プラレール幻の逸品展示室(その11):動力ユニットの変遷

発売以来約40年…トミーはプラレールの規格をかたくなに守り続けてきました。同じレール、同じ車両寸法…そのおかげで、昔の車両も今の車両も一緒に走らせる事ができます。しかし、そんな中でトミーが見えないところで、常に改良を加えてきた物があります。それは、プラレールの心臓とも言うべき動力ユニットです。大きくは屋根スイッチで手ころがしのできる近年のもの(通称新動力ユニット)と、それ以前の前面スイッチで手ころがしのできないもの(通称旧動力ユニット)の2つにわかれますが、その中でも時期によってさまざまな違いがあります。その流れを、実物の写真をまじえてたどってみたいと思います。

 旧動力初期(その1):左が電動プラ汽車、右がひかり号のもので、特徴としてはモーターと車輪が(摩擦ゴムを介さず)ギアで直結されている事で、厳密には旧動力ユニットにも属さない独自の物といえる。スイッチは。各部の電気的な接続も、リード線をハンダ付けしており、いかにも手作り的であり、耐久性上もコードの切断等問題がある。(1961〜64年頃)
 旧動力初期(その2):スイッチが屋根に移る。旧動力の特徴とも言うべき摩擦ゴムを介して間接的に車輪を回す機構が確立。(ただ、初期のこの製品は、摩擦ゴムの代わりにピニオンギアを使用しており、これでは車輪のゴムがすぐにだめになってしまうと思われる)
(1965〜68年頃)
 旧動力(中期):スイッチを前面に戻し、リード線の使用も最小限とし耐久性の向上が図られている。製品的にも安定し、長期間生産された。右上は、SL用のもので、走行するとチンチンと音が出るような機構が内蔵されていた。
(1968〜77年頃)

 旧動力(2スピード)急行電車専用の動力ユニット。この製品のみ2スピード仕様となっており、前面スイッチでモーターのオン、オフを、屋根上のスイッチで(ギアを切り替えて)スピードの切り替えを行うという複雑な機構。ストップにするとギアの接続が切れ、手ころがしも出来るすぐれもの。後年の2スピードユニットの先駈けとも言える物だが、生産量は少ない。(1978〜85年頃)
 旧動力(後期):ギアボックスのカバーがプラ製となる。
(1978〜86年頃)
 新動力(左が1スピード、右が2スピード):現行の物。スイッチを屋根に移し、オフにすると手ころがしもできるようになった。メカニズムとしては、改良の余地が無いほど完成されており、これからも長期にわたり使用されると思われる。(1987〜現在)