「すげー…

 市原を負かしただなんて…」

「只者じゃないぞ、

 小森って」

俺のその一言でクラスの、

いや、この学校内での小森の評価は定まり、

そして、それは否応なく武の柔道部入りを決定付けてしまった。



「へぇ…

 市原を負かしたんだって?」

「あっいや、そんなこと…」

「でも、確かに鍛えているねぇ…」

「そっそうですか?」

「はは、

 頼もしいねぇ…」

その日の放課後、柔道場に現れた武は、

昨日俺を負かしたことを知った柔道部員に取り囲まれていた。

「おいっ、

 そんなに俺が負かされたことが嬉しいのか」

その様子に俺はムカつきながら声を上げると、

「ふふっ

 いやっ

 これで我が部は安泰だよ、

 これまで君一人の肩に乗っかってしまって、

 ごめんね」

といいながら部長は俺の肩に手を乗せ、

一言一言突き刺すようにして告げた。

「あーそですかっ

 それはよかったですね。

 おいっ、小森っ

 いつまでもチヤホヤされてないで、

 さっさと着替えろっ

 この俺がみっちりとしごいてやる」

道着の帯を締めなおした俺は

いまだ制服姿の武にそう命令をすると、

「はいっ!」

武の元気な声が道場に響いた。

「なっなんだぁ?

 俺と稽古するのがそんなに嬉しいのか?

 まぁいいや、

 反吐が出るくらい叩きのめしてやる」

そんな武の姿に俺はそう呟くと、

昨日以上にハードな稽古をしたのだが、

ゼハァはぁはぁはぁ…

「畜生っ」

真っ先に音を上げてしまったのは他ならない俺のほうだった。

「あっあのぅ…」

長時間の乱取りをこなしながらも

やや肩が上下に動く程度の武に対して

俺はふらふらになっていた。

「うっうぜーぞ、

 まだまだ、終わりじゃないっ」

噴出す汗でぐしょりになった道着を整え、

俺は武の懐へと飛び込んでいく。

「(…こんなにムキになって稽古をするのは

  なんか久しぶりのような気がする。

  もぅ随分とこんな稽古をしてきたことはなかったな…)」

武との乱取りの最中、ふと俺はそう思うと、

忘れかけていた勘に精神を集中させる。

そして、ほんの一瞬の武の隙を突いて

ヤッ!

武の襟を一気に背負うと、

ドンッ!!

思いっきり武の体をたたみの上へとたたきつけた。

「はっ

 やった!」

その瞬間、俺は久しぶりに味わう勝利をかみ締めるが、

しかし、

「え?

 おいっ

 しっかりしろ」

受身に失敗したのか、

なかなか武が起き上がってこない。

「おいっ

 しっかりしろ」

気を失っている武の頬を俺が叩いていると、

「ばかっ!!

 いきなり背負い投げを掛ける奴があるか」

の声と同時に部長が駆け寄ると、

「市川っ

 小森を保健室に連れて行ってこい」

と命じた。

「えぇ?

 そんなもん、道場の端っこで寝かしておけば…」

「ばか者っ

 事故だったら大変なことになるんだよ

 いーからさっさと行って来い」

俺の時には道場の端っこで転がされている程度なのにも関わらず、

部長の命令で俺は小森を担ぎ上げると、

保健室へと連れて行った。



つづく