坂本 勇人(さかもと はやと)

 青森・光星学院高から06年ドラフト1巡目で巨人に入団。高校3年春の選抜大会では初戦で敗れたものの3安打の活躍を見せた。入団1年目はファームでショートのレギュラーとして起用され、77試合で81安打を放ち打率.268。終盤一軍入りし9月6日の中日戦で延長12回決勝タイムリーを放ち、プロ初安打を記録した。翌08年は全試合に出場して8本塁打を含む134安打を放ち打率.257と早くも一軍定着を果たした。この年4月6日の阪神戦でプロ初本塁打を満塁ホームランで飾ったが、これはセ・リーグ最年少となる19歳3カ月での満塁ホームランだった。
 3年目の09年は打撃面で大きく成長し、リーグ2位の178安打で打率.306と活躍しベストナインに選ばれた。高卒3年以内の3割打者はドラフト制後7人目の快挙だった。

 10年は長打力に磨きがかかり31本塁打をマークする半面、打率は.281と前年からは下がってしまった。それでも2年連続リーグ最多となる107得点に自己最多の14盗塁と数字を伸ばし、チームの中心選手に成長した。11年はシーズンを通して調子が上がらず、盗塁を除くすべての部門での数字がここ3シーズンでワーストとなった。
 12年はシーズンを通して安定した成績を残し、173安打で最多安打のタイトルを獲得。打率も3年ぶりに3割台に乗せる自己ベストの.311でリーグ2位となり、チームの日本一に大きく貢献。3年ぶり2度目のベストナインに輝いた。
 13年も夏場までは好調で8月中旬時点では3割台を維持。しかしその後に23打席ノーヒットと24打席ノーヒットを立て続けに記録する大不振に陥り、最終的に打率.265まで落ち込んだ。各部門で前年を下回る中、自己最多でリーグ2位の24盗塁を記録した。

 14年は得点・安打・本塁打・打点・打率とほとんどの部門で前年を上回った。しかし8月15日で.299と3割を狙える位置にいながら、直後に24打席ノーヒットと前年同様の不振に陥り、同じ失敗を繰り返す形となった。なお5年連続の全試合出場は果たしたが、代走のみの出場があり規則上は連続出場記録は662でストップした。
 15年も開幕から不振で4月末には打率.214と低迷の上、右足の怪我でルーキー時代以来、8年ぶりとなる登録抹消も経験。一軍復帰後は徐々に調子を上げ、6月・7月と月間3割台の打率を残した。9月に打率.203と失速し、最終的には.269と不本意な数字に終わり、129安打もレギュラー定着以来ワーストとなった。
 16年はレギュラー9年目で大きな飛躍の年となった。4月末で打率.352に6本塁打と好スタート。オールスター第1戦では先制本塁打を放ち敢闘選手賞に選ばれた。球宴直後の4試合で14打数1安打、打率は.310まで下がったがそこからが例年と違った。翌日から8試合連続複数安打を含む13試合連続安打。打率を3割4分台に上げて打率トップに立った。そのままシーズン終了まで調子を落とす事なく打ち続け、168安打の打率.344で見事に初の首位打者に輝いた。加えて自己最多の81四死球とよく出塁し、出塁率.433でこちらも初めてタイトルを獲得した。23本塁打・75打点も10年に次ぐ自己2番目の数字で、4年ぶり3度目のベストナインと初のゴールデングラブに選ばれた。

 17年は2度目のWBCで打率.417と活躍。シーズンに入っても好調を維持して7月末では打率.333と、2年連続首位打者も視界に捉えていたが8月以降.215と急落。最終的に打率.292と3割は逃したが、2年連続ベストテン入りは初めて。7月には歴代2位の年少記録となる28歳6カ月で通算1500本安打を達成した。
 18年は打撃好調だったが、オールスター後に脇腹を痛め長期欠場。そのため08年以降では最少の109試合出場ながらも本塁打・打点では前年以上と奮闘し、打率は自己ベストの.345でベストテン2位に食い込んだ。
 19年は開幕から好調で、打率.345に7本塁打で3・4月の月間MVPを獲得。本塁打が急増し、6月2日には51試合目にして前年を上回る19号。そしてシーズン終了近い9月27日には遊撃手として史上2人目の40号に到達。打率.312、40本塁打、94打点の見事な成績で5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、シーズンMVPに選ばれた。

 20年は3か月遅れの開幕に加え、開幕直前にコロナ感染が判明と苦しいスタート。開幕戦には間に合ったものの、8月末で打率.256と前半は不調が続いた。9月に月間打率.337、10月も.312と後半戦は本来の調子を取り戻し、最終的には打率.289で6度目のベストナイン獲得。シーズン終盤の11月8日には史上53人目の通算2000本安打を達成した。
 21年は5月上旬の試合中に右手親指を骨折するアクシデントがあり、117試合の出場に留まった。19本塁打を含む115安打を放ったが、46打点は2008年以来の、打率.271は2015年以来の低い数字に終わった。

 22年は度重なる怪我に泣かされ、連続100安打も14年でストップ。ルーキーイヤー以来の規定打席不足で、試合・安打・得点・本塁打・打点など、2年目以降では軒並みワースト記録が並んだ。23年は開幕22打席ノーヒットと最悪のスタートとなった。それでも6月に月間.338、8月にも.318と夏場以降に復調し最終的にはベストテン7位の打率.288に22本塁打と活躍を見せた。一方、6月下旬から右足肉離れで約1ヵ月の戦列離脱があり、ここ6年で4度目の長期離脱のあるシーズンとなったのは残念だった。

 10年3月31日の対横浜戦から4月2日の対広島戦まで9打数連続安打。10年にサヨナラ本塁打3本。09年7月28日の対中日戦から14年4月30日の対ヤクルト戦まで662試合連続出場。19年3月29日の対広島戦から5月12日の対ヤクルト戦まで開幕36試合連続出塁。20年11月8日の対ヤクルト戦でスアレス投手からレフト線二塁打して、史上53人目の通算2000本安打達成。31歳10ヵ月での達成は歴代2位の年少記録。

 MVP1回(19)、首位打者1回(16)、最高出塁率1回(16)。ベストナイン7度(09、12、16、18〜21)、ゴールデングラブ5度(16、17、19〜21)受賞。月間MVP2回(18年3・4月、19年3・4月)。オールスター出場12度(08〜14、16〜19、21)。五輪出場1度(21)、WBC出場2度(13、17)、プレミア12出場2度(15、19)。1988年12月14日生まれ。右投げ右打ち。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
07 巨人 4 3 1 1 0 0 0 1 2 1 0 0 0 0 .333
08 巨人 144 521 59 134 24 1 8 184 43 10 15 1 30 98 .257(30位)
09 巨人 141 581 87 178 33 3 18 271 62 5 7 4 48 101 .306(4位)
10 巨人 144 609 107 171 35 4 31 307 85 14 10 7 50 83 .281(23位)
11 巨人 144 568 69 149 27 2 16 228 59 8 10 3 43 91 .262(16位)
12 巨人 144 557 87 173 35 2 14 254 69 16 12 5 45 90 .311(2位)
13 巨人 144 554 73 147 33 1 12 218 54 24 4 3 59 87 .265(17位)
14 巨人 144 545 82 152 29 0 16 229 61 23 9 5 57 88 .279(16位)
15 巨人 130 479 50 129 21 3 12 192 68 10 9 5 65 79 .269(16位)
16 巨人 137 488 96 168 28 3 23 271 75 13 1 6 81 67 .344(1位)
17 巨人 142 539 82 157 30 0 15 232 61 14 1 3 71 85 .292(9位)
18 巨人 109 441 87 152 27 2 18 237 67 9 0 0 61 83 .345(2位)
19 巨人 143 555 103 173 26 0 40 319 94 5 3 2 79 123 .312(5位)
20 巨人 115 412 64 119 28 1 19 206 65 4 1 4 62 85 .289(10位)
21 巨人 117 424 53 115 26 0 19 198 46 2 2 2 59 90 .271(20位)
22 巨人 83 304 35 87 14 0 5 116 33 2 0 2 46 65 .286
23 巨人 116 403 46 116 29 0 22 211 60 2 3 2 47 84 .288(7位)
                                 
17年 2101 7983 1181 2321 445 22 288 3674 1004 162 87 54 903 1399 .291