第44回 善枝さん殺人事件と別件逮捕(2000・12・25転記)

 

(追記。善枝さん殺人事件の再審弁護団が求めている証拠の有無について、東京高裁は検察側に2009年10月末までに開示を要求。今後の展開に注目。)

 

 東京・府中の「3億円事件」を取り上げた中で、別件による不幸な誤認逮捕の例を紹介した。誤認逮捕と分かったあとの記者会見で、当時、警視庁刑事部長だった土田國保氏(後に警視総監、元防衛大学校長)は「犯人の印象を与え申しわけない」と沈痛な表情で語り、別件で逮捕した男の人に詫びた。

『書かれる立場書く立場−読売新聞の「報道と人権」』(昭和57年刊)では、裁判所が、昭和40年代から50年代にかけての裁判で「違法な別件逮捕、拘置」、あるいは、「その状態のもとでの自白で、任意性、信用性に欠ける」と判断して、無罪としたケ−スを4件取りあげている。そして、「報道する立場からすれば、別件逮捕には、多くの問題があることに留意し、本件と別件逮捕とのつながりと別件の容疑内容の是非などを、慎重に検討する必要がある」とし、別件での逮捕については「匿名を原則」と決めている。

 無罪のケ−スのうち、東京地裁の東十条強盗殺人事件(昭和41年2月・東京北区で逮捕)の場合、69時間取り調べた中で、別件の無銭飲食にはわずか3時間42分使っただけで、あとは本件の殺人事件に充てられている。真野英一裁判長は「犯人の自供は得られたが、信用性は薄い」として人権の面から、別件逮捕を手段に捜査することを戒めている。ちなみに、この判決は3億円事件の別件逮捕より2年8か月前の昭和42年4月に言い渡されている。

 私は、これよりさらに前の、まだ駆け出しだった昭和38年5月に初めて別件逮捕という捜査方法があるのを知った。それが狭山の善枝さん殺人事件である。当時の新聞や「自白崩壊 狭山裁判20年」(狭山事件再審弁護団編・日本評論社1984年刊)それに私のメモをもとに、事件の概要をまとめてみた。

善枝さん殺人事件とは

 昭和38年(1963年)5月1日午後3時ごろ、埼玉県狭山市の県立川越高校入間川分校1年生中田善枝さん(当時16歳)が自転車で学校から帰宅途中、行方不明になる。その夜、中田さんの家に身代金20万円を要求する脅迫状が届くが、警察は、3日午前零時、40人の警察官を張り込ませながら、指定場所に金を取りに現れた犯人を目と鼻の先で取り逃がした。4日午前、善枝さんは自宅近くの農道で死体となって埋められているのが発見された。

 狭山警察署の捜査本部では強盗殺人事件として、捜査線上に浮かんだ120人を一人ひとりつぶしにかかった。捜査は難航を極めるなかで、5月23日の午前10時、警察は、恐喝未遂、窃盗、暴行の容疑で石川一雄容疑者を逮捕したと発表。しかし、石川容疑者は頑強に否認を続けた。浦和地検は、拘留満期の6月13日、身代金要求をめぐる恐喝未遂で起訴しても公判維持が出来ないとみて別の窃盗、傷害などの罪で起訴した。これは、「求令状起訴」といわれるもので、石川容疑者の身柄をつなぎとめるための苦肉の策だった。

 これに対して、裁判所は17日、弁護人の請求を受け入れて保釈を決定。捜査本部は保釈されたとたん、今度は本件の殺人容疑そのもので再逮捕する。23日犯行を自供。自供にもとずいて証拠の万年筆、時計が発見されたとして7月9日、事件発生から70日たって石川容疑者は起訴された。その後、昭和39年、浦和地裁で死刑判決。昭和49年、東京高裁で無期懲役の判決。昭和52年、最高裁で上告棄却決定。これで刑が確定したが、石川元被告は無実を訴えて再審を要求し、一旦、最高裁で請求が棄却されたが、昭和61年第二次再審請求を起こした。

 駆け足で事件の大筋をみてきたが、この事件の1か月前の3月31日に東京台東区で村越吉展ちゃん(当時4歳)の誘拐事件が起きている。自宅前の公園から誘拐されたこの事件で、捜査本部は、20日後に、「捜査陣の不手際から犯人を取り逃がし、50万円の身代金を奪われた」と発表。吉展ちゃんは、それから2年3か月後に小原保容疑者の自供で、南千住の寺の墓石の下から遺体で発見された。(余談だが、このときの取材ではY紙の記者が僧侶のけさを着て寺に潜り込み、活躍したというエピソ−ドも耳にしている)善枝さん事件は、この吉展ちゃん事件の直後だっただけに、「またか!」という警察不信の声が上がり、国会でも誘拐事件の捜査強化が叫ばれた。同時に、連鎖反応が心配され、警察はその威信にかけても犯人検挙に必死の構えだった。

 私は、当時、三多摩地区の担当で狭山に比較的近かったため、応援組の一人として駆り出されたのだが、正直に言って、事件発生から本件での逮捕までどう推移していったのかよくわからないままだった。しかも、途中で、ソ連の打ち上げた人間衛星「ウオスト−ク」の声の取材で自分の守備範囲にある郵政省電波研究所電離層研究室(国分寺)に逆戻りしている。「ヤ−チャイカ」(私はかもめ)と女性初の宇宙飛行士テレシコワさんの声が中田美明博士の手でソ連の発表より早くキャッチされた時の事だ。そんな訳で、私のやった事といえば、定例の警察発表を断片的に聞いたのと被害者の中田家に出入りしていて、兄の健治さんから善枝さんの目隠しに使われていたというタオルの出所を聞き出した位だった。

 今度、別件逮捕−起訴−保釈−再逮捕の新聞記事などを調べて見て、如何にすさまじい取材競争が行われていたかを改めて知った。5月23日の別件逮捕の日、朝日、毎日、読売の3紙は都心に配る朝刊の最終版にその動きを突っ込んでいる。読売は実名で「有力容疑者として一応窃盗と暴行容疑で逮捕」と書き、毎日は「有力容疑者某(24)に逮捕状」、朝日は「狭山の男に逮捕状」「令状の容疑は一応暴行、窃盗の疑いとなっているが、Aを善枝さん殺しの重要参考人とみて追及する」と書いている。NHKは、前夜、警察署長が記者会見で「明日も午前11時まで大丈夫」といったのを真にうけて、新聞を見てから後を追って朝6時のニュ−スから放送している。

 注目された検察処分は「恐喝未遂は保留、窃盗など余罪で起訴」で、翌日の6月14日の朝刊は「黒星かさねた捜査陣」「たよりは状況証拠」「見込みや無計画の連続」といった批判記事や記者座談会「別件逮捕は考えもの」を載せ、耳なれない「求令状起訴」について「検察側、起訴後の拘留請求」「身柄の確保がねらい」と解説を加えている社もある。保釈−再逮捕については、朝日が17日の夕刊で「警察側、殺人で再逮捕か」とその動きを伝えたのに対して、読売は夕刊で確定的な記事を載せている。

 こうして7月9日殺人の本件で起訴になるのだが、すでにお分かりのように、発生からおよそ1か月半の間、マスコミ各社も捜査本部に振り回され、熾烈な取材競争が続けられた。その背景に、前号の冒頭に紹介した五十嵐二葉弁護士のいう「警察の視点に立って捜査報道をすることが、いちばん楽によいネタをもらえる道だ」(「犯罪報道」32ペ−ジ)といった傾向がなかったとはいえまい。

 かつて、朝日新聞の疋田桂一郎編集委員が社内報に「ある事件記事の間違い」(「えんぴつ」特別号昭和51年9月25日)と題して警鐘を鳴らしたことがある。重い心身障害児を餓死させた容疑で殺人犯として逮捕された父親の銀行支店長の自殺をめぐる記事について、公判記録などを調べ、人権への配慮から取材・記事のまとめ方がどうあるべきかを反省をこめて指摘している。サブタイトルには「警察発表は疑いながら聞くもので疑わない方が記者の怠慢といえる」とある。真実を伝える難しさを改めて教えられる一文である。

(「くらしのレポート」No81号)