(5−4)南太平洋海戦

日本海軍最後の勝利

兵力 経過 結果
 この海戦後、対日宣伝のラジオ放送が「この日ほど悲惨な海軍記念日を迎えたことはアメリカ海軍創設以来初めてのことである」と伝えた。このコメントでも分かる通り、この海戦はアメリカ中心の連合国軍は負けたのである。そして結果的には日本海軍の最後の勝利になってしまった。が、この勝利はミッドウェイ海戦の敗退の穴を埋めて余りある勝利であった事はあまり知られていない。
(5−4−1)敗戦の将軍
 ミッドウェイ海戦の敗退の後、その責任論は海軍内に噴出したが、すべて山本五十六連合艦隊司令長官の預かりとなり、結局そのままになってしまった。機動部隊の司令長官の南雲中将のままで、この海戦はミッドウェイの汚名挽回の機会となった。そこでミッドウェイの敗戦の理由を細かく分析し、この南太平洋海戦に備えた事はあまり知られてしない。そして結果を出した。見事にミッドウェイの借りを返したのだ。そして南雲中将はこれで退任し後任者に譲る事になる。これはミッドウェイでの責任を取った訳ではなく定期人事だった。
(5−4−2)対策その壱
 ではミッドウェイとどこを変えたのか?。ミッドウェイ海戦の時、空母を中心とした機動部隊を前衛に位置し、戦艦大和を中心とした本隊は遙か後方にいた。そして無線の調子が悪かった影響もあり本隊と前衛の連絡ができず、バラバラに行動せざるを得ない状況になってしまった。そして機動部隊は集中攻撃を受け、しかも後方の本隊は全く何もできずに、ただ空母四隻が沈没する報告を受けるしかなかった。これでは後方の部隊は全く意味がない事になる。それを反省し、前衛に戦艦比叡、霧島を中心とする部隊を置き、空母翔鶴、瑞鶴を中心とした機動部隊を後方に置き戦力を分散させた。これで機動部隊への集中攻撃を防ぐ事ができ、且つ、二つの部隊から偵察ができる事になり、早期に敵空母を発見する事が可能になった。ミッドウェイ海戦での敵空母発見が遅れた原因を分析し、且つ攻撃された場合に備えての部隊配置であった。
(5−4−3)対策その弐
 そしてミッドウェイで経験した「不意打ち」に対する準備も万全であった。第一次攻撃隊発進後、第二次攻撃隊用の戦闘機には爆弾や魚雷を搭載していなかった。「不意打ち」された時に備え、すぐにでも発進できる準備をしていたのだ。そして攻撃された時に戦闘機に搭載してある爆弾や魚雷の誘発を防ぐ目的もあった。ミッドウェイではこれで痛い目に会っているので、それを反省しての作戦であった。その変わり発進準備に時間がかかり、敵発見からやや遅れて発進する事になってしまったが、今まで「防御」に関しては全くの無策だった日本海軍にしてみれば、かなり「防御」を考えた作戦である。こうした対策の元でこの海戦に望んだのである。