風祭文庫・アスリート変身の館






「海の子」



原作・風祭玲

Vol.814





”ねぇ、ママ、

 ここって、

 海の神様がいるんでしょう?”

”そうよ、

 だからこうして、

 いろんな人が海が安全でありますようにって、

 お願いしているのよ”

”ふーん、そうなんだ、

 じゃぁ望もお願いしようっと…”

別荘近くにあるこの祠に来ると昔のことを思い出します。

わたくしの名前は高田望といいます。

年は現在22歳。

伝統ある女子大に通う一方で、

父の会社が経営するスイミングスクールでインストラクターをやっておりますが、

わたくしの持って生まれた気性や、

育った環境などもありまして、

口の悪い人はわたくしのことを”タカノゾミ”などと陰口を叩きます。

でも、そんなことはわたくしにとっては関係ありません。

わたくしにはある目標があるのです。

それは、アイツに勝つこと…



アイツとの出会いは12年前の夏でした。

当時小学生だったわたくしは毎年夏になりますと、

両親に連れられこの浜辺近くの別荘に来ておりました。

海を見下ろす高台に建つこの別荘でのつかの間の生活は、

日頃なにかと制限の多いわたくしにとって息抜きでもあり、

そして、冒険でもありました。

そんなある日のことです。

ちょっとした冒険心に駆られて、

わたくしは家族や使用人達の目を盗み、

このがけ下にありますプライベートビーチより浮き輪一つで泳ぎだしたのでした。

”何事も自分の力で解決する。”

厳しかった父からそう言われてきたわたくしは、

大人と一緒でなければ触れることさえ禁じられていた海に果敢に挑戦したのです。

挑戦するには勝たなければなりません。

無論、勝つ自信はありました。

いつも別荘から見ている海は鏡のように凪いでいて、

別荘脇の屋内プールとさほど変わりはありません。

「なによっ、

 ちょっと大きいだけじゃない」

そんな海の姿を見ていたわたくしはそう思うと、

勇んで出かけたのでした。

バシャッ!

小さなサンダルに波飛沫が掛かります。

わたくしは臆することなく、

サンダルを脱ぎ、

海へと入っていきます。

けど、泳ぎだした途端、

静かだった海はわたくしに牙をむいたのです。

岸辺は見る見る離れて行き、

さらに、浮き輪の張りが無くなって来ました。

いま思うに、あの時のわたくしは岸から沖へと向かう潮の流れに乗ってしまった上に、

さらに浮き輪の空気止めが十分でなかったのか浮き輪の空気が抜けてしまっていたのです。

「え?

 え?

 いやだ、

 誰か、

 誰か助けて!」

浮き輪が萎み、浮力を失ってしまったわたくしは、

瞬く間に溺れてしまい、

波間に漂いながら助け声を上げてしまったのです。

しかし、みんなの目を盗んで泳ぎはじめてしまたために

わたくしの遭難には誰も気づいてくれなかったのです。

「誰か…

 助けて…」

ガボッ!

ゲホッ!

必死で浮こうともがいているうちに、

わたくしは体力を消耗し、

ついに海水の飲み込んでしまいました。

そして、

「もぅだめ!」

ついに観念したとき、

『諦めてはだめだよ』

と男の子の声が聞こえると、

グィッ!

誰かの手がわたくしを掴み、

何かに掴まらせてくれました。

「!!っ」

わたくしは夢中になってそれにしがみ付くと、

顔が波間から出すことに成功しました。

プハッ!

ゲホゲホ

海面から顔を出しながらわたくしは思いっきり咳き込んでいると、

わたくしが掴まっていたのは一抱えもある太い木の幹でした。

「木?」

これほどの木がどこから流れてきたのか見当もつきませんが、

でもわたくしはそれに掴まりながらキョトンとしていますと、

『いいか、

 そのままじっとしているんだぞ』

またしても男の子がわたくしの耳に再び響き、

ザブンッ!

海の中から坊主頭の男の子が顔を出すと、

木を押しながら泳ぎ始めたんです。

「だっ誰?」

男の子に向かってわたくしは声をかけますと、

『動くな、

 って言っているだろう』

と男の子はわたくしに指図をします。

「まっ」

その言葉にわたくしは膨れて見せますが、

程なくしてわたくしを乗せた木は浜辺に打ち上げられ、

砂浜に下りた途端、

ホッ

と一安心したのでしょうか、

ジワッ…

わたくしの目から大粒の涙がこぼれ始めたのです。

”人前では泣かない”

父の戒めの言葉が頭をよぎりますが、

でもわたくしは声を上げて泣き出してしまったのです。

すると、

わたくしの前に人影が立ち、

『全く無茶なことをするなぁ…

 君はあの家の子だろう?

 君はまだ海に入るのは早すぎるよ。

 これに懲りておとなしくしているんだな』

と小馬鹿にしたように男の子はわたくしに言ったのです。

「なっ」

あまりにも見下げたような口調にわたくしはカチンときてしまいますと、

わたくしの前には良く日に焼けた褐色の肌に髪を短く刈り上げた

わたくしと同い年と思える坊主頭の少年が立っていて、

腕を組みながらわたくしを見下ろしていたのです。

そして、その彼の股間にはきりりと締められた赤褌が日の光を浴びて輝いていました。

「助けてくれたことは礼を言います。

 でも、大人しくしてろ、ってどう言う事ですか?」

少年を睨みつけながらわたくしは彼が最後に言った言葉に対して食って掛かりますと、

『わからないかなぁ、

 この程度の海で溺れるような奴は泳ぐな。

 と警告をしているんだよ』

「なんですってぇ!」

まるで嗾けてくるような男の子の言葉にわたしくは心底怒ってしまいますと、

『はぁ、

 お前が助けろって言うから助けてあげたけど、

 これじゃぁ助けた甲斐が無いなぁ…』

と少年はわたくしが乗っていた木を軽く蹴飛ばします。

「ちょっとぉ、

 木に八つ当たりしなくてもいいんじゃなくて?

 木が可愛そうでしょう」

それを見たわたくしが彼に注意をしますと、

『ん?

 お前って変わっているなぁ、

 こいつの気持ちがわかるのか?』

少年は驚いた顔でわたくしに聞き返しました。

「木が何を考えてるかなんて判るわけ無いでしょう?

 でもね、

 そうやって蹴飛ばすのを見ると腹が立つんですっ」

そんな少年にわたくしはつい怒鳴り返してしまいますと、

遠くからわたくしの名前を呼ぶ声が響きました。

どうやら姿を消したわたくしをさがして使用人達が浜辺に降りてきたみたいです。

『ふーん、

 まぁいいや、

 なんかここには入ってはいけないそうだから、

 俺はスグに出て行くけど、

 あまり無茶をしてはだめだよ、

 君は泳ぎが下手なんだからさ」

その声に気がついた少年はそうわたくしに告げると、

浜辺を走り去っていったのです。

赤褌が引き締める彼の後姿を見送りながらも、

”泳ぎが下手”

ときっぱり言われたことへの屈辱感がひしひしと沸き起こり、

「くやしいぃ!!!、今に見ていなさぁいっ!」

わたくしの心に意地と闘志が湧き上がっていったのでした。



それから毎年、

わたくし一人であの浜辺に行くと、

アイツは忽然と赤褌姿でわたくしの前に現れ、

そして、わたくしはアイツに勝負を挑むのでした。

だけど、これまでの成果は12戦0勝12敗。

一度も勝てたことはありません。

無理なのは判っています。

アイツは人間ではありません。

物の怪?

妖怪?

良くはわかりませんが少なくとも人間でないことは確かです。

でも、わたくしはアイツを見ると無性に勝負をしたくなるのです。

何でかは判りませんが、

”1度でいいからアイツを打ち負かしたい。”

そんな気持ちがわたくしの心の中を怒涛のように荒れ狂い、

両親も呆れるほど水泳に打ち込み、

ついには中学、高校と水泳部に所属し、

大学ではお転婆もそろそろという父の考えもあって、

水泳部には入らず、

スイミングスクールのインストラクターをすることになったのです。



真夏の日差しが照りつけるプライベートビーチに一人、

わたくしはスイミングスクールの競泳水着姿で立ってました。

あの日から12年の月日が過ぎ、

小学生だったわたくしは大人になっています。

「今年こそは勝つっ!」

あの日のことを思い出しながら、

つい力拳を握っていますと

「また、来たんだ?」

とアイツの声が響きました。

「来たわねっ

 それに”また”ってなによっ

 ”また”って!」

イガグリを思わせる坊主頭に

日に焼け赤銅色の華奢な身体、

そして、その身体を引き締めるようにキリリと締められた赤褌が

12年前と何も変わっていません。

そんなアイツの姿を見ながら

少しホッとしながらもそう言い返しますと、

「よしっ、

 じゃぁ今年はあの岩まで競争だ」

とアイツは沖に浮かぶ瓢箪型の岩を指差しました。

勝負の方法はいつもアイツが指定してきます。

悔しいけど勝てない以上、これは仕方がありません。

「いいわよ、

 でも今年はわたくしの勝ちよ」

これまで以上に遠いゴール地点にわたくしは少し気後れをしながらも、

そう言いきると、

「ふんっ、

 どうせ僕の勝ちだけどね」

そんなわたくしの意気込みをあざ笑うかのようにアイツは頭の後ろに手を組み、

余裕の表情を見せます。

「なっ、

 勝負なんてやってみないと判らないでしょう。

 それに今年のわたくしは、

 去年よりもずーとパワーアップしているんですから」

そんなアイツに向かってわたくしは言い返しますと、

「判ったよ、

 そこまで言うのなら期待するよ」

ニヤッ

アイツは不敵な笑みを浮かべ、

バシャバシャバシャ!

っと先に海へと入って行ったのです。

「あっ待て…」

虚を突かれたわたくしも慌てながら海へと入り、

勝負のスタートとなりました。



ザバッザバッザバッ

遠浅と言えども岸から10mも離れれば足がつかなくなり、

わたくしは大きくうねりを見せる海原へと泳ぎだして行きます。

「見ていなさいっ、

 この1年の成果を…」

先を行くアイツの後頭部を見ながら、

わたくしはピッチをあげていきます。

それと同時にこれまでの勝負のことが脳裏を掠めていきます。

アイツに助けられた次の年、

あの浜辺でアイツと再会したわたくしはすかさず勝負を申し込みましたが、

でも、浮き輪持ちのわたくしが勝てるはずはなく、

押し返しの波と共に岸辺に運ばれて勝負終了。

次の年は、

屈辱を晴らさんと浮き輪無しでも泳げるようになったものの、

でも、岸から5m離れたところで不覚にも溺れてしまってアイツの勝ち。

次の年も、

また次の年も、

わたくしは黒星を重ねてきました。

そして、今度こそはという思いで練習に励んできたのです。

来年の春、大学を卒業すればわたくしも社会人。

アイツとここで勝負ができるかわかりません。

まさに今年はその集大成です。

「今年こそ、絶対に勝つ!」

瞳に炎を燃やしてわたくしはアイツを追いかけていきました。



その時です、

「あっ身体が軽い…」

これまでとは明らかに違うことにわたくしは気がついたのです。

そして、それを感じながら泳ぎ続けて行くと、

次第にアイツの姿が大きくなり、

ついに横一直線に並んだのです。

『!!』

泳ぎで追いついたわたくしをアイツはビックリしたような目で見ますが、

でも、勝負はこれから、

次第に迫ってくる瓢箪岩めがけてわたくしはスパートをかけました。

20m

10m

5m

2m

1m

トッ!

「やったぁ!

 一番乗り!」

アイツよりも先にゴールに着いたことに、

わたくしは飛び上がって喜んでいますと、

『あーぁ、ついに負けちゃったぁ』

とアイツの残念そうな声が響きます。

「ふんっ!」

その声にわたくしは得意満面に振り返ると、

アイツはわたくしの横に並んでいて、

ニコッ

っと笑顔を見せるのです。

「ふふんっ、

 どうよっ、

 ついに勝ったわよ」

鼻息荒くわたくしは言い返すと、

『うんっ、

 これで安心したよ』

とアイツはわたくしの顔を見ながらそう言い、

そして、

『ここでの僕の役目は終わりだ、

 この海は君のモノだよ、

 さぁ、これをあげるよ』

そう言いながらアイツは何かを差し出しました。

「なにこれ?」

言われるままそれを受け取りますと、

アイツがわたくしに渡したのはセパレートの水中眼鏡だったのです。

「水中眼鏡?

 なんで?」

小首を捻りながらわたくしはキョトンとしていますと、

『僕のところに奉納されたんだよ、

 海の事故がなくなりますようにってね』

そうアイツは説明します。

「それとどういう関係が?」

説明の意味がますます判らないでいますと、

『僕を追い抜いてここまで来たということは、

 君は泳ぎは大丈夫、

 溺れている人をドンドンと助けてあげてね』

そうアイツは言います。

すると、

ブチン!

いきなり来ていた水着の肩紐が切れてしまいますと、

シュルルル…

スイミングスクールの競泳水着は急速に小さくなり、

わたくしの股間を隠すだけの小さな存在へと変わって行きます。

「きゃっ、

 なっなに?

 これぇ!」

水着の突然の変化にわたくしは胸を股間を隠しながら悲鳴を上げてしまいますと、

『頼んだぞ、

 人間よ』

急にアイツの口から威厳に満ちた声が響き、

ミシッ!

見る見るアイツの身体を鱗が覆っていきます。

そして、アイツの身体が細長く伸びていきますが、

それに驚いている暇はありませんでした。

ドクンッ!

わたくしの心臓が大きく鼓動を始めますと、

ムリムリムリムリ!!!

身体が膨らみ始め、

ボコン!

ボコン!

っと手足が太くなっていきます。

もぅ何がなんだか判りません。

「え?

 えぇぇ?」

わたくしは何も出来ないまま体中の筋肉を盛り上げていくと、

グッググググググ!!!!

股間から生えてきた肉の棒が小さくなった競泳水着を押し上げ、

ギュゥゥゥゥ!!!

引っ張れれる水着はわたくしの股間を締め上げます。

「あぁぁぁっ」

長く伸ばしていた髪は抜け落ちると、

短髪の髪へと変わり、

わたくしの色白の肌は赤銅色に染まっていきます。

「あぁ、

 力が

 力が溢れてくる…」

身体の奥から湧き上がってくる力を感じますと、

ザブンッ!

わたくしの目の前に一枚のボードが浮き上がりました。

そうです。

わたくしは赤銅色の肌、

鍛え上げられた肉体、

そして、競泳パンツからはみ出しそうな巨大な肉棒を誇らしげに掲げる、

屈強のライフセーバーに変身してしまったのです。



『お前の願いはかなえた。

 ではさらばだ』

そういい残してアイツは光と共に消え去っていきました。

アイツはあの祠に祭られている神様だったのです。

「アイツ…

 竜神だったのか…」

空に上がっていく竜を見送りながらわたくしはそう呟きますが、

でも、いまのわたくしには怖いものはありません。

12年前のあの時のわたくしと同じ溺れている人を助けるのが

わたくしに課せられた仕事なのだから。



おわり