ちょっとしたコラム      
                
04.9.4付


間柴(日本ハム)、驚異の年間15勝無敗

 1981年の日本ハムは19年ぶりのリーグ優勝を成し遂げたが、その立役者の一人である間柴茂有の連勝が大きな話題になった。それまでの間柴は大洋時代の75年に開幕6連勝した事はあったが、それを大きく超える連勝記録を作ったのである。しかも、75年は6連勝の後は7連敗のまま閉幕し、翌76年は0勝4敗、さらに77年も開幕2連敗して実に通算13連敗したという経歴の持ち主だった。80年までの通算成績でも33勝49敗で勝率.402とペナントレースなら最下位になりそうな勝率の持ち主だった。

 77年に日本ハムに移籍した間柴は2勝、7勝、3勝と来て前年の80年にはプロ11年目にして自己初の二桁となる10勝をマークしていた。自信を付けて臨んだ81年だったが、その活躍は周囲の期待以上のものだった。
 この年初登板は苦い味だった。開幕から5試合目となる4月9日の西武戦に先発したが、二死を取っただけで5失点KO。しかし、終盤に打線が反撃し高代の満塁ホームランなどで一度は逆転。最終的に試合は敗れたものの、初回で降板しながら間柴は敗戦投手を免れた。

 初勝利は4月14日の近鉄戦。初回に柏原が先制2ラン、4回にも大宮の2点タイムリーなどで3得点と序盤から援護を受け、5回を2失点で投げ抜いた。その後、岡部−江夏とリレーして結局5−4で逃げ切り、間柴はシーズン初勝利、そして江夏には日本ハム移籍初セーブが付いた。
 その後はリリーフに回ったりで2勝目は5月3日。完封は逃したが、見事な1失点完投勝利だった。そして中5日で9日の西武戦に先発したが、3回途中で5失点KO。またも序盤で不利な展開となった日本ハムだったが、4回に3点、5回には5点を挙げて大逆転。結局10−9の逆転勝利で間柴の黒星はまたも消え去った。

 間柴は汚名返上を期して中3日で13日の近鉄戦に先発した。初回にハリスのタイムリーで1点を失ったが、以後は6回まで近鉄の攻撃をゼロに抑えた。この間に打線が援護し、柏原と古屋がそれぞれ3ランを放つなど6回までに9−1と大量リードを奪った。間柴は終盤失点したものの10−4で逃げ切りシーズン2度目の完投勝利を収めた。
 続く19日の南海戦も2回に河埜の2点二塁打で先行を許したが、以後を粘り強い投球でゼロに抑えチームが終盤に逆転して4勝目をマークした。

 その後、24日のロッテ戦は2回0/3で4失点KO、27日の阪急戦はリリーフで2/3を投げただけで5失点と打ち込まれたが共に黒星は付かなかった。
 6月に入って4日の南海戦に先発。6回まで無失点に抑え、スコアも5-0と楽勝ペースだったが7回に4失点で降板。勝利投手の権利を持っての交代だったが、今度はリリーフが打たれてチームは逆転負けを喫した。

 安定しない投球の続いた間柴だったが、6月19日の近鉄戦では別人のように左腕が冴えた。近鉄打線を5安打散発に抑えて2年ぶりの完封勝利をマーク。約1ヶ月ぶりの白星で5勝目を挙げた。
 しかし、その後はしばらく先発の機会がなく結局前期は5勝で終了。後期に入り7月10日の近鉄戦で23日ぶりに先発に起用された。7回途中まで8安打されながら2点に抑え、江夏に繋いで逃げ切った。

 16日の南海戦でも7回を小田の本塁打による1点で切り抜け、クルーズの2打点を守って8回からは江夏にリレー。江夏は無難に2回を抑えて14個目のセーブ、間柴は7勝目を挙げた。22日には中5日で再び南海戦に先発。8回途中まで門田のソロ本塁打による1点に抑えて江夏へのリレー。無傷の8連勝でオールスター休みを迎えた。6月までの5勝と比べ、7月に入ってからの3連勝は安定感が増し、また江夏との左腕リレーが確立していた。

 後半戦最初の登板は8月2日。羽田のソロ本塁打だけの1失点で6月17日以来の完投勝利。しかも2年ぶりとなる無四球試合のおまけ付きだった。続いては14日の南海戦に先発。中11日の登板で、9安打を浴びる苦しい投球。しかし南海の12残塁の拙攻にも助けられ、粘りの完封勝利。打線も高代・クルーズ・柏原が本塁打を放ち、14安打7得点と援護した。これでついに開幕10連勝となり、その勝ちっぷりに対する注目度も徐々に高まっていったのだった。

 続いては21日のロッテ戦に先発し、2回までにクルーズの3ランなどで4得点と援護をもらった。しかし、ここ1ヶ月の好調ぶりがうそのような投球で3回表にレオン、土肥に連続タイムリーされて2回2/3でノックアウトされた。5回に逆転された日本ハムは9-11で敗れたが、間柴には黒星はつかなかった。
 中4日で投げた26日の近鉄戦では汚名返上のピッチング。4安打完投で自己最多の11勝目を飾った。打っては主砲・ソレイタが満塁ホームランを含む2本塁打7打点の大活躍。14安打11得点と強力に間柴を援護した。

 9月に入り1日の近鉄戦に先発。3回までに3-1とリードをもらうが、5回に平野・白に連続タイムリー許して3-3の同点に追い付かれた。ここから粘り強い投球を見せた間柴は9回までトータル11安打を浴びながら追加点を許さず投げ抜いた。迎えた9回裏の日本ハムは二死1・2塁のチャンスをつかみ、打席には2回裏に2点タイムリーを放っている古屋。ここで古屋は期待に応えてレフトオーバーのサヨナラ二塁打。間柴は結局完投で、相性のいい近鉄戦からこの年7勝目を挙げて連勝を12に伸ばした。

 中5日で先発した7日の南海戦は苦しい試合となった。3回表に二死1・2塁から4番の門田に3ランホームランを浴びてしまう。間柴は門田への一球以外は要所を締め、追加点を許す事なく9回表まで投げ切った。一方、この3点をバックに南海の先発・山内孝徳は8回まで日本ハム打線を散発3安打に抑えていた。間柴の連勝もここまでか。そんな空気の中で迎えた9回裏、完封勝利目前の山内が突然乱れ始めた。

 先頭の3番・クルーズ、続く4番の柏原に連続四球。ここで5番のソレイタが左中間にタイムリー二塁打してまず1点。さらに無死2・3塁から6番・井上弘の内野ゴロの間に1点。続く大宮は倒れたが、7番・古屋そして8番・岡持が連続タイムリー、土壇場で4点を挙げて逆転サヨナラ勝ち。間柴は敗戦投手から一転して日本新記録の開幕13連勝を達成したのだった。

 そして中5日で13日の阪急戦に先発。首位・日本ハムと2位・阪急のゲーム差はわずか0.5で、負ければ首位陥落という日本ハムにとって正念場の試合だった。日本ハムは2回表に村井のソロ本塁打で1点先行するが、阪急は3回に2点を奪い逆転。その後1点ずつ取り合って2−3と日本ハム1点のビハインドで7回を迎えた。阪急の3番手・今井をとらえた日本ハム打線はこの回、岡持の2点タイムリーなどで一挙に4点を奪い逆転。9回にも3点を加えてダメ押し。間柴は3失点したものの要所を締めて4試合連続完投勝利で連勝を14に伸ばした。

 9月18日の西武戦は中4日での先発となった。間柴は立ち上がり不調で、1回に田淵のタイムリー、2回には行沢にソロ本塁打を許して2点を失った。しかし前日まで5連勝と後期優勝に向けて意気上がる日本ハムはすぐこの2点を跳ね返した。3回裏に岡持のタイムリー二塁打、4回裏には大宮の15号ソロで同点。そして6回にはベテラン・井上弘が勝ち越しタイムリー。8回にも古屋のタイムリーで4点目を加えた。日本ハムは8回途中から江夏を投入する必勝パターン。4−2で日本ハムが勝ち、間柴はついに開幕15連勝を達成した。

 23日に2位の阪急が敗れ、日本ハムの後期優勝が決まった。その後の試合に間柴は登板せず、ここに戦後プロ野球初の「規定投球回以上の無敗投手」が誕生した。その後、1999年に篠原貴行(ダイエー)が開幕14連勝して間柴の記録に迫ったが、シーズンも残り4試合となった近鉄戦で同点から決勝本塁打を喫して敗戦投手となり、追い付く事は出来なかった。

 翌年も間柴は初登板となる4月6日の近鉄戦に完投勝ちして2年越しの16連勝まで記録を伸ばした。しかし、2試合目となった12日の南海戦に2失点完投しながら打線の援護がなく、0−2の敗戦でついに連勝はピリオドを打った。結局この83年は5勝10敗と大きく負け越し。プロ通算でも81勝83敗の勝率.494と負け越しに終った。プロ生活での勝ち運が集中したような1981年であった。

<開幕15連勝の軌跡>
    セーブ 安打 三振 四球 自責
1勝 4/14近鉄○5−4 江夏 5 7 6 4 2
2勝 5/3ロッテ○3−1   9 7 1 2 1
3勝 5/13近鉄○10−4   9 9 6 2 4
4勝 5/19南海○3−2 江夏 7 7 6 2 2
5勝 6/17近鉄○5−0   9 5 3 1 0
6勝 7/10近鉄○6−2 江夏 6・2/3 8 3 2 2
7勝 7/16南海○2−1 江夏 7 7 4 1 1
8勝 7/23南海○4−1 江夏 7・1/3 8 3 2 1
9勝 8/2近鉄○5-1   9 5 2 0 1
10勝 8/14南海○7-0   9 9 2 4 0
11勝 8/26近鉄○11-2   9 4 4 4 1
12勝 9/1近鉄○4x-3   9 11 4 3 3
13勝 9/6南海○4x-3   9 6 4 2 3
14勝 9/13阪急○9-3   9 7 5 3 2
15勝 9/18西武○4-2 江夏 7・1/3 7 5 0 2

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