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■お手軽ソウル三日間の旅 ツアーとはいえ、人数は私たち二人と、もう一人仕事での出張を兼ねての30代〜40代の男性一人の計3人だけだった。空港に迎えが来 て、ワゴン車に乗りホテルまでの送迎であった。途中、ソウル市内のガイドをしてくれたようだったが、今となってはほとんど記憶にない。 とにかく第一印象は、外国に来たという違和感を感じなかった。それが今も印象に残っている。あのハングル文字以外は雰囲気も人の顔も ・・・同族?なのか。町の中をとりあえず歩いたように思う。日本に比べてゴミゴミした感じはあったが、それと警察官とも違う。兵隊な のか??若い日本で言えば若い機動隊員のような若者が長い警棒のような物を持って、街の中を警備しながら歩いているのに良く出くわし た。 夜に何を食ったか??覚えていない
■二日目 隣の席は二十代の青年で、結構海外を放浪しているような人だった。いろんな話をしたはずが、今ではみんな忘れてしまっている。只、一 つ覚えているのは、板門店ツアーが日本で予約したのと、現地で彼が予約したのでは、現地での予約の方が料金が大分安かった事だけは、 記憶に残っていて、その後、中国旅行でもこっちでの予約ではなく現地で予約するようになった。ハハハ現金なものだ。とにかく板門店ツ アーは一口で言えば「しんどかった」・・・一日がかりだ。 直線距離にすればあっという間なのに、何度も待たされ、国連軍である米軍兵士の検問、韓国軍兵士の検問が二度それぞれの場所であり、 板門店にも一度に全部は行けないようで、前の団体が見終わって、次に順番に行くという感じのようだった。兵士が二人か三人ほどバスに 乗り込んで来ての検問は一つのパフォーマンスのようでもあり、これは楽しかった。銃を携帯しての検問であり、パスポートのチェックが あったと思う。バスに乗り込んだ若い兵士の一人が、不動の姿勢で注意事項を喋る。英語や韓国語なので詳細は分からないが・・・「ここ は休戦ライン上でもあり、いつ戦闘が行われてもおかしくない地域である」・・そんなことを言っているようだった。
■見慣れた建物
軍事停戦委員会の会議室と北朝鮮の板門閣 青いバラックが立ち並ぶ写真でよく見る光景があった。『共同警備区域の軍事分界線は軍事停戦委員会の会議室の中に置かれてあったマイ ク線とそこのテ−ブルの上に置かれているUN旗と北朝鮮の旗で象徴されている。』 韓国軍の若い兵士が私たちが、観光している間、不動の姿勢で見張りをしていた。これも警備と言うより一種のパフォーマンスと言うもの だろう。ヘルメットを被り銃を携帯したその姿はかっこよかった。 北朝鮮の板門閣は自由の家から80mほど離れている所で1969年9月、2層建てで建てられたそうだ。北朝鮮兵士がこちらを監視?している姿が 見えていた。同じ民族同士が境界を挟み対峙しあう様は、異様といえば異様なのだろうが、両方の政治体制は最早、双方とも交わることは 不可能だろう。北朝鮮の崩壊を待つしかないと言うのが現実なのだと思う。一日掛かりの板門店の見学を終え帰って来たのは夕方だった。
■真之は地下鉄に乗って 夜には、ホテルの中のレストランで本場の焼肉を食った。日本の焼肉の方がうまかった。短い海外旅行もあっけなく終了したが、真之にと っても海外を身近に感じ、何かを得たことだと思う。この旅から1年経たないうちに1998年4月上海留学へと旅たった。
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