風祭文庫・乙女の館






「ラッシュ」

作・風祭玲

Vol.107





ピロロピロロン…

”まもなく8番線より川崎行きの電車が…”

「うわぁぁぁぁ…たったったっ」

発車ベルに急かされるようにして階段を下りると、

俺は扉の閉まり掛けた黄色い電車の中に飛び込んだ。

「ふぅ間にあったぁ…」

ジュン…

扉が閉まると、電車は何事もなく駅を発車した。

タタン…タタ…タタン…

これから次の乗り換え駅までの約30分この電車のお世話になる。

「ったくぅ…もぅ少しあの電車が早く着けばなぁ」

俺はダイヤの関係上毎朝繰り広げられる秒単位の乗り継ぎにややうんざりしていた。

しかし、乗り継ぎの多い俺の通勤の場合、

8分後の次の電車では勤務先の到着時に30分以上の差が出てしまい、

どうしてもこの電車に乗らなくてはならなかったのだ。

でも、乗ってしまえば次の乗換駅までの間に目の前のドアが開くのはたった1回。

あとは反対側ドアなので俺はドアに身体を預けると、MDのスイッチを入れた。


タタン…タタ…タタン…


タタン…タタ…タタン…


いつもと同じ景色が俺の目の前を通り過ぎていく。

やがて電車は4つ目の駅に到着した。

都心方面に向かう最初の私鉄線との乗換駅であるこの駅では、

車内の1/3の乗客が入れ替わる。

ザザザ

降車が終わると乗り換えの乗車客が乗ってきた。

「あっ、あの娘は…ちゃんときたな…」

俺はいつもこの駅から乗ってくる一人の女の子の姿を見つけるとホッとする。

よく手入れされた肩まで届く黒髪に紺地に緑のラインが入ったセーラー服を身につけた

彼女の存在に気がついたのはかれこれひと月前、

平均的な…よりワンランク上と言った感じの少女の発見に朝の憂鬱な気分は幾分和らいだ。


電車は少し走ると環状線との接続駅に到着した。

降りる客はあまりなく、

替わりにドドドっと大勢の利用客が乗り込んできた。

彼女も乗車してきた利用客に押し出されるようにして俺の横にやってくる。

中間テストが近いのか彼女もドアに身体を預けるとノートを開き目を通し始めた。

その駅を出ると、しばらくの間車内は安定した状態になる。

俺は相変わらず車窓を眺め、彼女は熱心に勉強をしている。


タタン…タタ…タタン…


タタン…タタ…タタン…


日の光が大きく車内を移動しつかの間彼女を照らした。

光を受け輝いている彼女の髪を見ていると、

「毎日自分の体をココまで手入れをして、

 尚かつ勉強とは…女の子ってぇのは、大変なものなんだなぁ…」

と俺はしみじみ思うと同時に、男で良かったとも思った。


プシュッ…

しかし、その車内のつかの間の安定もこの9つ目の駅で一気に崩壊する。

2番目の私鉄線との接続駅であるこの駅のドアが開くと。

ホームで待ちかまえていた大勢の利用客がなだれ込むようにして乗車してきた。

「ぐわぁぁぁぁぁ」

たちまち車内はすし詰め状態になり、

彼女もノートを閉じガマンを始めだした。

しかし、次の駅ではさらに乗車してきたために手を動かすことすら困難な状態になる。

そして、俺と彼女は乗客の圧力で完全な密着状態になっていた。

「次の駅で降りられる」

俺は下車駅が次の駅であることを励みにしてガマンする。


タタン…タタ…タタン…


タタン…タタ…タタン…


ようやく目的地の駅が見えた。

近づくホーム、進入する電車、

しかし…

ブレーキのタイミングを外したのか、いつもより速い速度。

「やば…このままじゃ…」

俺が危惧したとおり、

パシュン

慌てた運転士が非常制動を掛けたために電車はキーっと急停車した。

「わわわわわ……」

ザザザザザザザ…

案の定、車内は乗客達が雪崩状態になり俺も目の前が一瞬真っ暗になった。



プシュッ

何事もなかったようにドアが開くと、

俺は下車する利用客達に押し出されるようにしてホームに降り立った。

「まったく、乱暴な運転だな」

初老の男性が文句を言いながら階段を上っていく。

「はぁ、エライ目に遭った…」

ホーム上でホッとしていると、

ポンと肩を叩かれ、

「ユッキー、はよっ」

と見知らぬ女の子が声を掛けてきた。

「へ?、ゆっきー?」

俺は彼女が言っている意味が判らず、

また、なぜ彼女が俺に声を掛けてきたのか理解できなかった。

「やだ、どうしたの?」

唖然としている俺の様子に彼女は不審な表情をする。

「ホラッ、早く行かないと急行が来ちゃうよ」

彼女はそう言うと俺の手を引いて跨線橋の階段を上り始めた。

「え?、え?、え?…」

階段を上っていると足に風が当たる…

「なに?スカート…?」

その時、俺は自分がスカートを穿いていることに気づいた。

さらに、胸元を見ると紺に緑のラインが入ったセーラー服が目に入ってきた。

「セーラー服?、何時の間に俺はこんなのを着て居るんだ?」

事情を飲み込めないまま俺は、

「ほらっ、早く早く」

と目の前の少女に急かされ、私鉄に乗り換えた。



プシュー

丁度、ホームに入って来た急行に乗ると、

「はぁ、間に合って良かったねぇ」

と彼女は息を切らせながら俺に言う。

「うん…まぁ…」

「それにしても、

 さっきの電車の運転、乱暴だったわねぇ…ケガしなかった?」

「うん…まぁ…」

「やだ…どうしたのよっ、頭でもぶつけた?」

俺の素っ気ない返事に、彼女は俺の顔をしみじみと眺めながら言う。

「ユッキーっ瘤が出来ているわよ」

「え?」

「ホラ…」

そう言って彼女は鞄から鏡を出すと俺に見せた。

なっ…

鏡に映った俺の顔はあの少女のモノだった。

「これは…」

俺は驚きながら鏡の中の自分の顔を見つめた。

「どうなってんだ?

 俺は…

 あれ?、俺ってだれだっけ…

 え?…えっと、俺…じゃなかった…あたし?…

 あたし?、そう、あたしで良いんだよねぇ…

 あたしは………

 あたしは……
 
 あたしは…」

ポン

ビクッ

突然肩を叩かれたあたしは思わずハッとした。

と同時にあたしの心覆っていた何かが弾けた。

「ホント、どうしちゃったの?」

紀子は心配そうな顔をしてあたしを見つめていた。

「え?、ううん、大丈夫っ、ちょっと頭をぶつけちゃったから」

「そっそう…、ユッキーがそう言うなら良いんだけど」

「あ〜ぁ、大きな瘤っ」

あたしは鏡を見ながらそう言った。

あたしの名前は大島由紀子…家族は両親に妹が一人居る…学校は…

そう、それで良いんだよねっ…

でも…なんか違うようなそんな気がする。




ps、アナタの記憶は大丈夫ですか?



おわり