第69回

有事法制審議と「ザカライアス放送」   (2002・4・27記)

 

 戦後初めて法体系化された有事法制関連3法案は2002年4月16日夜の臨時閣議で閣議決定され、4月26日の衆議院本会議で提案趣旨説明が行われた。この法案をめぐって国論は二分されている。朝日新聞朝刊(4・17)の社会面では漫画家の弘兼憲史氏が賛成の立場から「備えは当然 難問から逃げるな」と述べ、作家の辺見庸氏は反対の立場から「『無憲法状態』に入りつつある」と主張している。

 私が関心を持つのは第2条5項の「指定公共機関」に入っている日本放送協会の役割である。具体的には政令で決められることになっているが、第6条で「武力攻撃事態への対処に関し、その業務について、必要な措置を実施する責務を有する」となっている。

 太平洋戦争中、3年8ヶ月の間に846回の「大本営発表」が行われたことを改めて思い起こしてほしい。報道差し止め事項を示した「時局ニ関スル記事取扱ニ関スル件」(内務省警保局)などについては『ネットジャーナルQ』第五十五回「戦時下のラジオ放送」に比較的詳しく書いておいた。

 さて、ここでは一度戦端を開くと終息までどんなに困難な道のりを辿るか、それを知る上で、太平洋戦争末期、鬼畜米英と日本との間で「和平への道」を手探りで模索するもう一本のパイプがあったことを改めて記録しておきたい。

 それは「ザカライアス放送」と呼ばれる米側の短波放送を通じて行われた日米の対話だった。いうまでもなく当時は新聞・放送とも厳しい報道管制がしかれ、この事実は戦後長らく一般国民の知るところではなかった。

 以下、北山節郎『ピ−ス・ト−ク日米電波戦争』(ゆまに書房1996)、NHKドキュメンタリ−『政府之ヲ管掌ス』(1980・7・10 ) を参考に「ザカライアス放送」とはどんなものだったのかを振り返ってみたい。      

◆「ザカライアス放送」とは

   「ザカライアス放送」というのは、米国の戦時情報局OWIがワシントンで録音し、サンフランシスコ放送局から短波で日本向けに日本語で毎週一回15分づつ放送したもので、放送を担当したエリス・ザカライアス海軍大佐の名前が番組名になっている。

 ザカライアス大佐は諜報作戦のプロで東京の在日米国大使館に二度勤務したことのある日本通でもあった。放送の目的は日本に無条件降伏を呼びかけることだったが、元OWIサンフランシスコ放送局のクロ−ド・バス局長は、終戦から30年後、NHKの取材に対して次のように述べている。               

「放送の最も重要な使命は無条件降伏という言葉が意味することを日本側に説明することだった。民族の伝統や生活習慣を簡単に放棄することは誰も望まないということをわれわれは理解していた。だから無条件降伏の意味を明確に説明することがザカライアスの重要な任務だった。つまり無条件降伏とは日本国民の奴隷化でもなく、生活習慣を変えることでもなく、それは軍隊の降伏だけを求めるものである。」

 一回目の放送はドイツが降伏した翌5 月8 日から始まった。この日の内容は、トル−マン米大統領の「対独勝利声明」に続いて「日本の陸海軍が無条件降伏により武器を放棄するまで、われわれは攻撃の手をとめないだろう」というものだった。

 以後、日米の水面下の「和平工作」が絶望的になるまで14回続いた。日本側でもこの放送はすべて外務省、放送協会などの短波受信機で傍受していたが、初めのうちはシャワ−のように降っていた電波による対日工作の一つとして無視されていたようだ。

 東郷茂徳外相は『外交手記』(1967年刊)の「終戦工作」の章で、「この前から米国は日本に無条件降伏を求めるとか、また間もなく日本は無条件降伏を申出すであろうとかいう放送を盛んにやったのであるが、日本は無条件降伏を為すの条件にないので、・・・米国の此の宣伝は日本における講和気運の醸成にすくなからざる障害になった。」と回顧している。  

◆ザカライアス対井上の放送

   ところが、3 回目の放送(5・19)でザカライアスが「降伏は日本の絶滅を意味しない」と強調したことから、日本側も和平打診の性格を持っていることに注目するようになった。

 そこで、「ザカライアス放送」を傍受していた井上勇(同盟通信)、大屋久寿雄(放送協会)、稲垣一吉(外務省)の3 人のスタッフがそれぞれの上司の了解を得て放送で対応することになった。

 そして、4 回目の放送(5・26)後、日本側は初めて反応し、井上が「無条件降伏方式になんらかの変更があるならば、日本は和平条件を討議する用意がある」とさぐりを入れている。

 これに対して、米側は「日本は条件を提示できる」と答え、ここではじめて日米の「対話」が成立した。ポツダム宣言発表直後の13回目の放送(7・28)では、井上は「日本には日本自身の条件がある」と主張し、ザカライアスは「日本は・・・主権を持つ存在として継続する」と譲歩の姿勢をみせている。

 しかし、和平を模索するキャッチボ−ルもここまでで、最後の放送になった14回目(8・4) では、ザカライアスが日本の回答を急きたててきた。

 これに対して、井上は「そう急ぎなさんな。日本は歴史あって初めて外国との戦争に敗けるんだ。そしてあなたは知らないが、東京の町は今はもうないんだよ。見た限りの焼野原で、人は掘立小屋を建てて住んでるんだ。そういうなかにある政府がどんな立場にあるかわかっているだろう、だからまあ気長に返答を待ってくれ。」と答えている。

 これが日本の9 回目の対応だった。 その後、本土決戦は避けられたものの、和平派は軍部の徹底抗戦派を抑えることが出来ないまま、広島・長崎への原爆投下、ソ連参戦、ポツダム宣言受諾、玉音放送の道を歩み、多くの犠牲者を出すことになった。

 有事法制の審議ではこうした歴史を忘れないで欲しい。#