| 旅行記 | 安保 |
2008:平成20年10月22日(水)〜10月27日(月)
5泊6日

私が行った島:コロール島・アラカベサン島・マラカル島・バベルダオブ島・ペリリュー島
| (0) | 旅たち前:ペリリュー島戦跡へ |
| (1) | 10月22日(水)関空:直行便にてパラオへ |
| (2) | 10月23日(木)コロール島にて |
| (3) | 10月23日(木)倉田先生との会話集 |
| (4) | 10月24日(金)ペリリュー島戦跡巡り:午前編 |
| (5) | 10月24日(金)ペリリュー島戦跡巡り:午後編 |
| (6) | 10月25日(土)パラオ島巡り:T部 |
| (7) | 10月25日(土)パラオ島巡り:U部 |
| (8) | 10月26日(日)シュノーケル・カヤックなど |
| (9) | 10月27日(月)パラオ空港より関空へ |
| (10) | パラオ:番外編 |
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写真が大きいで〜す。
米軍侵攻の図

旅への想い
ペリリュー島・アンガウル島・玉砕戦
1944年、昭和19年9月15日、米軍ぺリリュー島に上陸
同年、11月24日に「サクラ サクラ」の打電後、
中川州男大佐が率いるペリリュー守備隊は玉砕した
2007年、拉孟・龍陵・騰越の戦跡を訪ね
2008年、今年の5月にノモンハンに行き
そして、ペリリューへ行くことになった
おぼろげながら記憶の片隅にあったような気がするが
はっきりと知ったのは今年である
チャネル桜の討論番組の中で西部 邁氏がペリリューの玉砕を語った
それが私がペリリュー、そしてアンガウルを知るきっかけだった
遥か祖国を離れ、彼らは国の防波堤にならんと孤島で最後まで戦い抜いた
今も尚、彼の地には帰らざる多くの遺骨が眠っている
それだけではない。未だ知らない者も多い
過去があっての今である、知らないことは罪だと思う
彼らに申し訳立たず、自らにも恥じ入る
行かずとも行けずとも、知らねばならない
ついこの間、我々の父祖たちが・・・
国のために自らの命を投げ出し戦った幾多の戦場
その一つであるペリリューに行った
皇紀2668年/平成20年11月.Age.58(記)
ペリリュー・1946年

昭和21年10月、米軍空撮のペリリュー島

2008.ペリリュー島・衛星写真
今は島の大部分がジャングルに覆われている
人が主に居住するのは写真上部
左側の北地区:北波止場附近の一ヶ村

2008.10.24.PM/2/16 撮影:
ペリリュー島、大山:指揮所跡にて
中川州男大佐・村井少将・飯田少佐
自決場所と言われていた壕の前の千羽鶴
本当の自決場所は最近確認されたそうだ
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