ちょっとしたコラム      
               
03.3.15付


大宮(日本ハム)、十万分の一の確率を制してサイクルヒット達成

 1980年7月29日の南海戦で大宮龍男捕手(日本ハム)がサイクルヒットを達成した。この試合に「6番・指名打者」で先発出場した大宮は初回の第1打席はライトフライに倒れたが、3回の第2打席にライト前ヒットを放つと波に乗った。6回の第3打席に右中間三塁打、8回にはセンターオーバーの二塁打を放った。ここで残るは本塁打のみとなった。8回の先頭打者だった大宮にもう1打席回るか難しいところだったが、この回の日本ハムは打者7人を送り、9回の攻撃は4番打者からとなった。大宮に第5打席が回って来たのである。

 ここで大宮は竹口投手からレフトスタンドにホームラン。これしかないという場面でシーズン第1号本塁打を放ち、見事にサイクルヒットを達成したのである。史上34度目、パ・リーグでは17人目、日本ハムでは東映時代の61年張本勲以来19年ぶりの記録だった。サイクルヒットは第1号の48年藤村富美男(阪神)から02年まで55年間に延べ57度達成されている。平均して1年に1回は誕生する記録である。大宮のサイクルヒットは貴重な記録とは言え、表面的にはそう驚くべきものでもない。

 しかし、大宮のサイクルヒットの凄さはそれだけに留まらなかった。この記録は恐るべき確率の元に誕生したのである。80年の大宮の最終打撃成績を見ると単打27本、二塁打5本、三塁打1本、本塁打1本。合計34安打しか打っていない。特に注目すべきは三塁打と本塁打がそれぞれ1本しかないという点だ。何とシーズン唯一の二種類の長打を1試合に集中させたのである。しかもその試合に単打と二塁打も合わせて打つ確率となれば・・・。

 この年の大宮の打数は135しかない。単打を打つ確率は27/135(=1/5)、二塁打は5/135(=1/27)、三塁打と本塁打はそれぞれ1/135である。これらが連続して発生する確率を計算してみると、何と1/5×1/27×1/135×1/135=1/2,460,375。さらにその組み合わせパターンは4通り×3通り×2通り×1通り=24通りある。つまり1/2,460,375×24通り=約1/102,515。例えば10万枚の懸賞応募葉書の山から自分の1枚が当選する確率を考えれば、恐ろしく小さい確率であることは確かである。・・・この確率を現実のものにした大宮のサイクルヒットであった。

 大宮は駒沢大からドラフト4位でプロ入りして4年目のシーズンだった。1年目が40試合で打率.167、2年目が51試合で.262、3年目が75試合で.274と少しずつ力を付けて臨んだ80年だった。しかし、この試合を迎えるまでの大宮は打撃好調と言える状況ではなかった。実力か?偶然か?ともかく大宮はサイクルヒットを達成した。それは紛れもない事実である。

 過去57例のサイクルヒットのうち、年間三塁打が1本というケースは昨年の井端弘和(中日)まで延べ9人いる。しかし、本塁打が1本きりというのはこの大宮一人だけ、もちろん四種類の安打のうち二種類が年間1本だったのも大宮だけである。長打合計も7本でしかない。もちろんこんなサイクルヒット達成者は他には見当たらない。その次に少ないのは52年東谷夏樹(阪急)と85年岡村隆則(西武)の15長打である。

 このサイクルヒットが飛躍のきっかけとなり、翌81年はついにレギュラーを獲得。113試合に出場して89安打を放ち、打率.249をマークした。本塁打も15本とパンチ力のあるところを見せ、チーム19年ぶりの優勝に貢献した。82年にも16本塁打、67打点と打棒が冴えた。この年は二塁打を26本、三塁打も6本放っている。その後の大宮は85年頃から田村藤夫の追い上げもあって出場機会が減少した。88年に中日、90年には西武に移籍。92年限りで引退、16年間の現役生活だった。

 大宮の終身成績は1034試合、2360打数573安打の打率.243、63本塁打、284打点である。二塁打は93本、三塁打は17本打っている。

<“年間唯一の1本”をサイクルヒットに結び付けたケース>
  年月日・対戦カード 単打 二塁打 三塁打 本塁打
滝田政治(大映) 1952年6月22日・対東急 40本 13本 1本 5本
山川武範(広島) 1952年6月26日・対国鉄 63本 15本 1本 5本
D・スペンサー(阪急) 1965年7月16日・対金鉄 66本 21本 1本 38本
和田博実(西鉄) 1968年5月28日・対南海 70本 9本 1本 10本
大宮龍男(日本ハム) 1980年7月29日・対南海 27本 5本 1本 1本
J・ハウエル(ヤクルト) 1992年7月29日・対広島 68本 21本 1本 38本
中村紀洋(近鉄) 1994年9月18日・対日本ハム 32本 13本 1本 8本
広沢克(巨人) 1997年9月26日・対中日 84本 13本 1本 22本
井端弘和(中日) 2002年9月21日・対横浜 124本 25本 1本 4本

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