目次 旅行記 安保


ペリリュー戦跡を訪ねて


コロール島・アラカベサン島・マラカル島・ペリリュー島・バベルダオブ島

2008:平成20年10月22日(水)〜10月27日(月)

5泊6日

2日目:パラオ・コロール島にて:10月23日(木)晴れ時々雨


ICレコーダーに録音した倉田先生との遣り取り

倉田先生(談)
私(談)
その他(談)


倉田先生と自宅近くで出会う

休息所から南に歩く

倉田先生宅にて(1)

倉田先生宅にて(2)

海軍墓地にて

事務所にて(1)

事務所にて(2)

事務所にて(3)

事務所にて(4)



■倉田先生と自宅近くで出会う

9時25分〜19分20秒

倉田先生の自宅に向う途中、出迎えてもらい、まずは附近を散歩する。二人連れのパラオのおっちゃんとすれ違う時に、倉田先生と顔見知 りのようで挨拶を交わす。



この先で倉田先生と出会い

右端の道を真っ直ぐに南に向う

パラオのおっちゃん二人が向こうから歩いてきた



「おはようございます」

パラオのおっちゃん二人とすれ違う

「おはようございます。まだまだ年配の方、日本語しゃべられる方おってですの?」

「そうですね」

「これまだ実がなっていないけどランプータン。一杯なるんですよ、あれ、あそこ花咲いてるね、あれ・・・」

「まったく植物、というか先生の専門分野にはうといもんやから・・・」

「いや僕も植物はしらないですよ」

「あ、そうですか海洋生物専門・・・。」

「これビンロージュ、切っちゃてるね。木が高くなると、もう実がならないから・・・」



::

ランプータン・・・ビンロージュの実と葉


「あ、これ吹き込んでおいても宜しいですかね?すぐ忘れてしまうから」

「ああ、どうちゅうことないですよ。悪いことしてないんですから・・」

「ええ、もう全く何が何かさっぱりわからないから・・・」

「自然の地形をそのまま使ってね、こういう家建てているんですよ」

「こういう風景は昔から同じなんですかね。家はトタン屋根で・・・」

「そうですね、それで高足」

「あ、高床式というか」

「マンゴが花が咲いてるよ。白い花が一杯、あるでしょ白いの」

「あ〜、見えないです。先生は良く見えますね。あ〜、見えます見えます」

「マンゴの花です」



マンゴの花


「あれが実になるわけですね」

「年に2回、実がなるんです」

「そういうのもこの家族の・・・」

「そうそう自分の家の庭の木」

「自分の家の木ということですかね・・・」

「これごらん黄色い花ですよ、これが咲き終わると実がなるんですよ。ソシャップの実がなるんですよ、カルピスの ような味がするんですよ」

「そのまま食べるわけですか?」

「そうそう大きくなって」
「あそこに休憩所があるでしょ」

「日本から思えば豊かな暮らしですね。ホンマあれやね、働かなくても働かなくても食っていけるという・・か」

「この高倉がいいですよ。風通しが良くて。今はコンクリートの家になっっちゃてるから、みんな冷えが来てね、み んな体調壊しているんですよ。」

「あ、やっぱり昔のままの伝統的な家のほうが」

「ここに陣地がありますよ。見えないですけどね。」

「ああそうですか」



写真では見えないけど、コンクリートのトーチカ陣地があった


「向こう、敵、アラカベサンんでしょ。向こうに向って。こう陣地があるんですよ、もうこの壕埋まっちゃてるけど」

「これプルメリア、香水をとる木です」
「あれ、アラカベサンね。」

「あ、あれが」

「敵がこっちから来るんだから、当然こう陣地、あ、これもそうだ。これも壕なんだ」

「この四角いやつがね、あ、そこにありますね。コンクリート」

「コンクリートうってあるでしょ。6〜7人死んで埋めてある」

「あ〜そうですか」

「これ柑橘類、レモン」

「当時はこの辺も焼け野原だったんですかね?樹木がほとんどなくなってしまっていたんですね」

「そう、当時はね1944年」
「これがリンゴの木、南洋リンゴね」

「凄いですね、これはもともと誰かが意図的に・・・」

「いやいや」

「自然発生的にですの、豊かな島ですね」

「これはパンノキ、葉っぱが、ほら天狗の団扇に似てるでしょ」

「これも実がついてますね」

「これの実がね、鳥が食うんです。ガジマル」



::

プルメリア・・・パンノキ


「ああやって一家団欒」

「いいですね」

「おはようございます」

休息所で団欒している80歳のパラオお婆ちゃんから声を掛けられる

「おはようございます」

「おはようございます。みんな集まってますね」

「名前を?」

「私、私ですか。私、あぼよしおといいます」

「あぼさん、名は、よしおさん。」

「日本語お上手ですね」

「学校入っていたから」



散歩中の私らを見つけて日本語で声を掛けて来たおばあちゃん


「幾つくらいまで、何年生くらいまで学校おられたんですか?」

「日本人はずるい」

「ずるい、ハハハ」

「私たちに5年だけで・・・」

「あ〜5年生まで」

「本科と補習科。上の学校は2年だけ」

「どうでしたか?勉強は良く出来ましたか?」

「あ〜、私はナンバーワン。ハハハ」

「素晴らしい!写真宜しいですか?」

「写真撮って」

「なかなか、今お幾つになられるんですか?」

「80、4月14日に、あのう誕生日、80の誕生日」

「あ、そうですか。お元気そうで、幸せそうで・・」

「幸せじゃない。今、あのう。コロール波止場、そこに学校があったんです。南洋パラオ島、コロール公学校、三等民の 学校。ハハハ」

「三等民ということは二等民いうのがいたんですか?」

「ハハハ、ハハハ、二等民は分からないけど。日本人は一等国民。島の人は三等国民。学校で毎朝朝礼の時に、一年生か ら5年生まで並んで言ったんです。私どもは立派な日本人になります。私どもは天皇陛下の赤子であります。ウフッフフ」

「あなた姓名は?」

「倉田、マダラに居た。水産試験場に・・・」

「今、パラオは忙しい。あの大統領選挙があって」

「あ大統領選挙が今年あるんですか?」

「今、やっている、最中」
「マダラの茂男さんて知っている、おばあちゃん」

「知ってます。」

「昨日僕会う約束だったから、昨日の朝、マダラのグランドで会う約束だったのに来ないから、おかしいなと思って いた」

「昨日、その前の晩ね、死んだの。あ、会えなかった」

「僕の一番のいい友達でしたから・・」

「あ、今まだ日本の方もおられますの?」

「いや、日本の名前を付けたパラオの人、リバックでね」

「島民にとっては海側が玄関、山側が裏、今は裏から、自動車が発達して裏から入ってくるようになった」

「やっぱり海洋国家だから、海が玄関」

「そこまで行って見ますか。お邪魔しました」

「さようなら」

「さようなら、ありがとう」

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■休息所から南に歩く、パラオ松島の方向へと・・・。


「三等民と言われちゃあマズイねえ。これ、ほらパンノキ」

「あ、これがパンノキ」

「実がなってないね、もう10月でお終いですから。家の周りにこうやってビンロージュがあるでしょ、タバコ自給 ですよね。これがパラオ松島なんですよ。」

「あ、ここがね」

「大正3年に占領した時に、綺麗な港でね。パラオの松島だと言ってそれっきりパラオ松島になって」

「こういう道はもう当時はみな地道というか・・・」

「ああこれはもうホントの人間が歩くだけの道で、石畳でね」

「日本の統治時代は、メーンストリートはやっぱり・・」

「ええ、国道1号線はね。表通りはね」

「表通りはアスファルト」

「この下にね発電所があるんですよ。今はもう壊れていますが」

「ここがそういう海軍の基地というか・・」

「いやいやそりゃあ関係ない。ここは島民部落ですよ」

「そやけど、この周辺にパラオのどこかに港があったんですか?」

「ああ、この岩山の向こう側、マラカル島に」

「そういう深いところが」

「ありました、ハイ。あの青い建物があるでしょ、あれがアバイなんですよ、昔の集会所ね」

「日本で言う公民館のようなものですか」



今のアバイ:集会所

この下が海岸で、前方にパラオ松島が開けている


「うん、そう。あれから下に石段が出来てるんですよ。こんなところに来る人いないから、日本人が来るとああやっ て声掛けるんですよ」

「あ、ああ」

「あの、あなたの歩き方あんなせっせと歩いたら駄目なんですよ。」

「ああ、そうですか、ハハハ」

「あれは日本人の歩き方ね」

「あ、やっぱり」
「これ朝顔みたいですね」

「こういう観葉植物は2万点ありますからね、こういう熱帯花木は名前を覚えられない。パラオの固有種だけでも覚 えれない。」
「みんな小奇麗にしているでしょ。」

「そうですね」

「これはキティームといってね、味の素の木なんですよ。この新芽を魚のスープに入れると臭みが消える。」

「まるで味の素ですね」

「実がなって、実はジュースになります。これは知ってるでしょ、ブーゲンビリア」

「これが有名な・・・」

「これ、くちなし。あれ、星あざみ(固有種)」

「あ〜そうですか、固有種というとここにしかない」

「あ、こことミクロネシア固有種ですね」



::

ブーゲンビリア・・・星あざみ


「パラオは90%以上がなんか日本車という感じですね」

「そうですね」

「右側通行で右ハンドルというのもおかしいものですね」

「ハハハ、そんなことは連中はお構いなし」

「あ、お構いなし。これだけの家構えだけど年収にしたら日本とは全然違うというか」

「そうですね。コンクリートを打ち、これが文化住宅だと称しているけど、かえって不健全でよすね」

「あ、コンクリートはね」

「これが昔の石畳のあと、この一番下に波止場門と言って、ボートハウスとアバイがあるんですよ」
「下のアバイと、上の集落のアバイと両方あるんですよ」

「あんまり人が行き来しないんですね」

「海から行かないから」

「玄関が変わってしまったのですね。ここは東経135度くらいになるのですか?」

「そうですね、明石、四国の下」

「今度は何しに来た?」

「いや、もうここの戦跡巡りだけなんですよ。それ以外は・・・」

「ペリリューは何時行くの?」

「明日ツアーで行ってきます。ここは個人で行こうと思うとアクセスが悪いですね」

「うんボートがね、定期船に乗ればね」

「いや定期船も旅行社に聞けば、いつ出ていつ戻るか分からないから無理だと言われました」

「いや無理なことはないんですよ。観光で生きているから観光に乗せるんでしょ。ツアーはペリリューの戦跡、一日 くらいでは見れないですよ」

「そうですね、一泊か二泊くらいしたかったんですが、ツアーで帰って来いと言われたから」
「14,5歳でこちらにこられた?」

「いや、あれは省略して書いてあるんですけども。別に軍隊に入る為に来たわけではないんですよ」

「いやいや、水産試験場にね」

「満洲に行こうと思っていたんですよ。」

「満洲がえらい南に変わったんですね」

「満洲は友人がいない、知人がいないから駄目だったですね」

「あ〜そうですか」

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■倉田先生宅にて(1)

9時48分〜4分18秒

「星さんの本、星さんは好きではないですが資料として読みました。船坂さんとかの本も・・・」

「船坂の伜にこの間上京して会って来たけど。船坂の慰霊碑も移し変えるから」

「船坂さんはもうお亡くなり?」

「死んだ。もう10年になるかな・・伜が跡次いで、建てるのは良いのだけど後のメンテナンスがねえ・・・」

「笹さん“女一人玉砕の島を行く”を書いた・・・」
「あの子と一緒にこの間、浜松に行ってね。青年協議会で話をして・・寄付金くれるなら行きますって、ハハハ」

「まだまだ日本人は私も含めてですが、あまりにも知らなすぎるというか・・・」

「近代史教えてないから」

「ホンマ教えてもらってないですね」

「日露戦争のあとはみんな教えてない。ですから僕らも知らず知らずに軍国少年になって、兵隊になったら一朝オー ストラリアに攻め込んでやろうなんて、とんでもない話で、アメリカに連れて行かれちゃってね。負け戦でね。アメリカの報道は正しかっ たですよね。大本営発表は駄目だ」

「まあそやけど今の私たちから見たら、まあどっちを選べと言われたら今を選びたいですけど、今は情けないことが多 すぎますね」

「ホントひどいね」

「そりゃあ戦争か平和か、今か、二者択一を迫られると今を選んでしまうけど、やっぱり今は嫌ですね。」

「まあ戦争はせん方がいい。まあ職業軍人はねえ、商売だから戦争するのは良いですよ、勝ち戦でね。ちゃんと締 めくくりをつけないと。それが職業軍人ですよねえ。取られた兵隊が可哀想ですよね。弾もない、食料もない、それで戦えというんでしょ。 離れ島に置いてきぼりくってさ、そりゃあ戦争で死ぬならいいですよ。みんな餓死するもの」

「7割以上が餓死とか病死とか・・・」

帰国後読んだ「ベラウ生と死」澤地久枝(著)によればペリリュー・アンガウル以外のパラウの死者の9割は餓死・病死のようだ。

「そりゃあもうひどいもんですよ、こんなパラオだってそうです」

「アンガウル、ペリリュー」

「そうだ車で行こう。80越えるとねえ、急激に足が弱くなってねえ。ジャングルの中はいいんですけどね。東京で ねえ、もう疲れて・・・」

「最近お戻りになられたんですか?」

「つい四日前に帰って来ましたよ、募金に行ってたんですよ。」

「それはそれは申し訳ないですねえ。突然お邪魔してほんまに・・」

「いやいや、一人でも皆さん来てくれればねえ・・・」

「そうですね、ほんま知らない人が多すぎるというか、私の近辺皆知らない、私も最近知って驚いたというか・・まだ まだ玉砕の島で知らない島一杯あるし、どこの戦場でも知らないことだらけですね」

「置いてきぼりですからね・・・」

「やっぱりそれじゃあ死んだ人が報われないというか、ホンマ申し訳ないですね。まあ今はこういう世の中やけど、も うちょとしたらもっと評価される時代が絶対来ると思いますけどね。

今は何でも戦争イコール悪やし、昔の軍隊イコール悪いというメディアが作り上げてしまったというか、メディアだけじゃあないんですけ ど。今は私らは嫌ですねそういのを聞く度に」

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■倉田先生宅にて(2)

9時57分〜31分36秒

「降水量は三千五百ミリ降っているんですよ。それでも水が足らない、島の面積に対する降水量ですから。」

「集めることが出来ない、溜めることができないんですね」

「ヤップの離島では水がなくて、水の代わりに椰子酒を飲んでますね。幾らでも椰子で取れる」

「そういう人にすれば水はあんまり美味くないんですかね?」

「いや美味いですよ、決定的に足らないですから。だから海水を使って調理してます。塩を使う習慣はない、海水を 使う。サトウキビはしゃぶる習慣はあるけど、砂糖を使う習慣はない。そこに醤油が入って来た。、味噌が入ってきた。こんな旨いものは ない」

「やっぱり調味料というものはそんなに旨いもんなんですかね?」

「まあ調味料というのは文化のバロメーターですよ。基本的には塩水で生きていくことが出来る。糖分も椰子の実と か椰子酒とか取ってますけど、わざわざ作る手間はしない。だから食文化が乏しいということは文明の低さということですね」

「文明度の低さですね。ここは魚とか熱帯的な魚が多くて、あんまり味と言うのは美味しくはないんですかね?」

「脂肪がね日本の魚に比べて三分の一しかないんですよ。だから健康食なんですよ。美味しくないんですよ」

「脂が乗っていないとね」

「南洋のカツオ節は脂肪がないからとてもいいんですよ。日本のカツオ節よりいい」

「すみませんどうも、これは・・・」

「パパイヤ」

倉田先生の娘(Eさん)がパパイヤを出してくれた。

「ありがとうございます」



倉田家で頂いたパパイヤ

美味しかった


「おいしい、庭になってんだ。これはね半年で実がなんのよ。だからね僕は行った時、行った時種撒いているだよ。」

「あっ、種になってますの。置いといて乾燥さして・・?」

「いやこのまま撒くの。これは日本でも育ちますよ。まあ味見てください」

「初めていただきます」
「おいしいです」

「じつは消化剤ですからね。」

「この島の方はある程度長寿なんですかね?」

「う〜ん、そうじゃあないですね」

「まあ、その代わり一生を全うしているというか、寿命だけ生きているというか・・・」

「子供が生まれると椰子の木を一本植えて、七年経つと実が取れて、椰子の木は50年経で枯れますからね。人間そ の椰子の木と同じというか・・・。しかし今高齢化しているから、ハハハ(笑)」

「ホンマやね、途中で植え直さないとアカンですね、ハハハ」

「ホテルも悪くないでしょ」

「そうですね。十分ですね」

「あれはね日本の遺族会から集めた金で建てたんですよ」

「パラオ友好協会と書いてましたね。マネージャーは日本人でしたが、オーナーは日本人ではないんですか?」

「日本人ですよ。でも経営者は代わってますね。遺族を専門にという約束だったんですがねえ」

「やっぱり来られた当時と今とはここも全然雰囲気は違いますか?」

「ああ、そりゃあもう全然違いますね」

「ここで現地召集を二十歳で、7月くらいに現地召集されて9月には戦争が始まってますね・・・。」

「普通新兵教育は半年なんですよ、それを三ヶ月で・・・」

「あ、一応あったんですか?」

「僕らが中学の時には、全部退役の配属将校が居た。軍事教練を受けて一通り型は覚えていたんですよ。しかしここ の町の小僧さんや沢山いたんですけどそんなことしてないでしょ。ですからね僕が良かったんではなくて周りが悪かった。だから上手い具 合に指揮班勤務でね第一線に行かなかった。第一線と言ったって3キロ4キロの島ですから、全部第一線なんだけどハハハ、敵の真正面に 行くよりか後ろにいますからね。指揮班なんですからね・・・」



アンガウル島

9月17日米軍上陸:10月玉砕


「ホンマ小さな島で硫黄島の半分くらいと書いてあるんですが・・・それも真っ平らに近いと言うか」

「燐鉱掘った島ですからね」

「ああそうですね、今は燐鉱掘りつくしたんですかね?」

「いや、まだ有りますよ」

「有りますの、まだ工場も?やってない。もう採算ベースに合わない?」

「まあ合わないことはないでしょ、戦後化学肥料に押されたでしょ。」

「それで需要がなくなった訳ですか」

「今、また有機栽培が見直されているでしょ。あなた方はアンガウルの燐鉱がなければ生まれてないですよハハハ」

「ああそうですか、それだけ肥料が・・・農作物が」

「終戦直後ひどい食糧不足でしたでしょ。大体マッカーサーラインというのがあって魚獲りに沖に出られなかったで すよ。終戦直後に200名日本人を集団で海外に出したのがアンガウルですよ。それは何故かって言うと、肥料を確保するため。そして日 本の食糧増産の貢献したんですよ。僕はマッカーサーをそんなに誉めないんですが、マッカーサーの命令ということで、これだけは誉めて やる」

「ふ〜ん、ハハハ。そうですか」

「そして日本人は食料増産をした。僕なんかも終戦直後土曜日曜というと買出しですよ。栃木行ったり千葉行ったり とかね・・・」

「終戦直後すぐにアメリカの方から日本に帰ってきてたんですか?」

「ええ怪我してたからね」

「その辺はアメリカも、わりとスムーズに帰してくれたんですね」

「ようは捕虜規定があるから、ジュネーブ条約があるからね」

「その規定をちゃんと守る国である訳ですね。ソ連とえらい違いですね・・・」

「ソ連はひどい。あの極寒の地でしょ。たまったもんじゃあないでしょ。今支度できたら海軍墓地に行きましょ。そ の後、マダラの僕の事務所に行って」

「お願いします。聞きたいことが山ほどあるんです」

「ハハハ」

「私らは徴兵制というのは有って欲しいですね、今も・・・」

「必要ですよ」

「納税の義務と兵役の義務というのは国民の義務・・・」

「原子力発電の恩恵を受けて、原子力反対と言っているでしょ。あれじゃ様にならんでしょ。それじゃ電気使わなき ゃあいいんでしょ。」

「そうそう其れくらいの覚悟で言ってくれればいんですが」

「沖縄基地反対、帰れと騒いでいるでしょ、それなら誰が日本の国守るのですよ。問題はその辺に一番あるんですよ」

「一番の根幹を忘れしまっているというのか、それをもう見て見ない振りをしているのか、私らにすれば情けない。ア メリカに守ってもらっている58年というのは、ハハハ・・」

「そのお蔭で繁栄したわけですからねえ・・」

「それでも嫌ですね私は・・・。そんな繁栄は欲しくはない。まあ贅沢な悩みと言われればそれまでやけど・・・」

「ハハハ。いやだから天皇陛下のため、天皇陛下万歳とか言ってね死ぬやつはいないというけど、いるんですよ。 家の為、親のため家族のためにが、結局国を守るということですからねえ・・・

「私はこういう天皇陛下のいる国というのは、この仕組みは凄いなあと思いますねえ。このお蔭で独裁者は出て来れな いし、共産主義が権力を取ることは出来ないし、やっぱし2千何年続いたいうことはそれなりに価値があるというか、疎かにするのはもっ たいないなあと思いますね」

「昭和天皇はホント偉い人だったですね。ペリリューは天皇の島と言われています」

「言われていますね」

「だから僕はねえ、昭和天皇にだけは来て欲しかった。沖縄そうです。沖縄もね昭和天皇行けなかったでしょ。行っ ていれば随分誤解が融けていたでしょ。とうとう行かなかったでしょ」

「ああいうのは陛下の意志というより周りの政治的な意志としか思えないですね」

「侍従がいけないんじゃあないですか」

「ホントはサイパンではなくパラオに来るはずだった。サイパンはまだ間に合うと思っていた。だからまだ梱包した 重火器が使わないでそのままになってねえ。パラオは覚悟してたからね。逆になっちゃた。玉砕しちゃってサイパンの為に黙祷しましょう なんて黙祷しましたよねえ。この次は我々の番だと思って黙祷したんですからね」

「あ、そういう覚悟で・・・」

「南洋群島に行くと徴兵検査しなくいでいいんですよ、それが出来るからパラオに来た」

「それがその当時は現地召集で・・」

「もう40になっても同じですからねえ。課長クラスのえばってるのが星一つでしょ。僕ら星一つで若いから平気で したけど。送別会やってね課長追い出したですけど泣いてましたよ。でもまあ上手い具合にねえ年配だし、当番兵かなんかで自分の倅みた いな若い将校の靴を磨いたり、弁当運んだり、まあ楽でいいですけどねえ、そいういう風にして温情があったですけどねえ・・・可哀想で したねえ」

「こんなはずじゃあなかった・・と、ハハハ」

「恩給が早く付くでしょ。年次休暇があるでしょ。それで外地手当てがあるでしょ。南洋に来る人たちは役人が一番 ですよ」

「そういう意味では満洲も良かったみたいですね。当時はやっぱり」

「満洲の役人もそうですよ、それが一挙になくなったんですから」



現在のアンガウル島:衛星写真


「負け戦、戦争に負けるということはそういうことですから。ハハハ。しかし私らはいろんな本を読ましてもらっても、 いくら昔のそういう教育があったとしても人の見てない極地というか離れ小島でも最後まで戦う意志が残っているのが、それが不思議とい うか凄いなあと思いますね」

「まあねえ、そりゃあねえ戦争したら勝たなきゃあ、それから負けるなんて思っていませんよ。とにかく撃たれっぱ なしでしょ、蛸壺に入っているでしょ。撃っちゃあ駄目なんですよ。弾もないんですよ。撃ったらね上がって来た時こっち弾ないじゃあな いですか。

だから絶対撃つなですよ。でも悔しくて撃ったやつがいるんですよ。そしたら陣地が見つかるでしょ。ボカボカとやられて陣地壊されてし まったんですよ。」

「壊されるからねえ」

「だからねえ絶対撃つな絶対撃つなですよ。でもねえ蛸壺の中に一人居る時はホントねえ苦しいですよ、恐怖心です よ。友軍がいりゃあいいんですよ一人でも。そうすると我慢できるんですよ。一人で入っているというのはねえ、まずつらいもんです。

戦争になればねえ無我夢中ですからね、恐いもったくれもない。朝から晩まで走り回って、弾撃ったり逃げ回ったり追っ掛けたりするでし ょ、だから何でもないなんですよ。戦い済んで日が暮れて、ハハハそれから大変なんですよ。

水を汲みに行き食料飯炊きやんなきゃあなんない。、明日の準備、明日また戦争に行きますからねえ。その支度で、てんやわんや、だから もう恐さとか、そんなもんより無我夢中でしたね。」

「そりゃあそうですね、命の遣り取りをするんですからねえ」

「相手が同じくらいの歳の奴でしょ。アメリカと日本の国籍が違いだけで何の関係もない憎しみもない者と戦うです からね」

「そやけど同僚が殺されたら憎しみというか?恐怖というか・・・」

「う〜ん憎しみ?・・・。恐さはないです。恐さはまったくない」

「やらなければやられるという意識は・・・」

「撃たれて怪我している人間を見ればね、あの血がでるだけで可哀想だな・・・と、もう元気のいいのがねえ怪 我した途端に弱くなっちゃう。特に内臓器官を痛めるとねえ、内臓器官はダメ、僕の怪我は全部外傷で外側で左半身ですからね」

『もう元気のいいのがねえ怪我した途端に弱くなっちゃう。』
戦場の興奮も傷を負い痛みが襲うと、その瞬間に戦争から現実に引き戻され「ガクッとなる・・・」そんな様子が目に浮かびます。これが 戦場の兵士のリアルな姿なのだろうと・・・。

「腸が飛び出したり、内臓いわしたら、貫通したらだめなんですか?」

「貫通なんかもっとダメ。」

「もっとダメなんですか」

「ここにねえ小いちゃあな破片が入っているんですがねえ、皮膚だからいいんです」

「腸を貫通したりしたら・・・」

「手術が出来ないからねえ、医療品がない、軍医がいてもお手上げです、ヨードチンキだけなら何にも出来ない」

「そういう弾丸が飛んでくるという音というか、そういう雰囲気というか、想像も出来ないですからねえ」

「そりゃあねえ凄いですよ。最初はねえ日本の高射砲が撃っているでしょ。アメリカの飛行機に、アメリカも爆弾落 とすでしょ。敵も味方も入り混じってどれがどれだがわかんない。慣れて来ると、今のは日本の高射砲・・・と。」

「音が聞き分けれるようになるんですね」

「そう分けられるんですよ。そりゃあ凄いです」

「やっぱりアメリカの艦載機も結構空母から飛んで来るわけでしょ?」

「すごい来ましたよ、実に見事、グラマンが急降下爆撃するでしょ。そりゃあ鮮やかですよ」

「時々パイロットの顔まで見れると聞くんですけど、見えますの?」

「そうです、そうですよ。そいで蛸壺の中に入っていると、自分の視界が約直径1メートルくらいでしょ。そこから良く見えるでしょ。だ から米軍が急降下してくるのがみんな自分を狙っているような気がするんですよ、ハハハ」

「そりゃあしますね」

「アンガウルという島はね、こっちもそうですがロックアイランドと言うくらいですから、隆起珊瑚礁の島ですから 。徹甲弾でもねえ跳ね返すんですよ。」

「硬いからねえ」

「そこに自分の命を守る蛸壺を掘るわけですよ、だからいい加減にして、さあ、入ったらねえ首が出ちゃうんですよ 。しょうがない上から掩体を被せるんですけど、掩体はねえ爆撃で吹っ飛んじゃう。そうすると首が出てくるじゃあないですか。降りてく るやつがみんな自分が狙われていると思っちゃう。そりゃあねえ凄い恐怖心ですよ。」

「そりゃあ向こうも狙っているんでしょうけど・・・ハハハ」

「そこまで見ていないんじゃあないですか、そこまで・・・、蛸壺だらけですからねえ」

「そういう機銃は一発でも当たったら木っ端微塵ですか?」

「微塵ですね。日本の三八式の歩兵銃とまったく違う。あれをまともに受けたらみんな死んでしまう」

「艦砲射撃と言うのはやっぱり弾が先に来るんですか?音より先に・・・」

「かなり遠いですから、アンガウルなんかの場合には目の前で潜水艦なんか浮上してね・・・」

「怖い物なしですね、制空権もなんもなしやから・・・」

「え〜とね上陸前に、9月の12日から15日までに三千トンくらい」

「艦砲射撃がねえ」

「島別に何インチをいくらと全分かっますよ。そりゃあ凄いですよ」

「それはアメリカの公式記録、公刊史料ですね」

「もう日本兵はいないと思って上がって来るの。明日ペリリュー行くの?」

「そうですね」

「オレンジビーチ、ホワイトビーチに、そこに日本兵が掘った散兵壕があるの、艦砲射撃が終わって音がしなくなっ たと思って顔を出したら、もう目の前に米兵がいるの、もうそうなると艦砲も撃てないじゃあないの味方がいるから、そういう状態ですぐ 白兵戦ですよ・・・」

「そこでアメリカが大分負傷者を出したというか?」

「二日間でねえ1000名近くですよ。そしてねえ、そのお墓がねえ、オレンジビーチのちょっと上がった所にある んですよ。東側は太平洋でしょ、西側はフィリピン海でしょ。一望千里ですよ。見えたんですよ、今は見えないですよ。木が生えちゃって」

「昔のアメリカの公刊史の写真をみたらまっ平らのところにズラーと並んでいましたね」

「あの十字架ねえ、あれ全部掘って、フィリピンに運んでしまいましたよ」



ぺリリュー島の米軍兵士の墓

戦後フィリピンに運ばれ今は慰霊碑が残る



埋葬時の写真



今、上と同じ場所に

慰霊碑だけが残っている

周囲はジャングルの如し



「あ、運んでしまった。今は、碑が・・・」

「今、慰霊塔だけがね」

「あそこはみな平らだったんですね」

「あれ飛行場とこでねえ、あれ見ると驚く。アンガウルもそうです。僕らの居たところも西も東も丸見えだったです よ」

「ホンマですね。特にアンガウルは、航空写真でみたら高低差がなさそうだし・・・大変な時代を、又パラオに来られ てアメリカに行かれて、またこちらに来られて・・・凄い人生ですね」

「今度、慰霊碑を全部移し変えたら僕の役目は終わりそうだから」

「いや、まだまだ・・・」

「この間ね、栃木県の県庁に行ったの、知事に会いに、県庁で350万円出してくれて慰霊碑を建てて、その上に県 知事が自腹きって観音像を建ててくれて、4メートル近くあるんですよ。それが一番大物なんですよ、それを動かすのにね2トンくらいあ るんですが、大変なんですよ。

ユンボで吊るしあげてね、4キロばかり動かすんですがね。だからねえ移転費をねえ、栃木県が建ててくれた慰霊碑ですからね。でも税金 では出せない。でも知事個人で少し集めますと言ってくれました。」

「あ〜そうですか」

「それでね知事のねえ、祖父がアンガウルで戦死しているんですよ。バカに詳しいなあと思ったんですが。5〜6年 前にペリリューまで行っているんですよ」

「アンガウルには行かれなかったんですかね?」



ペリリュー平和記念公園よりアンガウル島をのぞむ

栃木県知事もここからアンガウル島を見たのだろう

この平べったい島で、

倉田先生は戦い、栃木県知事の祖父は戦死した



「なかなか行けない、天候が悪くてね。まあペリリューの一番南端でアンガウルを見て拝んで来てくれたそうです。 12キロ先にアンガウルが、ずーと見えますから・・。昔、あそこを泳いだんですよ、5人で、戦争終わって、泳げなかった。

まあ三人泳げなかったからねえ。泳げないのを引っ張って泳ぐんだから、自分だけで泳ぐにも精一杯でしょ、それに食料不足だし栄養失調 だし」

「あの本に書かれてあったお話というか・・・途中まで泳いで行かれて」

「日が暮れてね、イカダをほうりこんで軍服着たまま地下足袋はいたまま泳ぐんですよ・・」

「まあ、しかし当時は見つかったら殺される時でしょ」

「そうねえ、まあ捕まることは間違いない。だから夜が明けない前に着かなくちゃあ12時間で」

「その時はアンガウルでは戦いはやっていなかった?」

「もう、まったく」

「ペリリューではまだ11月くらいまであった見たいですね」

「あの時は悔しかった。」

「途中で引き返されたんですね。」

「逆潮になっちゃって、今度は流されちゃて、泳げないのを三人引っ張っているでしょ。僕は左手効かないでしょ。片手と両足・・」

「引っ張ってってどうやって?」

「イカダ、アメリカの担架、負傷者運ぶ、あれをかっぱらって来て、20リットルのガソリンタンク三つかっぱらって来て、電話線、有線 の電話線をぶった切って来て担架の両サイドと真ん中に括り付けて、それが浮力になる。ハハハ」

「凄いですね、創意工夫というか・・・」

「それを夜に海に放り込んで、みんな入れ、足だけでも泳げ、泳げない奴はと言ってね。愛媛県の西宇和のねKが家が海岸だから泳げる。 それと僕が自信満々で、あと三人が泳げない。それがね沖縄よ」

「え、沖縄の人が泳げない?」

「お前どこ出身だと聞くと、ヤンバル出身だと言うんですよ。ヤンバルの人は泳げない、それじゃあしょうがないと 言って。普通なら我々みんな遊兵なんですよ。組織のない軍隊ですから、ああ、お前泳げないじゃあダメ、泳げるやつだけで行っちゃおう、 それが普通なんですよ。

冷酷ですからねえ、しょうがないなあこいつら折角生き残ってねえ、今目の前に生きてるわけでしょ。どうしたらいいかな、イカダ作って イカダに掴まらせてやろう、足だけでも泳いで行けよと、そうすればいくらか助かるから、でやった。

でも実際にやってみるとダメでねえ、普通でも泳ぎきれないのに、そしてやってみて初めてわかる。そして又アンガウルに戻って今度は食 料探し、僕一人だったらあるいは・・・」

「でもペリリューにもし泳ぎ着いても危なかったでしょ」

「まあペリリュー本島には上がんないですよ、縁を渡ってそのまま北に、無人島にね。無人島に行けばパパイヤもあ るし椰子もワラもあるし、海にはシャコがあるし魚もいるでしょ・・・」

「その辺の無人島には日本軍もいないし・・」

「いないアメリカ軍もいないし」

「その辺は詳しいから自信満々ですね、でやおおありコロール本島に来るつもりで」

「まあコロール本島に行くつもりはなかったですね。その辺の無人島でロビンソンクルーソと同じ事をやろうと思っ てハハハ」

玉砕戦に生きた兵士( 倉田 洋二 )・2

この時のことが書かれている↑


「その辺はかって知ったるところやから強みですね。そやけどその頃は二十歳とか21歳のころですからね、考えられ ないですね。今の若者みても、まあ自分を考えてもそうですけど」

「今の子供みると、俺が中学生2年生のころはこんなじゃあなかったけど、一端の大人のつもりでいるからね」

「その軍隊の小隊長、中隊長いうたって26,7歳とか、こんなに人の命預かってこんなに立派なことが出来るのか?今の自分と比較して も子供らと比較しても、やっぱりまあ社会がそんな人間に育てるですかね」

「軍人社会っていうのはみんなそうでしょ。陸軍幼年学校から陸軍大学まで行くとみんなこうなっちゃうんですよ。 世間知らずというかね。そこへ行くと海軍はねえ外国へ行くでしょ、いろんなところを見てるでしょ。

船という動く物があるでしょ、だからあれは職工集団なんですよ。陸さんはね田吾作の田舎の百姓のねの次男坊、三男坊が軍隊に行けば麦 飯でも三度食えるんですから・・・。それで初年兵が入ってくるでしょ、当番兵が付くでしょ。もう下士官は天国ですよ。だからみんな“ 将校商売”“下士官道楽”と言われて帰らないんですよ。家に帰っても畑もないでしょ。」

「下士官は結構良かったんですか?」

「いいですよ下手な将校よりよっぽどいいですよ。」

「将校はそれだけ商売で、やっぱりみんなの前で範を示さないといけないし」

「その将校がね学校出のいい加減な将校で素人じゃあないですか、そんな将校と一緒に居たら殺されちゃう、だから 戦闘歴のある下士官はね俺に付いて来いですよ、だからみんなねえ信頼の置ける下士官に付いて歩く、そうするとそっくりそのまま捕虜に なっちゃってねハハハ。

僕がハワイに行ったら、オイ倉田お前生きていたのか、どこに行ったんだ、と言われて、見るとね、髪の毛を七三に分けてポマード付けて ねGIの服着てね、すっかり太っちゃって誰だかわかんないですよ。」

「もう大分前に捕虜になってたんですね」

「そんな連中もいましたよ」



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■海軍墓地にて

10時43分〜13分50秒



海軍墓地



「大分散らかってますね」

「ああやって壊されるってことは、反日的な・・・」

「そういうことはない、酔っ払ってねえ。マリファナなんか吸ってやるんでしょ」

「そうですか」

「これはね今の飛行場建設の時、パラオ中学の生徒が二人銃撃で死んでいるですよ。その慰霊碑です、名前が何でな いのかなあ・・・」

「ホンマやね、名前がないと値打ちがないですね」

「これは観音像が入っていたんですよ」



ここに観音像が入っていた

また補修して安置しなおすそうだ



「これ日本向いているんですよ。これ、が読めないんですよ。一番古いのですよ、海軍の下士官なんですよ。僕はこ すらなかった、誰かこすったかな」

「何か、拓本でも取ろうとしなたのかなあ」

「そうですよね多分ねえ」



誰かがこの墓石を擦っていた

この海軍墓地で一番古い墓石

海軍下士官の墓のようだ



「これは日本パラオ会、サクラ会と書いてますね」

「サクラ会と言うのは島民の二世の集まりですね」

「二世と言うのは何人くらい?」

「50人くらいいますよ、まあそのファミリーがいますけどね」



日本パラオ会・サクラ会の慰霊碑

日系二世の会



「終戦になったでしょ、浦賀にこの連中がね、終戦の暮れに軍隊組織そのままで浦賀に上がったんですよ。階級証そ のままで浦賀の銃砲学校に上がったんですよ。陛下がお忍びで来てくれてね、“よくやってくれた”という事で陛下のお言葉が書いてある んですよ」

「凄いですね」

「当時は陛下はまだ無断で外出出来なかった。だからお忍びでね・・・ご苦労さんと言ってね」

「その時の皆さんの感激の気持ちは如何ばかりか・・・」

「そうね、軍律を守っていたしね」

「その辺が素晴らしいですね日本人は」

「でもまあ終戦になってから四千人も餓死してますからね・・・」

「ほんまやね。そら、いろんな醜い面も多々あるでしょうが、それでも相対的には凄いな思いますね」

「今年はまだ年内に10組慰霊団が来るんですよ。」

「そうですか」



パラオから浦賀に復員した日本軍

この慰霊碑に天皇陛下のお言葉が書かれている



「昔はねえここは海軍墓地と名が通っていたんですが、今、サクラ会墓地と言わないとわかんないんですよ。だから ここに海軍墓地という著明な碑を建てようということでね。僕の友人がね、海軍の予科練のやつがね、11月の27日に来るんですよ。こ れを建てて、これを建てて、アンガウルに行くんですよ。」

「皆さんご高齢なのにホンマお元気ですね」

「僕より二つ年上なのかな、予科練の甲飛会の男ですよ。○○市にいてね工務店をやってるんですよ。」

「あ、今も現役で?だからここまで来れるんですね」

「金は俺がみんな出すから、陸海軍合同でやろうなんてね。僕は金持ってないから・・・」

「倉田先生がおってのことですから・・・」

「あっ、危ないですよ」

「ブーゲンビリアねえ、トゲがあるんですよ」

「刺さったままですね」

「まあ、いいでしょう」

「海軍大将永野修身」

「昭和10年〜15年からアラフラのダイバーボートが北豪州に行ってたんですよ。それで何やっていたかというと 軍の命令でね、海底の地形とか潮流とか見えてる北オーストラリアの海岸風景とか・・・全部ねえ」

「諜報してたんですね」

「潜水夫が金儲けにアラフラ行っていたらこんなこと書くことないでしょ。ここには武官府があってね、実質的には 南洋庁が有ったけどね。南洋庁は武官府の監督下にあった。ですから最初は軍人が長官でいた。途中から文官、最後は戦争になったらまた 軍官になった。」

「そうですか」



海軍大将 永野修身の名前が入った墓碑

潜水夫が豪州で諜報活動中に殉職した

墓石には銃撃痕がある



「これは銃撃痕ですよ。これはまだ少ない方ですよ。あれがひどいですよ」

「あ、これ銃撃痕ですか?なんでこんな墓に?」

「弾が豊富だから、ハハハ」

「こういうのも銃撃痕なんですかね?」

「そうです、そうです」

「矢野さんというのが矢野なんとかというのが歩いていたらありましたね」

「矢野マーケットも矢野病院もあるしね、パラオでは有名人ですよ。」

「タイワンレンギョウ、今咲いているでしょ。これ“イランイラン”天然香水で最高の物ですよ。インドネシア語で “イランイラン”いるいるです、ハハハ」

「これは土葬されているわけですか?」

「そうです。全部土葬です。一年置いて骨になってから焼くんですよ」

「火葬場はないんですか?」

「火葬場はない。日本時代にはあったですけどね。カトリックは全部土葬ですからね。ここは新政府と交渉してある から、奇麗にしておいてくれたらいい・・・と、金も払ってないんですけどね。年に4回だいたい定期的に草刈をやってます。日本人会と サクラ会で両方でね、あと慰霊団が来た時とね」

「将来的にはどうなんですかね?まだまだ日本人会の力はどうなんですかね?」

「う〜ん、300人しかいませんからね。やつら金儲けばかりしてダイビングショップで儲けて、パラオの自然破壊 して金儲けしてるなんだから少しぐらい金だせばいいのに・・」



パラオは土葬


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■事務所にて(1)

11時23分〜43分39秒


「これはペリリュー。蛸壺ではなく立派な掩体壕です。洞窟ですね。」



ペリリューの戦い

日本軍の掩体壕を覗き込む米兵



「日野精一中尉が上官だったんですか?」

「日野大尉は中隊の直属の上司、士官学校出ですね。」

「後藤丑雄少佐なんかはたまに顔を見るんですか?」

「馬に乗ってましたね」

「川口支隊(関東軍の精鋭、現役部隊)はどこを行進したんですか?」

「コロール新波止場に上陸、パラオ本島に・・・今の通りを威風堂々」

「アメリカの海兵隊の元衛生兵が“ペリリュー、ペリリュー”と言って自殺したの、その息子がペリリューはどんな ところなのかと6年間かけてこれ作ったの。親父が撮った写真と今と比較して息子が撮影したの、この息子も今、体調悪くなっている」

「中川州男大佐はみたことあります」

「ないです。部隊が違うとね・・・」



ペリリュー島守備隊長:中川州男大佐



「何でこんな裸になるんですかね?」

「戦うとき脱いじゃうのかも知れませんね。」

「やっぱり苦し紛れに・・・脱いだり」

「それと死んだら身体が膨張して服がはじけてしまうのかも・・」

「これが戦車壕でね。アメリカの為に作ったようなもので、確かに戦車は止まるんだけど、アメリカ兵がここに飛び 込んで隠れる場所になるんですよ。スコップで5×3メートルある200メートルが二本作って・・・」

「やっぱり、もし100対100の戦争だったらどうなんですかね?」

「負けないでしょうね」

「その辺が私は不思議というか」

「気力じゃないの」

「速射砲弾はすぐ無くなったんですか?」

「一週間でしたよ」

「万事休すですね。激戦の最中は食事はどうなんですかね?」

「何も食わない、あれば乾パンを食う」
「これ日本の軽戦車、17台あったのが16台出撃して全部やられた。この上に兵隊が四人くらい乗ってみんな吹っ飛ばされた。だから僕 はここでは絶対写真を撮らんですよ、当時を知らないからみんな平気で写真を撮ってるけどね」

「ホンマやね、私らは全然し知らないですからね」



日本軍の軽戦車

日本軍兵士の遺体が周囲に転がっている

兵士のご冥福を祈る

今回ペリリューで私が見た戦車なのかも・・・。



「これみんな無名戦士の墓に埋められた。自分の掘った穴に自分がほうりこまれて埋められてね、それを見つけよう としているんですけど、東條さんの娘さんがねえ。倉田手伝えと言われるんですが・・・」

「米軍も激戦地だから、アメリカの子孫の方も・・・」

「親父がね何で夜中に暴れるのか?格闘技やってるのよ、そして良くベッドから落ちて。ペリリューという名前他に もあるんですよ。島が、他にもあるんですよ。彼が探して見つけて、僕の友達の民宿に泊まって6年間通ってこれを作ったんですよ。彼も でっかい男でね。やっと親父の気持ちが分かったと言ってました。そしてこれ出版したんです」

米軍衛生士の息子が写真集を出している。ペリリューに行く前に写真集を見せてもらっておけば良かったとあとから 後悔する。

「その親父さんは衛生兵だったんですね」

「衛生兵というのは後方に居て負傷者の手当てをして恐いことないのに、ペリリューだけは敵も味方もないくらいの 激戦だったでしょ。そういう状態だったですから」

「アンガウルでは狙撃、4、50メートル離れて手榴弾の投げ合いやってたからね」

「よく斬り込みというのが文章の中に出てくるんですけど、実際に日本刀持つわけですか?」

「下士官以下は銃剣です。持ちますよ、日本の将校は昔からのしきたりで軍刀持つことになってますが、ピストルで いいんですよ」

「ほんまやね」

「武士の鏡で軍刀を持つんですよ。海軍の航空隊もみんな短剣でしょ、あれも航空隊はねえ、磁気があってコンパス が狂うんで持たさせないことになってるんですよ、だけど乗ったら死ぬという前提があるから将校だけはみんな持ってるんですよ。」

「やっぱり持ちたいんやろね」

「そりゃあそうですよ」
「昔の古い刀はいいんですよ。将校がやたらに増えて昭和新刀っていい加減に作った刀は切れないんですよ。人間切るってことは大変です から」

「袈裟懸けにバサッとは、剣道の達人でないとなかなか・・・」

「力がないとね。日本の武士道の慣習がああいう形で固まったんでしょうけど、でも戦場という立場で見りゃあ、あ んなくだらないもんないですよね」

「ホンマやね、そやけど中隊長くらいになったらいうか、将校になったら・・みんな」

「いや、下士官からやってますよ。でもそういうのはみんな軍刀が間に合わないんで昭和新刀ですけどね」

「そして実際、そうやってみんな斬り込みの時はこうやって・・・」

「やってましたよ」

「斬り込みと言っても、先に銃弾が飛んできそうやけど、それで相手を殺ることもあったんですね」

「そりゃあ、ありましたよ。ところがね昔の鉄条網ってのは腰くらいあったんですけど、アメリカはねえこの20セ ンチくらいの鉄条網を張るんですよ。だから気が付かない、引っ掛かって転ぶでしょ。そうすると鳴子が鳴るんですよ」

「その辺が頭の使いようというか・・・」

「手榴弾というのはそんな飛ばないでしょう」

「70メートル飛ぶ。5〜70メートルの範囲で」
「日本の手榴弾は凄いのよ、力があって」

「いいんですか?」

「日本の手榴弾は優秀、火力が強く だけどもね発火させると音がすんのよ。ゴォーと音がするのよ、その音でヤン キーが気が付くわけよ、50m離れていても、そうするとパッと隠れるじゃない。隠れたとこに投げ込むでしょ、上手く入ればいいですけ ど逃げられてしまう。アメリカの手榴弾は安全で自動着火で音がしない」

「向こうもイチ、ニノサンで投げてきても、こっち投げ返す余裕は?」

「なかなか掴むことは出来ない、たいてい避けるのが精一杯、後ろが壁が岩で、前が岩でしょ、投げてくるのが後ろ の壁にぶつかってポンと目の前に落ちるじゃあない。飛び上がって逃げる。

それで後ろで爆発して僕はケツやられたの、気が付かなかった。しゃがんだらケツが痛いの、あれおかしいなあと思ったら血がでていたの。 ゴロゴロして破片が刺さっていたの。手榴弾戦は面白い、投げ合いだからね。でも日本のは火力があるけれど音で向こうが避ける、向こう のは軽く・・・」

「しかし、それだけ接近戦をやってたんですね、音が聞こえるくらいの」

「平地じゃあないんだから、山岳だから小山岳だから、よじ登って下りて、よじ登って下り、よじ登ったら向こうも よじ登って顔と顔がぶつかることも起きるわけねハハハ」

「黒人兵が多かったですか?」

「いや黒人はそんなに居なかった。最初黒人かと思ったら黒人じゃなくて、鍋墨塗っていた。驚いたのはスキューバ ー部隊がいるの。ウェットスーツを着て上がってくるの、夜よ、足ひれ付けて」

「それは9月15日より前ですか?」

「ずっと前、日本の陣地全部べて、写真と、空撮と、日本軍側の陣地の模様はほとんどないの、秘密だから全部燃や して。米軍は全部調べて写真も全部あるの、写るものは全部写している。それが何であるのか、島民が逃げ出してスパイがいてね。実に良 く調べている。

今、僕が書いているのもアメリカの資料を参考にして、特に東海岸は目の前に潜水艦浮いて来ますからね、外洋だから。西海岸はリーフが あるでしょ。近寄れないでしょ。今僕が書いている戦記もそう、アメリカの資料を参考に・・」

「ホンマやねアメリカの資料がちゃんと残っているからね」


ペリリューでの米軍兵士たちの戦い


ペリリューでの米軍兵士たちの戦い



日本軍陣地



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■事務所にて(2)

12時8分〜7分44秒



「アメリカのカービンなんかかっぱらって、使ってた」

「弾が無くなったら終わりですか、使い捨てですね」

「そうね、アメリカ兵を殺すと、遺体をたいてい連れて行くんだけど放置していくと、すぐに行って身体検査をして ね、食い物から、こんな旨い物を食ってるのかと、ルーズベルト支給といって、みんな持って帰る」

「靴とかそんなものは」

「そりゃあ持って行く」

「日本の兵隊もね自分よりいい物を持っていたら全部とっちゃって裸にしてね、部隊長がちょっとひど過ぎるんじゃ あないか、やめろと言ってましたね。」

「そやけど生と死の時だから言ってられないですね」

「それから最後、靴も牛革でなくてブタ皮になった。だから煮て食った」

「煮て食えた。牛は食えませんか?それからカタツムリ食ったらおかしくなるとか・・・」

「あれはねえ寄生虫がいてね、それがねえ一ヵ月後に脳に入って来て、日本人は分からなかった。戦後分かってね。 だから生煮えは食うな。」

「良く焼いたら食えるわけですね」

「実際にはパラオのカタツムリは一種類でね、それをひとつがい入れただけでね、それが増えた。」

「蛇とかトカゲで何が一番旨いんですか」

「トカゲは旨い。爬虫類だから」

「蛇も旨いんじゃあないですか」

「蛇は昔から食ってたでしょ。トカゲは普通食わないでしょ」

「ペリリューの飛行機はどこに行ったんですか?200機くらいあったのが、フィリピンに回されたんですか?」

「マリアナ沖に マリアナ沖で全部やられた。250機くらいいた」

「それはペリリューが始まる前にですか?」

「そうそう、毎朝ここから10機、20機と飛んで行って帰って来なかった。搭乗員の錬度不足ですね。操縦がやっ とのところで爆弾200kgから積むんで・・・」

「グラマンとかにやられて、零戦の援護もなくねえ。そりゃあ無理やね」

「昔は艦爆は艦爆専門だったけどね、周りに戦闘機がいての艦爆でしたからね。組織的に搭乗員不足ですね。」

「それが負け戦いうもんですね、どんどんジリ貧になって・・」

「操縦士と偵察員が乗るでしょ。特攻もどうせ特攻行くなら一人でもと言われるけど、偵察員降ろしたらどこに行く のか分からなくなっちゃう」


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■事務所にて(3)

12時46分〜3分12秒



「オモカン島、ここも戦争してたんですよ」

「こんなとこにも守備隊はいたんですか?」

「いたですよ、居たというより行ったり来たりでしたが」

「アメリカは本島には来なかったんですね」

「来なかった。此処まで来てて、ここが接触点でしたね」



12時52分〜1分59秒

事務所にて


「これミクロネシアのドリアン、落っこちないと食べれない」

「登って行って取らないんですか」

「いや落っこちないと青酸カリが含まれていて食べれないんですよ」



事務所でいただく

ミクロネシアのドリアン

ジューシーで甘くて旨い



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■事務所にて(4)

13時9分〜13分16秒



「弟が仙台にいましてねえ。島中尉はいい男でね、素晴らしい男ですよ。士官学校出でね、固定された陣地がなくて ね遊撃隊でね、だから米軍が上陸した晩に突っ込んで全滅した。そして島中尉だけ兵隊が運んできて中隊長が倉田お前埋めてやれと言われ て・・・」
「埋めてもらえりゃあいい方ですよ。」

「日本軍の遺骨があるんですよ。髑髏が四つ並んでいるんですよ。見たい人に見せているんですけどね、そりゃあちょっと酷でね。60年 前に片っ方は死んでね、ほったらかしでしょ。片っ方は生きて見に来てる。迎えに来たのならいいんですよ。これから内地に帰ろうぜとね、 連れて帰るならいいですよ見てそのまま帰るなんてそんな酷なことはない。僕は見ませんけどね」

「それはパラオ政府の方針なんですかねえ」

「いや必ずしもそうでないでしょ。ちゃんとやれば持って帰れるんですよ。それで慰霊団が来てるんですよ、ほんと にやる気がないんじゃあないですか」

「日本政府がちゃんとやれば、幾らなんでもひどいですね。今はDNA鑑定をやればちゃんと分かるんじゃあないで すか」

「もちろんそうですよ、だから今は民俗学者が来ることになっている。朝鮮人がいるでしょ、軍属で、はっきり区別 しなくてはねえ」

「そういう時代の一時期も忘れないのは当然だと思いますが、それはその後の人生にプラスマイナス、どうなんです かね?」

「僕は子供の時に那須にいたでしょ。あれは役にたってますね。ジャングルちっとも恐くない。あれだけ戦死してい てもお化けなんて出たことない。良く見る人いますけどね、」

「船坂さんも何回も見たということを書かれていましたけど・・」

「僕もジャングルにいましたけどね、見たことない。音がすれば必ず夜行性の動物か、兵隊がほとんどいなかった からね。一回会っただけだから」

「最後は小銃の弾もなかったですか?」

「小銃の弾はありましたよ。鉄砲がないの」

「小銃の弾を薬きょうを外してね、火薬出して、夜、火をおこしてね。洞窟の中ですよ。そりゃあね、火のありがたみが良く分かりました。 もう真っ暗闇の中でね一人でいるでしょ、もう実に陰惨なものですよ。

それが火を見るとね、ほのぼのとしてくんの、だからね原始人がね火を発見、火のあがりたみが分かるというけど、成るほどと思ったです ね。それと水、岩上滴が上から垂れてくるでしょ、空き缶こう置いとくでしょ。それにポタン、ポタンって溜まるでしょ。

その水音、水量が増えてくると変わってくるわけでしょ。その音を一人で聞いている時にねえ、もう天界をさ迷うっちゅうかねえ、何とも 言えない」

「それは音が変わってくるのが嬉しいというか?」

「嬉しいということではない」

「飲めるから嬉しいのではなくて・・・」

これが戦場を知らない私のような平和ボケ能天気な人間の感覚なのだろう。洞窟の中の20才の若者が生と死の狭間 で「天界をさ迷う」という経験をするのが戦場の過酷さなのだ

「もちろん最後は飲みますよ、飲む為に溜めてるんだから、でもその溜まる過程がねえ、この世の物とは思えない音 響ですよね、あれだけは忘れない」

「そういうことこそ、そういう立場にならないと想像すら出来ないですね。」

「水がそうそう簡単にないからね」

「それを20歳の若者がそういのを体験するということが凄いなあですね。」

「味わうってことがね、別に好きで選んだ訳でないしね。」

「そういうところに追い詰められて、火のありがたさが、二十歳の若者が・・・」

「だから僕は世間も知らないし、仕事が仕事で亀とかワニとか相手をしていて、実に人間として失格ですよ。」

「いやいやそんなことは・・・」

「娘たちも良く言うんですよ、まともな人間じゃないって、ハハハ」

「カナカ族というのはポリネシア人ではないんですか?」

「いやカナカはね、ポリネシアもミクロネシアもひっくるめた名称ですね。ハワイもカナカ族ですよ」

「パラオも日本、ドイツ、スペインに統治されてましたが、どこの統治が良かったんですかね」

「日本の統治が一番良かったんじゃあないですか、31年ね、さっきみたいにパラオ人は三等国民ってしっかり覚え てますけどね」

「まあ白人の統治は奴隷と支配者の関係でもっと厳しかったんじゃあないですか?」

「ここはねえ、日本人の中にパラオ人がいた。他の島はねえ、現地人の中に日本人がいたという感じでだから全然違 う。学校でパラオ語は一切禁止でしょ。学校が終わるとこんどは日本人の家庭行って、まあ家庭の見習いやる。

お小遣いもらってね、庭掃きしたり、廊下ふきしたり、垣根を切ったり、全部家庭的な日本の家庭でしょ、だから日本人の良さをよく知っ てるんですよ」

「ドイツの支配時代なんて教育とかあんまり・・・」

「まあ人がいなかったですからね」

「あ、ドイツ人がね」

「椰子を植えてね、やっと取れるようになった時に日本に取られちゃた。」

「日本はミクロネシアの人をあんまり相手にしなかった。ミクロネシア全体で5万人しかいなかった。それで怠惰、はっきり言えば南洋で のんびりしているでしょ。だからあんまり役に立たないから相手にしなかった。

まあアンガウルで燐鉱掘ったりボーキサイト掘ったりは、昔はスコップですから、半強制的に島民を雇ったり、それも逆に言うと集団生活 を学ばせたり、主食は米ですから米の旨さを教えたり、彼らにとってはお小遣い稼げるし、故郷を出ていろんな経験をして役に立った」

「そこのねえアバイを見たらいい。誰も見てないから。パラオで一番新しいアバイで、一番大きなアバイで、このア バイはねえ、普通の観光客は来ない」



パラオで一番新しいアバイ



昔のパラオのアバイ




その他

トラック島(チューク) ザビエル高校 中村大統領の出身校

YOKOのパラオニュース22

(8)日本兵の壁の落書き:「父母ヲ見タクテタマリマセン」

http://it-net.ddo.jp/3/yoko-news/22/

以下:抜粋
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カヤックツアーで行く、コロールに近いニッコーベイ内の小さな無人島。このような人知れぬ場所に日本軍の要塞があったりします。土地 に詳しいパラオ人カヤックガイドが「落書きがあるのだが何と書いてあるのか。」と案内された場所にはなんとスミのような物で「父母ヲ 見タクテタマリマセン」と書いてありました。

きっとまだ妻もいない若い兵士なのでしょうか。たった61年前の本当のことです。
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以上



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