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真之と二人で行った韓国への旅


1997年:平成9年10月頃だったと思う


■お手軽ソウル三日間の旅
新聞広告で格安韓国ツアーが目に付いた。二泊三日韓国ソウル29,800円だったと思う。一人だと、一人部屋料金で結局高くなり、そ れだったら二人で行こうと高校三年生だった長男に声をかけた。大学入試を控えての時期であり、我が家では上海留学が決まっていたのだ が、学校にはまだ決定していることを言っていないこともあって、「こんな時期に海外旅行か?」と先生に言われたようだったが、行く事 になった。

ツアーとはいえ、人数は私たち二人と、もう一人仕事での出張を兼ねての30代〜40代の男性一人の計3人だけだった。空港に迎えが来 て、ワゴン車に乗りホテルまでの送迎であった。途中、ソウル市内のガイドをしてくれたようだったが、今となってはほとんど記憶にない。 とにかく第一印象は、外国に来たという違和感を感じなかった。それが今も印象に残っている。あのハングル文字以外は雰囲気も人の顔も ・・・同族?なのか。町の中をとりあえず歩いたように思う。日本に比べてゴミゴミした感じはあったが、それと警察官とも違う。兵隊な のか??若い日本で言えば若い機動隊員のような若者が長い警棒のような物を持って、街の中を警備しながら歩いているのに良く出くわし た。

夜に何を食ったか??覚えていない

■二日目
長男とは別行動になった。私は板門店へのオプショナルツアーに申し込んでいたので、バスに乗って行く事になった。長男は勝手に一日、 ソウルの町を散策するみたいなので・・・真之にとっては初の海外旅行で一人で“うろつく”のも今にして思えば、少し危険だったような 気がするが・・・。板門店へのツアーは日本人ばかりである。日本人ばかりのバスと、日本人以外の外国人の観光のバスの二台が止まって いた。大体満席に近かったと思う。乗ってすぐに「二日ほど前に、板門店付近で北朝鮮の兵隊が休戦ラインを超えて韓国に亡命をしようと したようで、そんな関係で今日、板門店の観光が出来るかどうか分からないのでご了承ください」・・・そんなことをガイドから言われた。

隣の席は二十代の青年で、結構海外を放浪しているような人だった。いろんな話をしたはずが、今ではみんな忘れてしまっている。只、一 つ覚えているのは、板門店ツアーが日本で予約したのと、現地で彼が予約したのでは、現地での予約の方が料金が大分安かった事だけは、 記憶に残っていて、その後、中国旅行でもこっちでの予約ではなく現地で予約するようになった。ハハハ現金なものだ。とにかく板門店ツ アーは一口で言えば「しんどかった」・・・一日がかりだ。

直線距離にすればあっという間なのに、何度も待たされ、国連軍である米軍兵士の検問、韓国軍兵士の検問が二度それぞれの場所であり、 板門店にも一度に全部は行けないようで、前の団体が見終わって、次に順番に行くという感じのようだった。兵士が二人か三人ほどバスに 乗り込んで来ての検問は一つのパフォーマンスのようでもあり、これは楽しかった。銃を携帯しての検問であり、パスポートのチェックが あったと思う。バスに乗り込んだ若い兵士の一人が、不動の姿勢で注意事項を喋る。英語や韓国語なので詳細は分からないが・・・「ここ は休戦ライン上でもあり、いつ戦闘が行われてもおかしくない地域である」・・そんなことを言っているようだった。

■見慣れた建物

軍事停戦委員会の会議室と北朝鮮の板門閣

青いバラックが立ち並ぶ写真でよく見る光景があった。『共同警備区域の軍事分界線は軍事停戦委員会の会議室の中に置かれてあったマイ ク線とそこのテ−ブルの上に置かれているUN旗と北朝鮮の旗で象徴されている。』 韓国軍の若い兵士が私たちが、観光している間、不動の姿勢で見張りをしていた。これも警備と言うより一種のパフォーマンスと言うもの だろう。ヘルメットを被り銃を携帯したその姿はかっこよかった。

北朝鮮の板門閣は自由の家から80mほど離れている所で1969年9月、2層建てで建てられたそうだ。北朝鮮兵士がこちらを監視?している姿が 見えていた。同じ民族同士が境界を挟み対峙しあう様は、異様といえば異様なのだろうが、両方の政治体制は最早、双方とも交わることは 不可能だろう。北朝鮮の崩壊を待つしかないと言うのが現実なのだと思う。一日掛かりの板門店の見学を終え帰って来たのは夕方だった。

■真之は地下鉄に乗って
真之は地下鉄に乗って、そこらをぶらぶらして来たらしい。ハングル表示しかないので分かりにかっただろうが、私が戻ってから少し経っ て無事に戻ってきた。「豚の丸焼きを買って来た」・・・と言うのでビックリしたが、よく見ると“鶏の丸焼き”のようだった。豚にした らいくらなんでも小さ過ぎた。

夜には、ホテルの中のレストランで本場の焼肉を食った。日本の焼肉の方がうまかった。短い海外旅行もあっけなく終了したが、真之にと っても海外を身近に感じ、何かを得たことだと思う。この旅から1年経たないうちに1998年4月上海留学へと旅たった。

2004年6月21日記



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