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新疆ウィグルへの旅


上海〜鳥魯木斉ウルムチ庫車クチャ庫爾勒コルラ吐魯番トルファン〜鳥魯木斉〜上海

日時:2006:平成18年5月14日(日)〜5月26日(金):12泊13日

13日目:上海〜明石へ:5月26日(金)晴れ



2006.平成18年5月26日(金)

■すぐに朝が来たもよう・・・。

いくら疲れていても帰国の日はテンションも高くなり元気百倍??

7時起床・・・新疆時間を考えなくていいので気楽。

朝シャワー、湯は大量に出るから良かった。8時過ぎこの旅最後の退房。
浦東空港(発)はPM5:55分だから午後3時頃まで上海を散策できる。



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シャワー湯大量放出、部屋狭く汚い・・・これが虹橋空港徒歩1分の虹港大酒店です



空港横だから、空港のタクシー乗り場から乗った。50歳のおっさんだった。調子よく私の話に口裏合わせ、共産党の悪口に終始。

文化大革命の時は、10歳だったそうだ。調子の良いおさんだったが、何故か?上海駅遠く、中々着かない。

行きしなは・・・と、自分の書いた旅行記振り返れば上海駅から47元で虹橋空港。おまけに運転手の歳も同じ50歳、だが値段は何故か ?倍の97元くらいになっているが、その時は、おかしいとは思いつつ相手のペースに嵌められ、100元で釣りは不要と笑顔で降りた。

奴は手品師か?それとも催眠術使いか?まあいい。

荷物を預け、まず朝飯を食いに。例のトイレのおばちゃんに持って行ったケンタッキーフライドチキンの店に入る。16元也。

しまった。あのオバちゃんに、手土産持って無事戻って来たと挨拶に行くべきだった。



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上海駅前ケンタッキーフライドチキンの店・・・で、何故か?ハンバーグとお粥を食う。うまかった。



■地下鉄で浦東までの復習をする。

まず地下鉄・上海駅から1号線に乗る。人民公園で2号線に乗り換え、龍陽路で降りたら、そこに浦東行きのリニアモーターカーの駅が有 る。

未だ上海ではドアが開けば降りる客を待たず、乗る奴が容赦なく入ってくる。リニアモーターカーは航空券を提示すれば40元だった。先 に切符を買った。



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上海の地下鉄へ続く地下道・・・なるほど字の如くか、磁石で浮く、龍陽駅だ。



■上海老街へ

そこから、又地下鉄で河南中路まで戻り、さっき上海駅前で買った最新版の上海地図を見ながら上海老街目指して歩いた。 間違わずに歩いているようで、見たことのある風景に近づいて来た。

目指した上海老街は2001・平成13年に三男と来た時に、ここで水餃子を食い、それがうまかったから。

そして豫園のすぐそばだし、老街に辿りつき餃子屋を、あちこち探すが残念ながら見当たらず、帰って写真を見直せば路地裏通りだった。

適当な店を見つけて入ったが珍しく焼き餃子の店で、初めて中国で焼き餃子を食う。熱かったがあまりうまくはなかった。



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5年ぶりの上海老街、なんら変わらず・・・初めて食った焼き餃子。



■そして、いつものように豫園へ

この賑やかさが好きだ。

日本なら人込みを見に行こうなんて気にならないが、何故か外国旅行では人込みに興味が深々となる。

その中にボサーといるだけで飽きない。今日も金曜日だがいろんな人種が入り混じり賑やかなことこの上ない。

途中でまた似顔絵の店を見つけ、声を掛ける。

画家のおっちゃんは不在。三人それぞれの違う職種で一軒の店を構えているらしく、あなたの名前で詩を作ります・・と言う詩人が「今、 ちょうど飯を食いに行ってるけど直ぐに戻ってきますから」と早速携帯で客の来店を告げていた。

50元。とりあえずなにげなく口癖の様に「再便宜点ル=まけて」と言うと、45元とその詩人が勝手に値引く。数分、待ったら如何にも 顔に「私は善人」と書いてあるおっちゃんが息せき切って戻って来た。

詩人が「この人、45元で手を打ってるから」と耳打ちする。

“さいでっか、なんぼでも構いまへんで・・・”と言うようなニコニコ顔で、早速私に「ここを見て」と告げる。

前に豫園で描いてもらった時は、豫園の中の出店だったので人だかりが出来、みんなにジロジロ覗きこまれたが、ここは店構えのあるとこ ろなので観客は一人。

おっちゃん“さらさら”と筆を運ぶ。リズミカルに、楽しそうに描く。その雰囲気だけでこのおっチャンは上手い、本物や、と感じる。

5〜10分で「ハイ出来ましたで・・」と完成の合図。私が「貴方の名前も書いて下さい」と頼んだ。

見ればそっくりそのままって言う絵ではないが、雰囲気は十分。タッチは最高。

釣竿片手に大物を釣り上げてる構図だ。上手い。気に入った。「我満意」である。

おっちゃんと記念撮影。シャッターは観客一の人が押してくれた。

おっちゃん曰く

「写真でも、何でも送ってくれたら描きまっせ、携帯のこれでもよろしおま・・・」終始ニコニコ顔のいい人だ。

上海に行く機会あれば豫園のこのおっちゃんに似顔絵を描いてもらうのも楽しい思い出になりますよ。このおっちゃん似顔絵画家。絶対、 ぶさいくには描きません。保証します。

次に行ったら私はきっと描いてもらいにここに行く。

豫園をぶらつき上海を堪能する。さあ、ボチボチ河南中路の駅から地下鉄乗って、上海に戻って空港へ行こうか。



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名画伯との楽しい一時・・・雰囲気ありまっせ、気に入ってます。三男へ「まだまだ修行が足らんぞ」



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2006.5.26.上海・豫園はやはり賑やかだった。



■豫園から河南中路で地下鉄、そして上海駅へ



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空に向かって花咲く、誰が見てるん?・・・また、上海を日本語で埋めてやろうかフフフ



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いつの日にか意味が分かるだろうか?

上海駅前・2006年5月26日の光景。こんな荷物持って汽車に乗ってええんか



■リニアモーターカーに乗る

上海磁浮列車である。



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龍陽站は綺麗です・・・左右計ゆったりの6座席、幅広ですね。



予行演習済みなので迷わず龍陽路駅へ着き、リニアの駅に入る。20分に一本くらいの本数で出てるとのこと。最初は片道80元くらいと 高かったが、航空券があれば40元となり利用者も増えて来たのだろう。

通路を挟んでゆったりの座席が左右に三つ。6座席と幅が広い。

揺れも少なく窓からの景色でその速度は実感できる。カーブでも相当の速度だったように思う。最高430キロ前後が1〜2分か?

あっという間に浦東機場へ、あの走りは離陸前の飛行機か。浮いているのだからそれも当然なのかもカーブはやばい



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430キロの表示が出てた・・・これが噂の磁浮列車です。



■関空へ飛ぶ

東北航空も国内線は適当なのだろうが、さすが国際線はドル箱なのだろう。まして日本人を乗せるのには、定刻発だった。



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浦東(発)中国東北航空MU729便:上海〜関空は全部日本人のようですが・・・。



2時間たらずの、あっという間の時間に、食事、飲み物サービス。

今回はスチュワーデス達が、なんの手違いなのか、座っている客が焦った。

食い物を食ったら、もう降下の体制になっていた。オイオイ早く片付けて着陸体勢に間に早あわせてくれよ、何なら手伝うよ・・・と、心 配になってくるぐらい関空が近づいているのに、まだ片付けも終わらず。

何とかギリギリセーフで片付け終わった時には、飛行機は着陸体勢に入っていた。・・・と、いうことで上海〜関空の飛行機はあっという 間だった。リュック一つで空港を出てリムジンバスへ。



・・・

食い終わる頃には着陸態勢に、ムムム・・・乗ったんが全部日本人なら降りるのもそうか?な。



■無事帰国

携帯で家族にメールを送る。

家内には 「今、無事に関空に付いた。11時頃には帰れるやろ」・・・と

長男・二男・三男にも。

「帰国したわ。何やかんやあったけど面白かった。でもやっぱり緊張するけどな」
・・・なんて

長男:返事なし。

二男:「おかえり」の一言

三男:

「お帰り、また帰ってきたら旅の話聞かせて。こっちは前期教育も終わってこれから戦闘訓練が始まるわ、これが一番きついらしい。 今週は○○ってとこで三泊四日、山で訓練してきたわ、・・・・・。一番きつかったのが“えんたい”という穴掘りやったわ、ひたすら8 時間くらいかけてスッコプだけで穴掘ったんが、かなりこたえた。中には12時間くらい掘ってたやつもおったけど。一般部隊の人は2〜 3時間で掘るらしい。まあいい勉強になったわ」

三男の返事は珍しく長かった。

高校生の頃から

おはよう、ただいま、いただきます、ごちそうさん、まあまあ、おやすみ。

話す言語はそれくらいだったのに

あいつも想像も出来なかったことの毎日で、私の旅以上に日々新鮮な感動があるのかもしれない。

そして、自分が実体験してこその見習いとプロの差を痛感し、自らの未熟さと、努力すればそこに到達するかも・・と、 自分の前途に不安と期待を抱いているのだろうな。

たまにはテンションが上がるってのはいいことだ。私も旅は上がる



知る人ぞ知る、これこそが三ノ宮STに続く道であり、我が家に続く、帰って来た。



■旅を終え、新疆ウィグル自治区に思う

以下は、たった11日滞在した私が、独断と偏見を持っての感想である。

他民族に侵略された民族というものがどんな立場、どんな様子なのか
・・・この旅の興味はそこにあった。

その様子を目の当たりにし、その悲惨、悔しさ、空しさを感じた。

当たり前なのだろうが経済・軍事・行政・全てを漢族に牛耳られている。
これが侵略なのだ。

侵略されてはならない。他民族に屈することの屈辱は耐えがたいものがあるだろう。

そこで生きて抜くには“あきらめ”“我慢”“考えないこと”

侵略されし民族

侵略者に媚、妥協し、現実を受け入れその中で、自らの立場を確保する者。

それらを受け入れることが出来ず苦悩し、侵略者と戦おうとする者。

60年前までの世界は、確かに強国が弱国を植民地化し、自国の国益を追求するのが世界の趨勢だった。

その中で、アジア・アフリカ、その他の弱国は、ほとんどが植民地化されたのだ。

日本は父祖が自らの命を犠牲にしながらも、独立を保つ為に戦ってくれた。

中共という国は、

第二次世界大戦後、他民族への侵略行為・植民地政策への世界共通の認識が「悪」となってから、今、現在も進行形で他民族を侵略し、漢 民族の大量移民を持ってチベットとともに民族浄化とも言える許されざる行為を行っている。

新疆ウィグル族の未来に幸来たれと心から祈る。

2006・平成18年6月5日(月)55歳記






こんなんです。如何なものか。



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