松井 秀喜(まつい ひでき)
石川・星稜高から92年ドラフト1位で4球団競合の末、巨人に入団。高校3年夏の甲子園では、明徳戦で5打席連続敬遠の「伝説」を残した。ルーキーイヤーは2軍スタートとなったが、4月下旬に1軍昇格。出場2試合目の5月2日、ヤクルト・高津から初本塁打するもプロの厚い壁に第2号が出たのは実に8月31日であった。しかしこの日から閉幕まで33試合で10本塁打を放ち、翌年に大いなる希望を残した。
翌94は開幕戦でいきなり2ホーマーも最終戦でようやく20号に乗せるにとどまった。しかし、全試合出場で148安打の打率.294は高卒2年目の選手としては十分に合格点の数字だった。
95年も22本塁打、打率.283と伸び悩むが、打点は前年の66から80と増やし初のベストナインに選ばれる。
そして96年はついにその素質が開花。38本塁打・99打点・打率.314と打撃3部門全てに自己最高の成績を残し、堂々MVPに選出される。22歳でのMVP受賞はセ・リーグ最年少記録だった。
97年も37本塁打を放つが2年連続1本差でホームラン王のタイトルを逃す。しかし自己最多の103打点と初の100打点以上を記録。四死球もリーグ最多の106と大台を突破。続く98年は数字こそ34本塁打・100打点と前年よりダウンしたものの2冠を制し、さらに最高出塁率のタイトルも獲得。99年は自己最多の42本塁打を記録したが、2本差でタイトルを逃し3度目の2位に終わった。
この年は連続試合全イニング出場が歴代3位の574試合でストップしている。オールスター第1戦では史上初の4試合連続ホームランを放ち、2度目の球宴MVPを獲得した。
00年は全試合に4番でフル出場し、打率・打点が自己ベスト、本塁打も自己最多タイで本塁打と打点の二冠に返り咲く。チームも優勝し、2年ぶりにリーグMVPを受賞。さらに日本シリーズでも21打数8安打の打率.381、3本塁打、8打点と活躍してMVPに選ばれた。
01年は自己ベストの打率.333で初の首位打者獲得。打撃3部門の全タイトルを経験して、いよいよ三冠王の期待が高まった02年は6月までは15本塁打とスローペースだったが7月以降大爆発。7月に11本塁打、8月には13本塁打を放ち2ヶ月連続の月間MVP。打率も急上昇して打撃3部門トップをひた走った。しかし9月半ばから打率を落とし、最終的には3度目の二冠に留まった。それでも史上8人目(11度目)となる50本塁打を記録するなど、球界ナンバーワンスラッガーとしての実力は十分に発揮した。
02年オフにFA宣言し、メジャーリーグのニューヨークヤンキースに移籍した。本拠地開幕戦で満塁本塁打を放つ派手な活躍もあったが、日本時代のように本塁打は量産出来ず序盤は苦戦した。中盤以降調子を上げて6月には打率.394をマークし、通算打率も7月下旬まで3割台を維持した。新人王は逃したが全試合に出場してリーグ10位の106打点は立派な成績だった。
04年は日本での開幕シリーズで本塁打を放つ好スタート。帰国直後の7試合では1安打と低迷したが、5月は月間打率.351と巻き返した。7月7日には早くも前年に並ぶ16号本塁打。7月15日のタイガース戦では日米通算1500試合連続出場。最終的に.298と3割は逃したが本塁打は31本と倍増させ、2年連続100打点も達成。
05年は開幕4試合で3本塁打と好調なスタートを切ったが、その後は本塁打ペースは大幅ダウン。しかし、192安打・116打点・打率.305は自己ベスト。日本からの連続試合出場は1737に伸びた。06年も前年に続き開幕戦本塁打すると、5試合目まで3本塁打の好スタート。しかし5月11日のレッドソックス戦で守備中に左手首骨折の重傷。日本時代からの連続試合出場も1768で途切れ、3ヶ月以上の実戦離脱を余儀なくされた。9月12日にメジャー復帰を果たすといきなり4安打、3試合目には本塁打を放ち復活を印象付けた。
07年も開幕早々に左足肉離れで故障者リスト入り。これが影響したか、6月までは8本塁打と低調だったが7月に自己最多の13本塁打と爆発、月間MVPに輝いた。8月以降は右膝の調子も悪く打撃は下降線を辿り、メジャー自己最低の打率.285に終わった。それでも04年に次ぐ25本塁打と4度目の100打点をマークし、中軸の責任を果たした。08年は例年低迷する4月を3割台のアベレージで乗り切ると、そのまま6月下旬まで首位打者争いに絡むコンスタントな打撃を見せた。しかし古傷の左膝が悪化して6月23日に故障者リスト入りすると、8月18日まで戦列を離れる事となった。結局93試合で打率.294はマークしたものの、9本塁打・45打点と寂しい数字に終わった。閉幕を待たずして膝の手術に踏み切り、09年の復活に賭けた。
09年は6月末までは打率.248、10本塁打、28打点とパッとしない数字だったが、7月以降は打率.296、18本塁打、62打点と復調。特に打点の量産ぶりはチームの優勝に大きく貢献する活躍となった。8月のレッドソックス3連戦で4ホーマー、9月13日からは9試合で5ホーマーとここぞという時に爆発力を見せた。6年ぶりとなったワールドシリーズでも最終第6戦でシリーズタイ記録の6打点を叩き出すなど、打率.615に3本塁打・8打点の大活躍で見事にワールドチャンピオンとシリーズMVPの栄冠を掴み取った。4年契約の切れたこの年オフにロサンゼルス・エンゼルスに移籍した。
エンゼルスでの2010年は開幕戦から4番に起用され、勝越し打に1号ソロと最高のデビューを飾った。開幕15試合で打率.309、3本塁打、10打点と上々のスタートだったがその後低迷。4月末には打率.273まで下がり、月間打率.184と苦しんだ5月末には.229まで落ち込んだ。なかなか浮上のきっかけを掴めず、8月中旬まで打率.250前後を行き来した。8月14日のブルージェイズ戦で先制2ランを含む4安打と爆発、この試合以後閉幕までは115打数43安打の打率.374と打ちまくった。しかし期待が大きかった分、まずまずと思われる21本塁打の打率.274であってもエンゼルスから残留要請はなく、11年はアスレチックスへ移籍することとなった。
アスレチックスでの11年シーズンも6月末で打率.215と低迷し、波に乗れなかった。7月以降は打率.282と持ち直したがトータルでは.251とメジャー移籍後最低打率。日米通算2500安打と500本塁打は達成したものの、12本塁打・72打点も規定打席以上ではメジャー最低の数字に終わり2012年の移籍先が未定のまま開幕時期を迎えようとしている。
93年8月22日の横浜戦から02年10月11日の広島戦まで歴代2位の1250試合連続出場。99年6月5日から10日まで5試合連続本塁打。01年5月5日の横浜戦から8月3日の横浜戦までセ・リーグ記録の65試合連続出塁。98年から02年まで5年連続100得点の日本記録。
[日本でのタイトル]
MVP3回(96、00、02)、本塁打王3回(98、00、02)、打点王3回(98、00、02)、首位打者1回(01)、最高出塁率3回(98、00、02)。ベストナイン8度(95〜02)、ゴールデングラブ3度(00〜02)受賞。月間MVP7回(94年4月、96年7月・8月、98年5月、01年9月、02年7月・8月)。オールスター出場9度(94〜02)、95年第2戦・98年第2戦・99年第1戦でMVP受賞。日本シリーズで00年にMVP受賞。正力松太郎賞1回(00)。1974年6月12日生まれ。右投げ左打ち。
[MLBでのタイトル]
月間MVP1回(07年7月)。オールスター出場2度(03、04)。ワールドシリーズで09年にMVP受賞。
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) | ||
93 | 巨人 | 57 | 184 | 27 | 41 | 9 | 0 | 11 | 83 | 27 | 1 | 0 | 0 | 19 | 50 | .223 |
94 | 巨人 | 130 | 503 | 70 | 148 | 23 | 4 | 20 | 239 | 66 | 6 | 1 | 4 | 61 | 101 | .294(11位) |
95 | 巨人 | 131 | 501 | 76 | 142 | 31 | 1 | 22 | 241 | 80 | 9 | 2 | 2 | 64 | 93 | .283(13位) |
96 | 巨人 | 130 | 487 | 97 | 153 | 34 | 1 | 38 | 303 | 99 | 7 | 0 | 7 | 75 | 98 | .314(7位) |
97 | 巨人 | 135 | 484 | 93 | 144 | 18 | 0 | 37 | 273 | 103 | 9 | 0 | 6 | 106 | 84 | .298(13位) |
98 | 巨人 | 135 | 487 | 103 | 142 | 24 | 3 | 34 | 274 | 100 | 3 | 0 | 4 | 112 | 101 | .292(11位) |
99 | 巨人 | 135 | 471 | 100 | 143 | 24 | 2 | 42 | 297 | 95 | 0 | 0 | 6 | 95 | 99 | .304(9位) |
00 | 巨人 | 135 | 474 | 116 | 150 | 32 | 1 | 42 | 310 | 108 | 5 | 0 | 7 | 108 | 108 | .316(3位) |
01 | 巨人 | 140 | 481 | 107 | 160 | 23 | 3 | 36 | 297 | 104 | 3 | 0 | 7 | 123 | 96 | .333(1位) |
02 | 巨人 | 140 | 500 | 112 | 167 | 27 | 1 | 50 | 346 | 107 | 3 | 0 | 3 | 120 | 104 | .334(2位) |
計 | 日本10年 | 1268 | 4572 | 901 | 1390 | 245 | 16 | 332 | 2663 | 889 | 46 | 3 | 46 | 883 | 934 | .304 |
03 | ヤンキース | 163 | 623 | 82 | 179 | 42 | 1 | 16 | 271 | 106 | 2 | 0 | 6 | 66 | 86 | .287(34位) |
04 | ヤンキース | 162 | 584 | 109 | 174 | 34 | 2 | 31 | 305 | 108 | 3 | 0 | 5 | 91 | 103 | .298(19位) |
05 | ヤンキース | 162 | 629 | 108 | 192 | 45 | 3 | 23 | 312 | 116 | 2 | 0 | 8 | 66 | 78 | .305(8位) |
06 | ヤンキース | 51 | 172 | 32 | 52 | 9 | 0 | 8 | 85 | 29 | 1 | 0 | 2 | 27 | 23 | .302 |
07 | ヤンキース | 143 | 547 | 100 | 156 | 28 | 4 | 25 | 267 | 103 | 4 | 0 | 10 | 76 | 73 | .285(40位) |
08 | ヤンキース | 93 | 337 | 43 | 99 | 17 | 0 | 9 | 143 | 45 | 0 | 0 | 0 | 41 | 47 | .294 |
09 | ヤンキース | 142 | 456 | 62 | 125 | 21 | 1 | 28 | 232 | 90 | 0 | 0 | 2 | 68 | 75 | .274(51位) |
10 | エンゼルス | 145 | 482 | 55 | 132 | 24 | 1 | 21 | 221 | 84 | 0 | 0 | 4 | 68 | 98 | .274(29位) |
11 | アスレチックス | 141 | 517 | 58 | 130 | 28 | 0 | 12 | 194 | 72 | 1 | 0 | 9 | 57 | 84 | .251(58位) |
計 | MLB9年 | 1202 | 4347 | 649 | 1239 | 248 | 12 | 173 | 2030 | 753 | 13 | 0 | 46 | 560 | 667 | .285 |
日米計19年 | 2470 | 8919 | 1550 | 2629 | 493 | 28 | 505 | 4693 | 1642 | 59 | 3 | 92 | 1443 | 1601 | .295 | |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |