第60回 断ち切れぬ報復の連鎖 (2001・9・22記)

 

1】同時多発テロの第1報

【2】「パールハーバー以来」の声

【3】テロ〜戦争の連鎖 

【4】湾岸戦争報道の轍を踏むな  

 米国での同時多発テロは2001年9月11日(火曜日)米東部時間午前8時45分=日本時間午後9時45分=から始まった。CNNは1機目がニューヨークの世界貿易センタービルへの突入を速報し、18分後の2機目の突入はその瞬間を中継放送した。日本で一番早かったのはCNNを受けていたスカイパーフェクトTV(ケーブルテレビ、CS放送)の午後9時50分だった。「新聞協会報」(9・18)によると、地上波テレビの一報と視聴率などは以下のとおり。

1】同時多発テロの第1報 

■地上波テレビの一報時刻

午後9時56分 テレビ朝日「ニュースステーション」でCNNの中継映像を放送

午後9時58分 日本テレビ一報 午後10時25分から緊急ニュース

午後10時   TBS,フジテレビ午後10時 一報のテロップ 

午後10時1分 NHK「ニュース10」CNNの2機目の突入を中継放送

午後11時   テレビ東京  

△ 新聞社・通信社の第一報は共同通信が午後9時56分で一番早かった。各社、12日朝刊発行後、号外を出し、その後の動きを詳報。

■総世帯視聴率=関東地区=ビデオリサーチ調べ

午後10時〜11時 70・1%

(NHK25%テレビ朝日16.8TBS13.8%ほか)

午後11時〜12時 63・7%

午前0時〜1時  49.5%

午前1時〜2時  35・3%

午前2時〜3時  22.2%  

△ 民放テレビはCM抜きで報道番組編成。阪神大震災以来。 

△米のテレビ局は事件に関する映像を共有することを協定。一社が独占映像を得た場合、他社はその社の許可なくその映像を使うことが出来るようにした。

△ABCテレビなどは精神科医の指摘により子どもへの影響を考えてハイジャック機がビルに突入するシーンやビルから転落する人の映像使用を自粛することにした。

【2】「パールハーバー以来」の声

「殴られた者」は「殴った者」を生涯忘れない。「殴られた者」は「殴った者」への復讐を誓う。国家間では先に手を出した方が仕返しを受け、交戦状態となる。寛容とはどういうときに使う言葉なのだろうか。

「同時多発テロ」が起こったとき、米では「60年前のパールハーバー以来」という声が上がったという。ワシントン・ポスト紙は今回のテロをパールハーバーにたとえ、「これは戦争だ」と題する社説を載せた。

 ブッシュ大統領も上下両院合同本会議での演説(現地9・20)で、「過去136年間の戦争は、1941年のある日曜日に起こったものをのぞいて海外でのものだった。」と米国の本土が攻撃されたのは初めてだと述べている。米国メディアはこの演説をパールバーバー直後のフランクリン・ルーズベルト大統領の議会演説同様に位置付け、大きく取り上げた。

 「パールハーバー」とは何か。改めておさらいをすれば、1941年12月8日午前3時19分(現地時間12日7日7時49分)、日本海軍の機動部隊が宣戦布告をする前に米太平洋艦隊のハワイの真珠湾基地を奇襲攻撃した「真珠湾攻撃」のことである。『アメリカ史』(山川出版社318ページ)によると、この攻撃で3000人の米将兵の命が奪われ、5隻の軍艦が沈没した。

 日本人は忘れがちだが、アメリカでは「リメンバーパールハーバー」を合言葉に日本への戦意を高揚させた歴史がある。これがいまもなおあの理不尽な広島・長崎への原爆投下を当然視する根拠となっている。ことしはたまたま米国映画「パールハーバー」が上映され、多くの人の話題になったことも60年前を思い出させるきっかけとなったに違いない。

「パールハーバー」をめぐっては、大恐慌以来続いていた経済不況(1939年の失業者1200万人)から脱出するため日米開戦のチャンスを狙っていたルーズベルト大統領が日本の奇襲作戦を知りながら、手を打たなかったという「陰謀説」がある。

 その一方で、日本の暗号を解読し情報を得たのは事実だが、ルーズベルト大統領らは“日本軍に攻撃能力なし”と見て、前線に知らせなかったという説もある。

 入江昭著『太平洋戦争の起源』(東京大学出版会1991)は「いずれにせよ、ハワイとワシントンの両方とも、最初の攻撃がこのような形でもたらされたことのショックはあったが、戦争が開始したこと自体についての驚きは少なかったはずである。……1941年末には日米のどちらか一方、すなわちこの場合は日本が大幅な譲歩に出ない限り、戦争しかあり得ないと思われていたからである。」と記している。

 旧日本軍の被害といえば、2001年9月18日は日中戦争のきっかけとなった「満州事変」から70年目だった。現地からの報道によれば、満州事変のあった遼寧省瀋陽市(旧奉天)や北京市など中国各地で「柳条湖」70周年記念大会が開かれ、瀋陽の「9・18歴史博物館」で開かれた記念大会には3000人が集まり、参加者は「旧日本軍の侵略という屈辱の歴史を忘れない」と訴えていたという。

【3】テロ〜戦争の連鎖 

 テロは姿が見えないので、犯人を捕らえるのは難い。しかし、「同時多発テロ」の場合、ブッシュ大統領は発生から14時間後の9月12日午前10時50分、「単なるテロを超えた戦争行為」と言明し、その後「テロの首謀者でイスラム原理主義過激派のOsama binladen氏(朝日、NHKはオサマ・ビン・ラディン、毎日、読売、共同ウサマ・ビン・ラディン)は生きていようと死んでいようと必ず捕まえる」と記者会見で述べた。

 事件発生以来、米国ではテロに対する報復を求める声一色になり、第3次世界大戦を口にする者も出ているが、その一方で徐々に文明の衝突を回避するため対話を求める声も出始めている。(世界人口約60億人のうち、キリスト教徒19億人、イスラム教徒12億人といわれ、2025年にはイスラム教徒が世界人口の3分の1に増えるという予測がある。)たとえば、ロイター通信は歌手のマドンナが9月14日、ロサンゼルスでのコンサートで18000人の聴衆を前に次のように訴えたと伝えている。

LOS ANGELES (Reuters) ``Tonight I'd like to say a prayer for peace,'' she told the crowd of about 18,000 people. ``Violence begets violence, and I don't know about you, but I want to live a long and happy life, and I want my kids to live a long and happy life.''``It was horrible (on Tuesday), but I'd like to think of it as a wake-up call. There's terrorism every day all over the world,''

 また、9月21日、ニューヨークで開かれた「報復反対」の集会・デモに1万人が参加したというニュースが報道された。  とはいえ、こうした動きは星条旗を掲げたナショナリズムの勢いのもとで、かき消されようとしているように見える。

【4】湾岸戦争報道の轍を踏むな  

 一世代前のジャーナリストは「戦争はニュースの華」だと言っていた。戦況はどちらが優勢か、これからの展開はどうなるのか。多くの犠牲者を伴うだけに、他のどんなニュ−スよりも人々の関心は高い。残念ながらそれが現実なのだ。今回のテロも湾岸戦争も日本でのテレビの視聴率は一報段階で70〜80%を得ている。アメリカでは今回のテロの発生は朝のモーニングショーの時間中だったし、湾岸戦争のときは報道管制後の「報道解禁」は夜のゴールデンタイムだった。リアルタイムで速報するテレビを追って日米の新聞社はいずれのときも号外を出している。  

 湾岸戦争を報道内容から振り返ってみると、43日間の地上戦を含めて、イラク軍の犠牲者数は5万人とも10万人ともいわれているなかで、テレビのブラウン管からは血がみえなかった。アメリカのメディアが伝える映像は、たとえばバグダッドの橋げたを照準にピンポイント爆撃をし、命中させたというようなもので、テレビゲームを見ているようだった。「ニンテンドウ戦争」といわれたのを思い出す人も多いだろう。

 これに対して、今回のテロによる被害の模様は悲しみを持ってこと細かく報道されている。死者・行方不明者は9月22日現在で6585人にのぼり、ビル崩壊現場ではいまも瓦礫をかきわけながら救助活動が進められている。この光景を見ながら人々の怒り、憎しみは頂点に達し、ABC放送の世論調査によれば、「武力行使」に反対する人はわずか6%にしかすぎない。ブッシュ大統領を支持する人は91%で、湾岸戦争開戦直後の父親ジョージ・ブッシュ元大統領の支持87%を超えている。

 湾岸戦争報道の場合、アメリカのマスメディアはホワイトハウス、ペンタゴンの要請を受け入れて報道管制、検閲、代表取材に応じ、戦争で敗けたのは「イラクとマスメディアだ」といわれたくらいだった。

 このとき取り決めた「戦争報道についてのグランドル−ル」にしたがって、サウジアラビア(米軍を中心とした多国籍軍の基地)には報道陣が2400人同行した。しかし、プール取材と称し、代表取材に参加した者は132人で、その代表取材も将校のエスコ−ト付きで「バス旅行」のように行われた。記事は将校が事前検閲し、事実上の記事差し止めもあった。

 代表取材に行けなかった者は戦闘現場を見ず記者会見を頼りにレポートを書く状態だった。湾岸戦争終結後、国防総省のピ−ト・ウイリアムズ報道官はワシントン・ポスト紙に「これまでの戦争報道の中で最高の出来栄えだった」と寄稿(91・3)している。 

 これに対して、米国の主要メデイア17社は湾岸戦争報道を厳しく批判した報告書(91・7)を作成し、今後は軍事作戦の報道も自由取材を基本原則に行うこととした。

 一方、日本のメディアも、@ただ、アメリカの映像・情報を流すだけでいいのか。A真実かどうか検証出来ない情報ゃ映像は報道を差し控えるべきではなかったか等の点を反省した。衛星によるボ−ダレス時代の戦争報道はますます戦争の真実を見えにくくする可能性がある。日米のメディアがこのときの反省を生かせるかどうか根気良く注目していきたい。(「戦争報道についてのグランドル−ル」については第53回「10年前の湾岸戦争」を参照してほしい。)#