旅行記 安保


磨刀石・東寧・虎頭の戦跡を訪ねる


哈爾濱〜牡丹江〜磨刀石〜東寧要塞〜綏芬河〜虎頭要塞〜密山〜麻山〜牡丹江〜哈爾濱

2009:平成21年5月12日(火)〜5月23日(土)

11泊12日


@ハルピン5/12.22:A牡丹江.5/13.14.21:B東寧.5/15.16:C綏芬河.5/17:D虎頭.5/18.19:E密山.5/20

目 次

(0)旅たち前:虎頭要塞へ
(1)5月12日(火)関空〜哈爾濱へ到着
(2)5月13日(水)哈爾濱〜牡丹江へ
(3)5月14日(木)磨刀石で過ごす
(4)5月15日(金)牡丹江〜東寧へ
(5)5月16日(土)東寧要塞と街を散策す
(6)5月17日(日)東寧〜綏芬河へ
(7)5月18日(月)綏芬河〜虎頭鎮へ
(8)5月19日(火)虎頭要塞と周辺を歩く
(9)5月20日(水)虎頭鎮〜密山へ
(10)5月21日(木)密山〜哈達河、麻山経由で牡丹江
(11)5月22日(金)牡丹江〜拉林〜哈爾濱へ
(12)5月23日(土)哈爾濱〜関空へ戻る
(13)帰国後:番外編


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勝鬨要塞・関東軍かく戦えり


昭和二十年八月二十六日:ついに投降勧告を受諾す


2009.5.16.Am.10:06:54.撮影

東寧・勝鬨山にて

投降勧告を受諾した要塞穹窖前




戦跡巡りへの想い

日露戦争に従軍した祖父の行軍軌跡を訪ねて満洲を旅して以来、戦跡に興味を持ちだした。そして、戦跡を調べても調べても次々と新たな 戦跡の発見につながり、その都度、あまりに無知であったことに愕然とする。

戦後、米国の占領下で作成された憲法を、訳文によって日本国憲法とし、昭和26年の主権回復後も何の因果か廃棄も出来ず、ひたすら護 持している姿は愚かとしか言いようが無い。

そして戦後に出版される戦記本の多くは自虐史観こそが善であるかのような世相を背景に、書き手である戦後の歴史家・作家はもとより、 元兵士でさえも戦友の霊を弔うと言いつつ自らは戦争と一線を画し、先の戦争を非難し軍部中枢の責任を糾弾する。其の姿はあまりに卑怯 で見苦しい。

当時は覇権主義全盛の時代であり、欧米列強により世界の後進国家は次々と植民地化されていった。アジア諸国も例外ではなく、そのほと んどが列強の足下に牛耳られた。

我が先人たちは、日本の独立を保ち、且つ、列強に伍する“一等国”の仲間に入る為に国家国民一丸となり国力の向上を目指した。そんな 時代背景の中での資源無き日本の当然とも言える海外進出であり、台湾・朝鮮半島の併合、満州国の建国であった。

関東軍主導による日本の満州国建国も、当時の世界情勢の中では何ら非難されることではないと思っている。それは強国に進出をされた側 にも同じである。

「満洲は今も満洲だ」

当時は先進覇権国家が途上国を植民地化し、そこで強国は益々覇権を拡大し更なる強国を目指す。そして例え、今となっては方便でしかな くとも先進国家による植民地化によって後進国の生活レベルの向上に寄与するという大義名分がまかり通っていた。

只、そんな状況の当時と言えど、やはり領土の拡張、植民地の収奪は互いの覇権国家間の利害が絡み、非難、牽制されるのは止む終えない。 それだけのことであり、それ以上の是非はない。それが当時の世界の紛れの無い現実である。

そして、そんな経過を経て、日本が大東亜戦争に突き進んで行く。その要因を、私は白人種の深層心理にある消すことの出来ない人種偏見 だと思っている。

白人列強国家のみが世界を牛耳って来た時代に、明治維新以来突如として現れた有色人種である日本の急激な台頭に白人列強国家は、暗黙 の了解であるかのように日本をジリジリ追い詰めて行った。同盟国、ドイツ、イタリア人といえど深層心理は同様だと思う。

その筆頭がルーズベルト米国大統領だ。「黄禍論」に根ざす日本への嫌悪感と米国の中国大陸進出の野望が重なり、自分たちの血塗られた 侵略の歴史を棚に上げ、満洲建国への非難、そして日本への経済封鎖となり、最後には日本の独立国家としての存在と誇りと名誉に掛けて も受け入れることの出来ない“ハル・ノート”を日本に突きつけた。

今尚、大東亜戦争の開戦に非を唱える日本人に問う。

それでは、あの時、日本はどうすれば良かったのか?

開戦に踏み切る以外にベターな選択があったというなら教えてくれ。

どうすれば当時日本の独立を守ることが出来たのか?

そして、そのことで今より良い世界が開けたと思うのか?

その明確なる信念・根拠があってこそ先の開戦の非を唱える資格がある。ただ感情的に戦争を悪として開戦に踏み切った先人の行為を批判 非難することは、散華された英霊の御霊(みたま)に対しても許されることではない。

特に生き残った元日本軍兵士及び戦後メディア、知識人?文化人?なる日本人の奇麗事には虫唾が走る。戦争の中を生きた立派な日本人の 多くは戦死した。或いは責任をとり見事に自決した。

戦跡を訪ねる旅をしだして戦記本を読む機会が増えた。

しかしながら戦記や戦争物と言われる本は、欺瞞と自虐の精神で先人を辱め自らの立場を戦後の風潮に媚、守ることに汲々とした卑怯者た ちが書く読むに耐えない物がほとんどだ。

中には自分の射撃の下手なことをあげて「そのお蔭で敵を殺すことが出来なかった・・・」と、それを「自らの善行」と言わんばかりに自 慢げに書く元兵士の手記(Web上で公表)もある。

「敵を殺すことが出来なかった」ということは「戦友を自らの手で殺した」と同義であることさえ認識できない。その元兵士は今もって想 像力も欠如し、更に最大の不幸は“恥知らず”であることだ。

こんな内容の本が戦後の日本に出版され、評価を得てきた事が今の腐った日本を象徴している。

「自分の国は自分で守る」

国家として、国民として、自国の安全保障を米国に委ね、人間として、いや動物としての最低の責任さえ放棄し、経済的豊かさだけに価値 を求めてきた戦後の日本国と日本人。

その腐り切った“恥知らず”を、認めたくないばかりに戦争を悪とし、先人の英雄的奮戦を覆い隠す。或いは言葉巧みに過小評価する。

私は腐った国家の紛れも無い国民の一人であり、その腐らせた責任は等分にある。しかし、先人達の英雄的奮戦には万感の敬意を表し、我 が民族の永久(とわ)の誇りとする。

我、満洲の戦跡を訪れ、佇み、感謝とお詫びをし、ご冥福を祈る。

皇紀2669年/平成21年4月21日(火).Age58(記)




磨刀石での肉攻攻撃の道



2009.5.14/13:13:14.撮影

磨刀石より代馬溝方面に向って写す

向ってくるソ連戦車軍団に甲種幹部候補生が肉弾攻撃を仕掛けた道路

道路左右に掘られた蛸壺から肉弾となって飛び出して行った




氷の虎頭要塞



2009.5.19/10:18:44 撮影

西猛虎山の穹窖に氷が張っていた

今も永久凍土の如く氷がびっしりだった



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