第5回 東京・府中の3億円強奪事件(1998.11.18記)

 

「時効の日はさすがに疲れが出て,睡眠薬に頼らなければ寝られなかった。・・・翌日、いつものように剣道をしていたが、突然,天井が回ってきて入院したほどだった。・・・刑事警察はわずか3年の経験だったが、三億円事件はなんとしても忘れられない事件の一つだ。」

・・・・こう述懐したのは、事件発生当時の警視庁刑事部長で、時効のときに警視総監だった土田国保氏である。

 1968(昭和43年12月10日、東京・府中市で三億円事件が発生した。戦後最高の被害額〈今の貨幣価値にして10億円以上)と騒がれたこの事件に,当時「1億総探偵」のように犯人探しをした人たちも次々に起こる大事件・大事故に次第に記憶も薄れ、いまではほぼ完全に忘れ去られてしまった。

 何年振りかで事件現場を歩いてみても,住宅の建設ラッシュで落ち着きの無かった当時の面影はどこにもない。犯行の舞台となった半径数キロの範囲は,高度経済成長の真っ只中で過疎の都心に対して過密のいわゆる「ドーナッツ化現象」が起きていた。しかし,現金輸送車を狙った類似の事件は,その後も後を経たず、今後また同じような事件が起きたら果たして防げるのか,はなはだ心もとない。不況下のボーナスシーズンを前に,金融関係者に改めて注意を喚起したい。

 

◆犯行はわずか3分間

 

 私自身、当日現場に駆けつけた一人だった。その後,数か月間この事件と付き合ったのだが、だんだん計画的な犯行であることがわかってきた。ここで金融犯罪のケーススタディとして少し長めになるが,事件の概要を振り返ってみよう。

 1968(昭和43)年12月10日午前9時21分ごろ、東京・府中市の府中刑務所裏の学苑通りで、東芝府中工場の従業員4千数百人に支払うボーナスおよそ三億円(正確には2億9430万円)を乗せた日本信託銀行国分寺支店(2001・3閉店)の現金輸送車(セドリック)が白バイを装った男に車ごと奪われた。

 東芝府中工場にはそれまで取引銀行だった三菱銀行国分寺支店から給料やボーナスが運ばれていたが、奪われた現金は、日本信託銀行国分寺支店が顧客サービスとして一人一人のボーナス袋に袋詰めすることを条件に、この日初めて請け負ったものだった。

 犯行の手口はきわめて計画的で、4日前の支店長宅宛ての脅迫状(300万円要求。現金授受指定場所に犯人現われず。風呂敷同封。)が伏線なっていたため、現金輸送車に乗っていた運転手ら4人の銀行員は男が警察官かどうかを疑う間もなく,犯行はわずか3分間の出来事だった。人身に被害はなかった。

 警視庁は府中警察署に捜査本部を設置し、犯人はその年の春から続いた多磨農協脅迫事件の犯人と同一と見て、銀行関係,東芝関係,退職警察官など13万7000人余りを対象に捜査した。しかし、初動捜査の失敗や六十数点の遺留品の捜査に振り回され犯人像がつかめないまま、7年後の昭和50年暮れ、強盗,窃盗,詐欺の刑法上の時効を迎えた。奪われた三億円は、外国の保険会社から支払われ、国内で損をしたものはいない。その後、民法上の時効も成立して、たとえ犯人が現れても損害賠償の請求が出来なくなった。

 

◆各紙、国会記事を押し退け一面トップ

 

 事件発生の日の新聞各紙はいずれも、その日召集された第60回臨時国会のニュースを押し退けて、夕刊一面トップで大きく伝えた。A紙は一面に本記を載せ 社会面も見開きで、「ギャング映画そのまま」「危ない!車に爆弾が・・・」「警官スタイルの犯人、工員らを遠ざける」「史上最高の被害額」といった見出しが出ている。あまりにも鮮やかな犯行に,一報を聞いたときには誰もが『まさか』と口にするほど,信じられない事件だった。それだけにこの事件はセンセーショナルに伝えられ、発生直後は日本中、「1億総探偵」のような関心の高さを見せ、捜査本部への情報提供は膨大な数にのぼった。

 このとき、取材記者の間で真っ先にあがったのは、「過激派グループの仕業ではないか」という声だった。学園紛争が多発していたのと犯人が若かったと伝えられていたからである。また、どこかの政治結社か団体の資金稼ぎ説、暗い世相を吹き飛ばそうとする「ねずみ小僧」説、銀行,東芝の内部説、退職警察官説、チンピラ説と実に様々な想定問答が行われた。たいていの場合、事実は単純で、意外に難しい推理小説の愛好家は迷路に踏み込んで先が見えなくなるのがオチなのだが・・・。

 

◆土砂降りの雨,犯人にツキ

 

 この事件の場合、初めのころは、犯人が遺留品などの手がかりを沢山残していたので、捕まるのは時間の問題だと思われていた。それが迷宮入りに終わったのは、おかしな言い方になるが、何よりも犯人のほうにツキがあった。犯行時、25ミリという土砂降りの雨が降ることなど、いくら犯人が知能犯で計画的だったとしても予想は出来まい。好運?な犯人に対して、警察は初動捜査の段階でつまずいた。

 事件から4月後の4月9日、現金三億円を抜き取った空のジュラルミンのトランクを載せたカローラが小金井市の団地で発見された。犯行当日、警視庁が全署に緊急配備をする前に、犯人はすでにその発見現場に車を乗り捨てていたと推定されている。

 もう一つ重大なミスリードがあった。それはあの目元の涼しげな犯人のモンタージュ写真である。発生直後から、4年以上の間、警察の見方は「犯人は複数、年齢18歳〜25,6歳,モンタージュに似ていること」だった。

 ところが、『三億円強奪事件』(勁文社1975)の著書である平塚八兵衛元警視(故人)が前線指揮官になった5年後の昭和48年ごろから、捜査方針は180度変更された。つまり、犯人は単独犯で家族持ち。年齢は新しい捜査方針を打ち出した時点で36〜37歳前後。モンタージュは19歳の少年の写真を元に製作したので、これにはこだわらないことになった。要するに、皆目、犯人像がつかめていなかった。その上、指紋も満足なものは採れていない。これでは犯人が捕まるわけがない。

 

別件逮捕で人権問題

 

 こうしたなか、捜査本部は誤認逮捕という取り返しのつかない重大な間違いを犯した。土田国保元警視総監は、私のラジオ番組でのインタビューに「極めて残念なことだった。」と反省の弁を述べた後、「新聞があす朝刊に載せるというので、それなら仕方がない。身柄を取っておこうとなった。」と釈明していた。

 誤認逮捕の発端は、捜査が難航していた一年後の44年12月12日朝,M紙が衝撃的なスクープを載せる。「三億円事件に重要参考人」「極秘に身辺捜査始める」「府中市の元運転手」「土地カン、タイプも経験」という内容だ。その当時、私はすでに次ぎの任地へ転勤していたので、残念ながらその日の捜査本部の雰囲気を知らない。そこで、「資料的な価値を重視」して書いたという三好徹のノンフィクション・ノベル『三億円事件の謎』(文春文庫)からその部分を要約しながら引用させてもらう。

「捜査本部は、前日の12日早朝に、X(イニシャルを使っているがここではやめる=引用者)に任意同行を求め、三鷹署に連行した。」

 そして、尋問を受けたXさんは、事件発生当日のアリバイとして、池袋の会社に就職試験を受けに行ったと主張したが、調べた結果その会社は見つからなかった。

「午後10時半、本部はXに対して、逮捕状を執行した。池袋の会社などというのは,一時逃れのウソだと見たわけである。結果を言えば、Xの逮捕は、彼の記憶違いと本部の早とちりという二重の不運な落とし穴にはまった大黒星だった。」

 つまり、彼は池袋ではない別の場所の会社に行って就職試験を受けていたことがわかったのだ。

Xは25時間後に釈放された。そして、事件は振り出しに戻った。」

 この間の様子が目に浮かぶように描かれている。しかし、新聞のスクープから警察の謝罪までのあしかけ3日間、マスコミはXさんのニュースで持ちきりだった。逮捕をきっかけに、顔写真つきで実名が出され、学歴、職歴、性格、家庭環境まで事細かく書き立てられている。このことは後々まで尾を引く。

 東京弁護士会編『取材される側の権利』(日本評論社)によると、この当事者の元妻は、1987年2月に、「事件が週刊誌などで蒸し返されるたびに、当時の新聞記事や顔写真が利用され精神的苦痛を受けている。」として、マスコミ12社に当時の写真やフィルムを使用・提供しないよう求めた。さらに、誤認逮捕の記事でプライバシーに関する部分を縮刷版から削除するように要望している。

 国立国会図書館で、M紙の縮刷版を確かめたところ、「利用制限関係文書」の張り紙がしてあったが、実名は消えていない。事件が派手であればあるほどスクープは光る。それだけ取材競争は熾烈になり、ちょっとしたヒントでも飛びつかないわけはない。最近、すでに引退した当時の担当刑事に改めて会ったところ、「Xさんは捜査が長引き焦っていたところに浮かんだ最有力容疑者だった。」という。リークがあったかどうかわからないが、捜査のツメの甘さが残っているうちにマスコミに漏れ、残念なことに最悪のケースになってしまった。情報を警察に頼らざるを得ない事件取材の落し穴でもあった。

 Xさんは、なぜ釈放されたのか。その後わかった話では、彼は就職先を探している最中で、三億円事件発生当日、ちょうど犯行の時間帯に、ある会社で面接を受けていた。その会社は飛行機の機内食を扱うところで、英語の堪能な人間を探していた。Xさんは英語が出来たので、社長は最後まで迷ったが、結局不採用にした。

 1年後、M新聞に三億円事件の重要参考人としてXさんの顔写真が出ているのを見つけた。調べて見ると、間違いなく犯行時間に社長自身がXさんに面接している記録が出てきた。完全なアリバイである。そこで、早速、警視庁に連絡したため、Xさんは即、無罪放免になった。社長が思い出さなければ、あわやというところで、えん罪事件になるところだった。M新聞が顔写真を載せたことも幸いしたが、「天網恢恢、疎にして漏らさず」である。

 

 

◆結局は犯人と捜査員との知恵比べ

 

 いずれにしても,三億円事件は多くの教訓を残した。金融機関は,事件後間もなく、店内のモニターテレビや警報装置を設置し,最近ではハイテクを駆使した防犯対策に力を入れている。たとえば、頑丈な金庫を乗せた現金輸送車をモニターでウオッチし、走行中,犯人に襲われた場合に,無線の遠隔捜査で車のエンジンが切れ,しかも,ハイジャック防止のようなアラームが鳴る装置もある。

 しかし、いくら立派な装置を考え出しても犯人は常にその上を行く。前述の土田国保氏は、3億円事件の教訓として「日本の警察は検挙率が高く世界でも引けをとらない。しかし、大きな事件になると早期解決を迫られる。そのため、捜査員を大量動員するので、どうしても中核となる優秀な捜査官が必要になる。結局、犯人との知恵比べになる。」と話してくれた。 犯人よ!そろそろ名乗り出たらどうか。  

 雑誌『政界』(政界出版社1998.5)に『三億円事件の自称犯人が手記を発表」と言う記事が載った。実行犯は男2人、女1人の3人組だという。しかし、取り上げた出版社でも、「目立ちたがり屋のうそ八百か」とまともに受け止めていない。

 さて、そこで、真犯人に呼びかけたい。生きているなら、そろそろ名乗り出てもいいのではないか。ただ、その時はナンバーを控えてある古い五百円札を持参してほしい。また、ジュラルミンのトランクに不充分ながら指紋が一個残っていたので、その親指の指紋を照合させてほしい。名乗り出るだけでもいいが、その模様を中継するテレビは、高い視聴率を占めるだろう。そうなれば、聞きたいことが山ほどある。まず、動機。それから、単独だったのか、複数だったのか。調べを受けたことがないのかどうか。オートバイと2台の車を使った手の込んだ犯行方法。ほかにも、事件直後、青酸カリ自殺した少年(当時警視庁の現役警察官の息子)のことや三億円の使い道など沢山ある。当時二十歳代でも三十歳代でもいま働き盛りだろう。少年のモンタージュ写真のイメージがこびりついているが、どんな顔の人か是非お目にかかって多くの謎についてうかがいたい。そうすれば、捜査線上に上った多くの人も晴れ晴れするだろう。#