月報「ANBAYO」から


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| 剱沢三田平から本峰を望む | 早朝、登挙に向かう岳友 |
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| 一ノ壁全景 | 一ノ壁の練習風景右上方は中尾根バットレス |
−第8回冬山トレーニング−
三 本 健 一
期 間 12月22日
メンバー L.小川義夫,清水浩和,佐藤利男,光岡 誠,服部 勇,永井章,三本健一
朝起きると雨が降っていた。てっきりチンデンと思い雑談していると、小川さんの「登るか!」という声がかかり、しぶしぶテントを出た。
全装備の入ったキスリングを背負って、前尾根を登る。途中から雨は雪に変わり、風も強く、冬の北尾根はこんなにきびしいものか、と思いながら登った。
ヤグラのコルから前壁ルンゼを下り、藤内沢の出合いでラーメンを作る。そして、小川さんから今年の冬山トレーニングで感じたことを書けと言われて、最初のトレーニングの時のことを思い出した。

W−8.木曽駒ケ岳(個人登山より)
三 本 健 一
4月19日〜20日

上松の駅で一人の女性が話しかけてきて、登山口まで同行した。上松の小学校の教師をしているとのことだが、容貌・言葉使いと、何か品格があり、楽しい一時であった。
目をさますと快晴。七合目でアイゼンを着ける。前岳付近は雪がくさっていた。玉の窪から本峰への登りは少々バテ気味で、トレーニング不足による体力の減退を感じた。
20日は、6時に宮田小屋を出発し、中岳に向かう。しかし、中岳から宝剣岳への登りを見ると不安感をおぼえ、時間的には余裕があったが、下山と決めた。
W−9.御在所岳
三 本 健 一
5月2日
北谷小屋に泊まることにしたが、ゴールデンウィークだけあって、小屋は私一人きりであった。翌2日、後尾根を登り祖父江を待っていたが、予定の時間が過ぎてもやってこない為、御在所岳から鎌ケ岳へ向かった。鎌ケ岳で昼食をすまし、長石谷から湯の山に下山。
W−10.石鎚山
三 本 健 一
5月15〜16日
15日西の川(8.00)−常住(12.00)−瓶ケ森(12.30〜14.30)-シラザ峠(15.30)-土小屋幕営地(17.00)
少し躊躇したが、会社の慰安旅行にキスリングを背負って参加することにした。

淡路島の福良でみんなと分かれて、伊予西条でバスに乗り換え、西の川へのデコボコ道を沢沿いに登った。西の川に17時過ぎに到着、ここで一泊することにした。
15日、西の川から林道をたどり、鉱山跡の赤茶けた沢を少し登ったところから登山道にはいった。蒸し暑い中、急な登山道を常住まで登り、早い昼食を済ませて、瓶ケ森に向かう。深い原生林をぬけ出る頃からガスも晴れ、熊笹の二千石ケ原に出た。
瓶ケ森をあとにして、子持権現の岩場を右上に見ながらシラザ峠へと向かう。この頃から再びガスが濃くなった。石鎚スカイラインの延長となる林道を歩いて土小屋へ。ここも昔の面影はなく、舗装され道路脇にホテルが二軒と国民宿舎が建っていた。
16日土小屋発(8.00)-石鎚山(10.30〜13.00)-面河(16.00)
快晴の日曜日だけに、スカイラインの利用者は多い。天狗岳北壁には、2〜3のパーティが取り付いていた。
陽気に歌を口ずさみながら石鎚山頂上へ。頂上近くの沢にはまで雪が残っており、関西の最高峰の威厳を示していた。頂上で昼食を済ませ、面河道を下った。
W−11.北鎌尾根から西穂高岳(冬山合宿)
祖父江 克己
期 間 12月26日〜1月4日
メンバー CL・木村 博、SL・永井勝実、佐藤利男、光岡 誠、三本健一、祖父江克己。
12月26日 雨
タイム 名古屋(25日、23.35)=大町(4.34)=七倉(5.30)
心配していたとおり、大町でも小雨であった。長期間の計画であるため、できるだけ装備は濡らしたくないと思い、雨が上がることを祈ってマイクロバスに乗り込んだ。
しかし、雨は無情にもやむ気配はなく、合宿第一日には七倉荘の横に放置されたトロッコの中でのチンデンとなってしまった。
12月27日 曇り後霙
タイム 七倉(5.00)−発電所用小屋(8.30〜12.00)−千天の出合い幕営地(16.00)
夜明け前に七倉を出発。かつてのトロッコ用軌道道はなく、高瀬川右岸に作られた自動車道路を進む。発電所にさしかかる頃から降りだした小雪が、雨に変わってきたので道路の横の小屋に入って天候の回復を待った。
4時間ほどすると、やっと小雨が雪に変わってきた。待ちかねたように外に飛び出し、歩きはじめた。しかし、再び湯俣をすぎる頃から雨まじりとなり、全身ビショ濡れになって千天の出合いに着く。
12月28日 晴れ
タイム 千天出合い(8.00)−P2(10.50)−P5(15.00)
全ての物が昨日の雨で濡れてしまい、出発があやぶまれたが、思いがけぬ晴天に気を良くして出発した。
千天の出合いから20分ほど天上沢をつめ、北鎌尾根に取り付いた。まずP2への急登ではじまり、フィックスを利用してぐんぐん高度を稼ぐ。
稜線に出ると、予想していたよりも雪が少なく、P5まで足をのばしてテントを張った。
12月26日 晴れ
タイム P5発(6.30)−独標基部(14.00)−独標の頭(16.00)−幕営地(16.20)
今日は、北鎌尾根のキーポイントである独標の通過である。我々と前後していた数パーティがいっせいに取り付いた為、独標基部はゲレンデ並の混雑となった。
まず基部を千丈側に20メートルトラバースし、凹角から取り付いた。凹角を登り雪壁を左にトラバースして岩稜に出る。ここからさらに40メートル急な雪稜を登ると、独標の頭に出た。
まず第一関門を突破、頭から少し下ったコルにテントを張った。
12月30日 風雪
タイム 幕営地(7.00)−大槍基部(12.00)−槍ケ岳小屋(15.00)
テントから顔を出すと、西の空から黒い雲が押し寄せてくるのが見えた。悪天候となる気配であった。早々に出発準備を整え、できるだけ足をのばすことにする。
しかし、歩きはじめるとすぐにガスで視界が悪くなり、やがて雪が激しく顔面に吹き付けてくるようになった。
北鎌平を通過し、大槍の登りにかかる頃には、風雪はますます激しくなり冬山の厳しさ・恐ろしさが肌に感じられた。大槍の下りでは、下から吹き上げる風と雪で目もあけられず、フィックスを用いて慎重に下り、冬季小屋にころがり込んだ。
やはり小屋の中は暖かく、生き返った感じがした。
12月31日 晴れ
タイム 槍ケ岳冬季小屋(7.15)−北穂高岳(14.45)
風は依然として強いが、視界は良くなっているため、行動を開始する。
中岳を通過する頃から青空も見えるようになり、キレットを下る頃には5月のような天気になってきた。
北穂高への登りにかかる少し手前で背負子がこわれ、これ以上進むことはできないと思ったが、あまりにも天気が良いので応急処置をして頂上まで進んだ。

1月1日 風雪
風雪のため停滞。手製のトランプで終日ポーカーを楽しむ。
この日、トランシーバーの交信により、屏風岩から前穂高東壁を登る影山パーティは北尾根三、四のコル、西穂の加藤パーティは稜線直下で、頂上までもう少しということであった。

1月2日 風雪
風雪の中を奥穂高へと向かう。滝谷第四尾根を登攀した小川パーティと8時に合流することができ、同一行動をとることになった。
奥穂の頂上を通過、ロバの耳で奥穂をアタックする後藤、永井(章)、西野、斉藤と出会う。ロバの耳の通過には、状態が悪くかなり手間取った。しかし、ジャンダルムは岳沢側をトラバースして、なんなく通過した。
強風に追い立てられるようにして天狗のコルに下り、すぐにテントを張った。テントを張り終える頃、奥穂のアタックを終えた後藤パーティがコルに下ってきた。彼らは休む間もなく悪天候をついて、西穂のテントまで帰らなければならない。
1月3日 晴れ
相変わらず強風が吹き、今日はチンデンかと思っていたが、テントから顔を出すと快晴である。あわててテントをたたみ、西穂へ向かう。
ここまでもう悪いところはなく、快調に進む。西穂山頂は多くの登山者で賑わっていた。ここで、、加藤パーティは西穂山荘へ向かったということを聞き、すぐに後を追った。
快晴の空の下、穂高の大パロラマを見、念願の北穂から西穂縦走をなしとげた満足感にひたりながらの下山である。西穂山荘の少し手前で加藤パーティの出迎えをうけ、共に上高地へと下った。
途中、木村小屋に電話をして、前穂の影山パーティも下山したことを確認、坂巻温泉まで足をのばした。
W−12.木曽駒滑川
小川 義夫
期 間 10月330日
メンバー 小川義夫、佐藤利男、三本健一、後藤昭男、小川正行
10月2日 名古屋(18:32)=上松(22:05)−三の沢出合(3日,1:30)
紅葉の滑川で集中登山をやろうということだったが、2パーティのみの寂しい集中登山だった。
滑川の河原で焚火を囲み、月を仰いで酒を酌み交わし、しばし時を忘れて過ごした。

特集・1974年5月の記録
穂高岳涸沢定着
木村 博
期 間 5月1日〜5月6日
メンバー L.木村 博 、三本 健一、佐藤利男、渋谷多万明、日露潤二、度会通夫、萬 泰子、佐藤みどり、
島田篤男、村橋嘉一郎、伊藤恵子。
5月1日 曇りのち雨
タイム 名古屋(30日、23.45)=上高地(6.00)−横尾(11.30)涸沢(15.00)
まだ明けやらぬ松本駅に着いた。夜行であまり眠れず、気分がすっきりとしない。重いキスリングを背負って
いると、頭がボーとしてきて足がふらつく。眠気が醒めるに従って寒さが身にしみる。
新島々よりバスで上高地へ入り、バスターミナルで簡単な朝食を済ませて、いよいよ涸沢に向けて出発した。
ターミナルに着いた頃より降り始めた雨が少し激しくなってきた。
5月の上高地、岳沢、小梨平のキャンプ場を見ながら、雨の中を歩くが、まだこのあたりは、春を迎えて間もな
い様子だ。明神にて休憩。ここには、こんな天気にもかかわらず、なんとハイカーの多いことか・・・・・・・。ここは、
いつまでも山里の聖地であってほしい。
明神岳を左手に、あえぎながら徳沢に向かう。雨はまだ止まず、定着の5日間が心配になってきた。徳沢に着
くと、とたんに大粒の雨が激しく降り出したので、全員ブナの大木の根本に寄り、雨をしのいだ。カッパを着て徳
沢を出発したが、雨で筋肉が冷え、足を吊る者が出たので、リーダーと2名を残して、他の者は横尾へと向かっ
た。
横尾で昼食の後、天候が回復に向かう中を涸沢に向けて出発。出会いに着く手前から残雪が現れた。故障者
の続出で、涸沢に着く頃には、パーティーはバラバラで全員がそろった頃には、陽が沈みかけていた。晩餐の
ウイスキーとシシャモの味は格別で、今日一日の反省をして消灯となった。(日露)