高橋 由伸(たかはし よしのぶ) 1975年4月3日生まれ・右投げ左打ち

 神奈川・桐蔭学園時代に2度夏の甲子園に出場。1年生の時からクリーンナップを打ち、早くからその素質は輝いていた。卒業後は慶応大に進学し、1年春にいきなりレギュラーで打率.308、3本塁打の好成績。通算でベストナインを4度受賞するなど、3割以上6シーズンと安定した活躍。3年春には打率.512、5本塁打、18打点で戦後8人目の三冠王に輝く。また、田淵幸一(法政大)の持つ本塁打記録を29年ぶりに更新する23本塁打をマーク。大学通算成績は102試合、366打数119安打(歴代4位)、23本塁打(歴代1位)、62打点。

 97年ドラフト1位で巨人に入団。1年目の98年から一軍で活躍して史上10人目のルーキー3割打者となり、打率.300、19本塁打、75打点の好成績を収めたが、惜しくも新人王は逃す。守備も良く強肩で同年リーグ最多タイの12捕殺を記録し、新人外野手としては史上初のゴールデングラブ賞受賞。

 99年は開幕戦から3試合連続本塁打して華々しいスタート。9月の中日戦で守備中にフェンスに激突して右鎖骨を骨折、シーズン終盤を棒に振ったが打撃3部門全てに前年を上回る好成績。
 00年は入団後初めてと言っていい打撃不振に陥るが、最終的には打率.289、27本塁打とまずまずの数字を残した。01年も出足は悪かったが、8月に.423の高打率をマークするなど後半は復調して2年ぶり3度目の3割を達成した。

 02年は8月3日の広島戦で守備中に左足かかとを痛め長期欠場。365試合連続出場を続けていたが、結局35試合を欠場する羽目となった。結果的に安打・本塁打・打点など各部門で自己最低の数字に終ったが、2年連続4度目の3割は達成した。
 03年も4月下旬に腰痛で登録抹消されるなど長期欠場があったが、6月には11打数連続安打の日本タイ記録をマークするなど打棒が振るい月間MVP獲得。最終的には2年ぶりの20本塁打に自己最高の打率.323をマークした。
 04年はアテネ五輪に選ばれ打率.289、3本塁打と活躍した。9月29日の広島戦で史上8位となる850試合目で1000本安打達成。5年ぶりとなる30本塁打達成に4年連続3割とまずまずのシーズンを送った。

 05年はまたも故障に苦しんだ。4月末に右肩を痛め、7月上旬には右足首捻挫。それぞれ登録抹消され失意の日々を過ごした。その結果、試合・安打・本塁打・打点など軒並み自己ワーストの数字が残った。プロ入り以来初めての規定打席不足で、7年連続100安打と4年連続3割もストップした。
 「故障の多い選手」の汚名を返上すべく臨んだ06年だったが、またも悪夢に見舞われた。4月12日の広島戦でダイビングキャッチを試みた際に首と左脇腹を強打して約1ヶ月の登録抹消。5月12日に復帰したが、わずか半月後の27日に再びダイビングキャッチで左肩を負傷、6月末まで戦列を離脱した。守備での全力プレーが裏目に出るという状況の繰り返し。4月に.341あった打率は7月末には.241まで落ち、最終的には自己ワーストの.260で2年連続規定打席不足に終わった。

 かつてない危機感を持って臨んだ07年は1番という新打順に起用される事により、怪我に泣かされた数年間をリセットするような活躍を見せた。いきなり史上2人目となる開幕戦先頭打者初球本塁打でスタートを切るとシーズンを通して安定した成績を残し、先頭打者本塁打記録を作るなど自己最多の35本塁打。3年ぶり7度目の3割打者となり、ベストナイン・ゴールデングラブにも選出された。
 翌08年は一転してつらいシーズンとなった。腰痛に苦しみ91試合で65安打と自己最少のヒット数に終わり、打率もワーストの.236と低迷。09年もリハビリに明け暮れ、8月下旬に一軍登録されたものの1打席1三振ですぐ登録抹消となりシーズンを終えた。

 前年9月に腰の手術を受け、復活を目指した10年は一塁と外野を守って116試合に出場。13本塁打に56打点、打率.268はかつての数字からは物足りないが故障なく1年を乗り切った。11年は本塁打こそ前年を上回ったが、63安打で打率.246と苦しい数字に終わった。12年も5年ぶりとなる130試合出場で規定打席にもあと一歩だったが、打率は.239と前年をさらに下回った。それでも大卒では史上10人目となる300号本塁打を達成するなど、09年の手術以降では最多の88安打を記録した。
 13年も開幕スタメン出場を果たすが、5試合目のDeNA戦で走塁中に左足肉離れを起こし、6月末まで3カ月近くの戦列離脱。しかし復帰後は7月に.308、8月に.415と打って最終的には少ない打数ながらも打率.303と6年ぶりに3割台の数字を残した。長期欠場があり、成績自体は09年以外では最少の数字も多いが、後半戦の内容は翌期以降に希望をつなぐものだった。

 14年は前半不調で、6月末で打率.196と低迷。しかし7月以降巻き返して7・8月で61打数22安打の.361と復調。8月はスタメン機会も増えて月間16安打を記録。しかし8月24日の試合で右手を痛め、右手中指伸筋腱脱臼の診断で以後閉幕まで戦列を離脱した。
 15年も6月までは打率.235で、7月以降に31打数13安打の打率.419と打ちまくり前年に続き後半に調子を上げた。シーズン終了時は現役続行の意向だったが、球団からの監督就任要請を受諾し、現役を退いた。

 99年4月2日の阪神戦でセ・リーグ7本目の開幕戦満塁ホームラン。99年に年間満塁本塁打3本。03年6月7日の横浜戦から11日のヤクルト戦まで3四球を挟み11打数連続安打の日本タイ記録、またこの間11安打と3四球で14打席連続出塁の日本タイ記録(当時)。07年に年間先頭打者本塁打9本の日本記録。11年10月12日の阪神戦で代打サヨナラ本塁打。入団から6年連続のゴールデングラブ選出は史上初。

 ベストナイン2度(99、07)、ゴールデングラブ7度(98〜03、07)受賞。月間MVP5回(99年4月、00年8月、01年8月、03年6月、07年6月)。オールスター出場9度(98〜04、07、12)、03年第1戦でMVP受賞。五輪出場1回(04)。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
98 巨人 126 466 65 140 32 1 19 231 75 3 1 5 43 85 .300(8位)
99 巨人 118 454 71 143 18 2 34 267 98 3 2 2 47 96 .315(5位)
00 巨人 135 519 89 150 29 1 27 262 74 5 3 3 52 87 .289(12位)
01 巨人 140 543 88 164 26 0 27 271 85 3 1 5 56 85 .302(11位)
02 巨人 105 409 63 125 18 0 17 194 53 1 2 3 40 70 .306(8位)
03 巨人 118 443 85 143 31 1 26 254 68 3 0 2 41 59 .323(4位)
04 巨人 109 426 83 135 20 1 30 247 79 1 1 1 49 70 .317(4位)
05 巨人 88 325 50 97 15 0 17 163 41 1 0 0 35 54 .298
06 巨人 97 350 45 91 14 1 15 152 51 1 2 5 33 64 .260
07 巨人 133 503 76 155 29 1 35 291 88 1 3 2 82 107 .308(6位)
08 巨人 91 275 38 65 11 0 17 127 41 1 0 1 35 76 .236
09 巨人 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
10 巨人 116 280 30 75 9 0 13 123 56 2 0 6 46 75 .268
11 巨人 95 256 35 63 13 0 15 121 37 0 1 0 44 64 .246
12 巨人 130 368 30 88 17 0 8 129 56 2 1 4 69 77 .239
13 巨人 68 165 23 50 6 1 10 88 34 0 0 0 32 34 .303
14 巨人 72 112 8 32 4 0 6 54 29 0 0 2 16 30 .286
15 巨人 77 133 11 37 5 0 5 57 21 2 0 1 24 39 .278
                                 
18年 1819 6028 890 1753 297 9 321 3031 986 29 17 42 744 1173 .291