(11)レイテ沖海戦

囮作戦は成功したのか?

シブヤン海海戦 兵力 経過 結果
スリガオ海峡海戦 兵力 経過 結果
エンガノ岬沖海戦 兵力 経過 結果
サマール島沖海戦 兵力 経過 結果
(11−1)ダイミング
 フィリピンのレイテ島に上陸を開始した米軍に対して日本が考えた作戦は、ハルゼー率いる米機動部隊を小沢機動部隊がフィリピンの北上に引きつけ、西村、志摩、栗田艦隊がレイテ島に突入して上陸している米軍に砲撃をかける事であった。しかし、既にフィリピンの制空権は奪われていて、且つ、西村、志摩、栗田艦隊はフィリピン基地の護衛機以外の援護は期待できない。つまり丸裸状態であった。従って米機動部隊が北上した隙に、丸裸の艦隊が砲撃するといった、かなり無理がある作戦となった。そしてこのレイテ沖海戦での最大の謎とされているのが、小沢機動部隊に囮に引っかかった米機動部隊が北上し、栗田艦隊がレイテ湾に突入寸前に反転した事であった。ここで突入して上陸している米軍を撃滅できれば、ここで日本に有利な和平ができるかもしれない。当時の日本の指導者はこういう戦争の終わらせ方を考えていたのであるが、反転した事によって戦争集結のタイミングが失われた事になった。
(11−2)反転理由
 ではなぜ栗田艦隊は引き返したのか?。
 いろいろと理由があるようだが、栗田司令官自身の問題であると言う。つまり臆病者で艦隊の損害が出る事を嫌がったとか、たかが上陸部隊を、戦艦が攻撃するのは邪道だと思ったとかである。どこまでが真実かは分からないが、大事なのはこの無茶な作戦の目的である。つまり始めからレイテ湾の上陸している部隊を砲撃する事であれば、明らかに栗田中将にミスなのであるが、実際はそうではなかったのである。栗田艦隊の第一目標はレイテ湾に突入して敵海上兵力、次に敵攻略部隊の攻撃となっていた。従って栗田艦隊は、敵海上兵力を攻撃する為に、レイテ湾寸前で反転したのである。しかし、レイテ湾に突入してとあるから、栗田中将のミスの可能性もあるが、まず海上兵力を攻撃する事を考えたのだから、決してミスとは言えないだろう。
(11−3)戦況
 作戦の推移は以下の通りである。
 昭和十九年十月二十二日 栗田、西村艦隊はブルネイを出発。西村艦隊と分離後の二十三日に米潜水艦の魚雷によって、重巡洋艦「愛宕」と「摩耶」が沈没。「高雄」が作戦続行不可能となり戦線を離脱。
 二十四日 (シブヤン海海戦)フィリピン中部のシブヤン海で1030〜1530まで五次にわたって米機動部隊(ハルゼー部隊)の艦載機による攻撃を受けて、戦艦「武蔵」が航行不能。後に沈没。他数隻が損傷を負った。
 この日の午前に、フィリピン北方に進出した小沢機動部隊は、米機動部隊に攻撃を開始した。が、たいした成果も上げすに台湾の基地に着陸した。当時の搭乗員では、空母に着艦する事ができない為であった。
 二十五日早朝 (スリガオ海峡海戦)西村艦隊は、レイテ湾の南方のスリガオ海峡で、戦艦五隻を含む米艦隊と交戦。戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦三隻が沈没。残りは駆逐艦一隻となり全滅。
 志摩艦隊もスリガオ海峡にて米艦隊と交戦。敗走。
 同日早朝 (サマール島沖海戦)栗田艦隊はサマール島沖で米空母部隊と遭遇して交戦。護衛空母一隻と駆逐艦四隻を撃沈。護衛空母四隻を撃破したが、重巡洋艦「鈴谷」が撃沈。同「鳥海」「筑摩」「熊野」が大破。
 同日早朝 (エンガノ岬沖海戦)ハルゼー機動部隊を北方に引きつけた小沢機動部隊が攻撃され、空母「瑞鶴」「瑞鳳」「千歳」「千代田」、軽巡洋艦「多摩」、駆逐艦二隻が沈没。他の艦船も損害を受けて退却。
 同日午後にレイテ湾に上陸部隊を発見(偵察機より)したが、付近にいると思われた米機動部隊を追って北へ進路を取る。(これが問題の反転)が、発見できずに撤退する。
 栗田艦隊が何の機動部隊を追って北へ向かったかは不明である。確かな事は、サマール沖で交戦した米空母部隊は栗田艦隊から南方に逃げたので違う。つまり、小沢機動部隊を攻撃したハルゼー機動部隊があると勘違いしたのかもしれない。しかし、ハルゼーの部隊は小沢機動部隊を追って北方にいたから、間違いだった事になる。こうしてレイテ沖海戦は終わり、連合艦隊は全滅する事になってしまった。
(11−4)材料
 この事からも栗田艦隊は決して反転したのではなく、米空母部隊を追っていっただけだったのである。しかしハルゼー機動部隊は遙か北方にいたのだから、この情報がどこから入ったにかは不明である。一説には、小沢機動部隊がハルゼー機動部隊を引きつけたとの報告が栗田艦隊に届かなかったからとあるが、一説には届いていたともある。どちらが正確かは分からないが、ここで確かな事は、栗田艦隊がそれを判断する材料、つまり偵察する部隊をまったく持っていなかった。従ってどの情報を信じていいのか分からない状況であったのである。これでは仕方がない事ではないだろうか?。そして、数々の戦闘によって栗田艦隊は壊滅に近い状況であり、もしレイテ湾に突入して上陸部隊に砲撃したとしても、どの位の成果が期待できたかは不明である。そして砲撃していたら、栗田艦隊は全滅したであろう事は容易に想像できる。従って、栗田艦隊がなぜ反転したのかはあまりこの海戦では関係ないように思う。問題は囮になった小沢機動部隊である。
(11−5)囮作戦
 小沢機動部隊はハルゼー機動部隊を北方に引き寄せたまでは良かったのだが、栗田艦隊がレイテ湾に突入しない限りは囮は成功したと言えない。しかし、軍事評論家等は、栗田艦隊が突入していないから、囮は成功したのに作戦は失敗したと言っている。ここで忘れてはいけないのが、ハルゼー機動部隊は二十四日に栗田艦隊を攻撃しているのである。ここで栗田艦隊に空母がない事は確認できた筈である。従って北方に小沢機動部隊が発見されれば、栗田艦隊よりまず、空母がある小沢機動部隊を攻撃するに決まっている。従って囮は成功したのではなく、ハルゼー機動部隊は当然の行動を取っただけの事なのである。そして、栗田艦隊は小沢機動部隊を攻撃した米空母部隊が、二十四日に攻撃を受けた部隊だという情報は持っていない。従って、近辺に空母部隊がいると考えるのが普通の行動ではないだろうか。つまり小沢機動部隊が米機動部隊を引きつけたとの情報を入手していたとしても、それとは違う空母部隊があると判断してもおかしくない。そしてその部隊を追って反転したとしても、特に問題のない行動と言える。従って囮は失敗していたのである。もし成功であれば、周りに空母部隊が完全にいないと確認されなければならないのである。そうすれば、栗田艦隊は迷う事なくレイテに突入する筈である。しかし、付近に米空母部隊がいるかもしれない状況では、レイテ突入は難しかったのであろう。
(11−6)悲劇への道
 元々この作戦が無茶苦茶なのである。それを言ってしまったら元も子もないが、二十四日に栗田艦隊は攻撃された時点で失敗なのである。それに米空母部隊が一つだけ(つまりハルゼーの部隊だけ)と判断する材料など一つもないし、どの部隊がどの部隊を攻撃したと等の情報は全くなかったのである。従って、囮作戦は成功したが、ではなく、囮作戦は失敗だったから、栗田艦隊は反転したというのが正しい考え方ではないだろうか?。それにしても日本の指導者達の判断は鈍かった。当初はフィリピンでアメリカに一撃を加えて和平をと考えていたが、その夢が叶わないとなると和平への道が完全に閉ざされてしまったのである。そしてこの戦いの後の日本は、まさに悲劇の道へと突き進む事になる。