| 目次 | 旅行記 | 安保 |
2008:平成20年10月22日(水)〜10月27日(月)
5泊6日
4日目:パラオ戦跡巡り
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2008.平成20年10月25日(土):U部
バベルダオブ島へ
K:朝日村:彗星とパイナップル工場
25/12:46:06 米国援助で出来たバベルダオブ島周回道路 60トンの重みに耐えれる・・・フムフム 一朝有事には米空軍の滑走路? この島は不沈空母かも
「綺麗な道ですね。アメリカと言うとアメリカの企業が来たんですか?」
「いや入札で朝鮮が、監督はアメリカがやって」
「昔はなかった道ですね」
「これがあったら大変ですよ、60トンの重みに耐えれるように」
「韓国が作って壊れた橋がありましたね」
「だから今の橋の前で、入札して安いからといって20年持たなかったんじゃあないですか」
「韓国もどこでも進出してますね。娘さんも言われていましたが統一教会も名前を変えて・・」
「僕の所に統一教会といってね、可愛い叔母さんたちが沢山来て閉口したですよ。今は諦めて来なくなったですけ
ど」
「これがアイライ、瑞穂村に入ろうとしている」
「瑞穂村」
「瑞穂の国の」
「今は瑞穂という名前ではないんでしょ」
「今はアイライ」
「この辺の山は、みんな日本人の農民がもっぱら野菜を作っていた。コロールに出荷するための。南部地域が一番広
くて土地も肥えていて消費地に近いということもあるんでね」
「ここに瑞穂村の小学校があった。今は門柱だけが残っている。瑞穂神社があった。」
「小学校はパラオ人とは分けているんですね」
「勿論、島民とは」
「これだけ綺麗な道が出来てるのに周りは別に開発されないんですね」
「うん、そんな人口密度がねえ」
「熱帯雨林と言うのは開発すると戻るのが遅いんですよ。肥料分がないから雨になると表土が流出するでしょ」
「ああ、薄皮が付いているだけなんですね。ここは砂漠化というのはないんですかね」
「う〜ん禿山は幾らでもありますがね。表土流出が原因ですけどね」
「素晴らしい道ですね。周りはジャングルばっかりですけど」
「この山はねえ昔、南洋庁の熱帯産業研究所の造林地だったんですよ。向こう側に旧道があるんですよ。」
「熱帯のそういう研究は途切れてしまったんですか、小笠原とかで継続されていなかったんですか?」
「そうね、やってますけどね。熱帯地方と亜熱帯地方とは違いますからねえ」
「日本の研究が継続されていたら大分違うでしょうね」
「そうですね」
「猿とかそういった」
「いないですね、大型哺乳類はいないです。大陸に近いとこはいますけどね」
「砲台見ますか?日露戦争当時の」
「是非見たいですね。それ戦争の時一発くらいぶっ放したんですか?」
「一度もしていない。フィリピン向いてるから、西向いているからね。敵が東側から来たから」
「ほんまやね」
「ここは地震はないですか?」
「ない」
「これ葉っぱがあるでしょ。ショウガですよ、ショウガの木が5メートルもあるんですよ“ハナミョウガ”ですね」
「コロールみたいな小さいとこに集まってしまって、なんでこんな大きな島に誰も住んでないのですかね?」
「昔は沢山いたようだけど、ヨーロッパとの接触でみんな死んだと言われてますがねえ、どこまでホントかどうか分
からない。でも旧跡があるからね」
「この辺は原生林ねえ」
「この原生林で何か生き物で新種を発見するとか、ありますかね?」
「いや探せばあるでしょうね」
「あるでしょうね、陸の孤島やから」
「これ昔の旧道です、中に入って行くと日産のトラック隠匿していたのが・・・」
「タコノキがあると土地が痩せてる証拠です」
「そうですか、タコノキはそういうとこでも・・・」
「元気です」
「畑があります、えらい手入れが行き届いた」
「トマトがなっている」
「こんなとこに突然開けてあんなんがある」
「この島には川が何本かあるんですか?」
「大きいのが二本ある。これ真っ直ぐ東に行くと、こっちに行くとマルキョクに行く」
「マルキョク?あ、あ政府がある首都の」
2006年10月、コロールより遷都
「慰霊塔、日本の軍関係の?」
「そうです、誰もお参りする人いないんですよ」
「ここで亡くなった方が・・・」
「4〜5千人いるけども・・・」
「何でこんな場所に?」
「土地を貸してくれる人がいたから」
「これ禿山でしょ。ここ段丘が付いているでしょ。ここは昔のパラオ人の居住跡なんですよ。僕はパラオ原人と呼
んでますけどね」
「今の民族とは違うのですか?」
「ちょっと違う。草地でしょ、石器がかなり出ますね」
「古墳とかあれ」
「古墳までいかないんじゃあないですか。」
「発掘調査とかやってないんですか?」
「完璧にやってないですね、だから新発見も多いんじゃあないですか」
K:朝日村:彗星とパイナップル工場
25/13:12:06 旧朝日村の入口附近 道端に放置されたままの彗星11型or12型の残骸 64年の歳月を経て今尚ここに・・・。
彗星11型 用途:艦上爆撃機
25/13:12:14 水冷式発動機 爆撃機がここに? 米戦闘機に撃墜されたのだろうか? きっと若いパイロットが乗っていたのだろう
25/13:12:20 尾翼
「夜ですよ。夜見ればルビ色に光りますよ」
「この正面のは竹ではないんですか?」
「竹ですよ」
「こんな生え方するんですか?」
「南洋の竹はみんなこうです」
「これ“たにわたり”と言ってねえ、日本に持って行けば一株1000円位する」
「あ、それねえ観賞植物ですね。ここに生えているから値打ちある」
「オーガニックハーモニー、例のソニーの農場があるんですけど。撤退して、パラオ人だけでやっています」
25/13:14:18 旧朝日村の入口附近、彗星と同じ場所 ワニのいる川
25/13:18:20 南洋の竹
25/13:18:42 バベルダオブに自生する「たにわたり」 観葉植物:日本だと一株¥1,000円、フフフ
ホンマ:価格 \1,575(税込) となっている これが「たにわたり」ってものか
25/13:19:52 彗星と道を隔てた向こうがパイナップル工場跡 そしてワニのいる川も同じ場所 車から降りて散策する
「パイン工場。パイナップルがここに毎日2千、三千と集まってきた。缶詰、でも缶がなくなってねえ。それでダメ
になった。軍需物資でしょ。」
「綺麗にした。もう今まで藪でね。何とかしないさいよ、これは立派な近代史の遺跡ですよって言ってね。ここに女工さんが一杯いてね、
沖縄の可愛い娘さんに囲まれて僕は随分・・・」
「ほんなら海軍の兵隊さんと淡い恋物語なんかあったんですかね」
「海軍はあまり来ないからね」
「凄い歯車ですね。工作機械か・・・。昔ここで働いていた人は懐かしいやろね。まだ存命の人もいるやろね」
「沖縄に行けばいますよ」
「これはボイラー、まだ使えるんじゃあないの」
「そうですね。磨きをかけて、そのまま使えそうな感じやね」
「こういう写真なんか、どっかの本にあってもよさそうなもんですね」
「ああ、有りますよ。工場の中でやってる女工さんの写真とかね、沖縄から来た女工さんたちが旅館に泊まっている
写真とかみんなあります。そういうのみんな使いたんだけど」
「そううのを編纂してもらわないと」
「一人で中々出来ないんで、誰かボランティアでやってくれないかと」
「今若い日本人が沢山来ているから」
25/13:20:34 旧朝日村の入口附近、彗星と同じ場所 ワニのいる川もこの傍を流れている
25/13:21:16 外観は全くなくなり 工場内の機械だけが青空の下に並んでいる 外は朽ちたのか? それもと爆撃にあったのか?
25/13:21:30 一体これだけの歯車を噛み合わせて何を? ここで沖縄の少女たちが働いていた・・・。 パラオの昭和史の一コマである
25/13:22:14 今もこの工場で働いて女工さんたちは 沖縄で年老い暮らし、この頃のことを思い出すのだろう パラオ、朝日村での青春時代のことを 記録に残してもらいたい
25/13:22:44 ちょっと補修すればすぐにも使えそうなボイラー この附近の様子はどんな感じだったのだろう 満州に、南洋に、東南アジア各国に 夢多く羽ばたいた時代の日本が確かにあった 此処にもあった
25/13:28:28 崖にへばりつくように咲く 食虫植物
地道が雨でぬかるみセダンの車でやっとこさ 高台に登ってきた、天気が悪く眺望も良くなかった 倉田先生に「蛇は?」と聞くと「いない」との返事 生い茂る雑草の向こうに砲身が突き出すトーチカがある その存在感に引き付けられるかのように遮二無二前進した
25/13:50:28 明治三十六年(1903年)呉海軍造兵廠製造の15インチ砲 拾五サンチ速射砲 日露戦争が明治三十七年だから、その一年前のものか これも日露戦争できっと使われた物だろう
25/13:52:14 トーチカの入口より大砲を写す 人気のないトーチカで今も国を守る まことに、まことにご苦労様です
25/13:53:02 米軍の猛爆撃に良くぞ耐えた 米軍は見落としたのか、このトーチカを? それとも無視されたのか? この大砲が火を噴くことはなかったという さぞかし無念だったろう 日露の戦いでは きっとバルチック艦隊を葬った大砲に違いない
25/13:53:16 見よ!この周囲の鋼板を 64年の歳月にも錆びて腐らず 15インチ砲、今も磨けば火を噴くぞ 明治の気骨がここにあり、万歳!
25/13:54:10 威風堂々なり たとえ草むらの中に埋もれようが・・・。 たとえ誰一人訪ね来る者がなかろうが 威風堂々なり 日本人が真の日本人であった頃の証のように どっしりと佇み前を見据えている
25/13:56:38 アルモノグイ砲台にはこれを含め四門がある。 このトーチカ内の大砲が海に一番近いとのこと ここは アルモノグイ州:アルテンモン さらば明治の大砲よ、又来る日まで
25/13:58:22 この砲台に四門なりや 三門しか写していなようだ 雨激しく降出し我バタバタとする 故に・・・。
25/13:22:44 一、二、そして三 近い将来、この砲台が戦争記念公園として 整備され、大砲と共に末永く 日本人がここを訪れ 戦い散った先人に哀悼を捧げ 感謝する場所になることを願う
25/14:00:48 アルモノグイ砲台とはこんな場所だ 左前方、眼下に海が広がる サラバ、砲台よ
14時3分:5分37秒 アルモノグイ砲台から海に向う
「もうちょっとここに来るのに整備してもらって、展望もいいですしね」
「あれね向こうからも上がれるようになんのよ」
「向こうから裏からねえ、砲身に向ってねえ」
「僕らの生きてない世代さ出来上がってさ、ここにあるんだからね」
「ほんまやねまだ磨けば光るという感じですからね」
「ペリリューもそうですがあんな戦争博物館もいいけどね、ちゃんと整備してね、しっかり解説付ければ、僕もいろ
んな資料あるんですけど、あれじゃ勿体なくて。ホントは日本時代のもんなら日本政府が金出せばいいんですよね」
「ああいうとこODAでやって日本人観光客を誘致すればパラオも豊かになるし・・あそこはホンマいいですね。平
地で展望台にもなるし、あんな立派な砲台が三つもあるし」
「これはアルマテンという部落なんですよ、アルモノグイ、アルマテン部落。ここは漁業基地でもあるし、昔ボーキ
サイトを掘ってたんですよ」
「わりと豊かだったんですね」
「まあね日本人沢山いましたからね。これみんな、ほら、これみんなノニノキ」
「ノニねえ。中華民国のあれが・・・」
「チャイニーズが集落内の道路全部やってくれた。台湾政府を認めてくれたから」
「数少ない国交を結んでいる国ですね」
「そのお礼にやってくれている。これ小学校」
「ああそうですか」
「ここ左側が日本の建物だった。」
「あホンマやね、何か小学校の建物みたいですね」
「ここの酋長、ローレンスと言ってね、死んじゃってね。僕が来た当時はまだ生きていてね」
「息子が継いでいるんですか?」
「継いでないみたいですね。コロールに出ちゃった。ここに清田伊三郎と言ってねえ。明治時代にやっぱしここに住
み着いた男がいてね。赤ふんどしでね。僕を呼び止めてねえ、俺は日本人だなんて言うからね、知りもしないのに」
「若い頃」
「僕は島民だと思ったね。俺は日本人だと言うからね、赤褌でね。ビンロージュをかんでんでしょ」
「ぱっと見は、現地人みたいに真っ黒で、ここで商売やってたんですか?」
「奥さんもらって貿易商やって、ナマコとったり椰子とったり製材所やったり」
「わりと手広くやってたんですね」
25/14:09:16 ここにも機関砲があった
25/14:09:44 今も空を睨む この機関砲も 日本に連れて帰ってやりたい
「ご婦人のアバイいうのがあるのですか?」
「女専用のね」
「男は入っていけない?」
「まあ一応ね。これ桟橋なんですよ、これ待合室ね、これトイレね、桟橋でしょ」
「これ昔からある?」
「昔からある、この桟橋はね。昔はこんな立派なあれじゃあないですよ、ちっぽけな自動車小屋くらいの小屋があっ
てね」
「あ、あれがねアルモノグイ州の州旗の印なんですよ、一つ目小僧の、」
「あのデザインが州旗になっているんですね」
「この真正面が見えないけどコロール。あの小島のところが“○○パワー”の入口です」
「わ〜凄いねこの車は」
「ひょとしたら明日くらい大統領選挙の投票日ですかね、最後の追い込みで・・・こんなことはめったにないですか?
こんな人が集まるのは」
「ないですよ、日産自動車の展覧会のようですね、ハハハ。ほら小さな海水浴場が出来てる」
「ホンマやね、どこでも泳げる、服着たまま泳いでいる」
「ほら、みんな集まって、ほら」
「凄いですね」
25/14:11:34 日本の統治時代はこの港から 日々コロールへと農作物が出荷されていたんだろう 車のない時代、港がそれぞれの地区の玄関だった
25/14:12:46 これが「一つ目小僧の島」 アルモノグイの州旗のデザインになっている
25/14:14:00 ここにも海水浴場が・・・。 いついつまでも奇麗な海であれと祈る
25/14:14:48 集会所に島中総出の雰囲気あり 車も多く人も多く もしや大統領選挙の運動なのかも
バベルダオブ島からコロール島へ戻る車中にて
「いやいや正常ですよ」
「ここでお医者さんにかかると言うことは・・」
「まずない、いい医者がいないから。僕は東京都の都民税も払っているし、区民税も払っているんですよ。健康診断
に日本へ帰っていますからね」
「ほんなら一ヶ月くらい滞在されるんですか?」
「そうです。一ヶ月か二ヶ月、一ヶ月でまず帰って来たことないから。まず真っ直ぐ成田から伊東温泉に行って一週
間、まず命の洗濯して、東京の自宅に帰って仕事して疲れたら又伊東に行って」
「そういう息抜きのところ有るからいいですね」
「ここはワニは別に取って皮をなめしたりいいんですか?」
「いやいや、そんなことしちゃあいかんですけど、いかんけど、みんな獲っ捕まえて食ってますけどねえ」
「あれもお墓ですよ、石畳であの石の囲いの下には遺体が入っているんです。家はなくなっていますけどね」
「今はこういのは禁止されているんですか?」
「一応ね、禁止してますね」
25/14:17:42 ベラウの石の墓 昔はそれぞれの家の庭に こういった墓が作られていたようだ
「零戦はある程度形は残っているんですか?」
「ああ立派なもんですよ、誰も撮らなかったやつを田中というカメラマンに。これ載せなきゃあダメだと言って最後
に撮りにいったんですよ。」
http://www.sammy-7seas.com/ww2palauPlaneWreck.html
「それは酋長の娘ですか?」
「そう、“ヤウロン”ってねえ、可愛い娘だったけどね」
「まだ二十歳の頃の話ですね」
「“さよなら”なんて、自分のワンピース脱いじゃうんですからね、ハンカチなんかめんどくさいものは振らないで
すよ」
「ブラジャーなんて無かったんですかね」
「トップレス、“乳バンド”なんてありましたけどね」
「裸で泳いでいたりは?」
「着物着て泳いでますね」
「今は遺跡をまとめておかないとねえ。他に適任者いないでしょ」
「ペリリューの捕虜収容所跡も見たんですが、そこにおられたんですか?」
「いましたよ」
「わりと内陸にあったんですかね?」
「そうそう、内陸っていったてね」
「そうですね。まあ狭いからね。支柱だけ残っていましたから、ああこんなとこに有ったんかと。あそこで船坂さんに
会われたのですか?」
「そうそうそう。朝鮮人がコックやっててねえ、それが辛くて辛くてね。日本人に包丁持たせたら危ないからと言っ
てね」
「朝鮮風の味付けでねえ。ペリリューにはどのくらい?」
「一ヶ月いなかったですよ」
「20年3月くらいまでペリリューにおられた?」
「そうですよ」
「米軍の飛行機で運ばれたことは?」
「ないです、ないです」
「当時はやっぱり体重もだいぶ落ちてました?」
「う〜ん、あんまり気が付かなかったですね」
「戦闘期間といっても、そんなに長くないですね」
「そうそう一ヶ月くらいですから、でも足は確実に衰えてましたね、つまづくとひっくり返っていましたからね」
「ペリリューが15日からでアンガウルが17日ということは二日間はペリリューへの攻撃が見えていたんですか?」
「そうそう、そりゃあ凄かったですね」
「次に来るということは思っていました?本島に行くかもなんては・・・」
「そりゃあ思ってないですね。一緒に爆撃を受けてたから」
「これが昔はねえ、赤土のこういう道路で雨が降ると滑ってねえ」
「ドロドロで、地下足袋で?」
「いや運動靴はいてましたねえ。農民は地下足袋はいてたけど。」
「ユーカリの木は根っこに根粒菌があるからね、土地を耕すんですよ。」
「根粒菌って?」
「栄養細胞で地力を増やすんですよ。ネムの木やなんかみんなそうですよ」
「ああ、そうですか。土が良くなるんですね」
「日本では最初に植えるのは、相思樹って樹を植えるんですけどね。南方では○○○○○○ってマメ科の植物。マメ
科の植物はみんないいそうですね」
「キノコは?」
「発光キノコが六種類かな、光るやつね」
「旨いやつはありますか?」
「ないね、きくらげが多いね」
「ブタなんていうのは正月だけですよ」
「正月だけというのは、ご馳走ということですか?」
「そうですね」
「この辺に百戸もあったんだからね」
「ほんまやね。今はなんにもないですね」
「僕はねえ珈琲の味はねえ、ここで覚えたんですよ。」
「ああそうですか」
「農民でねえ珈琲栽培をやってるんがいてね。後藤さんと言ってねえ、その後藤さんがねえ、みんながパイナップル
栽培してんのに、俺は珈琲栽培に来たんだと言って頑としていうこと聞かない。その珈琲畑が花が咲くとね南の島に雪が降るといって奇麗
なんですよ。匂いもいいしね」
「ああいう珈琲の香りが?」
「珈琲の香りじゃあない花の香り。真っ白なんですよ」
「花の香りが・・」
「朝方散歩にきて歩いたけど、そこで珈琲あらびきで飲ましてくれてね。それで珈琲の味覚えてねえ」
「美味しかったですか?」
「ジャングルの中にいたら米軍のネッスルの珈琲の粉末があってね、湿気てんの。湿気てるけどもねカフェインが役
に立つだろうと舐めてたの」
「米軍の」
「日本に帰ったらネスばかりで、まずい珈琲飲んでるなと思って」
「やはり違いますかね」
「この川をずっと上って行くと北海道の“うりゅうさわ”から来ていた連中が入植してたりねえ」
「朝日村というのは北海道の旭川から来てるんですよ」
「そういう謂れがあるんですか、沖縄が多いと聞いていたけど」
「沖縄人はこんなとこにはいない。海辺ですよ、沖縄はねえ、“一ヵ年の食料を持って来る”というのに、沖縄人は
それに該当しないんで。他の人夫なんかやったり稼いでましたよ。百姓はあんまりいない、資本をある程度持って無くてはだめなんですよ」
「それなら北海道から来た人は棄民ではなく、ある程度資産を持った人が来たんですか」
「そりゃあ北海道にいるよりか、こっち来た方がいいですよ。みんな集団移民で来てね、ところが野菜が出来ても
ここから運ぶ手段がないでしょ。そいで定期船がここに入るようになったのは、林っていう九州の男ですけどね、鳩撃ちに来てて、この
辺山鳩が沢山いるんで・・・鳩撃ってたんですよ」
「ホンマ生き字引やから本を残してもらわなければ・・・」
「両サイドみんなタロイモ畑ですよ」
「ああ、そうですか」
「時々変な外人から電話掛かって来てね。タロイモの話が出て、カナダから電話が掛かってきて、伊東に掛かってき
て、あんたの専用電話作ってくれって言われたり・・」
「ああ、タロイモの研究者ですか」
「面白いことにパラオに固有種が植物だと65種類あるんですかね?こうやって出ていると60年前に見たきりで全
然見ない木がポコット見つかったりしてね感激することありますよ。逆に食虫植物なんか増えているからねえ、これも新しい発見ですね」
「天気が良ければぐるっと一周してもいいんですが」
「でもペリリューは良かったです」
「マユミの民宿に泊まって二日もいればいいんですよ」
「そういったんですけど、ツアーで行ったらそのまま帰ってくれと言われて」
「それは不親切なんですよ」
「そうですね、それは邪魔臭いんでしょうね」
「三代くらい前に辞めた総理大臣、橋本龍太郎が夫婦で来てね」
「ここに、総理の時に?」
「いや辞めた後に、海軍墓地に行ったんですけど。海軍墓地案内しろと行ってね。案内したんですけど、それはいい
んだけども履歴書出せと言ってねえ。バカにしやがって・・・。」
「秘書か何かから言って来たんですか?」
「いや大使館通じて、前科でもあるのかと思ったんじゃあないの、ハハハ」
「へぇ〜それで案内されましたん?」
「案内しました。頂いたのは¥1000円の供えた酒の残りを二合くらいもらったかな。お線香とね。こんな所で勤
める気はないから履歴書なんか持って来てないし、しょうがない一所懸命記憶を辿って書いたけども。履歴書出せなんか言う前に、危なけ
りゃあ自分たちで調べりゃあいいものをねえ、人を疑って掛かるなんて失礼ですよ」
「失礼やねえ。向こうが頼む立場なのに・・・」
「まあやっぱり政府の建前上の規則なんですかね」
「それで国際交流基金の金をね、ちょんぼしてる幹事が、みんな首になったですけどもね」
「碌でもない団体ですね」
「碌でもないやつらで、その理事さんたちが、十何名がみんなそのねえ、みんな水増した金もらって全部首になった
。子供食い物にしたり・・」
「まあだいたい表面上奇麗事をやってる奴は何となく胡散臭いやつが多いですね」
「子供たちに無人島生活とかね、熱帯の植物とか海の生物とかいろんな、一緒に寝泊りして無人島で暮らすんですよ
、二日ね。子供たちの質問に答えたり、面白いですよ、子供たち喜んで」
「そんなんに履歴書だせって身辺調査ですねハハハ」
「いやこの道路は良くなった」
「ホンマやね、こりゃあ気持ちいいですね」
「いまのアルモノグイというところはね、イザと言う時にはアメリカの戦略、演習地なんですよ。何メートルあるの
かな、とってあるんですよ」
「そこへ米軍が、演習で、滑走路になるんですか」
「マラカルは原潜基地、アンガウルには飛行場もう一本、そういう密約があるんですよ。」
「密約がねえ、トラック走っていましたね、あれ、こんな所に米軍がいるんかと」
「そうそう飛行場の裏にいるんですよ。まあ建設部隊ですからね」
「パラオは軍隊は持ってないんですか?」
「持ってないです。ポリ公がいますけどね」
「やっぱりアメリカ軍が守っているんですね」
「志願すれば当然のことながらアメリカ国籍も取れるんですけどね」
「幅、横幅・・」
「横幅、全体を見たわけではないんですが、新波止場が、あれが出来てるから余計狭く感じるかもですかね?」
「それでも1キロはあるんじゃないかな、あの北行くほどリーフの幅が広くなりますからね、飛行場を取るのが最初
の目的だから、どうしてもあそこに集中的に上がって来てるんですよね、東側からも上がってんですよ。浅いとこだけ、だから日本軍はむ
しろ南地区の守備隊は千明隊がいたんですがね、彼ら虚をつかれて後ろから回られちゃってね。」
「ああ、そうですか」
「せっかくいい陣地作っていたけどダメでしたね。良く頑張ったけど、結局まあみんな死んでしまったけどね。素
晴らしい工兵隊が作った陣地でね、立派なのがあったんですけどね。その陣地は見なかったでしょ。」
「そうですね、見れなかったですね」
「いいとこ見れないんですよね。まあだから一日であそこを見るなんて無理なんですよ」
「ホンマやね、駆け足だし」
「だから新しい、その中川大佐が自決した場所もねえ、あの裏側にあるんですよ。でも危なくてねえ、一般の人には
ちょっと無理で。燐鉱を掘った縦穴が沢山あってねえ、落っこたら危ないですからね」
「あの複郭陣地、最初に見た北波止場の近くの陣地はやはり凄いなあという感じ・・・」
「プロが掘ったからね」
「そうですか、兵隊が掘ったのではないんですか」
「ええ」
「あのう、中に、ようするに中に麒麟麦酒と大日本ビールの空き瓶が転がっているし」
「いや、ビールはお手のもんです彼ら、元々海軍壕だから。だから海軍さんはもう自分の船でみんな運ぶじゃないですか。僕はねえサント
リーの角をねえ女郎屋の女の子に飲ましてもらった。初めて飲んだよ角ビンを」
「どうでしたか?」
「いやあ旨かったよ。日本の陸さんはねえ日本酒でしょ、ウィスキーなんて無いんだから。それもホルマリン入りの
ねえ防腐剤の入った、旨くないんですよ」
「やっぱり海軍の方が豊かなんでしょ」
「海軍は持ってますよ、海軍と航空隊ね。やっぱり人間が価値があるんでしょうなあハハハ。一銭五厘の兵隊には
食わせてない物をみんな食ってるんから、虎屋の羊羹だってあったよ、こんな」
「入った時はやっぱり軍服はサラをくれたんですか?」
「ああ、夏服はね」
「まだそういうのは有った訳ですね」
「銃もやっぱりくれましたん?」
「部隊によってですよ」
「自分の銃は持ってたんですか?」
「僕は持ってない、砲兵隊だったから」
「じゃあ砲兵隊の場を離れたら武器はないわけですか?」
「ないですよ、そりゃあだから死んだ友軍のを取ったり米兵のをかっぱらったり」
「日本の零戦の増料タンク(増加燃料タンク)と言ってね。ガソリンタンクを余分に持ってるんですよ、増料タンク
ね、それがベニヤ板で出来てるんですよ、米軍はジュラルミンですよ。なんだこりゃあと思ってね」
「それだけ金属が無かったやろね、創意工夫の極地やね、やっぱり」
「敵と会うとそのタンクを落として身軽になって戦うんですけどね。いやあれ見て驚いたですね」
「空戦なんか見たことあります?」
「ああ、ありますよ」
「やっぱりケツに付かれたら負けいうか」
「そうですね、まあ操縦士がまだ不慣れだったせいもあるんじゃあないですかねえ。どんなとこに落っこっても飛行
機乗りは助けに行きますからね。あのテニアンなんかでもみんな助けに行ってたんですよ、でも潜水艦が浮けなかった。アメリカの艦隊が
居て。で結局助けられなかった」
「飛行機乗りはそれだけ貴重な存在だったんですね」
「そうなんです、とにかく5年掛かるんですから一丁前にするのには」
「そやけど、そのの代わり最後は特攻隊で皆飛び立っていったわけですから、その代わりそんな訓練してない人間ばっ
かりで」
「訓練してもしなくても、あの250kの爆弾抱えたら機体が重くなるからね操縦が不十分でしょ。それに護衛機が
いないでしょ、みんな撃ち落されるじゃあないですか」
「直援機がないからね、最初だけ戦果を上げたけど、その後はなかなかねえ」
「日本の零戦も、あのう真珠湾攻撃で一機ハワイ諸島のどっかに落っこって、米軍が持ってきてそれを徹底的に調べ
たというけども。二式大艇も、あれ戦後だけど、あれアメリカより良かったそうですなあ。アメリカに持って行って・・・」
「まあ今は、その代わり車の世界では圧倒的に日本車が優位になったし、早く飛行機を作って欲しいけどね。今度、三
菱がなんか作る見たいですけど」
「飛行機っていうやつは、やっぱりあんだけのものを飛ばすんだから大したもんですね。僕はフィリピンにいた時に
、マニラとバラン島、月一回づつ行ったり来たりしてたんですけどねえ、隣に乗るフィリピン人がねえ、ちゃんと飛ぶ前にお祈りして飛
行場に着いたら又やってるんですよ、感心しましたね。農協さんはねえ座席の上に坐ってて無事着くと拍手なんかやってて、ハハハ」
「もう日本政府は、厚生省はここでは遺骨の収集は?」
「やる気はないですね。ここにねえ砲兵隊の慰霊碑があるんですよ。誰も来ないですけどね、この民家の奥、民間の
土地を借りてますけど」
「ああそうですか」
「ここへ来ると車がスーと滑らかに走って、おう日本の土地だなあって・・・当時はね」
「あ、これがねえ」
「この左の一番突端にもね“ホイグルの砲台”があるんですよ、もう砲は一切ないですけどね。東西南北にちゃんと
砲台があるんですよ」
「まあさあけど考えたらこんな南太平洋から、ロシアとの国境まで戦線がめっちゃ伸びとうわけですから、凄いなあ」
「さらにオーストラリアまで攻め込もうと思っていたんですからね。恐ろしい」
「ほらもうインドからオーストラリアから・・・。今の拉致被害者も助けれない日本と大違いやなあと思いますね」
25/16:08:34 もうすぐバベルダオブ島を去る こんな風景だった 夜中に空港からホテルに向ったので 何も見えず
25/16:11:22 ニューKBブリッジ コロール島へ
25/16:11:26 橋の上を走りながら 車窓から右側方向を写す こんな風景です
25/16:11:26 橋の上を走りながら 車窓から左側方向を写す こんな風景です
「ええ、この左に入った所にもいい集落がありますけどね。昔カツオ節工場があって」
「今回は知事さんに会われたのは、一ヶ月くらい帰国していた間に会われたんですかね」
「そうですね。先に新聞記事が出てから行こうと思っていたんですが、記事が出るのが遅かったんですがね。会えな
いと言ってたんですが会ってくれましたね」
「なかなか知事も会わないんですね」
「中味によるんじゃあないですか?」
「ホンマやねえ、金の無心なんかなあ〜とか」
「まあ知事クラスになりゃあ立派な人物が多いですね」
「そうですね、やっぱり選挙で選ばれているし」
「益子焼きかなんかの焼き物まで頂いてねえ、こっちは何も手土産持って行ってないのにね。無心に行くんだから」
「まだまだほんならアンガウルのその慰霊碑を移転する費用なんかは?これから」
「ええまだ年内一杯くらいは様子を見て、もう30万くらい集まってるんじゃあないかなあ」
「いや時間決めてないから、9時頃寝る時もあるし」
「朝は?早い」
「朝は、もう3時くらいから起きてるんですよ」
「起きてなんか本を読んだり」
「いやいや、眠たけりゃあ寝るし、あんまり時間の制限なんかないし、でもやはり体力が落ちてますねえ、あの早く
寝て早く起きて仕事なんか思っても早く寝りゃあそれなりに寝ちゃいますしね。まあ気ままって言えば気まま、昔みたい一晩中起きてなん
てことは出来ない。」
「年上の方はまだおられますか?知人とか?」
「まあ結構居ます。今度来るのも海軍墓地のね」
「もっと年配の方なんですね」
「二つ三つね、でももう年とったら二つや三つ変わんないですよ。だから相手掴まえてね爺さん婆さんって言うけど
自分の方がよっぽど爺さん婆さんのくせ、相手にそんな失礼なことを言っちゃてね。ついね、自分では若いと思っているでしょ。ああそう
か俺のほうが年上なんだと」
「写真みたら自分の写真みたら老けたなあと思うけど、本人は分からないですからね」
「昔の写真見てみたたらなるほど違うんですよね」
「一年でも違いますからね。毎日鏡見ているはずやけど自分では分からないですね」
「年取ると衰えて行く事だけは若い者に適わないですからね」
「やっぱり年取ると大分もう先行きのことを考たりされます?」
「う〜ん、区切りつけなきゃあいけないと思いますね。そうすると大体これとこれをやってと」
「ああ優先順位みたいなものを」
「僕は寝言を物凄く言うんですよ。寝言の中でねえ延々としゃべっている。気がつくんだけど、あ、最後まで話そう
と思って話すんですよ。それと格闘技を良くした、良くベッドから落ちましたね」
「格闘技って昔、何かされてて?」
「う〜ん誰と戦ってるか分からないんですが、相手を投げ飛ばしてね。投げ飛ばしてやったと思ったら逆に自分がベ
ッドから落っこていたりハハハ」
「それは昔から、戦争の後遺症ということでもない?」
「だろうと思いますね。化け物は一切でない。闇の中であんだけ・・・」
「ああやっぱりね。そやけど格闘技されたり、寝言がある程度分かっていても言うというのは、それも一つの、幽霊と
いう見かけではないですけど意識の中に・・・」
「幻聴で分かんのかな、相手は何もしゃべってないけど、こっちがいろんなことしゃべってますからねえ。幻聴で目
が覚めて、だから本当に安心して寝てるってことがないと思いますね」
「やっぱり今でもイラクから帰って来たり、アフガンから帰って来たりしたら、そういうアメリカ兵でも精神的に異常
を来たしたりっていうか、正常になかなか戻りにくかったり、ああいうことは分かりますか、分かるというか、有り得ることだと思います
かね?」
「だと思いますね。あの例のペリリューのね、あの写真家のお父さんがそうだったでしょ。衛生兵でねえ後方に居る
はずの衛生兵がそんなにおっかない目に合うわけないのに それがおっかない目にあってんでしょ。
それで年中寝言言ったりベッドから落っこちたり、親父がそんなに恐がった島は一体何だろう。それで彼はペリリュー島を探して、それで
行ってみたらなるほど、6年間通って、親父が恐がったのが成るほどと分かった。
もうその時は親父はもう自殺しちゃてね、ベトナムに行けと言われたのを彼は親父に断ってね。お前行って来いと言われたのを、自分も凄
い肥満体でね、水中撮影すると言ったってね。もぐれないんですよアハハハ、引っ張ってやってね撮ったことありましたけどね。
浮いて写真撮ってんのよ、ハハハ。そんな調子だった。だから彼の水中写真はあまりいいものないのよ。」
「ああ、下までもぐれないんですね」
「ジャングルの中ではねえ」
「ミーこがし、ハッタイ、あれが旨いとか、俺は親孝行するんだとか」
「ええ」
「このお天気はどっかで台風でも作っているような」
「どっかに熱低があるのかも?」
「今、日本にチャネル桜というテレビがあるのを知ってます。」
「うん」
「知ってます?ああいうのんでパラオのことを知りましたね」
「一度出たんですよ。あの高千穂大学の何とか言う教授とね、あの教授おしゃべりでね、自分一人でしゃべってね。
しゃべらさないの人に」
倉田先生がチャネル桜に出演されていたと聞きビックリした。残念ながらその番組を見落としているし・・・。
「そりゃあ、アカンですね。それは東京おられた時に?」
「東京でね、ちゃんとねえ出演料くれた。あれには驚いた、千円ですけどね。ハハハ」
「ああそうですか、お茶代ですね。もう経営危機で大変なんですよ今、ああいうメディアはなかなか続けにくいんです
ね、続いて欲しいんですけどね」
「ああそう。昔民放でね本物は誰か?という番組でね、五味康介さんと一緒にね。彼とね中村というピアニスト、もう
一人、本物を当てる番組でね。それはねえ二万幾らか、五味さんがまだ生きてた頃ね、あれは嬉しかったねえ。亀の餌代。ハハハ、そした
ら怒られちゃってね。勝手に出演しちゃあいかんとか言ってねえ。上司に怒られちゃった。」
「テレビもつまんない番組ばかり多いですなあ」
「そうですね。チャネル桜は保守的な番組だから勉強になります」
「アンガウルもねえ、アンガウル温泉があるんですよ。干潮時にね潮溜まりをこう適当な温度を見て歩くんですよ。
40度とかね、海水、暖まっているだけですけどねえ、それでも気持ちいいですよ。誰もいないんですから。この間、潮溜まりにトカゲだ
っていうから行ったらワニでした」
結局、昼食を食べることもなく朝の9時前から午後4時半頃までの7時間半、先生は私を案内して下さった。 「島内をたまには見回っておかなければ・・・」という気持ちもあるのだろうが、六日前に日本から帰国したばかりの時なのに、その体力 にはおそれいる。 5時までに車の返却をと言われていたので、先生を自宅に送り、夕食を一緒に食べる約束をしてホテルに戻った。6時半にココロホテルに Eさんが迎えに来てくれることになった。 先生宅をおいとまし、まだ5時まで少々の時間があったのでそのままホテルに戻らず、車を走らせた。今日、回ったところをもう一度、復 習のつもりで・・・。 アラカベサン、マラカルと一応端まで走り予定終了、ホテルに戻る。
場所はEさんに頼んでおいた。お二人への心ばかりのお礼の気持ちで招待する形だが、全てはEさんお任せである。 知り合いの店でもあるし、先生の自宅からも近く、ココロホテルからも近いドラゴン亭でということになった。 「パラオ:地球の歩き方」にも「手作りにこだわる超人気の居酒屋」との紹介が大きく出ている店である。次々と出てくる一品料理は、み んな美味しかった。海の幸もふんだんに、タロイモも食べた。 残念ながら写真に写さず、メモもせず、メニューのほとんどが不明のままになった。しかしながら楽しく旨かった夕食だったことは記憶に 残っている。日本にいるのと雰囲気も同じく・・・。 Eさんの友人の方が、やはりニューギニア諸島などで活動をされているらしいが、場所によってはまだまだ警戒していなければ何が起きる か分からない所も多いそうだ。 そんな方がパラオに来ると自然と緊張感もなくなりホッとするそうである。それがパラオのパラオたる所以である。同じ南洋といえども、 何かが違う、どこかが違う。 日本が以前統治していたから・・・などと、おこがましいことを言うつもりは更々ないが、私の心の中では密かにそう思う。それくらいは 誰にも迷惑掛けず、大手を振って許してもらう。 先生との出会いがあればこそ、百倍も千倍も有意義な旅になった。感謝の気持ちしかない。ありがとうございました。Eさんが送ってくれ るというのを断り歩いて1号線をホテルに戻った。 もう、十二分に満足のパラオの旅になった。明日はオマケだ。 折角だから・・・と、明日は「カヤック&ロックアイランドツアー:90ドル」に申し込んでいる
25/18:44:30 ドラゴン亭
25/18:44:52 満足満足大満足
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