「その時、歴史は動いた」批評
姉川の戦い
〜肉を切らせて骨を断つ、織田信長・捨て身の復讐戦
| (3)過剰な宣伝 さて、いよいよ決戦になる。この姉川の戦いは、歴史上では徳川軍が一部の部隊を迂回させ、朝倉軍の側面を突いた事が勝利の原因とされている。織田軍はほとんど本陣寸前まで攻め込まれたが、徳川軍の奮起をおかげで勝利したと。従って織田軍は弱く、徳川軍は強かった事になっているが事実は違うらしい。徳川軍の活躍が書かれている文献はほとんど江戸時代、つまり徳川が天下を獲った後に作られた話であり、徳川軍を過剰に宣伝する必要があったからだと思われる。わざわざ三河からやって来て、何も活躍しなかったでは困るからである。それに家康にとってはこの姉川の戦いはデビュー戦でもある。今までは今川の部下として戦ってきた家康も、桶狭間の後は独立し、ひたすら三河統一で一揆を戦っていた。このように戦国武将同士の、しかも歴史の残るような合戦は初めてなので、過剰に宣伝する必要があったのである。その証拠に「信長公記」にはこの事はまったく書かれてなく、番組の中では徳川軍が先陣を切った事になっていたが、「信長公記」は浅井・朝倉軍が攻撃を仕掛けた事になっている。事実は分からないが、信憑性から言って「信長公記」の方を信じる方が妥当であろう。 |
番組に中では、横山城に残っていた織田軍前衛部隊が浅井軍の側面を突いた事になっている。信長は浅井軍をなるべく引き付け、浅井軍が戦線が伸びきった所で前衛部隊が側面を突く。タイトルにあるように「肉を切って骨を断つ」とは、たぶんこの事を言っているのであろう。が、少し考えればこれはおかしい。横山城を包囲していた軍勢が浅井軍に向けて進撃したとなると、横山城から背を向ける形になる。となれば、横山城の軍勢が後ろから追撃する事が可能となり、番組の中での織田軍前衛部隊は、前方に浅井軍、後方に横山城の軍勢となり包囲される形になってしまう。こんな危険な事をするはずがない。それに浅井軍が優勢となれば、横山城から追撃がある事は必死で、織田軍にとっては危険な状態。そうなれば総崩れになる恐れさえある。こんな事は考えられない。番組の中では織田軍は13段のうち11段まで破られている。が、川幅がそれほど広くない現地では、こんな状況になった段階で総崩れ、肉を切るのも勝手だが、これでは自滅である。これに似たような事はあったかもしれない。が、現実的に考えて、なかなか考えにくい事であろう。 |
単純に考えて、番組の中では織田・徳川軍2万5千、浅井・朝倉軍は1万3千、倍近い軍勢を前に、浅井・朝倉軍はどう戦えば良いか迷っていたに違いない。それは信長も分かっているから、ここは戦いにはならないと思ったに違いない。戦っても負ける。無理に戦う必要はない。「信長公記」には、浅井は撤退するだろうと書かれているから、戦わずして勝てると思っていたのだろう。ところが合戦になった。「信長公記」だと浅井・朝倉軍から攻めてきたとある。数ではとても勝てないと知りつつも戦いを挑むのは無理があるが、織田・徳川軍は数で勝っているので無理をする必要がない。従って徳川軍から攻める必要がないのである。もし撤退して降伏してくれれば、一兵も失う事なく勝てるのである。浅井・朝倉軍はもうここしかないと考えたのであろう。ここで戦い、そして勝たなければ後がない。だから攻めた。負けても仕方がない状況で攻めなければならなかった浅井・朝倉軍は必死だったろうが、数で勝る織田・徳川軍に勝てる訳がなかった。従って浅井・朝倉軍が攻めてきた段階で、信長の勝利は決まったようなものである。これは長篠の戦いと同じで、いかに浅井・朝倉軍を誘い出すかの勝負だった。迂回したのか側面攻撃したのか知らないが、数で勝る織田・徳川軍が浅井・朝倉軍を圧倒した、と考える方が良いように思う。 |