横浜ドリームランドに行ったぞ




ある日、僕のもとに1通の招待状が届いたのさ













 「おにいたま!これは、横浜にあるという夢の遊園地「横浜ドリームランド」からの招待状ですよ
ドリームランドといえば、日本で一番詳しいといわれるこちらのHPが有名でしゅよ!<ちょっと宣伝」

なになに…
 
「さて、幣ドリーム交通が一昨年以来鋭意建設を進めてまいりました
国鉄大船駅より横浜ドリームランドにいたる
モノレール路線がおかげさまでこのほど開通の運びとなりました
(中略)
何卒、ご試乗を賜りたくお願い方々ご案内を申し上げます」
-ドリーム交通株式会社社長 松尾國三-


「こんなかっこいいモノレールで大船からいけるそうでしゅよ!」

〜といいうわけで、さっそく横浜ドリームランドへGOだ!まずは大船駅へGOだ!



「お、おにいたまたいへんでちゅ、モノレールの駅がないでちゅ
それによく見ると招待状の差出日は昭和41年でちゅよ」

「なに、それじゃまだ初代リカちゃんトリオも結成前の時代ではないか
何で今ごろ、届いたんだろう>こ、これはタイムスリップ!?」

「難しい事は言わずに車で行きましょうよ」

「よし、わかった、ケン坊を呼ぼう、ケン坊・ケン坊・応答せよ・来たな!よし行こうっ!」(市川治の声で読め!)

モノレールは昭和42年から運行休止だ、駅も無いぞ!>なぜだったかは最高機密だそうだ>うそ
しかたないので、ケン坊のフィガロで行く事にしたぞぶぶーっ>この車も今はないのだ
さすがに夢の国だ、混んでいるぞ!とおもったら、閉園間近で混んでいるんだって
そういえばケン坊の知り合いが以前、平日に行くと誰もいなくて寂しいので
週末に行くのがちょうどいい混み具合だぞなんて言っていたのを思い出したぞ
さっそくケン坊が顔出し写真を…ミーハーな奴だな
と、おもったらあけださんまで…キャプテン潮風とはまた渋いペアですな〜
それにしてもランちゃんはかわいいね>は、リカちゃんという許婚者がいながら僕とした事がなんということを…
みんな、忘れてくれたまえ

みんなももちろん知っていると思うが横浜ドリームランド昭和39年7月29日にオープンした日本初のテーマパークだ

総工費200億!総面積132万u!夜間照明150万燭光!(なんかすごい)
東京駅丸の内北口や新宿安田生命前からの直行バスも運行されていたんだぞ
営業時間は朝の10時から夜の10時までで、夜もたっぷり楽しめる遊園地だったそうだ

そして40年近く…いろいろあって平成14年2月17日に閉園したんだ

これがドリームランドの2階建て開園木馬だ>今は小山遊園地にあるらしいぞ
園内も結構混んでいたぞ お化け屋敷>外観から内容は推して知るべしでちた

公然の事実だが、ドリームランドはアメリカのディズニーランドを手本にしている
単なる「遊園地」ではなく「遊ぶ・食べる・泊まる」がセットになった日本で最初のテーマパークだったんだぞ
東京ディズニーランドができるまで、日本には他にこういったタイプの遊園地はなかったのだ
その象徴が、日本初の超高層ホテル「ホテルエンパイア」と「ドリームランドモノレール」だったんだが
モノレールは廃止になったが、エンパイアは薬科大学として数年後に再利用される事が決まったんだ


「○リ○の…ぢゃなくてスリルとロマンの大冒険!大海賊}

スリルとロマンの「大海賊」!中の写真を3枚だけ公開しよう!あとは秘密だぞ
ほとんど動かなくなってたぞ
けっしてT○Lの「○リ○の海賊」と比べちゃだめだぞっ

そして「ワンダーホイール」

ドリームランドのシンボル「ワンダーホイール」だ!
完成時は、日本一の高さを誇ったそうだ
眺めはなかなかいいんだが、1つおきにレールに沿って揺れ回るカゴが付いていてちょっと怖かったぞ
それに揺れ回るカゴだと一番高いところまで行かないんだよね>物理の法則わかるよね
揺れ回る方のカゴ>はっきりいって酔います 観覧車と共に僕の心も揺れる〜
「リカちゃんかランちゃんか

「ゲームセンター」
レトロゲームの宝庫で、一部では既に有名だったらしい
メンテをベテランの職員さんたちがばっちりやっていたので状態は最高!>人件費対策という説もあるが
全て10円から高くても200円
こいつはスゴイゼ〜

快傑タマゴンぢゃなくてライオン丸 仮面ライダー2号だっけ(新1号?)
仮面ライダーV3(ぶいすりゃ〜) ガンファイト(サボテンに隠れながら相手を撃つあれです)
ヘリコプター 外の「帰りマン」人形 ウルトラアタック・何せ「MAT」ですから
何度も言うがここのゲームセンターはレトロゲームの山だったぞ!
係員の人たちが、何十年も自分たちで修理しながら使っていたそうで、状態もとても良かったぞ
今はどこに行っちゃったんだろう>やっぱ○原さんのところかな



「ステージショー」

園内のわりと奥の方にステージがあって、週末はだいたいショーをやってたぞ
実はこのステージは開園当時のステージを移築して使っていたそうだ>古っ
今日はドリランオリジナル「バラエティーショー」>パチパチ(いまいち拍手まばら)

いのししの名前は「イノちゃん」だけど
何故かパンダは名前がないんだ>ほんと、本人も悩んでた
カッコ付けてるけどセリフは
「材料は揃った、あとはかき混ぜるだけだ」の一言の
キャプテン潮風
ステージではちょうどドリランオリジナルショーが>ケン坊はランちゃんに萌え萌えらしいぞ
キャプテン潮風とイノちゃんのタイタニック>流行ったね(^_^.) 終わったあとはパレードもあるのだ
ステージではちょうどアギトショーも>時代がばれるな トランポリンで元気一杯のボン

「ジャングル探検船」
「おにいたま、これを真似たようなアトラクションがT○Lにもありましゅよね」
「しっ!ごろ、それは絶対に口にしてはならないことだぞ」

もともとは「冒険の国」というはるかにスケールの大きなアトラクションだったが
敷地をドリームハイツに切り売りするときに移転して、こんな施設になったそうだぞ
ジャングル探検船だ!後ろはオオワニだ!でももうずいぶん前から動かないらしいから安心だぞ


「潜水艦」
オープン当時からの目玉アトラクション
ケン坊もはるかな>(うるさいわねっ)昔乗った記憶があるそうだ
昔は奈良のドリームランドにもあったそうだが、もう今はないそうだ
ちなみにあの「キャプテン潮風」はこの潜水艦の艦長だそうな…

これがうわさの「潜水艦」だ!日本でもここだけだそうだぞ「YD1号」から「YD3号」まであるのだ
さっそく搭乗だっ、ハッチを開けて乗り込むぞ>でも水が濁っていて外があんまり見えないぢゃないの>ほんと

「園内風景」
まあ、写真を見て下さいよ

まずは「ドリーム銀座」やってる店は2軒しかなかったぞ 「レストランループ」の看板少年>今では奈良にいるとか
童里夢(ドリーム)神社>こいつも奈良にいったらしい フェンスに残る開園当時のシンボルマーク

「衛兵パレード」
ドリームランドのもうひとつの目玉
開園当時は、必ずパンフに載ってました
その後人件員費節約のためか中止になり>悲しいね
閉園の前年の秋から復活しました

まずカルーセル前に集合! 先頭は園旗を持った団長のNさん
もちろんドリちゃん・ランちゃんも参加します
鼓笛隊も続き、入り口側のゲートまで行進


「ミュージックエクスプレス」

はっきりいうと、どこの遊園地にもわりとある施設なのだが
ここはオペレーターの「ヘイヘイおじさん」で超有名だったんだ
「ヘイヘイおじさん」は開園当時からの生え抜きのスタッフだったが
ミュージックエクスプレスの担当になってからもイマイチ客足が伸びないので
ある日「学園天国」のサビ部分「ヘ〜イヘイヘイヘ〜イヘイ」を歌いながら回したら大受け!
それ以来「ヘイヘイおじさん」と呼ばれ大人気スターに
勝手に逆回しとか2周させたりとかおじさんの操作一つなのがまたアバウトでよかったね
あまりの回転の激しさに僕の髪も乱れてしまったよ


こんな感じです>よくあるでしょ 「ヘイヘイおじさん」既に退職したんだけど
頼まれてやってたんだって
あけださんとのツーショット 夜景です>イルミネーションが綺麗だよね〜

「そして最終日」
平成14年2月17日…
その日はやってきた

ランド自体の経営はそんなに悪く無かったそうだが
ドリーム開発から買い取ったダイ○ーグループの負債解消のため、閉園する事になったそうだ>ダイ○ーだめじゃん

入園待ちの車で周辺が大渋滞し、戸塚駅からバスで4時間かかったとか
ケン坊は裏道を知ってたのでスイスイだったけどな


最終日の日付の入ったフリーライド券>右のメモは開園当時のものだ>雰囲気ちがうわね
どの施設も長蛇の列、4つくらいしか乗れなかった
「ワンダーホイール」も午後3時には行列を〆切っていたのでとうとう載れなかった
ミュージックエクスプレスはラスト2で搭乗に成功
夕方からは雨、でも誰も帰らずに午後8時の閉園時間を待っていた
明日からは、もう中に入ることも乗り物に乗る事もできない
この日、横浜ドリームランドは38年の歴史を閉じたのであった



おまけ「その後のドリームランド」
閉園後は、中古車のオークション会社が買って、会場にする事になったが地元が大反対!
結局横浜市が買い取って、野球場と公園墓地になることになった
諸般の事情があり、解体工事が始まったのは閉園後1年数ヵ月後
だったらもう少し営業すればよかったのに

「夢の遊園地」から「夢の墓地」に…なんかすごいっすね

ワンダーホイール解体中 潜水艦「YD1号」
ジャングル探検船 凱旋門の「礎石」
有名人の胸像>山本五十六とかいたのが謎 潜水艦「YD3号」水位が下がってるので傾いてます
「YD1号」解体後のハッチ コーヒーカップの看板
潜水艦の滝のトンネル出口付近 そしてほどなく、樹木を残して更地になりました
>松尾國三の夢はここに消えたのでした


…そして現在は公園と霊園として生まれ変わりました


今回はケン坊の趣味性が強く出てしまってすまんかった
まだハウステンボスやら中国やら旅行記はたくさんあるので楽しみに待っててくれたまえ
それではみんなAu revoir

作成年月日2004年12月12日