旅行記 安保


サイパン・テニアンへ行く


関空〜サイパン〜テニアン

2010:平成22年2月2日(火)〜2月6日(土)

4泊5日


サイパン島・タポチョ山山頂よりテニアン島(南)方向を写す

2010年2月3日、9:06:10:撮影

正面の島:テニアン島

左斜め前方:サイパン国際空港(アスリート飛行場)

右斜め前方:チャランカノアの市街地




はじめに

これは旅行記にあらず。わが能書き也。今までのも同じだ。

思いのままを書き連ねる。同じ事を百篇でも千篇でも。

公開する以上見てもらいたい読んでもらいたいのは山々だが。

目 次

(0)旅たち前:玉砕の島へ
(1)2月2日(火)関空〜サイパンへ到着
(2)2月3日(水)サイパンオプショナルツアーに参加して
(3)2月4日(木)バンザイクリフ他:サイパンでの一日
(4)2月5日(金)テニアン日帰り周遊:(午後の部)
(5)2月6日(土)サイパン〜関空へ
(6)帰国後:番外編


「フォートラベル」に同じ旅行記を掲載しています。
写真が大きいで〜す。

「フォートラベル」





サイパン飛行場滑走路よりタポチョ山を望む


2010年2月5日、16:34:54.撮影




サイパン/テニアンの旅で思うこと

一昨年の平成20年10月にぺリリュー島へ旅をしたのが太平洋戦跡巡りの初回だった。その時は分からなかったことが、今回の旅を前に しての勉強で少し知識は増えたのは確かだ。

でも、まだまだ断片的で乏しい知識に基づいての理解にしか過ぎないので、今後、あらたに自分の知識が増えることによって太平洋での日本軍の戦いを自分なりにどのように今後評価し理解し得るのか?

未だ知らないことばかりが多すぎるが、今の時点での自分の思いを以下に記す。

まず、つい最近今年1月半ば頃に{チャネル桜『報道ワイド日本』米人から見た「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか? − 茂木(もて ぎ)弘道氏に聞く}を見て目から鱗が落ちた。

まず茂木さんは『日本は太平洋戦争に負けたが、大東亜戦争に勝った』と言われた。結果はアジア解放に繋がり白人列強の植民地支配を終 焉に導いた。

日本に白人列強と違って聊(いささ)かの野心もなく掲げた大儀と正義が全て純粋だったとは思わないが、それでも結果は日本の掲げた大儀を実現させる大いなる要因になたことは確かであり、私も心底そう思っている。

米人が書いた本を翻訳された茂木さんの話を興味深く聞いた。そして茂木さんの話しを聞きながら日本の敗戦の原因が自分なりにはっきり した。それは帝国陸軍と海軍との戦略眼の違いであり、海軍の戦略眼の無さによって太平洋の戦いでの惨敗を招き日米決戦に敗れた。

話しを聞けば頷くことばかりだった。

東条英機を代表とする陸軍は東南アジアでの緒戦の圧倒的勝利に、そこでの日本の地盤を固めそれ以上の南への戦線拡大の戦略を持ってい なかった。そして、インド洋を押さえ英米からの蒋介石援助ルートを封鎖し、支那戦線での勝利を含め堅実な戦略を持っていた。

海軍の稚拙な戦略性なき戦線拡大が、逆に米壕からの戦場に近く日本から遥か遠くなり、その結果、日本は不利な戦いの場に自らの身を置く嵌めになり、なし崩し的に日本軍は敗走の道を辿った。そのことを著者である米人も見抜き、茂木さん自信もそう考えているようだ。

聞けば聞くほど成る程と思う。私もペリュリューに行き、今度サイパン・テニアンに行くにあたって太平洋の戦いのことを少しは知り、今 は海軍の無策無謀が苛立たしく思うようになっている。

恥ずかしながら、最近になって“ラバウル”があんなに遠いところにあると初めて知った。ガダルカナル・ポートモレスビーがあんなに遠いところにあると初めて知った。

パラオ・サイパン・グアムを含む南洋諸島を要塞化し防備を固めていさえすれば、容易に米壕に負けることもなく常に優位に戦えただろう ということは地図を見れば分かる。

南洋諸島は浮沈空母だらけであり、ここを強固な要塞島としておけばである。ああ無念なり、当初の陸軍の戦略の方が海軍が行った戦法よ りも遥かに的を得たものであり現実的に勝利への道でもあった。

そして茂木さんが最後言ったのは↓

『反省と言うのは“すみません”と言うのはもう一度謝っているだけで、毎年負け続けているだけのことだ。謝ることではなく、どうやっ たら勝てたのか?と、考えることである』

詳しくは以下のチャネル桜『報道ワイド日本』を見ていただけば分かる。

【茂木弘道】「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか?

地球史探訪:「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか?

国際派日本人養成講座:伊勢雅臣氏が解説されて いる。これを読めば日本人なら「目から鱗が落ちる」こと間違いない。是非、必読あれ!




サイパン玉砕と「戦陣訓」に思う

「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」

「戦陣訓」は、上記の一節が軍人・民間人とわずに戦時中の日本人の「無駄死・犬死」に繋がったかのように非難の象徴ともなっているが、 私は「戦陣訓」は上記の一節を含め日本人として肝に銘じる内容だと思っている。

戦後に生まれ今を能天気に生きる私に、残念ながらその実践は不可能だが、当時、それを成した日本人は軍人・民間人問わず偉かった。た だただ彼らの崇高なる行為に万感の敬意を表す。

当時を想像すれば、当然だが今とは違う世界があり日本があった。
世界人口の40%である白人列強が世界を牛耳り、60%の有色人種国家の大部分は白人列強の植民地国家として搾取され続けていた。そ れが世界の道理であり、日本以外の有色人種国家は、その世界の体制が転覆できるなど夢想だにしなかっただろう。

生まれた時からそうであり、大人になってもそうであり、過去もそうであったなら・・・民族自立・独立国家への道など考えようもない。 そんな時代に、日本は明治維新を経て白人列強国家に割り込むように台頭して来た。そして白人相手に人種差別撤廃を訴えた。

その現実を想像すれば、大東亜戦争に繋がる運命は世界の歴史の宿命の如く、避ける事が出来ない必然だったろう。そして、日本人はその 白人列強相手に立ち上がった。米英蘭豪などの連合国を相手に怯むことなく戦端を開いた。

確かに戦争は「精神主義」だけでは勝利は覚束無い。そんなことは当時の日本人の誰もが我々以上に知っていて当然だ。何故なら、彼等は 戦争を行う当事者達だからだ。当事者と戦後に生まれた者との間には、想像を絶する意識の乖離があると思う。何故なら戦争には言葉で言 い尽くせない凄惨な現実があるからだ。

子供でも大人でも、ちょっとした想像力を働かせれば、大東亜戦争が如何なる戦いだったのか?その物凄さに驚愕するはずだ。一体全体、 日本は白人列強の何ヶ国相手に戦いを臨んだのか?

ドイツ・イタリアとの三国同盟は何ら日本に大きな助けをもたらさなかったのは事実だろう。そして日本もそんなものを頼りに火蓋を切っ たのではない。一体先人達は、どれくらい大きな事を成し遂げたのか?成し遂げようとしたのか?

今の愚かな日本人には想像力も英知もなく、ただ敗戦を恨み自虐史観に埋没し、先人を敬うことなく己が醜い身勝手な主張を述べているだ けだ。

そんな空前絶後の戦いに望んで「戦陣訓」は自分の行動を自ら律し、心を奮い立たせる糧でもあり、その当時の軍人・国民・ようするに大 多数の日本人がそれを素直に当然のこととして受け入れた。私はそう信じている。

そして、それをサイパンでもテニアンでも、その他全ての戦場で実践した。これほど立派なことはない。サイパンの邦人たちの死も、「自 殺」などと矮小化し、犬死にかのように今の日本人は言う者がいるが、「戦陣訓」を実践した自決であり戦死である。

いずれ日本が再生する時は、彼らの死は誇り有る行為として評価され、度々の苦難を乗り越えたどんな時代のご先祖にも優るとも劣らない 高貴な日本人としての評価が定着するはずだ。そして未来永劫日本人の宝としてその精神は受け継がれて行く。

百年・二百年後の世界史で、日本が白人たちと戦った第二次世界大戦は有色人種の金字塔として世界を変えた。くだらぬ近隣三ヶ国は除い ても、誰しもが評価せざるを得ない。そんな燦然と輝く世界史の一頁になることを確信している。

「戦陣訓」『ウィキペディア(Wikipedia)』「戦陣訓」


以上、平成22年2月7日(日)記.Age.59




サイパン・テニアンの地図

太平洋戦跡紀行「サイパン・グアム・テニアン」西村誠(著)より


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