第141回 『終戦と放送』

【7】信時潔と「海行かば」(2007・11・30記)



【7】―1 信時潔とはどんな人だったのか

【7】―2 「海行かば」と玉砕ニュース

【7】―3 「『海行かば』は鄭声」と国会で話題に

【7】―4 文化功労者に選ばれ、喜びの声

【7】―5 「運命に流された」と次男に述懐


「代表作、海行かば・沙羅・童謡一番星見つけた・電車ごっこなど。市内、小中学校6校の校歌を作曲し、文化功労賞を受賞された。なじみ深い信時潔さんです。」
(原文のまま)

 こんなメッセージの書き込まれたポスター「信時潔生誕120周年記念行事 11月10日、11日」が、JR中央線国分寺駅北口の商店街に張られているのを見かけた。主催は信時潔さんが大正時代から77歳で亡くなるまで住んでいた東京・国分寺市の本多公民館となっていた。
 

【7】―1
 信時潔とはどんな人だったのか

 信時潔という名前を知っている人はいまどのくらいいるだろうか。信時さんが手がけた校歌は、全国の小・中・高・大学(慶應義塾大学の塾歌も)まで含め900曲、また、社歌・団体歌は170曲(注)というから、覚えている人も多いかもしれない。ちなみに『新潮日本人名辞典』
(1991)は、次のように紹介している。


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のぶとき きよし 信時潔 

 明治20・12・29−昭和40・8・1(1887―1965)大正・昭和期の作曲家。大阪生まれ。東京音楽学校本科終了。ヴェルクマイスターにチェロと作曲を師事。大正9年(1920)ドイツに留学、G・シューマンに作曲を学ぶ。母校教授を経て作曲に専念。代表作にカンタータ『海道東征』、合唱曲「日本古謡」、歌曲「沙羅」など。昭和38年文化功労者。

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 しかし、ここには冒頭のポスターに登場する「海行(ゆ)かば」は入っていない。人名辞典の筆者は、信時潔さんが太平洋戦争中、「君が代」より多く歌われたともいわれる「海行(ゆ)かば」の作曲者だったことを知らないはずはない。1942(昭和17)年、1歳年上の同じ作曲家山田耕筰とともに日本芸術院会員になっているが、それも書かれていない。

 また、『朝日人物事典』(1990)の場合、「海行かば」が国歌より多く歌われたこと、信時潔さんが日本芸術院会員に選ばれたことは記述してあるものの、「朝日文化賞」受賞(1943)は省かれている。

 公民館の記念行事で「信時潔の軌跡」と題して講演した信時裕子さん
(潔さんの孫。日本近代音楽館勤務)は、スクリーンに写し出した年譜をなぞりながら、4歳の時に亡くなった祖父の生涯をたどった。このなかで、「海行かば」については一言、次のように話した。



「1937
(昭和12)年、50歳の時、日本放送協会の委嘱により、『海ゆかば』を作曲。10月、初放送。翌月、『わかもと本舗栄養と育児の会』が唱歌として楽譜を発行し、無料で全国の学校に配った。

 1950(昭和25)年に刊行した『信時潔独唱曲集』『信時潔合唱曲集』(春秋社)のなかに『海ゆかば』は入っていない。戦後、信時は作曲をしなくなったという人がいるが、そんなことはありません。」

 記念行事のコンサートの部では、信時さんの作品が次々に披露されたが、「海行かば」の演奏はなかった。

 同じ会場の写真展には、愛用のピアノ
(スタインウェイのアップライトピアノ)に向かう信時潔さんの写真に混じって、信時さん自筆の「海ゆかば」の歌詞の書が展示してあった。万葉の歌人大伴家持の長歌に曲をつけるように依頼したのは東京中央放送局文芸部だった。

「海ゆかば 水づく屍 山ゆかば 草むすかばね

 大君のへにこそ死なめ かへりみはせじ」 信時


【7】―2
 「海行かば」と玉砕ニュース

「放送五十年史」、「20世紀放送史」
(NHK刊)をみると、「海行かば」は、日中戦争が始まって3ヵ月後の1937(昭和12)年10月に作られ、最初は「国民唱歌」の時間のテーマ音楽として繰り返し放送されていた。しかし、4年後に始まった太平洋戦争の敗色が濃くなると、「海行かば」は玉砕などの悲報を伝える臨時ニュースの冒頭に使われるようになり、次第に鎮魂歌となっていった。

■1937(昭和12)年10月12日

「海行かば」の最初の演奏は日比谷公会堂で行われた。それは、戦意昂揚を促すために発足した「国民精神総動員中央連盟」の結成式のアトラクションのひとつで、その模様はラジオで全国に中継放送された。翌10月13日から1週間、毎朝8時からの特別番組『国民朝礼の時間』
(30分)のなかで、「君が代」、宮城遥拝の呼びかけ、時局講演、ラジオ体操、唱歌「海行かば」が放送された。

■1941(昭和16)年12月8日

 真珠湾攻撃の日は、臨時ニュースが繰り返し放送され、午後6時30分からは「軍艦行進曲」のほか、「海行かば」など8曲が合唱で演奏された。太平洋戦争が始まると、戦果を知らせる大本営発表には、陸軍は「分列行進曲」、海軍は「軍艦行進曲」を放送する方針が決められた。

■1942(昭和17)年3月6日

「海行かば」が玉砕ニュースの前奏曲になったのは、この日の午後5時のニュースからだった。このときは、冒頭、しめやかな「海行かば」の曲が流れたあと、海軍省と大本営の発表が行われ、真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇の特別攻撃隊員9人(九軍神)の戦死が伝えられた。

■1943(昭和18)年5月30日

 この日午後7時のニュースで、連合艦隊司令長官山本五十六の戦死(4・18)とアッツ島の山崎部隊2500人が玉砕(5・29)したことを伝える大本営発表が放送された。この年の10月21日午前9時50分、「出陣学徒壮行会」の実況放送が明治神宮外苑競技場から全国に中継された。このとき、東条英機首相の演説の後、「海行かば」の大合唱があった。

■1943(昭和18)年12月20日

 ラジオは「海行かば」のあと、マキン、タラワ両島守備隊の軍人・軍属約4700人が11月25日に玉砕したことを伝えた。「海行かば」の前奏曲と玉砕という言葉が重なるにつれ、国民の間には不安と焦慮が深まっていった。

■1944(昭和19)年2月25日

 この日午後5時のニュースは、2月6日、マーシャル群島で守備隊が玉砕したという大本営発表を伝えた。このなかに、朝香宮鳩彦王の第2王子、音羽正彦海軍大尉も含まれていた。25日午後7時、ラジオはこのニュースを繰り返し放送した後、20分間、哀悼の意を表して、放送を臨時休止した。

■ 1944(昭和19)年7月7日

 サイパン島守備隊3万人が全滅。約1万人の一般住民も軍と運命を共にした。

■ 1944(昭和19)年9月30日

 大本営は9月27日までにテニアン島、グアム島の守備隊全員が戦死したものと認めるという大本営発表を放送。ラジオの臨時ニュースの「海行かば」の前奏はそのまま日本の葬送曲だった。

■ 1945(昭和20)年5月3日

 この日、久しく途絶えていた「軍艦行進曲」、「陸軍」が劣勢な沖縄の守備隊を激励するため放送された。米軍のレイテ上陸
(1944・10)以来、大本営発表は戦果を誇示できなくなり、「軍艦行進曲」などは大本営の要請があるときだけ放送するようになっていた。「海行かば」が最後に放送された日はいつだったのか記録が見つからない。

『新潮日本人名辞典』、『信時潔独唱曲集』『信時潔合唱曲集』
(春秋社)に「海行かば」が入っていないのは、こうした事情を反映して封印したのであろう。


【7】―3 「『海行かば』は鄭声」と国会で話題に

 戦後の国会で信時潔さんが話題になったことがある。破壊活動防止法案をめぐる参議院法務委員会
(1952・5・22)で、羽仁五郎参議院議員(歴史学者)と木村篤太郎法務総裁との間でこんな質疑応答が行われた。信時さんが話題の中心ではないが、「海行かば」について戦後社会がどのような見方をしていたかを知るエピソードのひとつとして紹介しておく。

 要約すれば、羽仁さんが伊沢多喜男
(政治家、東京市長、警視総監。飯沢匡の父。)さんから聞いた話だと断ってから質問している。東京音楽学校初代校長で国民唱歌編纂者だった兄修二を持つ伊沢さんが信時さんに

<「とんこ節」や「愛して頂戴よ」ばかりが鄭声(ていせい)ではない。「海行かば」、「愛国行進曲」が鄭声なんだ。国が滅びる音楽なんだ。>と言ったら、信時さんが<ではどういうものが国を興す音楽か>と質問した。

 そこで、伊沢さんは<「ラ・マルセイエーズ」こそ国を興す音楽だ>と答えた。「ラ・マルセイエーズ」のなかでは「市民よ武器をとれ」と言つている。

 羽仁さんはそのやりとりを紹介しながら、<それならば、国民が集会の席上で、或いは集団行進の途上で「ラ・マルセイエーズ」を歌つたら、破壊活動になるのか>と木村法務総裁を追及した。これに対して、木村法務総裁は<さようなことは毛頭ないのであります。>と答弁したという話である。
(詳しくは国会議事録参照)

 鄭声(ていせい)などという言葉は知らなかったが、辞書によると「野卑でみだらな音楽」という意味らしい。「海行かば」は、教会で生まれ育ち、バッハに傾倒した信時さんが作曲したものだ。これについて、伊沢多喜男さんが「とんこ節」や「愛して頂戴よ」と同列だと言った意味は重い。それは音楽の完成度としてではなく、「歌は世につれ、世は歌につれ」としての悲劇だったのだと思う。当時の世相を髣髴とさせるこんな記事があった。

「信時に作曲を習った作曲家大中恩
(おおなかめぐみ83)によると、『海ゆかば』はいつも耳にするので、学生仲間では『また、かばの歌だ』といっていたという。」(朝日新聞夕刊の「新聞と戦争」〜表現者たちH〜07・10・25)時代がそれくらい「海行かば」漬けになっていたことを物語っている。


【7】―4
 文化功労者に選ばれ、喜びの声

 1963(昭和38)年10月23日、新聞各社は朝刊で文化勲章受賞者と文化功労者に選ばれた人の「喜びの声」を載せている。このうち、文化功労者に選ばれた信時潔さんについてみると、「海行かば」の作曲に満足している。

▲読売「確信をもてる曲『海ゆかば』」

 私の作曲のなかでは“海ゆかば”の曲が一番知られているようだが、あの当時の日本民族の気持ちを率直にうたいあげたつもりだ。戦争を連想されるかもしれないが、わが国の音楽史のなかでも自分なりに確信を持てるもののひとつだ。(後半略)

▲毎日「日本の古典に曲を」

(前半略)“海行かば”は日中事変が拡大して行ったころの20余年前、NHKから作曲を依頼されたものだが、「歴史の激流のなかにあった当時の国民の感情を、国民のひとりとしてうたったものです。」と感慨深そうだった。

▲ 朝日「音楽が役に立って・・・」

「いまさら晴れがましいとも思うが、好きで選んだ音楽の道が国の文化に一役買ったと思ってもらえることはうれしい。とても幸運だったと思います。」(略)「海ゆかば」をはじめ、万葉、古典などから感じ入った詩をみつけては作曲を続けた。「何曲ほど?」「さあ数には弱いので、妻の年も70の少し手前、くらいしか思っていない。」


【7】―5 「運命に流された」と次男に述懐

 
 阪田寛夫著『戦友〜歌につながる十の短編〜』(文藝春秋)に納められた『海道東征』
(1962年「文学界」初出誌)を読んだ。

 阪田寛夫さん(1925・10・18〜05・3・22)は芥川賞作家として、また童謡「サッちゃん」の作詞家として知られ、先述した「信時に作曲を習った」作曲家大中恩さん(阪田さんの従兄)が「サッちゃん」の作曲をしている。

 題名の『海道東征』は神武天皇の東征伝説をもとにした北原白秋の詩に信時潔さんが作曲したカンタータ=大交声曲で、日比谷公会堂で開かれた「皇紀2600年
(昭和15年)」を祝う演奏会(1940・11・26)で初演された。

 少年の頃から音楽好きだった阪田寛夫さんは旧制中学2年のとき、大阪・中之島の大阪朝日会館に信時さんの『海道東征』を聴きに行ったことがあった。その阪田寛夫さんが朝日放送のプロデューサーとなり、1962年の正月番組として『海道東征』を再演した。短編小説『海道東征』はそのときの取材ノートをもとに信時さんとの思い出や次郎さん
(信時さんの次男)に聞いた話を綴った作品である。そのなかにこんな記述がある。

「時勢の成り行きで、立場上、国民的作曲家になってしまった点だ。早くから、『東京音楽学校作曲』の名義で御大喪奉悼歌とか、御即位式の歌、御製など、あらたまったものを作るのが東京音楽学校の教官の役目だった。『おれは運命に流されたようなものだな。』と次郎さんに述懐したことがあった。」

「『戦争中、国の動きにずいぶん動かされました。』こころみに『海道東征』の作曲を引き受けた事情について、発表の翌年、信時自身が求められて書いた文章を見ると、

『一昨年の春、日本文化中央連盟から(略)『海道東征』作曲の御依頼を受け、度々御辞退いたしましたが遂に御引受けすることになり、同年11月初めて歌詞をいただき・・・』云々とある。これらの一連の曲のうち、「海行かば」について、次郎さんはこう言った。

「あのひびきが辛い面に結びつきまして、―私なんか普通の感じでは聴けませんが、―あの言葉によくあの音をつけたなと、そのことはちょっと感心しますね。あれは信時潔の音ですね。(略)」

 さきに挙げた朝日新聞夕刊の「新聞と戦争」〜表現者たちI〜では、敗戦の年の暮れ、「音楽戦犯論争」があったことを指摘している。音楽評論家山根銀二氏が東京新聞の紙上で、戦時中、音楽挺身隊隊長を務めた山田耕筰氏を「典型的な戦争犯罪人」として糾弾したという。

 それに対して山田耕筰氏は「戦時中、国家の要請に従ってなした愛国的行動が戦争犯罪になるなら」国民は挙げて戦争犯罪者になると反論した。結局、この論争は中途半端に終わり、「音楽関係者からは、戦争責任による追放はひとりも出なかった。」という。

 歴史に翻弄された「海行かば」は、敗戦後、ドキュメンタリー番組や映画など以外に殆ど聞くことはない。8年後の2015年は信時潔没後50年になる。そのときも「海行かば」は封印されたままだろうか。ちょっと心配である。

(注)「海行かば」「海ゆかば」と二つの表記が混じっているが、原則として「海行かば」とした。

(注)信時裕子さん製作のホームページ「信時潔研究ガイド」があり、信時潔作曲の校歌、社歌・団体歌などが詳しく載っている。
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