| 目次 | 旅行記 | 安保 |
2008:平成20年10月22日(水)〜10月27日(月)
5泊6日
4日目:パラオ戦跡巡り:T部
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2008.平成20年10月25日(土) ■7時22分:朝食 今日は8時半にここにレンタカーを持って来てくれる。今日の朝ごはんはハンバーグ定食のような感じで旨い。飯を食って部屋に戻る。 約束の8時半前に部屋に電話があり、レンタカー会社の人が来たとのこと・・・。す、凄い時間ピッタリ、南洋パラオの約束は守られるの ものなのか。ホテルのフロントがあり、ロビーがある4階に行くと、制服を着たような現地の女性が居た。 早速、契約書のようなものに名前などを書き、ここではさすがに免許証の提示を求められた。日本の免許証でOKである。そして前金で料 金を払う。30ドルの請求だけだった。 23日に事務所で交わした契約では、保険にも加入すると言う話になっていたのに、それは申し送りがなかったようだ。改めて彼女に申し 込んだ。保険の9ドルを加算して一日39ドル。高くはない。「今日の一日だけなのか?」と聞かれたが、又必要なら借りれば良いと思い、 「今日だけ」と言って支払った。 午後5時までに、このホテルの駐車場に戻しておけばOKとのこと・・・。「ガソリンを満タンにして返すのか?」と聞いたら「今、ギリ ギリしか入っていない」と言うことだった。成るほどパラオ方式の方が互いにとって良い。この方が借りる方は気楽だし、貸す方にとって も損はない。 彼女と一緒に降りて車のエンジンを掛け現状を確認する。それは日本も同じだ。トヨタ・カローラ、程度は文句ない、油量計はちゃんと警 告ランプがすでに点灯済みだった(笑)。
8時43分
25/7:22:14 毎朝、先ずコーヒーを出してくれる
25/7:23:10 今日の朝食 和食メニュー 文句ない
25/8:28:26 レンタカー来る パラオ美人の彼女が持って来てくれた 定刻より早く来てくれた
25/8:42:58 トヨタ・カローラ:右ハンドル 何ら文句なく上等でした 30ドル+保険9ドル=39ドル
25/8:43:08 燃料計は警告ランプ点灯済み 自分が使うだけガソリンを入れろってこと 返す時は警告ランプ点灯でもOK:分かり易い。
まず最初に行ったのは、コロール波止場(Tドック)だった。 先生の指示通り車を走らせるが、今日のコースをあらかじめ聞いていた訳でもなく、次々と説明はしてもらうが、結局、帰国後デジカメと ICレコーダーの記録とガイドブックやWebを参考に旅行記を書いている。
25/7:22:14 20リットル入れた それでも半分くらい余った
25/7:23:10 倉田先生宅の駐車場に停まっているカローラ 写真で見たら前のナンバープレートが無かった 全然気が付かず乗っていた さあ、いざ出陣!
倉田先生(談)
@:Tドッグ
K:朝日村:彗星とパイナップル工場 @:Tドッグにて
「玄関やったんですね。今はすっかり玄関の様相がなくなってしまって、定期船がないのは寂しいですね」
「陸路が出来たからね」
「このプールは値打ちありますね。向こう側は補助プールですか?」
「いや、あそこはあったかな、ないでしょ。ないはずですよ、あそこは昔、建物があったですからね。」
「ああ、そうですか」
「子供たちがみんな泳ぐんですよね。今は泳がなくなくなったですけど」
見ての通りT形ドッグ
上部の島、島、島がパラオ松島と言われている
左手の先っぽにプールがある
25/9:09:38
Tドッグの先端にあるこのプールで
このパラオで日本人の子供が泳いでいたのか・・・。
「ライ病がねえ、そうですか」
「戦争中に逃げ出してねえ、捕まって殺されたりなんかされましたけどねえ」
「ライ病というのは、ここに隔離されて来たんじゃあなくて、ここで発生した?」
「そうです、そうです。何処の島でもライ病患者いますからねえ、日本と同じ。だからここでも隔離してして小さな
無人島に収容していたんじゃあないですかね。昔は日本でもそうだったでしょ。」
25/8:43:08
上のTドッグの写真、右側部分
■アサヒ・フィールド(旧:旭球場)横の特二式内火艇 23日の日に一人で探しに行って見つからなかった戦車。球場のすぐ傍にあったのに・・・。案内の標識も何も無く、ただそれは無造作に 放置されていた。
25/9:25:26 海軍陸戦隊の水陸両用戦車 戦後63年経った今も 錆びてはいるがまだまだ立派なものだ
25/9:26:28 さすが水陸両用戦車 プロペラは残っていないが舵は今もちゃんと付いている 当時日本にも、これだけの技術があったのだ
25/9:26:56 海軍の機関砲か・・・。 九十六式連装機銃 今でも磨けば火を噴きそうだ
25/9:27:56 「特二式」のプレートが貼ってある パラオに有った6隻の内の一台 全部浮舟を外し市街地のトーチカとして利用されたようだ
B:ナショナル・ミュージアムに向う道中
「人間の労働力しだいですかね」
「労働力が足りてたんですかね?」
「朝鮮人使ってねえ。あそこの白い屋根、あれねえ昔の南洋庁のパラオ病院なんです。そっくり残っています。」
「ほう、今も建物そのまま使ってるんですね」
「ええ、今は産業大学、短大ですね」
旧南洋庁長官、官舎附近にて
「長官がNo1ですか?」
「もちろんそうです。直任官ですからねえ、陛下が任命するんですから、この奥に二階建ての公舎があってね。まあ
途中から馬はやらなくなったけどね」
「馬車でねえ、ここに南洋庁長官のお屋敷があったんですね」
「ここはアラバケツという集落なんですよ。島民部落ですよね。この真正面が南洋庁の測候所なんですよ。ミクロネ
シア全域の測候をやっている。この正面がねパラオの測候所です。これはミュージアム」
「ここが気象台なんですね」
「向こうが生物学研究所、これが暗殺されたハルオ大統領の銅像ですね」
「暗殺された人がいましたね」
「二人殺されているんですよね」
25/9:37:52
暗殺されたハルオ・レメリク
初代パラオ共和国大統領の銅像
25/9:38:22
ハルオ大統領銅像と対面するように・・・。
ベラウ・ナショナル・ミュージアムがある
9時39分:10分27秒 B:ナショナル・ミュージアム附近にて
「でもあれだけ艦載機が飛んで来れば、これけっこう・・」
「脅かしにはなりますよね」
「何機か落としているんですかね?」
「ああ、結構落としてますよ」
「これは何の?」
「B24の、これ機雷ね。アメリカがみんな落として行って」
「あ、アメリカが落として行って。これがね。海上封鎖いうか」
「それで触雷するように・・・」
25/9:39:32
鉄屑回収のように・・・。
一角に寄せ集めらている武器の数々
25/9:39:56
米空軍B24のプロペラ
撃墜したったんじゃ
こ、この足は?倉田先生で〜す
私は運動靴履いてますから
25/9:39:58
米軍が海に投下した機雷
え〜、中味の火薬は???
「これはもうみんな船から外して、みんな持って来て、役に立ったですよね。でもこれはつらいですよ。必ず殺され
る」
「あ、一騎打ちやからね。殺されたら又代わりが」
「勿論、そうですね」
「やっぱり何機か落とされて、向こう、落とされたら落下傘降下しますの?」
「ああ、しますよ。それで、すぐ飛行艇が来て救助しますよ、目の前でも救助しますよ。」
「その辺は勇敢っていうか、勇気あるんやろね」
「そういう保障があるからやつらも乗ってるんじゃあないですか。日本は落下傘あっても落下傘着けなかったですよ」
「ああ、そんな感じやね。やっぱり命の重さが違うっていうか」
「これはねえ平鍋ってねえ南洋貿易が儲けたパラオ人の食器です。これでタロイモ、蓋がない平たい鍋です。これの
数で富豪が決まる。10枚持ってりゃあ大金持ちです。2枚しかなければ貧乏人です。タロイモこれでボイルして・・・」
「大家族で・・・」
「そうです、そうです。雪隠まで置いてる。ハハハ」
「これがね、これ雪隠ですか。」
「何だか知らないで持って来ているんでしょ」
「便器のあれか・・・。これも64年前は火を噴いてたんか・・」
「あの、戦艦大和って映画見た?」
「見ました」
「あん時に、二連砲の高射砲があるでしょ。あれ良く出来てた」
「あ、あれ、あれと一緒ですね」
「そう、そう、そうです。あの音響効果いいですね」
「あの映画は良かったです」
「自分も戦っているような気になりますよ」
「そうですね。次から次、殺されたら俺が代わるいうやつで・・」
「まあ、それでアメリカの機銃は大きいから、一発当たったら死にますよ。日本のはどうってことないけど」
「まあそやけど殺される時はそれのほうがええね。一発当たったら死ねるほうが」
「ハハハ、上手く当たってくれりゃあいいけどねえ」
25/9:41:08
これが
平鍋:パラオ人の食器です
「2枚なら貧乏人、10枚持ってりゃあ大金持ち」
・・・だそうです
25/9:41:34
雪隠(小便器)の欠片
武器と食器と雪隠・・・と
なんか掘り出し物は他に?
25/9:42:12
九六式二十五粍高角機銃
海軍の主力対空機関砲だ
きっと米軍艦載機爆撃機を多数撃墜したに違いない
映画「男たちの大和」で見た
海軍で活躍した機関銃だ
「これはもうやっぱりこういう、カヌー」
「カヌー、副木があってねえ。」
「副木がないと無理やね、あんな狭いのは」
「そうです。外航用です。喫水が深いでしょ」
「あ、ホンマやね。なかなか立派なものですね」
「浅いのは、ほらあの平たい、リーフの中とかね」
「これはパラオの現地人が作れる?現地で」
「全部そうです。パラオ人はあんまり外航へは行かないですね。島が立派だから」
「行く必要がないんですね」
25/9:39:28
これが外航用カヌー
これに副木を付けて外洋へと出て行く
「あ〜焼かれてというのは、放火かなんか?」
「そう、放火」
「これは象形文字とか、そういうわけではないんですか?」
「いや、象形っていうよりか、もう字がないから、絵で」
「絵で歴史を示しているんですね」
25/9:43:14
二度も放火で焼かれて三度目の
アバイ
「こういうニワトリがね、雄鶏ですよ。時の声を告げる、軍神なんですよ、神様です。これ、丸に十の字は薩摩の島津の殿様の紋章とおん
なじなんですけど、お金を示している」
「そうですか」
25/9:44:02
雄鶏の雄叫びの図
薩摩の紋章は?お金を示す
「あ、ホンマやね。ここに黒い大コウモリ」
「これは魔除けです。これはみんな魔除け、かっこ悪い悪神なんですよ。悪神を集めて怖がらせて入らせないという
発想なんですよ」
「それで中を守っているいうか、ほう」
「上手く考えているねえ。それからこれ金を生む鳥ですよね。これは戦の神だなあ。だからパラオ人は雄鶏は大事に
しますよ。」
25/9:44:14
何処に大コウモリがいるのか?
パッと見て、パッと分かった人?
私、なかなか見つけれず
こんな写真ならすぐ分かる
「闘鶏、やりますよ。フィリピン、東南アジアはみんなそうでしょ。ここにも、ほら海軍さんのタンク」
「あ、海軍はそれだけ水を大事にしてたというか・・・」
「そうですね。艦隊勤務だと、水、水、水・・・で」
「これはどうやって集めますの?」
「いや、だから周りに家があって、家から・・・」
「その屋根に溜まったやつをここへ入るように」
「家が壊されちゃって」
「そやけど立派なものやねこれ64年経っても」
「これ表、上塗りしたの、それで絵を描いてある」
「今は使っていない?」
「いや、使ってんじゃあないかな」
「今でも使えそうやもんね」
25/9:45:02
ここに帝国海軍の水タンクがある
今でも使っているようだ
「釘とか使ってないんですね」
「一切ない。椰子ロープ、これはニッパ椰子と言って一番強い」
「そういう技術者は今でも沢山おられますの?」
「いますよ、昨日かなんかアバイ見たでしょ」
「ハイ、見ました」
「あのアバイね、あれがだから一番新しいやつ」
「あれが一番新しいやつ、今でもあれぐらいのはパッと作れるんやね」
「ここで勉強してますからね」
25/9:45:56
アバイは釘を一本も使わない
組み込み式で、椰子ロープを使う
今もその技法は伝承されている
「ここで今でもたまに集会とかやってるんですか?」
「やってますよ」
「やっぱり実用的に使ってるんですね」
「所定の位置に坐る人が決まってますから」
「ああ、今でも部落部落に酋長とかいう立場の人はいますの?」
「ああ、いますいます。伝統的な酋長ね」
「それは世襲ですの?」
「そうです。二院制であるのは世襲の議員さんと、選挙で選ばれた議員と両方います」
「そういのはいいですね、やっぱり」
25/9:46:30
アバイの中の囲炉裏
今もここで集会が開かれている
「ああ、そうですか」
「これパラオの創生神話を描いてあるんですよ。女性が妊娠したのに子供が生まれなくて困ったのに、その穴が無か
ったいうんでね。それでシャコ貝の殻を借りて、シャコガイの外套膜付けて生んだ。シャコガイっていうのはこんな大きいでしょ。
女性の性器とそっくりなんですよ。それを借りて子供を生んだ、生まれた子供大きい、もう部落総出で飯食わせて、段々大きくなって困っ
ちゃって。それで焼き殺しちゃって倒れたのがパラオ諸島だという伝説がある。もっともらしい嘘です」
「それでも伝説が有ると言うのは良いですね。それだけ歴史があるということですから。アメリカのように寄せ集めの
新興国家ではなく・・・」
25/9:48:40
パラオ共和国創生神話が描かれている
でもあんまり楽しくない神話だなあ・・・。
もうちょっと夢のある神話を何故伝えなかったのか??ホンマ
「凄いねえ、こんなとこで」
「こんなとこで、ごつごつして痛いと思うんだけど、四人集まって会議をやる」
「ここも昔は生贄っていうか首切ってどうのこうのとか・・・」
「うん、他にやることないでしょ。食い物は豊富だし、他所に行かないでいいし、部落間同士の闘争、そうすると首
切ったり、女かっぱらってきたり・・・」
25/9:48:56
坐り心地は悪いけど、この石畳上で宗教会議をやります
四人でやります。背もたれも石ですが
文句は言いません
「一泊二日くらいで?」
「いやいや10日ですよ」
「ホンマここはパラオでしたね、ハハハ」
「小笠原まで三日掛かるんですよ」
「最初来た時のパラオの印象?」
「知ってましたからね、従兄弟がここで医者やってたから」
「仕事先はもう決まって来たんですか?」
「仕事と言ったってまだ勉強中ですからね、中学2年の時」
「良くご両親が許しましたね?」
「従兄弟がいたからね」
25/10:06:58
Mドッグ
この帆船はグアムか?ハワイ?から来た
・・・と、先生は説明してくれた
25/10:07:04
A Dockside Hotel
この左の金網の中にワニがいた
倉田先生が飼っていたそうだ
大きくなり過ぎて嫁に出したとのこと
ワニは懐かないそうだ
アラカベサン島
D:旧大統領府へ
25/10:19:20
コロール島からアラカベサン島への橋を渡る
10:21:46
旧大統領府
何ていってもパラオ共和国は国と言っても
人口2万足らず
E:ミューンス・スコウジョウにて
「アメリカのねえ。倉庫代わりにしてるんですね」
「そうです、そうです。珍しいねえ、こんなとこに残っている」
「これアバイだ。あそこに水泳プールがあるでしょ。オリンピックにも二名でましたよ」
「あ、へえー北京に?」
「いやその前の・・・。これが飛行艇上げるとこ。海軍17式、二式大艇(ゲタ履き)」
「これは昔からあるんですか?」
「あれ網があるでしょ。シャコ貝養殖してるんですよ」
「あ〜、養殖」
「これ東西に飛行機が飛ぶんですよ、滑走路になるんですよ。だからここに防波堤が必要になってくる」
25/10:19:20
レシプロエンジン装備の飛行艇としては
当時世界最高の性能を誇る
「当時は機密でしたか?」
「全く機密です。当然来たのは知ってますよ」
「薄々のあれは、逃げて行った?のは知ってましたか?」
「船がいなくなっちゃたもの、船はボルネオに逃げて、長官たちは残って空襲を体験して、その夜に脱出して福留
参謀とっ捕まったでしょ」
「ほんまやね、ここに水上飛行機が・・・」
「ここにゲタ履きのね飛行機が、三人乗りかな?年中飛んでいた」
「やはりそこらの海域を偵察していたんですかね?」
「そうですね、とにかく船が入るとなると護衛につくでしょ。捜索、敵の襲来を探知するために、このすぐ沖、その
ゲタ履き10メートルくらいにゲタ履きが沈んでいますよ。搭乗員は助かってますけどねえ」
25/10:26:58
ミューンス・スコウジョウ
ここが飛行艇の基地だった
二式大艇が活躍していた
空撮:上部の突き出した所
その右斜め下にプールも写っている
25/10:27:26
このすぐ先にゲタ履きが沈んでいるらしい
昭和十九年三月三十一日
ここから古賀長官たちも飛び立った
「ああ、みんなもぐってますよ」
「そん中に白骨が残っていますの?」
「いやそんなのないです。搭乗員はみんな助かってますから・・・。ゲタ履き飛行機なんかもグラマンに追いかけら
れたらすぐ追撃されちゃいますから」
「速度が遅いやろし、ここで敵艦隊を見たというのは?」
「3月の空襲の時は、みんな沖に敵艦隊がいてそこから飛んできましたからねえ」
「その艦隊の姿は見えましたか?」
「見えない」
「あまりにも落差がありますぎますね。こうやって平和というか、いくら戦争やっていても敵が来ない限りはこんなの
んびりした雰囲気で、いざ戦争になれば一瞬にして地獄絵図っていうのは・・その辺の落差が一体どんな感じなのかなあ・・・と」
「ハハハ、食料がなんせないでしょ、補給路断たれたからね。みんな爆撃で燃えちゃってねえ。」
「4万人いたらこれだけ食い物が豊富そうでも、タロイモとか・・」
「4万人は養えない。島民は自分たちで食い物探せるから、そのうち夜間でも飛行機が飛んできたでしょ。そうする
と夜も魚とりに出られない。灯りなんかつけてると爆撃されるしね」
「僕らの島も無線機が故障しちゃって、連絡がとれなくなって困っちゃって、そのあと通信機を夜、夜間飛行で持っ
て来て落としてくれたけど、昼まだって受け取るの大変なのに、夜なんかどこ落ちるか分かんないじゃない。武器をね手榴弾を何百発も落
としてくれても敵の手に渡っちゃうこともある」
「ほんまやね、敵の手に渡っても同じことやね、敵には必要ないし」
「そうそう、そりゃあ要らないけども日本軍にとっては」
「そうですね生死に係わることですから。アンガウルから連絡の為に泳いで来た人が、金城さんという人が」
「それは命令で行った人ですね。それから敵前逃亡で逃げ出したのが、確実なところで二人。」
「それは無事に着いたんですが?」
「無事に着かないですよ、夜が明けちゃって、米軍に捕まって、で、ハワイにいましたよ」
「捕虜になってた?」
「捕虜になってよかったですよ。コロールに行ってたら追い返された。敵前逃亡でね」
「船坂さんの本を読んでたらペリリューから海軍の一団が船に乗ってパラオに来て、またすぐ追い返された?」
「海軍は船があるから撤退するんですよ。陸軍さんは撤退できないから、ここは海軍じゃあなくて総司令部が陸軍で
すから陸軍の命令が絶対ですから」
「ああそうですか」
「だから敵前逃亡許さない。例えば整備員なんかさあ、武器持ってないんだから。中川州男さんは邪魔だからみんな
ペリリューから脱出しろと言ったんですよ。飯だけ食わせても合わないんでしょ。特に設営隊なんてスコップで戦えと言ったって無理な話
ですからねえ、ハハハ」
「ほんまやね」
「どいてもらった方がいいんです。サイパンだってテニヤンだって、あの民間人がいたお蔭でどれだけ作戦がやりに
くかったかねえ、あれ隔離して赤十字の旗立てて降参すればいいんですよ。戦闘員同士だけで、さあ来いとやらあ良かったんですよ。それ
やらないで一緒になって逃げ回っていたんから、沖縄がそうでしょ」
「それはどっちの意志というのか?」
「そこまで分からない、気が付かなかったんじゃあないんですか。でも一応沖縄の司令官はねえ沖縄県民かく戦えり
、宜しく頼むと誉めてるじゃあない。だから全く配慮がないということはなかったんじゃあない。日本本土でやっても同じことになったで
しょ。竹やりとかバケツリレーで消化とか、ハハハ」
「混乱してるでしょうね。でも、隔離して逃げなさいといわれても、まあそう言う教育を受けてる者にとっては、戦う
意識を持ってる者にとってはなかなかどうなんでしょうね・・・」
「精神力でねえ、どこまで戦えるか、だから用兵の術はやはり専門家の将校が考えなければならないことで、その将
校が日露戦争と同じ戦争をしようとしたことがいけないんじゃあないんですか」
「やっぱりアメリカと初めて戦って、中国と戦うのと同じ様な目で見ていたら・・・」
「中国は愉快なのは、あの討伐の日本兵が来ると言ったら、どこの師団だか師団によったら逃げないんですよ。例え
ば京都師団だというと逃げないで迎え撃つんですよ。」
「やっぱり弱いの分かっているんですかね?」
「○○○6師団、秋田とか東北、関東軍の精鋭とかが来るとねえ、さっさと逃げちゃうんですよ。ありゃあやっぱり
情報網の関係もあるんでしょうけど大したもんですよ。日本の陸さんの兵隊さんは農家のニ三男坊の就職口だったんだからしょうがないけ
ども
僕は別に軍隊嫌じゃなかったけども、進んで行こうと言う気持ちはなかったですけどね。満蒙開拓義勇軍は農業が出来たんでね那須野が原
っていうのは開拓者が多いんでそういう雰囲気にいたんで」
「もう小さい頃からそういう生物学的なものが」
「そりゃあ遊んでいたなかでですからね、どうってことないです」
「海洋生物専門になったのはこっちに来てから」
「そうですそうです、此処に立派な学者が沢山いましたからね。恵まれていましたね。やっぱりね環境に恵まれて、
教授陣に恵まれてですね」
「あそこにごつごつした高いところがあるでしょ、パラオ本島の朝日村なんですよね。ルイス・アルモノグイ:20
0メートルの山、そこは眺めがいいんですよ。あそこから真正面が、真西が西水道があってねそこから連合艦隊が入って来るんですよ」
「見てみたいもんですね。連合艦隊っていうものを、大したもんや思いますね。今ああやって空母を旗艦にしてあれだ
けの国力がようあったなあと信じられないですね」
「まあでっかいですよね、全部くず鉄使ったんじゃあないですかね」
「それにしても凄いですね、それを運用するわけですからね、ただ作っているだけではなくて。」
「まあしかし・・」
「世界広しといえどもあんな連合艦隊、大機動部隊を運用して実戦配備できるなんて当時としても五ヶ国、いや五カ国
もなかったくらいだし」
「まあ日本の海軍であれだけ飛行機の重要性が分かっていて飛行機乗り、飛行機の生産が追いつかなかったですから
ね」
「巨砲じゃあだめやね、大鑑巨砲主義はだめでしたね」
「見えないとこで撃ってんですからね。」
「砲撃の衝撃ね、あの大和の映画を見た時ね、あの音響効果がねえ、もう身体がねえ、勇んで来ますよ。ハハハ」
「そういうの私らは肌で感じたことはないから。」
「戦闘場面なんかねえ、ありゃほんとにねえ恐いのなんのなんてなんにもないですよ。もうガムシャラに戦うわけで
すからねえ。だから若さが必要なんですよ。かあちゃん子供がいりゃあみんな怖気づくけども・・・」
「私らはもうそういうの全く知らないですから・・それこそ」
「知る必要はないだろうけども」
「いや〜、私らはやっぱり羨ましいですね。ある一面というか、もう、いつも中国に嫌味を言われて、朝鮮、韓国に嫌
味を言われて謝ってばっかりの歴史の中を生きて来たから、それこそストレスが溜まっていますね」
「竹島問題だってねえ」
「拉致だって昔ならあんなこと有り得ないちゃいますの?」
「でもあんだけ日本の沿岸は無防備なんだね、保安庁何やってんだと言いたくなるよね」
「特に今なんて対馬なんて韓国の業者が入って来て、それこそ自衛隊の周りの土地を買い占められて、対馬は韓国の領
土だって言われているありさまやから・・・そりゃ戦争と平和、二者択一なら平和を選ぶでしょうが」
「“やあさん”で部隊を作ればいいなあ、命が惜しくない奴を」
「それなら拍手喝さいしますが、やはり動物と一緒で牙を抜かれたら精神的に参ってしまいますね。もうアメリカに従
属しているというか、アメリカの保護国みたいなもんですから、そういうのんで生まれて育ってこれから死ぬまでそういうのは耐えられな
いというか、ホンマ独立国ではないですね。そりゃあ昔の日本人はもっと堂々としてたんちゃいますか?ハハハ、いい面悪い面ありますが」
「でも昔の日本人は移民じゃはなくて棄民ですからね」
「ああこういったとこに流れてくる人はねえ」
「だから南方行けばなんかいいことあるって、外務省の言うことは当てにならないし、行って見たら・・・」
「先生はどうですの、昔の敗戦までの日本と戦後の今の日本とどっちが良いか、国として、どっちかを選べと言われた
ら・・・」
「まあ僕らパラオ生活に満足してましたからねえ、日本人という意識もあんまりなかったし、といっても日本人であ
ることは間違いないし、徴兵拒否した訳でもないし、一生懸命戦ってきたし、それよりあんまり国民意識なかったなあ」
「ああ、そうですか。やっぱり15で海外出られたから余計そういう意識が強いのかもわかりませんね」
「もう大学に行くと、みんな予科練の服着たり、陸軍の服着たり、いろんな奴がいたでしょ。それで教室は汚いし」
「それはいつ頃ですの?」
「戦争直後ですよ、みんな海軍や陸軍の学校から転校になって、みんなそれぞれ好きな学校に入って来たんですよ。
僕は東京都の水産試験所に入って、役人になってそこから学校に通ってました。今なら許されないでしょうが、当時はそれが許された時代
だったですね」
「なら悔い無き人生というか、素晴らしい人生ですね」
「そうですね、その為に年上女房もらって家を頼むよと言って、好きなことやって結婚しても家に帰らずに女房に私
は誰と結婚したのかしら?と女房に怒られましたけどねハハハ」
「ホンマ冒険ダン吉の世界ですね。皆さん外に出られる人は家はそうなりますね」
「天気になりましたね、それじゃあPPRに行きましょうか?」
「PPRってどこです?」
「らい病島の手前のとこです」
25/10:55:44 パラオ日本大使館:(680)488-6455 (PPR)テニスコート側駐車場の奥にある
25/11:03:08 アラカベサン島:パラオの高級ホテル この浜辺に昔、水上飛行機の基地があった
25/11:01:20 PPRのプライベートビーチ その横が旧帝国海軍:水上飛行機のランプ
「アメリカの戦闘機と?」
「もう凄まじかった。戦闘終わってから助けに行ったですけどね」
「もう航行不能になっていたました?」
「もう沈んで着艇してましたよ」
「さあけど生存者は?」
「いましたよ、工員が多いから戦闘員でなくて」
「石廊と言う船はどんな船ですか?」
「給油艦ですよ、石廊崎の石廊、艦隊にはニ三隻付くでしょ」
「呉に明石の慰霊碑がありますね」
「うん、明石のパラオの戦闘日記を欲しいんだけどね、丸に載っていたかなあ。又気が付いたら・・・」
「ここで戦った戦闘日誌・・」
「あるんですよ。僕は明石の艦長を知っていてね。艦長がねえ、ここに入ると僕のとこに来てね、貝を欲しがるんで
すよ。ミクロネシアの貝を、当時珍しいから随分あげたんですよ。艦長は自分の権限を利用して集めるんでねえ、持って来る物がいいもん
持って来るから、しょうがないハハハ」
「ちゃんと向こうもちゃんと知ってるんですね。艦長というのは少将とか階級はどのくらいなんですか?」
「少佐か中佐か大佐か、将官の下ですからね。左官級だから、まあ一番中核、働き盛りの・・」
「私らは小さい護衛艦しか見たことないから日本軍の大艦隊なんて想像すら出来ないですね、大きさが分かんないです
ね」
「海軍はほんとに船が一つの家庭だから、贅沢なもの食ってたしね。陸軍に比べると知的水準が高いですよ。陸軍
の兵隊はねえ一千五厘でさあ、農家の二男坊ですから」
「でもやっぱり消耗品に成らざるを得ないというか、やっぱり、でもそういう組織がある国は強いというか恐いですね、
相手にしたら」
平成20年4月3日:呉、海軍墓地に行く それは慰霊碑の正面にひときわ大きな字で工作艦明石:慰霊碑と書かれていた。その碑の後ろ側に石にびっしり文字が刻まれた碑があり、 そこに「表彰状」という文字が書かれていた。
石の表彰状を初めて見た。
工作艦明石(Web参照)
ここにも英雄を見つけたり。 そして最後に引揚げられたのが指揮官・田中大尉であったことにも勇気付けられる。当然のことのように思ってしまうが、その当然を当然 のこととして実践することこそが簡単なようで得がたい価値なのだ。 もしかしたら木野瀬兵曹も艦長も戦死され、それがこの手渡されることのない石の表彰状となったのかも知れない。ご冥福を祈る。
「見てないですね」
「あれ見るといいねえ」
「それは戦後の映画ですか?」
「いやいや戦前ですよ」
「お疲れ様です」
先生を知るここで働いている若者が偶然?現れた。パラオでは日本人の青年男女がツアーのスタッフとして沢山働い
ていた。
「オーイ」
「お帰りなさいませ」
「バカに色が白いなあ、なんか観光客みたいだなあ」
「ウファハハハ・・・」
2004.9.3 http://it-net.ddo.jp/Album/yoko-news/2004-9-3/irou.htm @エッセイ:「大日本帝国特務艦隊石廊」 今年3月に沈船「石廊」を潜った、元乗組員の石川富松さんのストーリー
F:PPR:パラオ・パシフィック・リゾートにて:No2
「アンガウルという島の存在自体しらなかったですね。アンガウルって知ってました?」
「ここに来るまで知らなかったですね、まあゆっくりして行って下さい」
25/10:59:24 若き飛行機乗りたちが この基地を拠点に日々飛び立っていた
25/11:02:54 飛行艇の飛び立つ風景や その大きさも実感に乏しく この周囲はどんな光景だったのか・・・。
25/11:02:54 海に続くコンクリートの斜面 ここから二式大艇も出し入れしたのだろう 兵士たちのそんな姿を光景を想像す
PPR〜マラカル島への車中
「米軍もやったんですかね?」
「そりゃあやってますよ。確かに指揮官だってことを、村の者を連れていって」
「そこで割腹自殺して、部下が埋めなかったんですかね?」
「さあ、そりゃあ分からんですね」
「やっぱりあれだけの戦いをすれば戦後アメリカが日本を弱体化さすのは当たり前やね。戦いぶりが脅威的だから・・
当時の飛行場の附近はジャングルというか、今は人の気配がないというか、南側は・・・」
G:パラオ港
25/11:38:48 パラオ港 パラオ最大の港 この沖合いに連合艦隊は停泊していたのだろうか?
25/11:38:58 台湾のマグロ漁船軍団 日本からは来ていないようだ
25/11:39:58 ここで魚が水揚げされるのだろう
25/11:40:42 日本から寄贈された大和丸 今や、陸に上がり朽ちるのを待つのみなのか? もったいない話だ
シャコガイの養殖にも成功している 倉田先生も若き頃ここで働いていたそうだ 門から中に入って説明をいろいろ聞いたが ICレコーダーに録音なく デジカメ写真もなく 取りあえず行ったことは確かだ、記憶にもある
パラオ海洋水産試験場
25/11:44:24 マラカルにある日本軍トーチカ跡 マラカル島に渡り、先に水産試験場に行ったのか? それともパラオ港が先だったのか? 今のところ不明?
I:南洋神社
25/12:08:36
南洋神社の標識
かろうじて「神社」と読めた
これが年月による風化なのだろう
25/12:09:48
参道入口を示す石燈籠
奉納
昭和十五年十一月:南洋興発株式会社
社長:松江春次・・・と、あった。
日本人とって良き時代のパラオの名残である
25/12:10:42
南洋神社参道への石橋
25/12:11:48
石燈籠を調べる先生
ここから先に海に出て、その後、南洋神社に行く
「ほんまやね海が玄関ですね」
「海から上がってくるとアバイ、さっきもそうでしょう。これが昔の道路の幅ですよ。全部石畳ですよ。昔は車なん
か無いからね、人が歩く道だけですから」
「戦争当時も車は・・」
「車なんて無かったですよ、バスがあるくらいで」
「海軍とか軍用は?」
「軍用はねえ、別です、日産自動車とかトラックとかねえ。シンガポール攻略したあとだったからフォードとか一杯
かっぱらってねえ。」
「ところどころ店がありますね」
「ああいうお店が部落に一軒か二軒、缶詰からカップラーメンからみんな」
「あれが無かったら不便やろね、まあ今は車があるから」
「昔はみんな歩いてたから、別に不便でも、今は何でもかんでも車ですから」
「玄関に近づいてきたという感じですね。ビーチバレーのコートですね」
「これ、アメリカ大使館」
「あ、これがアメリカ大使館」
25/12:19:32
アメリカ大使館
ふ〜ん、こんな所に、こんな感じで・・。
ふ〜ん、これが大使館か
25/12:21:16
シャワーが設置・・・。
ここで泳ぐのだろう
アメリカ大使館も近いし
ここは何処?南洋神社から海の方に下ったけど
25/12:21:42
奇麗な海
されど今日は人気なく
折り返し神社境内に行く
ここに行った
衛星写真より
25/12:30:18
南洋神社はすでに私有地となっている
いつまで神社が残されるのか?
心許ない
先生が一緒なので勝手に車でお邪魔する
25/12:30:44
階段と石造りの祠があるのみ・・・か
この家の家主の庭と成り果てり
時代の趨勢なりや
犬が多く、車外に出ると吼えるので
こそっと出て行く
昭和15年パラオ諸島コロール島アルミズ高地に
天照大~を奉祀する官幣大社南洋神社が創建された。
NPO南洋交流協会↓
http://www.nanyou.org/html/palau/shrine.html
25/12:32:06
玄関にパラオ・米国・日本の国旗はためく
一体この家の主は何国人なのか?
反日勢力では無き模様、一安心なり
12時35分:3分39秒 南洋神社を後にバベルダオブ島に向う車中にて
「お金が掛かるようになりましたね。」
「一番最初に陛下に会われたのはお幾つくらいの時だったのですか?」
「いくつだったかなあ大島にいた時だから、戦後20年くらいだったかなあ」
「40代くらいですかね。陛下は」
「陛下は幾つくらいだったのか?陛下の死んだ時の記憶がないなあ僕は」
「昭和64年でしたから、1月7日くらいだったと・・」
「小学校の時はねえ、東京帝大の赤門前に全部整列してねえ、御茶ノ水の方から来るんですよ車が。卒業式かなんか
に来るのかな、その時並んで待つこと延々頭下げて、上げた時は通り過ぎて見たことないですね。あの辺の小学校みんな借り出されてね、
並んでいたもの、そのことに別に不服に思ったことはないけどね」
「そんな、それがそういうもんだと思っているからね、そのお方と真近で話せる時代になったわけですね、やっぱりし
ゃべり方はあんな風な」
「大人しいですよ。」
「テレビでああいう物の言い方しか知らないから」
「これアイライの飛行場へ行く道ですね。一応これコロールの玄関口だからいつも綺麗に清掃して」
「ああ、ここはねえ」
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