阿部 慎之助(あべ しんのすけ)

 東京・安田学園高から中央大を経て00年ドラフト1位で巨人に入団。大学時代は二部生活が長かったが、3年秋に一部昇格を果たし、4年春にはリーグトップの3本塁打を放ちベストナインに選ばれた。

 巨人では捕手育成方針もあり、1年目から積極的に起用され127試合に出場。打率は.225と低かったが13本塁打を含む87安打を放った。新人捕手の二桁本塁打は69年田淵幸一(阪神)の22本に次ぐ史上2人目の快挙だった。02年はサヨナラ打を4本放つなど勝負強さを発揮、攻守の要としてチームの日本一に大きく貢献、2年目にしてベストナイン・ゴールデングラブを受賞するなど大きく飛躍した。
 03年も好調な打撃を見せていたものの、夏場に肩を痛めて後半戦を棒に振った。それでも規定打席不足ながら打率.303をマークした。

 04年は開幕から打ちまくった。6試合連続ホームランを含む開幕16試合目での10号到達は歴代4位のスピード記録。結局4月の23試合で実に16ホームラン、35打点に打率も.372と絶好調のスタートを切った。5月12日に史上最速となる33試合目での20号本塁打到達までは順調だったが、以後失速。5月末22号、6月末24号、7月末27号と本塁打ペースは急激にダウンした。8月20日には脇腹を痛めて登録抹消。結局108試合の出場に留まり尻すぼみの感はあったが、初の規定打席3割と30本塁打をクリアした。

 05年も故障に苦しみ後半戦、肩を痛めて一塁手として出場。それでも自己最多の143安打、86打点をマーク。打率も2年連続で3割打者となった。06年は再び捕手としてシーズンを送ったが、持ち前の長打力は影を潜め自己最低の10本塁打。それでも打率.294と5年連続で.290以上のアベレージを残し打撃の上手さは健在だった。
 07年は打率.275と1年目以来の2割8分未満だったが、前年伸びなかった本塁打・打点では自己最多タイの33本塁打、自己最多の101打点と大幅アップで中軸打者としての責任を果たした。また、4度目の出場となったオールスター第2戦では逆転3ランを放ちMVPに選ばれた。

 08年は2年連続4度目の20本塁打を放ち、チームの大逆転優勝に貢献。北京五輪にも出場し、台湾戦で本塁打を放った。09年も3割にあと一歩だったが、2年ぶり3度目の30本塁打を記録した。日本シリーズでもサヨナラ本塁打を含む2ホーマー5打点で打率.304をマークしてMVPに輝いた。
 10年は長打力に磨きがかかり、6月に21試合で14本塁打を量産するなど本塁打王争いに加わって、捕手として史上3人目の年間40本塁打を達成。自己最多タイの140試合に出場して、得点・本塁打は自己最多、安打・打点は自己2番目の好成績で4年連続ベストナインに選ばれた。オールスター第1戦でも2打席連続タイムリーを放ち、2度目のMVPに輝いた。

 11年は右足の肉離れで開幕から出遅れ、5月中旬に戦列復帰。7月以降に16本塁打と後半戦は調子を上げ、5年連続20本塁打に打率も規定打席不足ながら.292で6度目のベストナインに選ばれた。
 12年は開幕から好調を維持、6月・8月・9月と3度も月間MVPに選ばれる大活躍。リーグトップの得点圏打率.358と勝負強さを発揮し、特に8月・9月で48打点と後半の爆発ぶりは圧巻だった。最終的に打率.340と104打点で二冠王となりチームの3年ぶりとなる日本一に大きく貢献し、MVPに輝いた。
 13年は3年ぶり5度目の30本塁打で通算300本塁打を達成、さらに1500試合・1500安打と記録ラッシュとなった。打率は.296で惜しくも3割は逃したが、ベストナイン・ゴールデングラブを5年ぶりにダブル受賞した。

 14年はシーズンを通して打撃不振に苦しんだ。1年目以来となる.248の低打率で規定打席到達者27人の最下位に沈み、19本塁打・57打点は06年以来の低い数字。連続20本塁打も7シーズンでストップした。それでもライバル不在で捕手として9度目のベストナインはリーグ最多タイ、ゴールデングラブも4度目の受賞となった
 15年は一塁コンバートが決定していたが、故障者が出た事もありわずか開幕7試合目には捕手で先発出場した。結局捕手で25試合、一塁で78試合の守備に付いたが打撃成績は振るわず、15本塁打・47打点・打率.242は全てルーキーシーズンに告ぐワースト2位の低数値。4年ぶりの規定打席不足で連続100安打も11年でストップした。
 16年もコンディションが整わず初出場が5月31日と出遅れたため、規定打席には大きく不足した。それでも戦列復帰後はスタメン出場を続け、91試合で104安打の打率.310と内容的には14・15年の不振から抜け出すものを見せた。

 そして迎えた17年は開幕6試合で4本塁打、4月末で打率.305と好スタートを切った。しかし5月に月間打率.200と調子を落とすと、その後は2割5分前後で推移し最終的には.262に留まった。それでも3年ぶりの規定打席到達を果たし、76打点は13年以来の数字となった。ハイライトは8月13日の広島戦。第4打席にライト前ヒットを放ち、史上49人目となる2000本安打を達成した。
 18年は若手の成長もあり、先発出場の機会が激減。年間49安打と11本塁打はプロ入り以来最少で、通算400本塁打も翌年に持ち越しとなった。

 04年4月に月間16本塁打の日本タイ記録(当時)。04年4月9日のヤクルト戦から16日の広島戦まで6試合連続本塁打。09年9月5日のヤクルト戦から10日の横浜戦まで5試合連続本塁打。12年8月9日の対阪神戦から10月5日の対DeNA戦まで47試合連続出塁。17年8月13日の広島戦で今村投手からライト前ヒットを放ち、史上49人目の通算2000本安打達成。

 MVP1回(12)、首位打者1回(12)、打点王1回(12)、最高出塁率1回(12)。ベストナイン9度(02、07〜14)。ゴールデングラブ4度(02、08、13、14)受賞。月間MVP6回(04年4月、09年9月、10年6月、12年6月、同8月、同9月)。オールスター出場13度(03、04、06〜15、17)、07年第2戦と10年第1戦でMVP受賞。日本シリーズで09年にMVP受賞。WBC出場2度(09、13)、五輪出場2度(00、08)。正力松太郎賞1回(12)。1979年3月20日生まれ。右投げ左打ち。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
01 巨人 127 386 40 87 18 0 13 144 44 3 2 2 38 79 .225
02 巨人 127 446 62 133 26 0 18 213 73 4 4 3 58 81 .298(12位)
03 巨人 94 314 46 95 15 1 15 157 51 1 3 4 49 52 .303
04 巨人 108 379 61 114 22 1 33 237 78 0 1 0 56 87 .301(17位)
05 巨人 130 476 56 143 16 0 26 237 86 0 0 6 52 78 .300(15位)
06 巨人 129 452 39 133 26 2 10 193 56 0 4 2 39 76 .294(13位)
07 巨人 140 499 72 137 20 0 33 256 101 1 3 10 68 76 .275(20位)
08 巨人 125 428 60 116 27 0 24 215 67 1 4 0 52 66 .271(25位)
09 巨人 123 409 63 120 20 2 32 240 76 1 2 7 44 87 .293(10位)
10 巨人 140 498 85 140 27 2 44 303 92 0 1 1 69 91 .281(22位)
11 巨人 114 390 45 114 21 0 20 195 61 1 2 1 44 66 .292
12 巨人 138 467 72 159 22 1 27 264 104 0 2 8 78 47 .340(1位)
13 巨人 135 422 81 125 17 0 32 238 91 0 0 6 101 59 .296(6位)
14 巨人 131 459 49 114 24 0 19 195 57 1 0 2 65 77 .248(27位)
15 巨人 111 343 44 83 14 0 15 142 47 0 0 4 72 84 .242
16 巨人 91 335 43 104 13 0 12 153 52 0 1 3 48 55 .310
17 巨人 129 455 41 119 13 0 15 177 76 0 1 7 49 67 .262(21位)
18 巨人 95 198 22 49 6 0 11 88 46 0 1 1 23 55 .247
                                 
18年 2187 7356 981 2085 347 9 399 3647 1258 13 31 67 1005 1283 .283