谷 佳知(たに よしとも)
香川・尽誠学園高時代から大阪商業大、三菱自動車岡崎を経て96年ドラフト2位でオリックスプルーウェーブに入団。高校時代は2年夏の甲子園に出場。1回戦の帯広北高戦で2ランを放つなど、1番打者として5試合で19打数8安打、打率.421と活躍しチームのベスト4進出に貢献。大商大でも1年から活躍し、3年秋には打率.565、3本塁打、11打点で三冠王とMVPを獲得。
三菱自動車岡崎では、96年にアトランタ五輪出場。三番打者として9試合で38打数16安打の打率.421、4本塁打、11打点と活躍。予選リーグで唯一ノーヒットに抑えられたキューバには決勝で2本塁打とお返し。優勝は逃したが、チームの銀メダル獲得に貢献した。
オリックス入団1年目から外野の一角を確保。翌年からは不動のレギュラーでイチロー・田口と組む外野トリオは球界随一と言われた。98年から3年間は3割にあと一歩の数字を上下したが、5年目の01年は壁を破って打率.325をマーク。年間二塁打記録を作るなど、中距離打者としての持ち味を十分に発揮した。最初の2年間の盗塁は少なかったが、3年目の99年からは走る事にも意欲を見せて4年連続20盗塁を記録。
02年は松井(西武)に競り勝ち41盗塁で盗塁王に輝く。打撃面でも日本人右打者では52年ぶりとなる2年連続170安打をマークして打率.326を残した。反面、本塁打と打点は規定打席到達した5シーズン中では最少で、中心打者としては不満も残す内容だった。
03年は自己最多の189安打で最多安打のタイトルを獲得。盗塁は5年ぶりに一桁に留まったが21本塁打・92打点と自己最高の成績で中軸打者としての責任を果たした。打率もリーグ2位の.350をマークして通算打率も3割台を突破した。
04年はアテネ五輪に選ばれたが大会中の走塁で足を痛め、終盤戦を棒に振った。それでも自己2番目の15本塁打を放ち、打率.317と4年連続3割を達成した。
しかし順調だったプロ人生も05年に大きな壁にぶつかった。開幕直前に左脇腹を痛めた影響もあったか戦列復帰後も精彩を欠き、打率.248と自己ワーストの低打率。規定打席以上での打率ランキング最下位と、ベストテン常連の谷らしからぬ成績。かろうじて連続100安打は継続したものの、まったく不本意な成績に終わった。
巻き返しが期待された06年も7月に右ヒジ痛で登録抹消されるなど苦戦。打率は前年より上がったとは言え、通算打率からは程遠い.267に6本塁打・30打点は前年並み。盗塁もわずか1個とすっかり走れなくなった。オフにトレードで新天地・巨人へ移籍した。
移籍1年目の07年は172安打を放ち、リーグ3位の打率.318と巧打者ぶりが復活。3年ぶりに二桁本塁打と二桁盗塁を記録して健在ぶりを見せた。08年は右投手のときにスタメンを外れるケースが多く、規定打席には届かなかったが打率.295とまずまずで連続100安打も11年に伸ばした。
09年は前半戦は出場機会に恵まれなかったが、後半はスタメンの機会が増え勝負所の8月に打率.375、9月にも.446と打ちまくった。規定打席には大きく不足し連続100安打もストップしたが、シーズン打率.331と活躍して優勝に貢献した。
10年は厳しさを増す外野戦争の中、打撃の調子がシーズンを通して上がらず出場機会を大きく減らした。結局84試合で42安打の打率.239は全て自己ワースト。11年も初安打がチーム16試合目とスロースタートで、5月末では打率.115と出遅れた。6月以降は打率.312と持ち直し、最終的には.274まで巻き返した。しかしリーグ2位となる56度の代打起用と控えが多くなり、37安打は前年をさらに下回った。
12年も開幕から控えの立場だったが、チームが5連敗中と苦戦していた4月8日の阪神戦でスタメン起用されるとタイムリー2本を含む3安打の活躍で連敗ストップに貢献。以後スタメン機会が増え、6月は月間.353と好調で6月末までに前年に並ぶ37安打を放った。8月以降は出場機会も減ったが、ここ3年では最多の59安打・22打点を記録した。2000本へのラストスパートが期待された13年は怪我もあって開幕からファーム暮らしが続いた。6月末に一軍登録され、シーズン初出場の試合で2安打1打点と結果を残すが、結局13試合に出たのみで8月1日に登録抹消され7安打の上積みに終わった。シーズン終了後に自由契約となり、8年ぶりにオリックスへ復帰した。
選手層の厚い巨人から移籍して確実に出場機会は増えると思われたが、開幕一軍こそ果たしたものの3週間でファーム行き。そのまま一軍復帰を果たせずシーズンを終えた。年間わずか2安打という結果も、現役続行が決定。残り77本の行方は果たしてどうなるのか・・・。
01年の年間52二塁打は日本記録。03年の189安打は右打者のパ・リーグ最多記録。10年4月24日の広島戦で代打満塁本塁打。
盗塁王1回(02)、最多安打1回(03)。ベストナイン5度(99、01〜04)、ゴールデングラブ4度(01〜04)受賞。月間MVP1回(03年9月)。オールスター出場6度(01〜04、06、07)。五輪出場2度(96、04)。1973年2月9日生まれ。右投げ右打ち。
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) | ||
97 | オリックス | 101 | 309 | 36 | 84 | 21 | 4 | 1 | 116 | 33 | 5 | 4 | 2 | 26 | 45 | .272 |
98 | オリックス | 132 | 476 | 59 | 135 | 19 | 1 | 10 | 186 | 45 | 1 | 7 | 5 | 44 | 36 | .284(13位) |
99 | オリックス | 134 | 532 | 81 | 155 | 17 | 4 | 11 | 213 | 62 | 24 | 8 | 4 | 50 | 40 | .291(5位) |
00 | オリックス | 134 | 529 | 78 | 150 | 26 | 3 | 9 | 209 | 73 | 23 | 1 | 7 | 47 | 71 | .284(16位) |
01 | オリックス | 136 | 547 | 99 | 178 | 52 | 3 | 13 | 275 | 79 | 27 | 1 | 3 | 68 | 49 | .325(5位) |
02 | オリックス | 138 | 524 | 49 | 171 | 31 | 1 | 5 | 219 | 39 | 41 | 0 | 4 | 51 | 44 | .326(4位) |
03 | オリックス | 137 | 540 | 86 | 189 | 37 | 1 | 21 | 291 | 92 | 9 | 0 | 7 | 59 | 41 | .350(2位) |
04 | オリックス | 96 | 378 | 58 | 120 | 27 | 1 | 15 | 194 | 63 | 10 | 2 | 5 | 46 | 42 | .317(7位) |
05 | オリックス | 111 | 435 | 41 | 108 | 18 | 1 | 6 | 146 | 36 | 3 | 0 | 0 | 26 | 48 | .248(31位) |
06 | オリックス | 118 | 434 | 45 | 116 | 16 | 0 | 6 | 150 | 30 | 1 | 0 | 3 | 32 | 41 | .267(24位) |
07 | 巨人 | 141 | 541 | 63 | 172 | 31 | 0 | 10 | 233 | 53 | 10 | 20 | 1 | 33 | 48 | .318(3位) |
08 | 巨人 | 120 | 349 | 33 | 103 | 17 | 0 | 10 | 150 | 45 | 5 | 6 | 0 | 18 | 43 | .295 |
09 | 巨人 | 101 | 287 | 35 | 95 | 23 | 1 | 11 | 153 | 48 | 3 | 3 | 1 | 25 | 44 | .331 |
10 | 巨人 | 84 | 176 | 16 | 42 | 6 | 0 | 2 | 54 | 10 | 2 | 4 | 1 | 14 | 32 | .239 |
11 | 巨人 | 83 | 135 | 9 | 37 | 4 | 1 | 0 | 43 | 7 | 2 | 1 | 2 | 4 | 30 | .274 |
12 | 巨人 | 89 | 229 | 19 | 59 | 5 | 0 | 3 | 73 | 22 | 1 | 11 | 1 | 14 | 48 | .258 |
13 | 巨人 | 13 | 28 | 2 | 7 | 2 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 4 | .250 |
14 | オリックス | 9 | 16 | 1 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | .125 |
計 | 18年 | 1877 | 6465 | 810 | 1923 | 354 | 21 | 133 | 2718 | 738 | 167 | 69 | 46 | 563 | 711 | .297 |