風祭文庫・アスリート変身の館






「ファインダー」



作・風祭玲

Vol.641





その時、彼女の周りはシンッと静まりかえっていた。

赤地に白のV字のストライプ、

胸元にリボンの柄が配置されているレオタードに身を包み

少女はジッとその先にある鞍馬を見据えていた。

スッ

少し間をおいて、

少女の手が上がると、

タッ!

鞍馬目がけて走り出す。

速い!

タンッ!

ロイター板の音が響き渡り、

クンッ!

少女の身体が大きく飛び跳ねた。

そして、

細い二本の手が伸びると、

タッ!

その鞍馬の背中に軽く振れ、

クルッ!

少女の身体は空中高く跳ね、

一回転する。

滞空時間がとても長く感じられる。

そして、

トッ!

小さな音が響くと、

少女は鞍馬の反対側に着地していた。

”動くな!”

その光景を目撃した僕は思わずそう念じるが、

しかし、そんな心配は無用だった。

少女の脚は一歩も動かず、

スッ!

彼女は立ち上がり、

そして大きく胸を張りながら、

V字型に両手を伸ばす。

パチパチパチ

一瞬の静けさを置いて

観客席が割れんばかりの拍手が響き渡る。

その拍手に送られながら、

少女はゆっくりと控えのコーナへと歩いていく。

その姿を見送りながら、

僕は大きく息を吐き出しながら、

身体の力を抜くとファインダーより目を離した。


「草花理彩」


彗星のように体操界に現れた若干16歳の少女に僕は惹かれ、

そしていつの間にか夢中になっていた。

「はぁ…

 やっぱ、理彩さんの演技は凄いよなぁ…」

一瞬の演技にもかかわらず周囲を虜にした彼女に敬意を払いながら、

僕はセットしていたカメラを三脚から離し、

そして、撮影データを確認する。

先日買ったばかりの新型デジカメは

つい今し方行われたばかりの草花理彩の演技を克明に捕らえている。

「よしっ

 いいぞ…
 
 うん、とっても良く撮れている」

再生画面を見ながら僕は頷くと、

カメラバックから新しいメモリーカードを取り出し、

デジカメの中のカードと交換した。

次は段違い平行棒…

そう、草花理彩がもっとも得意としている種目であった。

「ふふっ、

 さぁて、今日はどんな演技をしてくれるのかな?

 草花さんって、

 いろんな顔を見せるからなぁ…

 一度撮った顔って次には絶対見せてくれないんだよ」

そう僕はつぶやき、

再びファインダーを覗く。

草花理彩の魅力の一つにこの2度と見せない表情があった。

まるで、1回1回が始めて体験をするような困惑した表情と、

一度演技に入るとたちまちその表情は真剣なものへと変わり、

そして、見せる高度な技の数々…

このアンバランスといえる理彩の姿が見るものを引きつけていたのであった。



試合会場の草花理彩はレオタード姿のまま、

次の平行棒の所へ向かっていく、

そして、その姿を僕はファインダー追いかける。

「理彩さん、

 ガンバ!」

そんな彼女に僕は心の中で応援したとき、

「!!!」

一瞬、草花理彩の顔が僕の方を見た。

「うわっ、

 いいぞ!」

それを見た瞬間、

僕は彼女の顔にピントを合わせ、

反射的にシャッターを切った。

との時、

『ねぇ君…』

と僕の頭の中に低い男の声が響いた。

「え?」

いきなり響いた声に僕が驚くと、

『君、

 いまシャッターを切っただろう』

と声がまた響く。

「え?

 え?」

その声に最近インターネットで見かけるようになった

撮影制限についての書き込みをを思い出すと、

サァー…

僕は顔を青くしながらファインダーより目を離し周囲を見回す。

けど、僕の周囲にはその声に該当する男性の姿はなく、

近くで応援している中年の男性は持っていたカメラを会場へと向ける。

「あつあれ?」

声の主を見つけることが出来なかった僕は首をひねりながら、

またファインダーを覗くと、

その中の草花理彩は僕の方をジッと見つめたままで、

『なぁ…

 そろそろオレ、戻りたいんだけど、

 代わってみるか?』

とまた頭の中に声が響いた。

「え?

 え?

 代わる?

 戻るって…」

その言葉に僕は困惑していると、

『じゃぁ、

 頼んだよ』

と声が響き、

その瞬間、

グルン!

僕の視界は一回転すると、

目に飛び込んでくる景色が一気に変わり、

「え?」

僕は二階席を見上げながら立っていることに気づいた。

「ここは…

 何処?」

照明の灯りが煌々と灯る、高い天井の下、

僕は板張りの床の上に立ち、

そして、観客が見下ろしている席を見上げている。

「え?

 えぇ?」

何が起きたのか判らないで居ると、

「草花さん、

 どうしたの?」

と僕の後ろから少女の声が響いた。

「草花さん?」

その声に僕が振り返ると、

なんと、僕の直ぐ後ろには

あの草花理彩が身につけていたのと同じ柄のレオタードに身を包んだ少女が居て、

心配そうに僕を見つめていた。

「え?

 あっ
 
 いやっ
 
 その…」

レオタード姿の少女に見つめられる。

妄想では何度も想像してきたシチュエーションが、

まさに現実のものとなり、僕は困惑していると、

「心配させないでよ、

 もぅ、草花さんったら、
 
 何のおまじないか知らないけど、

 いい加減にしてよね」

と別の少女が僕に注意をしてきた。

「え?

 草花て…
 
 え?
 
 え?」

彼女たちの声に僕は思わず自分の体を見ると、

眼下には左右に膨らんだ二つの膨らみと、

そして、その膨らみを覆う赤と白の模様が目に入り、

さらに脚は股から下が大きく剥き出しになっているらしく、

周囲の空気の流れが直接、股に当たる感覚が走る。

「うそ…

 これって…」

その感覚に戸惑いながら僕は飛び出すと、

そのままの勢いで男子トイレに駆け込んだ。

すると、

「わっ!」

先客の男性職員が悲鳴を上げ、

「なっ何だねっ君は、

 女子用は隣だ、隣!」

と指を指した。

「え?

 女子用?」

その言葉に僕は驚き、

そして、洗面所に映る自分の姿を見たとき、

「え?

 うそ…」

思わず目を見張ってしまった。



そう、鏡に映っていたのは

コレまでファインダー越しにしか見たことがなかった

”草花理彩”本人だった。

「うそだろう…

 理彩さんに…
 
 なったのか?」

信じられない様子で僕は鏡に魅入っていると、

「君っ

 いつまでもそこにいると他の人の迷惑だよ」

用を足し終えた職員が僕に注意する。

「え?

 あっ
 
 あぁっ」

その声にいま自分がレオタード姿になっていることに気づくと、

「しっ失礼しました!」

僕は慌てて男子トイレから飛び出すと、

廊下を挟んで反対側にある女子トイレに駆け込み、

その中の個室でじっくりと自分の身体を調べる。

光沢を輝かせながら汗の臭いが微かに漂うレオタードを

なで回しながら僕はその感触を確かめると、

ゆっくりと胸の左右に付きだしている胸の膨らみを触り、

そして、男にはない縦溝の陰が浮き出ている股間に手を入れ、

そっと溝に指を這わせた。

「うわぁぁ…

 こっこれが理彩さんの体か…
 
 なんて柔らかいんだ…」

夢にまで見た草花理彩の身体を触りながら、

縦溝を刺激してみると、

ビクッ!

「うっ」

一瞬、身体の中を電撃が駆け抜け、

その快感に思わず唇をかみしめてしまった。

「ハァハァ…

 これが女の子の感覚か…
 
 なっなんで、強烈なんだ…
 
 それに気持ちいい…」

湿り始めた股間を触りながら僕はそう呟き、

そして、さらなる刺激を求めたとき、

「草花さんっ

 ここにいる?
 
 ねぇ、出番だよ。
 
 早く出て!」

とさっきの少女の声が響いた。

「え?

 出番?」

その声に僕はハッとしながら、

慌てて個室のドアを開けると、

「草花さんっ

 ほらっ
 
 みんな待って居るんだから…」

とレオタード姿の少女は僕の手を引くと、

試合会場へと連れて行った。

「お待たせ…

 草花さん、
 
 やっぱりトイレに行っていたよ」

僕の手を引きながら少女はそう仲間に告げると、

「また、トイレぇ?

 いい加減にしてよ!」

と僕を非難する声が響き、

「ほらっ、

 次、
 
 草花さんの番だよ」

と言いながら、

カチャンッ!

別の学校の選手が演技中の段違い平行棒を指さした。

「え?

 あれを僕がするの?」

鉄棒はおろか、

運動すら満足にしたことがなかった僕は驚くが、

しかし、その間に前の選手の演技は終わり、

いよいよ僕の番となってしまった。



「草花さん、

 頑張ってね」

「理彩っ

 ガンバだよ」

その声に送られて、

僕は平行棒に向かっていくと、

「で、どうすれば良いんだよ…」

と絶望な気持ちで平行棒を見上げた。

すると、

フッ…

僕の頭の中に身体の動かし方についてのイメージが湧き起り、

それについての感覚がまるで、水が湧くかのように出てきた。

「え?

 これって…」

戸惑いながら僕は手を挙げ、

そして平行棒に取り憑いた途端、

カシャン!

平行棒の音が響き渡ると、

シュッ

レオタードに身を包んだ僕は勢いよく飛び上がった。

視界が動き、

そして、その回転と同時に棒の音が響く。

カシャン!

クルッ!

カシャンッ

シャッ

「うそっ

 なんで…
 
 どうして…
 
 こんなに身体が動くんだ」

まるで平行棒に戯れるようにして、

僕は鳥の如く宙を舞い、

そして、己の肉体の全てを使って、

その美を表現する。

カシャンッ

シャッ

カシャンッ

シャッ

2分、

いや、3分程度の短い時間だが、

しかし、永遠の時間が過ごしているかのように僕は演技をし、

そして、

シャッ!

ひときわ大きく飛び出すとフィニッシュを決めると、

トッ!

マットの上に着地をした。

と同時に、

グラッ!

僕の身体がぐらつくが、

「くっここで我慢!」

僕は必死に堪えながらゆっくりと立ち上がると、

胸を張り両手を大きく掲げた。

パチパチパチ

観客席が割れんばかりの拍手が響き渡る。

「あぁ、

 なんだか気持ちいい…」

爽快感を感じながら僕は客席を見つめると、

「あっ」

嘗ての僕と同じカメラを向けている男性の姿が目に入った。

すると、

「ねぇ…

 そこの君…
 
 交代しようか…」

と男性に向かって話しかけた途端、

グルン

僕の視界は一回転し、

そして、気づくと、

「あれ?」

僕は自分の席でファインダーを覗いたままの姿勢で固まっていた。

「あれ?

 ここは…
 
 え?
 
 あっそうだ、写真!」

僕があの草花理彩になって演技をしていた事が

本当は夢だったのかどうかは判らない。

ただ、僕のカメラには怖々と平行棒に取り付いている

草花理彩の写真が残されていた。



おわり