村田 修一(むらた しゅういち) 1980年12月28日生まれ・右投げ右打ち
東福岡高から日本大を経て02年ドラフト自由枠で横浜ベイスターズに入団。大学時代は3年秋にリーグタイ記録のシーズン8本塁打をマークするなど通算20本塁打で東都大学リーグ歴代2位タイ記録。大学通算103安打はリーグ歴代6位タイ記録。入団1年目から開幕一軍を果たし、4月に早くも7本塁打。5月も7本で開幕2ヶ月で14本塁打と快調に飛ばしたが、ここから長いトンネルに入り、15号は3ヵ月後の8月22日だった。しかし9月は28日に死球を受け骨折するまで10本塁打と打ちまくり、月間MVPも獲得。最下位に終わったチームの中で、新人歴代6位の25本塁打と奮闘した。
04年は思ったほど成績が伸びず本塁打・打点で前年を下回ったが、05年は初の規定打席到達で自己最多の120安打を放ち、2年ぶりの20本塁打をマーク。そして06年はシーズン途中から4番に定着するとリーグ4位の34本塁打、同2位の114打点と4番にふさわしい活躍を見せた。
07年は自己最多の36本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。打率も自己最高の.287と確実性の面でも進歩が見られ、不動の4番としての地位を確立した。08年は五輪での離脱があったにもかかわらず、自己最多の46本塁打で2年連続本塁打王。打率はさらに伸びて.323と近い将来の三冠争いを予感させる成績を残した。
09年は開幕前の第2回WBCに出場し、7試合で打率.320と活躍。怪我で終盤離脱したが、チームトップの2本塁打・7打点と主軸の役割を果たした。シーズンでは驚異的な回復で4月下旬に復帰。出遅れをカバーする活躍で、7月末の阪神戦では日本人歴代10位のスピードで200本塁打達成。しかし8月上旬に今度は左足を痛め、今度は約1ヶ月半の長期離脱。結局25本塁打・69打点と連続30本・100打点は共に3年でストップ。
巻き返しを図った10年は2年ぶりに全試合出場したものの、打率.257と05年以来の低打率に苦しんだ。本塁打・打点共にリーグ10位と、タイトル争いにも絡めずに終わった。11年は数字こそ前年より下がったものの、本塁打はリーグ4位、打点は6位でチーム内二冠。シーズン終了後にFA宣言し、巨人に移籍した。
移籍1年目の12年は130安打を放ったが、3年連続の打率2割5分台。本塁打は自己ワーストの12本止まりで、打点も04年以来の少なさだった。それでも5度目の全試合出場を果たし、チームの日本一もあって2度目のベストナインに選ばれた。
13年は6月末では打率.270、8本塁打と目立った数字ではなかったが、7月以降は打棒爆発。7月に打率.406で5年ぶりの月間MVPに選ばれると、8月はリーグ新の46安打で打率.422とさらに数字を上げ、2ヶ月連続月間MVPに輝いた。最終的に自己最多の164安打で、5年ぶりの3割打者となりチームの2連覇に貢献。ベストナイン・ゴールデングラブをダブル受賞した。
14年は通算300号と1500本安打を達成したが、前年と逆に夏場から打率を落とし2割5分台に低迷。連続試合出場も676でストップするなど不本意な1年となった。続く15年も5月に右足肉離れ、9月に右ひじ痛で登録抹消されるなど、苦しいシーズンとなった。6月末で打率.227にわずか3本塁打。後半やや本塁打は増え入団以来13年連続二桁本塁打は達成したが、12本塁打は自己ワーストタイ。6年ぶりの規定打席不足で78安打に留まった。
16年は全試合に出場して自己2番目の160安打を放ち、3年ぶり3度目の3割と見事な復活ぶりを見せた。6月まで7本塁打と前半は長打が少なかったが、7月以降に18本塁打と後半戦は本来の打撃に近付いた。13年に次ぐベストナイン・ゴールデングラブのダブル受賞となった。
18年は開幕から控えに回り代打中心の起用となったが、夏場から打線強化の狙いもありスタメンに定着。規定打席には届かなかったが14本塁打を含む100安打を放った。2000本まで135本としていたが、この年オフに戦力外となりチームを離れた。 2018年は独立リーグの栃木でプレーし、NPBでの現役続行を目指したがオファーは届かず、この年限りでの引退を表明した。
08年7月15日の対広島戦から19日の対巨人戦まで5試合連続本塁打。09年9月21日の阪神戦から14年7月26日の中日戦まで676試合連続出場。13年8月に月間46安打のセ・リーグ記録(当時)。
本塁打王2回(07、08)。ベストナイン4度(08、12、13、16)、ゴールデングラブ3度(13、14、16)受賞。月間MVP4回(03年9月、08年7月、13年7月、13年8月)。オールスター出場5度(06、08、10、12、14)。WBC出場1度(09)、五輪出場1度(08)。
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) | ||
03 | 横浜 | 104 | 330 | 48 | 74 | 11 | 0 | 25 | 160 | 56 | 3 | 3 | 2 | 38 | 111 | .224 |
04 | 横浜 | 116 | 326 | 43 | 79 | 17 | 0 | 15 | 141 | 38 | 2 | 0 | 2 | 41 | 84 | .242 |
05 | 横浜 | 136 | 477 | 60 | 120 | 32 | 2 | 24 | 228 | 82 | 1 | 3 | 4 | 55 | 124 | .252(32位) |
06 | 横浜 | 145 | 545 | 83 | 145 | 30 | 3 | 34 | 283 | 114 | 1 | 4 | 10 | 52 | 153 | .266(28位) |
07 | 横浜 | 144 | 526 | 94 | 151 | 30 | 1 | 36 | 291 | 101 | 1 | 0 | 9 | 80 | 117 | .287(17位) |
08 | 横浜 | 132 | 489 | 89 | 158 | 25 | 2 | 46 | 325 | 114 | 0 | 0 | 3 | 62 | 113 | .323(4位) |
09 | 横浜 | 93 | 343 | 45 | 94 | 16 | 1 | 25 | 187 | 69 | 0 | 0 | 0 | 26 | 80 | .274 |
10 | 横浜 | 144 | 565 | 75 | 145 | 30 | 0 | 26 | 253 | 88 | 0 | 0 | 3 | 49 | 124 | .257(30位) |
11 | 横浜 | 144 | 530 | 65 | 134 | 28 | 1 | 20 | 224 | 70 | 0 | 0 | 6 | 56 | 103 | .253(18位) |
12 | 巨人 | 144 | 516 | 49 | 130 | 27 | 0 | 12 | 193 | 58 | 1 | 2 | 6 | 51 | 85 | .252(16位) |
13 | 巨人 | 144 | 519 | 76 | 164 | 26 | 0 | 25 | 265 | 87 | 1 | 6 | 7 | 63 | 74 | .316(3位) |
14 | 巨人 | 143 | 519 | 49 | 133 | 17 | 0 | 21 | 213 | 68 | 2 | 0 | 4 | 52 | 83 | .256(23位) |
15 | 巨人 | 103 | 330 | 33 | 78 | 9 | 0 | 12 | 123 | 39 | 1 | 2 | 2 | 36 | 65 | .236 |
16 | 巨人 | 143 | 529 | 58 | 160 | 32 | 0 | 25 | 267 | 81 | 1 | 2 | 2 | 43 | 83 | .302(7位) |
17 | 巨人 | 118 | 381 | 41 | 100 | 19 | 0 | 14 | 161 | 58 | 0 | 1 | 2 | 40 | 63 | .262 |
計 | 15年 | 1953 | 6925 | 908 | 1865 | 349 | 10 | 360 | 3314 | 1123 | 14 | 23 | 62 | 744 | 1462 | .269 |