(3)珊瑚海海戦

試行錯誤の対空母戦

兵力 経過 結果
 昭和17年5月、南半球のオーストラリア近辺の珊瑚海と呼ばれている場所で、史上発の空母対空母の戦闘が行われた。これは日本にとって初めてではなく、アメリカにとっても初めてだし、世界史上初の空母対空母の戦闘であった。第一次世界大戦の時は、空母は主力ではなかった為に対戦する事はなかったし、第二次世界対戦でのヨーロッパでは空中戦はあっても、空母対空母の対戦はなかった。ドイツ海軍がUボートは有名だが、空母を保持していなかったからである。つまり、まったく前例がない、何を根拠にして戦っていいかが分からない対戦であった。お互いの司令官の手探りの様子が目に浮かぶようである。
(3−1)策敵
 対空母戦は試行錯誤の連続であった。普通の海戦であれば、目に見える敵を相手にするが、対空母戦だと、未知なる敵との戦い、どこから来るか分からない敵との戦いになる。レーダーがあればそんな事をする必要はないが、当時まだレーダーの信頼度は低く、日米両国ともに実戦配備までは従っていなかった。従って重要なのは、いかに早く敵を見つけるかになる。そうなると日米共に、偵察機による探り合いから始まる。そして早く見つけた方が有利になる事は言うまでもない。昭和17年(1942年)5月6日、3日に占領したばかりのツラギ島の偵察機が、米空母を発見したが、南方約740キロの地点と遠かった為、ラバウル基地からの攻撃はできなかった。その情報を聞いた日本機動部隊は、その時にソロモン諸島の東に位置していたが、直ちに南下し、米機動部隊を策敵したが結局見つからず、翌7日には早朝から策敵を開始した結果、米空母らしきものを発見、直ちに戦闘機を発進させたまでは良かったが、予想地点まで行くと空母らしき船はなかった。が、輸送船団を発見し攻撃をした。後で分かった事であるが、油槽船と空母を間違えて報告してしまったらしい。
(3−2)対空母戦
 試行錯誤はまだまだ続く。同日の午後、米機動部隊も探して尚も西進した日本機動部隊は、艦上爆撃機12機、艦上攻撃機15機からなる策敵攻撃隊(敵部隊を探して、発見次第攻撃する)を発進させたが、艦上攻撃機の方は断雲の中から突然現れた米戦闘機隊の攻撃を受けて半数を失い、仕方が無くそのまま帰還し、爆撃機の方は米機動部隊を見つけられない為、燃料節約の為に爆弾を投下して帰還しようとした時に、偶然にも米機動部隊を発見してしまった。当然攻撃する方法などなく、上空からただ眺めるだけだった。そればかりではなく、それを日本の機動部隊を勘違いして、米空母に着艦しようとしたのである。もちろん途中で間違いに気づいた為に特に問題はなかったが、対空母戦の戦い方が全く分からない為の出来事だったのは言うまでもない。