近藤 健介(こんどう けんすけ)

 神奈川・横浜高から11年ドラフト4位で北海道日本ハムファイターズに入団。1年目はファームで59試合に出場して48安打の打率.279とまずまずの成績。一軍でも7月に初安打を記録した。2年目はファームで規定打席不足ながら200打数71安打の打率.355と打ちまくった。一軍でも10安打を放ったが、打率は.152とまだその壁は厚かった。3年目の14年はほぼ一軍定着を果たし、89試合で68安打の打率.258と成長を見せた。この年は3年目にしてプロ初本塁打も記録。

 そして4年目の15年にはレギュラーに定着して打率.326とその打撃が開花。捕手では盗塁阻止率.194と課題が残ったが、指名打者ではチーム最多の70試合に起用され、打率.316と打力をアピールした。16年は外野中心の起用となったが、80試合で打率.265に留まった。
 17年は開幕から好調で打率4割台をキープ。出場50試合目まで規定打席以上で4割を維持したが、持病の腰痛を発症し後半戦を棒に振った。腰椎椎間板ヘルニア手術を経て終盤戦に復帰したが、69安打止まり。それでも.413という驚異的な打率を残した。

 18年は腰痛の不安から解放され、開幕から終始3割台を維持。打率.323で3年ぶり2度目の3割打者となり初のベストナインに選ばれた。安打・本塁打・打点で自己ベスト。88四死球でリーグ2位の出塁率.427を残し、選球眼の良さも際立った。19年は前年に次ぐ148安打で打率.302と2年連続3度目の3割。四死球は105個とさらに増え、.422で最高出塁率のタイトルを獲得した。
 20年はリーグ最多の31二塁打を含む126安打。自己最高の打率.340で首位打者を争い、最終的には3度目の打率3位となった。2年連続で最高出塁率のタイトルも獲得し、2年ぶりにベストナインに選出された。

 21年は打率.298と4年連続3割を惜しくも逃したが、自己ベストの11本塁打に自己最多タイの69打点と、打線の低迷が目に付く中で孤軍奮闘した。37二塁打は2年連続でリーグ最多を記録した。東京五輪にも出場し、6打数2安打の打率.333を残した。
 22年は5月初めに右脇腹を痛め、6月末に復帰するまで2か月近く一軍登録を抹消された。この離脱が響いて、5年ぶりの規定打席不足。それでも99試合で98安打を放ち、打率.302と3割台をキープした。この年オフにFA権を行使して、福岡ソフトバンクホークスに移籍した。

 20年10月15日の対西武戦で1試合4二塁打の日本タイ記録。21年9月30日の対楽天戦から10月7日のオリックス戦まで7試合連続二塁打の日本タイ記録。

 最高出塁率2回(19、20)。ベストナイン3度(18、20、21)受賞。月間MVP1回(21年10・11月)。オールスター出場3度(18、19、21 )。プレミア12出場1度(19 )、五輪出場1度(21 )。

 1993年8月9日生まれ。右投げ左打ち。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
12 日本ハム 20 26 2 5 0 0 0 5 2 0 1 1 2 5 .192
13 日本ハム 32 66 7 10 0 0 0 10 2 2 2 1 11 14 .152
14 日本ハム 89 264 24 68 20 1 4 102 28 3 10 2 15 45 .258
15 日本ハム 129 435 68 142 33 2 8 203 60 6 3 5 61 59 .326(3位)
16 日本ハム 80 257 36 68 9 0 2 83 27 5 3 2 29 45 .265
17 日本ハム 57 167 32 69 15 0 3 93 29 3 0 2 62 27 .413
18 日本ハム 129 462 59 149 29 3 9 211 69 5 0 5 88 90 .323(3位)
19 日本ハム 138 490 74 148 32 5 2 196 59 1 0 5 105 81 .302(6位)
20 日本ハム 108 371 56 126 31 1 5 174 60 4 0 5 91 72 .340(3位)
21 日本ハム 133 447 61 133 37 4 11 211 69 4 0 6 92 84 .298(5位)
22 日本ハム 99 325 51 98 26 1 8 150 41 8 1 3 67 45 .302
                                 
11年 1014 3310 470 1016 232 17 52 1438 446 41 20 37 623 567 .307