内川 聖一(うちかわ せいいち)

 大分工高から00年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団。ファームでの打率が1年目.241、2年目.223、3年目.245と思うように伸びなかったが、一軍では2年目に42試合ながら打率.333、翌年も45試合で47安打の.313と実戦に強いところを見せた。
 4年目の04年は二塁手として開幕スタメンの座を掴み、巨人戦で3打席連続ホームランするなど5月末まで11本塁打と活躍。規定打席には不足したが、94試合で97安打と自己最高の数字を残した。

 レギュラー目前と思われたが05年は外野にコンバートされ、守備面の不安もあってか64安打の打率.274と前年の数字を下回った。06年は佐伯・種田の不振もあって、内野主体の出場となり自己最多の124試合で115安打を放つが規定打席には13打席届かなかった。07年は再び外野に戻って69安打の打率.279。悪くても2割7分以上は打ち、内外野を守れる器用さを備えていたが、逆にその器用さが災いしたか不動のレギュラーとは言えない中途半端な状況が続いていた。

 08年も開幕当初は控えだったが結果を出してスタメンに定着し始めると、一時は4割台を超えるハイアベレージで打ちまくった。その勢いは最後まで衰えず、右打者としては史上最高の打率.378で堂々の首位打者獲得。また最多安打、最高出塁率のタイトルも獲得して一躍リーグを代表するバッターの仲間入りを果たした。
 09年は第2回WBCに選出され、決勝戦で3安打するなど打率.333と活躍し連覇に貢献した。シーズンでもコンスタントに打ち、連続首位打者は4厘差で逃したものの打率2位と健闘。2年連続ベストナインに輝きチームの看板打者としての活躍を見せた。10年も引き続き巧打者ぶりを発揮、初の全試合出場で08年に次ぐ182安打を放ち3年連続3割をマークした。オフにFA権を行使して福岡ソフトバンクホークスに移籍、4年契約を結んだ。

 移籍1年目の11年は4月の15試合で打率.397と打ちまくり、いきなり月間MVPを獲得する好スタート。6月下旬から右足肉離れで戦列を離れたが、シーズンを通してコンスタントに打ち打率.338で史上2人目の両リーグ首位打者となった。また、勝負強い打撃で自己最多の74打点をマークしてチームの日本一に大きく貢献。見事にシーズンMVPに選ばれた。
 12年は5月末で打率.310と順調だったが、6月に27打席ノーヒットなど月間.128と苦戦して打率も2割5分台まで落ち込んだ。その後は8月に.400、9月に.386と驚異的な追い込みで最終的には5年連続となる打率3割に到達。2度目の最多安打タイトルも獲得し、4度目のベストナインに選ばれた。

 13年は3年ぶり2度目の全試合出場で3年ぶりとなる180安打を放ち、自己最多の19本塁打・92打点で中軸打者としての成長も見せた。打率も.316で右打者としては史上3人目の6年連続3割を記録した。また、オールスター第3戦で決勝二塁打を放ちMVPに輝いた。
 14年は右臀部肉離れによる登録抹消があり122試合の出場に留まったが、3年連続6度目の150安打を達成。7月には打率.330で4度目の月間MVP。シーズン打率は.307と通算打率を下回ったが、史上8人目の7年連続3割で右打者では歴代1位タイ記録となった。
 15年もなかなか波に乗り切れず、打率.284で連続3割がストップし、規定打席到達シーズンでは初の3割未満に終わった。それでも8年連続ベストテン入りは果たし、自己2番目の82打点を挙げてチームのリーグ連覇に貢献した。日本シリーズはクライマックスシリーズでの骨折の為、欠場する事となった。

 16年は4月末で打率.343と好スタートを切ったが、7・8月に計177打数45安打の.254と夏場に不調に陥った。それでも9月に月間.354と巻き返して2年ぶり8度目の3割打者となった。あと104本となった2000本安打達成が期待された17年は開幕から好調で、5月末まで11本塁打の打率.335。しかし6月に首痛で3週間ほど登録抹消されると復帰後は6月27日から7月23日まで58打数10安打の打率.172と不振に陥った。その7月23日に守備で左手を骨折し、9月30日の復帰まで戦列を離れ2000本安打は18年に持ち越しとなった。クライマックスシリーズでは4試合連続本塁打を放ち完全復活。日本シリーズでも打率.318を残し優秀選手賞に選ばれた。

 18年は開幕から打撃不振で苦しんだが、5月9日に待望の通算2000本安打を達成。怪我のため5月17日から約1ヵ月の登録抹消を経て、6月中旬に一軍復帰したが、打撃の調子は上がらず8月中旬に体調不良で2度目の抹消。そのまま閉幕まで復帰出来ず、プロ2年目以降は打率.270を下回った事のない打率も.242という、らしからぬ数字に終わった。クライマックスシリーズで復帰し打率.455と活躍したが、日本シリーズでは.118と苦戦した。
 19年は月間3割以上が1度もなく、シーズンを通して打率.250前後と苦戦したが、128安打を放って3年ぶりの規定打席到達を果たした。20年は開幕一軍から漏れ、ファームでは42試合で打率.327と結果を残したものの最後まで一軍昇格することなく、プロ18年目で初の出場ゼロに終わった。シーズン後に自ら退団を希望し、東京ヤクルトスワローズに移籍した。

 21年は開幕スタメンを飾り、4試合目までに5安打と順調なスタートを切ったがコロナ禍で登録抹消。その後は代打要員としての起用が続いたが、7月以降はヒット2本と本領発揮には至らなかった。

 08年に右打者では史上最高の年間打率.378。11年に史上2人目の両リーグ首位打者。18年5月9日の対西武戦で武隈投手からセンター前ヒットを放ち、史上51人目の通算2000本安打達成。

 MVP1回(11)、首位打者2回(08、11)、最多安打2回(08、12)、最高出塁率1回(08)。ベストナイン5度(08、09、11〜13)、ゴールデングラブ1度(08)受賞。月間MVP5回(08年8月、11年4月、13年8月、14年7月、16年9月)。オールスター出場6度(08、09、11〜13、17)、13年第3戦と17年第1戦でMVP受賞。日本シリーズで17年に優秀選手賞受賞。WBC出場3度(09、13、17)。1982年8月4日生まれ。右投げ右打ち。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
01 横浜 3 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
02 横浜 42 66 11 22 4 1 2 34 7 0 3 0 4 13 .333
03 横浜 45 150 20 47 5 0 4 64 18 4 6 0 5 13 .313
04 横浜 94 338 55 97 11 1 17 161 45 2 12 1 18 42 .287
05 横浜 90 234 33 64 11 0 5 90 23 1 6 1 21 36 .274
06 横浜 124 402 41 115 15 2 4 146 34 8 7 3 27 64 .286
07 横浜 92 247 24 69 17 3 7 113 29 3 4 1 22 37 .279
08 横浜 135 500 83 189 37 1 14 270 67 2 5 4 35 49 .378(1位)
09 横浜 132 503 65 160 32 2 17 247 66 1 2 4 43 56 .318(2位)
10 横浜 144 577 75 182 36 4 9 253 66 1 3 4 53 51 .315(6位)
11 ソフトバンク 114 429 48 145 21 3 12 208 74 4 0 7 27 48 .338(1位)
12 ソフトバンク 138 523 44 157 21 3 7 205 53 6 0 7 37 36 .300(4位)
13 ソフトバンク 144 570 76 180 33 1 19 272 92 1 0 5 58 47 .316(6位)
14 ソフトバンク 122 488 50 150 26 1 18 232 74 0 0 7 39 48 .307(5位)
15 ソフトバンク 136 529 60 150 24 1 11 209 82 1 0 7 49 55 .284(10位)
16 ソフトバンク 141 556 62 169 19 0 18 242 106 3 0 9 40 53 .304(6位)
17 ソフトバンク 73 266 31 79 13 0 12 128 50 0 0 2 32 26 .297
18 ソフトバンク 71 281 27 68 11 0 8 103 30 1 0 3 12 32 .242
19 ソフトバンク 137 500 49 128 21 0 12 185 41 3 1 4 30 49 .256(21位)
20 ソフトバンク 一軍出場なし                        
21 ヤクルト 38 53 3 11 1 0 0 12 2 0 0 0 3 12 .208
                                 
21年 2015 7214 858 2182 358 23 196 3174 959 41 49 69 555 767 .302