第43回 あさま山荘事件(2000・12・20転記)
落葉焚く匂いに友をリンチせし小屋の炊事の匂いを想う (東京都)坂口 弘
92年12月13日の朝日歌壇に佐々木幸綱撰で載った歌である。いつの頃からか「坂口 弘」の名前でこうした歌が朝日新聞に載るようになった。作者の名前に覚えのある人も多いだろう。あさま山荘事件で死刑を言い渡された彼は、永田洋子被告ら3人と上告中で、ことしの春には最高裁判決が出る。彼があさま山荘事件で仲間4人とともに逮捕されたのは、テレビが放送を始めてから20年目の72年(昭和47年)2月28日のことだった。この日、テレビは8時間余り連続生中継し、最高時にはNHKで75・5%の視聴率を得ている。それほど異常で、国民的な関心事だった。後にも先にもいまのところ、例がない。では、あさま山荘事件とはどんな事件だったのか。
事件翌日の2月29日の朝日新聞朝刊は、救出された人質が担架で病院に運ばれる写真とともに次ぎのような見出しを並べている。「泰子さん 218時間ぶり救出」「連合赤軍5人逮捕」「殉職2、負傷12人に 警官に大きな犠牲」「ずぶぬれの犯人・人質 毛布かぶり最後は無抵抗」などと日本中の目をテレビにクギずけにした悪夢のような一日をこのように描いている。事の起こりは十日前にさかのぼる。
「連合赤軍」の榛名山、迦葉山、妙義山の山岳アジトが捜査陣によって次々に摘発され、森 恒夫委員長(翌年1月、東京拘置所で自殺)、永田洋子副委員長が逮捕された二日後の2月19日、坂口 弘被告を主謀とする5人は、軽井沢の河合楽器の保養所「あさま山荘」に侵入、管理人の妻(当時31歳)を人質にしてろう城した。
それ以後、テレビ・新聞は氷点下15度という寒空の下での攻防戦を克明に伝えている。ときおり警察隊めがけて発砲されるけん銃の乾いた不気味な音。建物を破壊するクレ−ンに吊された「鉄球」。放水銃による徹底した水攻め。こうした様子はそのままテレビで伝えられ、終始、見る側を興奮させた。いま思い出しても身の毛がよだつが、それがいかに激しいものだったか、警察の発表した双方の物量がよく物語っている。
(警察側)けん銃発砲15発、水攻めに使った水100トン、ガス弾1000発。
(連合赤軍側)けん銃発砲通算320発以上。
この事件で現場で指揮に当たった佐々淳行氏(当時、警察庁警備局付監察官)は、NHKBSスペシャル「テレビの一番長い日」(92・10・31放送)の中で、あさま山荘事件の「最高警備方針」を次のように話している。この方針は、当時の後藤田正晴警察庁長官から指示されたものだとして、6項目からなっている。
1人質の救出
2犯人を生け捕りに=殺せば英雄になる
3警察官を人質の身代わりにしてはならぬ
4マスコミとよい関係を保て
5長期戦を覚悟せよ
6警察官に犠牲者を出すな。
この方針の4番目によって、マスコミとの間で報道協定が結ばれ、警察は、犯人に対する説得の模様、人質の安否、偵察の状況、突入の準備状況を逐一発表することになる。片やマスコミは、犯人側の情報が皆無の中で全面的に警察の情報に頼る形で報道が続けられた。最終的には警察官に殉職者を出し6番目の方針は実現しなかったものの、おおむね、警察の狙い通りに事が運んだといえる。
(その後まもなく大量リンチ殺人事件が明らかになり、「連合赤軍」はほぼ壊滅するが、この一連の事件では、12人がリンチ殺人で死亡、1人が自殺、13人が服役後社会復帰、1人がクアラルンプ−ル事件で超法規的に出国、3人が上告という結末を迎えた。)
ここで、少し長くなるが、先に述べた報道協定について触れておこう。以下、丸山 昇著の「報道協定」(第三書館 92・5)から引用させてもらう。まず、事件発生当日、警察庁警備部長名で報道陣に「要望書」が渡される。それによると、連合赤軍は警察官を狙い撃ちする凶悪な行動に出ているので、情勢のいかんによっては人質救出とともに検挙手段を取らざるをえないとして、犯人が視聴しているテレビ・ラジオは「警察側の体制や方針については、あくまでも説得する方針の点にとどめるように十分な配慮を煩わしたい」と要望している。
そして、最終段階を迎えた二日前の2月26日、警察当局は改めて「連合赤軍ろう城事件・人質救出作戦に関する取材・報道協定」の締結を申し入れた。
協定要旨
1作戦に関する事前発表とオフレコ
△作戦開始日の前日午後10時開始時間、戦術について正式発表する。
△発表の取り扱い
新聞(雑誌)は当日の朝刊から解禁。放送は作戦開始時間から解禁。
△各社の現場での連絡無線通信にも作戦内容を含ませないように配慮する。
2航空取材について(略)
3取材拠点について
銃弾の飛交による危険を避けるため、規制 線をもうける。
4経過発表(略)
5終了時の措置
被害者の会見。インタビュ−は医師が許可 するまで行なわない。 また、検証が終わるまで現場に立ち入らない。
(このほか、取材手順の細目 略)
6その他
犯人を射殺する事態がおこった場合は、事件の性格を考慮して、射殺した警察官に関 する人定項目は公表しない。
では、この協定がどのようにして結ばれたのか。丸山氏の「報道協定」から再び孫引きすると、「新聞協会報」(72・2・29付)は、「(協定は)26日午前11時から新聞9、通信2、放送12、雑誌4の報道27社の前線キャップが警備取り締まり本部の意見を聞いて協議のうえ合意に達したもので、警察庁を通じて連絡を受けた新聞協会はこれを確認・了承し、(加盟)各社に連絡を取った」と書いている。
すでにお分かりのように警察はマスコミの報道に最大限に協力する姿勢を示している。この結果、犯人ろう城から突入までの間に「人質は無事なのかどうか」「犯人はどんな顔をしているのか」と国民の関心は高まる一方で、警察の次の手を促す形になる。かくて視聴率は、警察隊突入、人質救出、犯人逮捕でクライマックスを迎える。こうした現象について、前述のNHKBS「テレビの一番長い日」に出演した放送評論家の藤久ミネ氏は、アメリカの学者ブ−アステインの「事実の演出」(疑似イベント論)という考え方が当てはまると分析する。
疑似イベント論というのは、
△お膳立された出来事
△広範に報道されるように仕組まれた出来事
△情報が少なく曖昧で、興味をそそる出来事。
△これらは予言によって実際にイベントを成功させることが出来る、
というものだ。結論として「正義の味方警察」対「非道卑劣な犯人」を印象ずけるのに警察が積極的に「見てほしい」と報道を許容した事件だったと指摘している。
東大安田講堂攻防戦(69・1)三島由紀夫事件(70・11)に続いて起こったこの事件は、分極化する日本社会で、マスコミにも多くの教訓を残した。
(「くらしのレポート」No82号)