
詳細な記録が手元に無い為、記憶をたどる。
夏山合宿の剱岳への入山計画として細径氏が立案し、そのパートナーとして私が登場した。
当時は私自身あまり興味が無かった。以前にこの壁を見た事はあったが、その時はまさか私がこの壁を登るという事
等、考えもしなかった。
この壁を登るという事で鈴鹿(御在所岳)で数回はトレーニングをした記憶がある。
概要(岸壁)は12〜13個のオーバーハングがあり、最後のハングは5〜6mの庇(オーバーハング)である事は知っていた。
第1日目は黒部川にてビバーク、翌朝黒部川をと渡渉し、取り付く。トップを後交代で登り、最後のオーバーハングの下で第2日のビバークをした。満天の星・・・・・・・いやあまりにも少ない空(岸壁で半分)には星が出ていた様に思う。
最後のオーバーハングは先輩の細径氏が難なく越す、後はブッシュ混じりの岩を這いずり登る、水が無くなり、なんとか体温を下げようと思い、岩陰の苔を肌に付ける・・・・・・・ようやく頂上付近に着き、3日目のビバークである。頂上付近の缶詰の空き缶に溜まり水を飲み、一夜を過ごす。
翌朝、元気に下山、余裕が出た所でたばこが無いのに気づき、二人で吸いたいなあと、道路を歩いていると2本の新しいハイライトが落ちていた
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| 関西電力のトロッコ電車 | 西壁核心部 |
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| 奥鐘山西壁をバックに二人で(合成写真) | 関西電力発電所 | 仙人池にて |
| 四方山荘 -出会い(1975年夏山合宿にて)- 久保田 修子 |
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昭和50年の夏山合宿は、7月27日から始まった。
入会してから二回目の夏山合宿だ。昨年の夏、ガスで所々を隠し全貌を見せなかった剱岳には初めて見たということもあり、不気味な感じさえ抱いたが、今年はどんなふうに見えるやら。昨年はCフェースをやっと登らせてもらったが、今年はV級の岩場をできるだけたくさん登らせてもらおう。等々、胸をワクワクさせながら合宿を心待ちに待った。合宿前、登攀したいルートとしてB,Cフェースとチンネ中央チムニーをUリーダーに提出した。
いよいよ最初の登攀日が来た。パートナーは、合宿4日目に奥鐘山から入山したM先輩だ。31日、晴れ、6時出発。トレーニング不足のせいか長次郎の登りがきつい。最初Bフェースに取り付き、苦労しながらどうにか登り切り、やれやれこれで一休みできるとホッとし、思わず先に登攀終了したS先輩にニッコリ笑った途端、「さあ、モタモタするなAフェースに行くぞ」と言われ思いがけない言葉にグズグズしていると、「この位で休んでいられないぞ!」と再度どやされ、渋々後に続く。だがAフェースの取り付き近くに来ると、先輩もさすがに空腹になったのか「昼食を食べていこう」と言いだしたので待望の水を飲む。
Aヘェースには中大ルートと魚高ルートがある。中大ルートはW級で魚高ルートはV級である。無論、私の程度に合わせて魚高ルートを登ると思っていたら、フェースを眺めていたM先輩は、急に「ウム、中大ルートの方がおもしろそうだな」と言い出しました。どんなにおもしろいのかはわからないまま、「はあ」と答える。
11時30分登攀開始。ルート図に書いてあるように登るに従い傾斜がきつくなり、苦労してテラスにたどり着く。2ピッチ目にはいると先輩が今までのスピードに比べ、ゆっくりと進んでいるような気がし、難しくなってきたのではないかと心配したが、案の定「完了」の声で登り始めると、進むに従いホールドが細かくなり、クラックの所に来るとどうにもホールドが取れない。どう見ても、考えても今までトレーニングしてきた程度以上のものである。どう眺めても無理である。それも一箇所ではなくかなり続いている。「V級とW級ではこんなに違うものか」と今更ながら唖然とする。無理だと思う気持ちと何としても登らなくてはならないのだという気持ちが、まったく拮抗して一寸も身動きできない。。いつもは気になる日焼けのことも頭になく、ジリジリと太陽に焼かれるまま目前のホールドを見詰める。「さあ、覚悟を決めて登ってこいよ!」「ダメです。どうしてもホールドがとれません」、「ガンバッテ登れ!」「もう少し考えさせて下さい」、と押し問答が続いた。気の長いM先輩もさすがに業を煮やしたのか、「何でもいいから登ってこい!」と怒鳴り、泣きたい思いで登る。
2メートル位登ったところで、レイバックを必要とするクラックがあり、かなり疲労が強いため今度こそ本当にこれ以上は無理だ、と思った。それに今いるホールドも危なく、静止しているだけで疲労してくる。「一気に腕力で登るんだ」、「とても登れません」と涙声になる。腕力が少しづつ失われていく恐ろしい感じの中で、「何でこんな事をしているんだろう?もうどんな事があっても一生岩登りなんかやらないぞ」と心の中で泣きながら言いつづけて、ふっと「あれ!そういえばこんな事を前にも言ったっけ」と思った。
私の記憶からは、彼女との押し問答の中に「ここから下ろして下さい」という言葉を聞いた記憶が有ります。私が彼女の所まで下り、そのことも考えましたがここで止めたら、今の言葉で言えば「意味ナイジャン」ということで、彼女が登ってきたら美味しい食べ物を食べようとか、色々となだめすかした記憶はあります。そして当時本当に彼女の胸(セフティベルト)は大丈夫かな?と思うほど引きづり上げた記憶がある。