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第一回『学び語る会』
2009/平成21年9月11日(金)
開会式及び第一回・会の開催
左より:MS君・H君・我・Sさん
第一回目ですよ〜
記念すべき第一回出席者・フフフ
記念撮影
@開会の挨拶:代表
A乾杯
B自己紹介
○○★自分にとって国とは? ★日本人として誇りに思うこと。その他、自由
C会の名称を決める
D日本の起源・神話について
Eイロイロ
テーブルの上に、ICレコーダーを置いて会は始まった。
会の名称は、結局どうでも良いということで、そのままの「学び語る会」になる。
MS君は「広く浅く」と謙遜しているが、歴史だけではなく雑学を含めて詳しい。だからどんな話題にも一家言口を挟み理屈、屁理屈が言
える。こんな会にはなくてはならない人物だ。
H君は、実家の農家を繁忙期にこなしながら神戸で教習所指導員の仕事をしている。政治にも歴史にも関心深いとは言えないが、聞いてくれ
るし、自分の意見を言ってくれる。それがなかなか面白い。
Sさんは、軍国少年で、上、三人のお兄さんは長兄が支那で現地招集・終戦を大陸で迎えた。次兄は陸軍士官学校を出て、やはり支那で終戦
を迎える。そして三番目の兄は、予科練に進み終戦まで特攻隊要員として訓練中だった。
そして四男のSさんも大東亜戦争開始時には家の壁に世界地図を貼り、陥落地点に印をつけて意気揚々としていた少年だったそうだ。そして、
日本軍が後退を重ねても、「負ける」などとは夢にも思わず、ひたすら軍人になり戦地に向うことのみ脳裏にあった。
そして、終戦間際になったころ進路は「海軍兵学校」志望で受験願書を書いていたそうだ。その準備中に、はかなくも終戦を迎え愕然とす
る。
そして、和歌山県にも米軍駐留部隊が米艦船で大挙押し寄せ、その米軍上陸用舟艇を見て、Sさんは度肝を抜いた。それは水陸両用で車輪が
付いておりそのまま陸地に上がって来た。そんな状況に接し、日本の敗戦の現実をまじまじ実感する嵌めになった。
そして、その「知らざること」の愚かさを思い、兵学校を目指していたS少年は、単純に「世界を見なければ・・・」と、そこで自分の進路
を決めた。敗戦後の日本に世界を駆ける飛行機はなく、なら船に乗ろうと一念発起し、新生高校卒後、商船大学を目指し入学。
日本郵船の船乗りとして世界を巡った。海外旅行など特別な人間しか行けなかった時代、Sさんは地球を二週くらいし、ほぼ全ての大陸を網
羅している。
その間、海外で「日本軍のお蔭で独立が成せた、日本人よもっと元気を出せよ」と励まされたり、フィリピンのマニラでは「日本人だと分
かると襲われるので、マニラ市内を巡ったことはない」など、いろんな経験をされている。
そしてSさんのお父さんは県会議員で、政治家達との交流も多く、私たちが聞けば驚くような大物たちもSさん少年時代、又、若き頃にSさん
宅に訪れ、知己は多い。そんなSさんの実録昭和史は、面白く勉強になる。
今も体調は万全ではないが、いろんな勉強会に出席し、私も古文書研究会に行っていた頃、横の席がSさんであり、自宅も近いと言うことで
来て下さった。これからも是非、いろんな話しを聞かせて頂きたく思う。
そんな四人、いや始まりは三人だった。H君は遅れて来場。第一回の「学び語る会」は定刻・6時前に始まった。
自己紹介の時に・・・。
「自分にとって国とは・・・」「日本人として誇りに思うこと・・・一つ」
貴方にとって国とは?・・・なんて質問も、あまり受けないし、自分で真剣に考えることもないので、聞かれれば戸惑う。私は以前、突拍
子もなく質問されたことがあり、以来、自分の意見は今でははっきりしている。
それから始まり、一応、歴史を学びながらということで神話から始めた。歴史の教科書は無論:自由社出版の「新編・新しい歴史教科書」
をテーブル上に置き・・・である。
神話に詳しい者がいないので、超初歩的な内容だったが、それでも耳慣れない言葉と地名・人名、そしてそれが神武天皇に繋がり、なるほ
どそうだったのか・・・と、納得。
それはホンノ10分ほどで、後は・・・今日は初回ということで?一貫性もなく。
民主党政権誕生について・幕末維新・戦争・戦国時代等々、それぞれ興味があり、言いたいことがあることを取り上げながら意見交換をした。
司会進行役は私で、時には割り込み発言を遮り、時には指名をし、とにかくどんなテーマ・言葉にも、一言は自分の意見を述べてもらう。
まあ最初だから私もみんなも試行錯誤、その上、弁当食いながら、酒飲みながら、お菓子食いながら・・・の議論の場である。それでも議
論伯仲、熱を帯びあっと言う間に10時近くになった。
次回もこの三人が来てくれるか?否か?分からないが、MS君は来るとのことなので次回開催も決定している。私も司会進行役に磨きを掛
け、みんなを困らせ、時には、イジメ冷や汗をかかせながらも充実した時間を過ごせるように頑張るぞ。
議論のテーマは山ほどあり。歴史・哲学・雑学・何でもあり・・・だ。H君は、明日仕事があるというのに11時頃まで話して帰った。
私は次回が待ち遠しい。録音はバッチリ、百年後に残そうフフフ。
第二回『学び語る会』
2009/平成21年10月9日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん:計3名
テーマ
@飛鳥時代:Aノモンハン事件70周年:B靖国神社:C戦争:D民主党政権
@飛鳥時代
誰も詳しい者なし、話弾まず、年表を見てフムフムそうか・・・で、次に進む。
Aノモンハン事件
芝地
『国境紛争・ソ連は新型の最新兵器を投入し日本軍を圧倒、ノモンハンは日本の惨敗戦である。そして日本は戦車の改良や、兵士の逐次投
入の失敗などの教訓を生かさず太平洋戦争に突き進む。餓島(ガダルカナル島)での例がその象徴とも言える』
安保
『スターリンの膨張主義、いやそれはスターリンのみならずロシア民族のDNAでもあると思う。外蒙古を傀儡国家にすべく戦略的に計画
し大軍を投入した戦い。大軍を投入したにも係わらず第一次で日本軍の反撃に大損害を受け、将軍を更迭、再度更に軍備増強の下に攻勢を
掛ける。それによって日本軍は第二次では壊滅的打撃を受けるが、日本もやっとソ連の本気度に目が覚め再攻勢の準備をしていたところソ
連の要望で停戦となる。戦死傷者はソ連側が日本を上回る。』
Sさん
『小学校高学年の頃、ノモンハンで戦いがあることを知った記憶がある。』
B靖国神社
Sさん
『靖国神社は天皇陛下も政府要人も誰しもが参拝できる神社であることが望ましい。天皇陛下が参拝できないような今の現状こそが問題だ。
遊就館を見たが、何故、靖国神社にあのような軍事博物館のような物があるのか分からない。こんな物が神社に併設され、その展示内容を
見れば、反感を持つ隣国の感情も当然ではないのか・・・』
安保
『私が思う靖国神社というのは、亡くなった英霊に感謝を奉げ、日本の平和を希求する意味も当然ありますが、この社は、戦い亡くなった
方を弔う場所であり、彼等は「後に続く者を信ず」という気持ちがあったと思います。もし将来国難あればこの神社に参集し、後に続く者
として戦うことを誓い、英霊に叱咤激励される場所であると思っています。そういう意味でも遊就館はここに相応しく、あってしかるべき
だと思っています』
『天皇陛下が参拝されないのは、政治問題化してしまっている現状で参拝することは、無私であるべき天皇陛下の政治的な意思表示にもな
り兼ねないので参拝されないのだと思っています。解決の方法は、日本国首相が普通に毎日参拝することです』
その他、戦争も戦争責任論に及び、侃々諤々の話しに弾み10時過ぎまで盛り上がった。芝地君は私を右・右と言い、他人の意見を切り捨
てるように否定すると言う。言われて見れば誠にその通りなり、省みて苦笑しかない。
それだけでもこういった会を持ち、あらゆることに自分の意見を述べ合う事は大いに有意義なり。私もこの会を続けたいなら、もっと謙虚
に他者の意見を聞く耳を持たなければと反省する。
声高ににではなく静かに謙虚に訥々と語れるようになりたい。この会が続く事を祈る。
次回は11月13日(金)午後6時から、参加者募集中で〜す。
第三回『学び語る会』
2009/平成21年11月13日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん:計3名
テーマ
@奈良時代:A黒河旅行の報告:B改革クラブとは:C民主党政権の最近:D南京事件
@奈良時代
○西暦710〜781
○71年間ほどの短い間。
○739年、法隆寺夢殿が建立。ふ〜ん、そうだったのか・・と。兄宅が法隆寺の近くであり、法隆寺を訪れることがある。
○Sさんが最近仙台に行き多賀城を訪ねたとのこと。奈良時代に国府として建てられたそうだ。
○行基・道鏡・鑑真・大伴家持たちが登場する時代。
A黒河旅行の報告
○テレビでデジカメ撮影の写真のスライドショーを見ながら・・・。
○Sさんは小学校の頃学校で満洲の地理を学び、黒河・孫呉などを知っている。
○芝地君に石光真清「四部作」を貸す。
B改革クラブとは
参議院議員4名と、西村真悟氏による計5名であったが、西村真悟氏が今回の衆議院選挙で落選した。西村真悟氏の来年参議院議員選挙で
の国政復帰を願う。
西村真悟氏を強く支持しているのは、三人のうち私だけ。
C民主党政権の最近
○仕分事業けの公開は政権交代の賜であり、国民にとって良い事である。
○JALは、いったん倒産させ会社再生法を適用、復活の道を歩むことが妥当。しかし、日本の顔とも言うべきものであり、民主党のやり
方も仕方がない。
○在日外国人地方参政権付与には反対。(三名とも)
私は、今回の「仕分け」もそうだが民主党政権下で行うことで、民主党政権の支持率アップに繋がることは何であっても全て否定する。J
ALはいったん潰して、民事再生法を適用して再生させるのが筋だと思っている。
D南京事件について
○温家宝国務総理閣下への公開質問状
南京で何があったのか?
昭和12年(1937年)12月13日の南京陥落とその後、南京で何があったのか?無い事を証明するのが不可能であるなら、そこであった
ことを証明すれば良い。
それが、上記公開質問状に記されている。
私は南京では戦争があったが、その範疇以外のことは何も無かったと思っている。
{備考}
三回目の「学び語る会」も開催できた。メンバーを増やす努力もしていないので、仕方がないが継続できれば良しとして続けたい。でも、
終わってみれば私はいつも独善的?であり、他者の意見を否定するばかりなり反省の要ありと思うが、治らん。
第4回は12月11日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第四回『学び語る会』
2009/平成21年12月11日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん:計3名
テーマ
@平安時代:A日米関係・普天間問題:B大東亜戦争:CSさんの戦後の状況
@平安時代
○西暦784〜1184
○400年間もの長い時代だったのか・・・。
○最澄・空海が唐に渡る。天台宗(805)・真言宗(806)を開く
○1167・平清盛、太政大臣になる。
○1185・平氏滅ぶ。
A日米関係・普天間問題
○最終的には自主自立、それを目指すのは言うまでもないが、現状においては外交の継続性もあり、日米安保条約を締結している以上、今の
民主党政権の迷走ぶりは国益を損なう。
○沖縄の基地依存・交付税依存の体質からの脱却を目指すべき。
○Sさんは沖縄駐在で長く仕事をしており、やはり南方気質なのか本土の日本人とは労働に対しての感覚は違うとのこと。女性は良く働く
が、そうじて男性は怠け者であるようだ。
B大東亜戦争
○Sさんも芝治君も、「当時の陸海軍の飛行機のパイロットは、空戦やその他戦闘に関することのみ学び、機体の弱点などは学ぶことも無
かったし、教えられていない」という意見だったが、私は、そんなことは無く、弱点も知り尽くし防備の弱さも知っていたと確信している。
弱点は軍事機密だったとしても、パイロットや整備士は当事者として生の体験上、知り得る物だと信じる。そうでなければ長所を生かし、
短所を補い敵に勝てない。命が掛かっているのだから嗅覚としても分かる。
ようするに「日本軍=精神論」ということを前面に強調していたが、私は当時の兵士は全てとは言わないが決して「精神論」だけで戦った
りしていないと思っている。
○その他、毎度の事ながら戦争の話は尽きず。
CSさんの戦後の状況
○戦争中より敗戦後、食糧不足が顕著になった。
○米兵に日本の古銭とタバコを換えてもらい、そのタバコを売って小遣いにしたそうだ。
○デノミではないが、敗戦後、新貨幣が登場した。
{備考}
初めて鍋を囲み食いながら飲みながらの会だった。美味かった。
9月に第一回を開催し、今年は忘年会を兼ねた第4回を終えた。来年も欠かさず開催できれば、来年12月で16回になる。どうなること
か?戦争の話題は永遠に続く。
それが一番面白いからだ。未だ出席者は増えないが、その内、物好きな方が来てくれることを期待し、「継続は力」を実証したい。
第5回は新春1月8日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第五回『学び語る会』
2010/平成22年1月8日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん・家内・義母・長男嫁:計6名
テーマ
@鎌倉時代:A今年自分の目標:B世界・日本の今年の展望(政・経・軍):C死生観:D近現代史・大東亜戦争
@鎌倉時代
○西暦1192(いいくに)〜1333年
○平安時代が400年、そして鎌倉時代が141年間・・・か。
ならば戦後の1945〜現在2010年の昭和・平成の65年間に日本はどのように変化したのか?劣化への坂道を下るが如し
○元寇:文久・弘安の役<
○西行→法然→親鸞・・・。仏教大いに広まる
○「新古今和歌集」「方丈記」「平家物語」「吾妻鏡」「徒然草」などなど
その他
今回は義母・家内・長男の嫁も参加しての「学び語る会」ということで、話も盛り上がり午後6時開会から気が付けば10時まで、侃々諤
々と終始した。
その中で死生観も話題になり、いろんな意見が飛び交った。「死後の世界?」或いは「自分が生まれる前の世界?」などなど好き勝手な話
に花が咲いた。
そして阿笠力氏からの久々の長文メールが、まるでこの会に合わせてのように送られてきたのでみんなに内容を披露した。芝地君は想像通
り、その内容に嫌悪感を示していた。
Sさんは我が家で阿笠君と私の三人で出会い、一緒に西村真悟氏の選挙事務所に応援に行ったこともあり、興味津々内容に聞き入っていた。
相変わらずの過激文であり、今は故郷・重慶で結婚し大学の英語・そして日本語も担当する教師として忙しい日々送っているようだ。
そして大望忘れることなく米国留学を目標としているとのことだった。
義母はSさんと同郷・歳も一歳違いであり、この日の出会いを楽しみしていたので、和歌山弁での昔話に二人の会話は弾み、10時まで母
も付き合っていた。
新春第一回の「学び語る会」は、ほとんど新年会とあいなる。鍋を囲み盛り上がる。芝地君とは概ね意見は並行だが・・・。
第6回は、平成22年2月12日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
2010年1月8日、22:04:12
左より:長男嫁・S君・私・Sさん・母
新春、第一回目ですよ〜
新年会でした
第六回『学び語る会』
2010/平成22年3月12日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん・家内:計4名
テーマ
@南北朝・室町時代 (1334-1573) :Aサイパン・テニアンの旅報告:B世界・日本の今年の展望(政・経・軍):Cその他イロイロ
@南北朝・室町時代
ウィキペディア参照↓
一般的には鎌倉時代の後で、元弘の変や建武の新政も南北朝時代の事件として含まれる。正確には、1336年(延元元年/建武3年)に足利尊氏による光明天皇の践祚、後醍醐天皇の吉野転居により天皇王朝が分裂してから、1392年(元中9年/明徳3年)に両王朝が合一するまでの時代を指し、室町時代の初期に当たる。
この時代の天皇王朝には、南朝(大和国吉野行宮)と北朝(山城国平安京)に2つの王朝が存在し、それぞれ正統性を主張した。南朝を正統とする論者は「吉野朝時代」と称する(→南北朝正閏論)。
///////////////////////////////以上
しかし、以下のようにも記されている
鎌倉幕府の終盤に天皇の後継を巡って分裂した勢力が、交互に皇位につく事(両統迭立)が取り決められていたことから端を発しての南北朝時代が幕を明けた。
1246年:寛元4年から1457年(長禄元年)に南朝後裔の自天王・忠義王なる兄弟が殺害され、神璽が奪還されることによって、実質的に滅亡した。
200年にも及ぶ長き間、皇統と権力を巡っての争いが続いていたのか。
//////////////////////////////
因みに女性天皇は8人10代が存在した。
ウィキペディア参照↓
日本では過去に8人10代の女性天皇が存在した。神功皇后や飯豊皇女を含め彼女ら全員が男系女子(男系女性天皇)である。既婚の場合は皇后あるいは皇太子妃であり、その夫が亡くなったのちに践祚した。その内の6人8代は6世紀末から8世紀後半に集中している。
推古天皇(第33代、在位592年〜628年)(第29代欽明天皇の皇女)
皇極天皇(第35代、在位642年〜645年)(敏達天皇の男系の曾孫)
斉明天皇(第37代、在位655年〜661年)(皇極天皇の重祚)
持統天皇(第41代、在位686年〜697年)(第38代天智天皇の皇女)
元明天皇(第43代、在位707年〜715年)(天智天皇の皇女の妃)
元正天皇(第44代、在位715年〜724年)(草壁皇子の娘、生涯独身)
孝謙天皇(第46代、在位749年〜758年)(第45代聖武天皇の皇女、生涯独身)
称徳天皇(第48代、在位764年〜770年)(孝謙天皇の重祚)
明正天皇(第109代、在位1629年〜1643年)(第108代後水尾天皇の皇女、生涯独身)
後桜町天皇(第117代、在位1762年〜1770年)(第115代桜町天皇の皇女、生涯独身)
皇極天皇と斉明天皇は同じ人物
孝謙天皇と称徳天皇は同じ人物
※神功皇后も天皇の歴代に数えることが近代以前は行われた。
※飯豊皇女は、古事記では履中天皇の娘、日本書紀では市辺押磐皇子の娘であるため公式には天皇とされていないが、扶桑略記に「第24代飯豊天皇」とあるため、天皇として扱うべきとの意見もある。
なお、上記の如く女性天皇とは単に女性の天皇を指す、個々の天皇の性別についての言葉であるが、語句の類似性から女系天皇と混同されることが多い。しかしながら、女系天皇とはその天皇自身の性別に関わらず母方から皇室の血統を受け継ぐという血筋についての言葉である(したがって女系の男性天皇・女系の女性天皇の両方があり得る)ため、両者は本質的に異なる概念である
///////////////////////////以上
日本の歴史に8人10代の天皇陛下が即位したのは事実だが、その女性天皇の子供が天皇(女系)にはなっていない。万世一系男系継承は議論の余地なく、何があっても守っていかなくてはならない。(安保談)
その他
「学び語る会」も昨年9月11日(金)を第一回として今年の1月まで毎月開催してきたが、残念ながら私事(安保)の事情によって2月は中止とあいなった。
しかし、昨日の3月12日(金)には、いつものメンバーで盛り上がった。芝地君の博学に引っ張られながら会は進行し、大概のことは私との意見は対立するもそれも楽しい。
Sさんも政治・宗教のことでは本音が思う存分言えてストレス解消になり、6時から10時までの長き時間を侃々諤々の議論に付き合って「楽しい」とのこと。ありがたい。実はSさんも本音では「核武装論者」のようであるが今の日本の現実では無理であり、そんなことはここ以外の場所では話せないようだ。
その辺は、私も同様で何も今すぐの非現実論に固執するものでは決してない。私は自分自身は超が付くリアリストであり、虚虚実実の駆け引きは得意中の得意でもあり、敵を欺く為には平気で味方を欺く事が出来る人間だ。
誰しも私のことを頑固一徹・タカ派との評価を下すようだが、私が権力を持てば十二分に敵をも味方に取り込み、八方丸く治めるしたたかさを持っていると自分では自負している。まあ、誰もそんなことを信じてはくれないが・・・。
9条護憲派の芝地君とは相変わらずの平行線だが、それも又楽しからずや。
サイパン・テニアンのことから海軍の無能な戦略を私が吹聴し、Sさん芝地君の三人でいろいろと太平洋戦線の話しで盛り上がった。私は今の時点では、山本五十六の評価は最低になり、真珠湾攻撃の愚かさを思うようになった。
日本がすべき戦争は元よりそんな戦争ではなかった。無論米英蘭豪などの連合国相手に思う存分戦う事、戦ったことには大いに敬意を表し同意するが、戦争の仕方は間違った。勝てる戦争、いや負けない戦争は、当時の日本の戦力国力で十分出来た。
今はそう確信している。これからもボチボチ勉強を重ねるだけだ。
第7回は、平成22年4月9日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第七回『学び語る会』
2010/平成22年4月9日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん・家内:計4名
テーマ
@安土桃山時代 (1334-1573) :A民主党政権に思うこと:Bその他イロイロ
@安土桃山時代
ウィキペディア参照↓
安土桃山時代(あづちももやまじだい)とは、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が全国政権を握っていた時代である。織豊時代(しょくほうじだい)や安土大坂時代(あづちおおさかじだい)ともいう。又、安土桃山時代の元号の大部分が天正だったので、天正時代(てんしょうじだい)と呼ぶこともある。
長篠の戦い(長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。決戦地が設楽原(設楽ヶ原、したらがはら)および有海原(あるみ原)(『藩翰譜』、『信長公記』)だったため長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦い(ながしの したらがはら の たたかい)と記す場合もある。
通説では、当時最新兵器であった鉄砲を3000丁も用意、さらに新戦法の三段撃ちを実行した織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべも無く殲滅させられたとされるが、様々な論点に異論が存在する。
///////////////////////////////以上
安土桃山時代とは、自分なりに簡単に言えば、織田信長・豊臣秀吉時代と言うこと。1568年〜1600年(関ヶ原の戦い)くらいがそうか。たった30年ほどの間とは・・・。
この時代、フランスではユグノー戦争が起こっていた。
「フランスのカトリックとプロテスタントが休戦を挟んで8次40年近くにわたり戦った内戦」・・・ふ〜ん、ちなみに神父(司祭)はカトリック、牧師はプロテスタント。神父は結婚できない。
以前、明石DSのお客さんにも若い神父さんがいた。車は寄進でもらうとのことだった。「結婚を考えなくて良いから、その煩わしさはない」と言うような事を言っていた。
秀吉の刀狩
農民から武器を取り上げるということらしいが、大東亜戦争後、GHQの政策で銃砲刀の所持を原則禁止とされ100万本もの刀剣が回収された・・・か。なるほど我が家にも数本の刀や槍も先祖伝来の物として家にあったそうだ。焼夷弾の直撃を受けて全てはなくなった。
民主党政権に思う・その他
芝地君は自らを中立・中道を旨としていると自認しているが、私から見ればリベラリストであり、どちらかと言うと左派。その芝地君から見た私は「右派」ということになる。
Sさんは、父親が和歌山県の県会議員であったり町長などを歴任している。そして、笹川良一と同世代で国粋大衆党に属し、同志としての親交があり、そんな親父さんは今で言う「タカ派・右翼」的な思想だったとのこと。でもSさんは、軍国少年だったが、今は私からみれば保守派に属する常識人だと思う。
まあ三人の内では、やはり今の基準から言えば私が「最右翼」ということになるのだろう。私自身は、そんな私が「普通の日本人」として世間で見られるようになってこそ日本が、国家の姿を取り戻した時だと確信する。
芝地君は、いつも開始1時間前の5時ごろに来宅し、ビールとつまみで二人での議論が始まる。そして6時丁度くらいにSさんがやって来て、「学び語る会」の開始となる。録音機のスイッチを入れて、午後10時まで侃々諤々の議論が続く。
この日はSさんが膝を再起に痛めてゆっくりしか歩けないので、早めの9時45分くらいに引揚げた。その後も、芝地君と二人で話し、10時20分くらいに終了した。同意する部分もあるが、対極とも言える意見の食い違いも多いので互いに譲らず平行線のままが多い。
それでも違う意見の者同士だからこそ面白いというところもある。「何でそう思うの?ホンマ・・・」ということで。
第8回は、平成22年5月14日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第八回『学び語る会』
2010/平成22年5月14日(金)
出席者:安保・芝地君・家内:計3名
テーマ
@ 江戸時代 (1603-1868):A参議院選挙への思い:B近現代史・大東亜戦争:Cその他
@江戸時代
江戸時代の260年は世界でも類まれのない安定した国家であった。最近というか芝地君によれば「そんなことは昔から言われていたことだ・・・」ということだが、私は最近そのことを意識するようになった。
何か漠然と身分制度の有った「江戸:封建時代」は、どちらかといえば負の歴史のような感覚を持っていたが、今はそれはとんでもない誤りではないのかと思うようになっている。
治安も安定し・・・今の警察官と当時の奉行・同心などの数は人口比でも比較にならない少なさで治安は保たれていた。生活環境においてもリサイクルは万全の体制で、町も清潔だったようだ。そして身分制度でも圧巻なのが権力を持つ最上位の武士よりも、最下層の身分である商人が裕福な面があった事実は驚愕に値する。
1808:フェートン号事件
Web頁参照↓
文化5年8月15日(1808年10月4日)、オランダ船拿捕を目的とするイギリス海軍のフリゲートフェートン(フリートウッド・ペリュー艦長[1])は、オランダ国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ入港した。これをオランダ船と誤認した出島のオランダ商館員ホウゼンルマンとシキンムルの2名は慣例に従い、長崎奉行所のオランダ通詞らとともに出迎えのため船に乗り込もうとしたところ、武装ボートによって商館員2名が拿捕され、船に連行された。それと同時に船はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げ、オランダ船を求めてボートで長崎港内の捜索を行い、人質の1人ホウゼンルマンを派遣して薪水や食料(米・野菜・肉)の提供を要求した。
翌16日、イギリス船がオランダ人1名を釈放して、欠乏食料の供給を求め、供給がない場合は港内の和船を焼き払うと脅迫してきた。襲撃兵力のない長崎奉行はやむなく要求を入れ、食料や飲料水を供給し、オランダ商館も豚と牛を送った[2]。このためイギリス船は残りのオランダ人も釈放し、翌17日に港外に去った。
////////////////////////////////////////
結果
手持ちの兵力もなく、侵入船の要求にむざむざと応じざるを得なかった松平康英は、国威を辱めたとして自ら切腹し、勝手に兵力を減らしていた鍋島藩家老等数人も責任を取って切腹した。さらに江戸幕府は、鍋島藩が長崎警備の任を怠っていたとして、11月には藩主鍋島斉直に100日の閉門を命じた。フェートン号事件ののち、ズーフや長崎奉行曲淵景露らが臨検体制の改革を行い、秘密信号旗を用いるなど外国船の入国手続きが強化された。その後もイギリス船の出現が相次ぎ、幕府は1825年に異国船打払令を発令することになる。
////////////////////////////////////////参照:終わり
この責任の取り方が今の日本では想像も出来ない。「凄まじい」とも言える責任の取り方だ。
これこそが江戸が260年:安定し、その上、欧米列強の軍門に下ることなく独立を保てた要因だと信じる。
A参議院選挙への思い
芝地君は先の衆議院選挙では民主党に一票を投じ、「四年間やらせみる」と言っていたが、ここにきてその思いも変化しているようだ。私から見ればリベラリストである彼とは思想信条において乖離しているが、それだからこそ議論も面白い面もある。
私も自分では偏った意見を言っているつもりは金輪際ない。これは比較の問題であり、誰しも自分は公平中立の観点から世の問題を考察しているのだ。ただ日本人として、日本の国益・名誉と誇りを第一義に考える。それも日本人だれもが言うことだが、その基準がそれぞれに違うのだ。
B近現代史・大東亜戦争
戦争の話はいつも盛り上がる。
昭和天皇とマッカーサーの対談の話で盛り上がった。そして昭和天皇が沖縄行幸を果たし得ずして崩御されたことを芝地君の指摘で初めて私は知った。昭和62年に行幸が決まっていたそうだが、時すでに遅く昭和天皇は体調思わしくなく実現しなかった。
「思はざる病となりぬ沖縄をたづね果たさむつとめありしを」との御製が残されている。
Cその他
もう気がつけば8回目を迎えた。今回はSさんは都合が悪く欠席となったが、私の他に一人の参加で開会となるので芝地君が出席してくれる間は続きそうだ。鍋料理でもてなし、食い物につられてでも来てもらえるように努力する。
いつも議論沸騰し面白い。5時ころから10時まで話は続く。自分の頭の中を整理でき、知らぬことを教えてもらえる。有意義なり。
第9回は、平成22年6月11日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第九回『学び語る会』
2010/平成22年6月11日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん:計3名
テーマ
@明治時代 (1603-1868):A参議院選挙への思い:B近現代史・大東亜戦争:Cその他
@ヨーガと食い物
今日は私の小学校時代の同級生で長年ヨーガの指導者をしているTさんに、わざわざ我が家に出向いてもらってヨーガの講習をしてもらった。私と家内と長男の嫁の三人が午後3時頃から5時までの2時間ヨーガの初体験をした。芝地君とSさんにも声を掛けたが「遠慮しとく」だった。
でも芝地君が来た5時頃から、Tさんがカレーや雑穀おにぎり、自家製パンにピザ、その他沢山のお手製の健康食品を持参してくれたのでそれをみんなで食べながらTさんを交えてヨーガや食べ物や、その他いろんな話で盛り上がった。
芝地君が二度ほどTさんに向かって「お綺麗ですね・・・」と言っていた。小学校の時も可愛くて頭の良い女の子だった。同級生だから今年60歳になるTさんだが、ホントに若々しくとにかくそのエネルギーというか行動力には驚く、車も3ナンバーの大きなワンボックスカーを乗り回している。年間2万キロ以上走っているそうだ。これも食べ物とヨーガのせいだと思う。
そのTさんも7時前に我が家を退出し、それからいつもの「学び語る会」は始まった。
A参議院選挙への思い
やはりSさんも芝地君も今回の小鳩から菅への政権移行で、「四年間はやらして見れば良い」という意見であった。Sさんは田中角栄以降の自民党政治に心底憤りを持っており、政権交代して天下りの温床である特殊法人を徹底的に洗いなおすのが第一だと、言われていた。
民主党の政策は私と同じように支持していないが、選んだ以上やらせるのが筋だということのようだ。
芝地君もSさん同様、「初めての政権交代で与党になったことがないのだから、とにかく四年間やらせてみればよい。その上で民主党の是非を判断すれば良い」との意見であり、民主党の参議院選挙前の思惑通りになったことを伺わせる。
私は無論、自民党がどれだけ愚策を続け腹立たしい政権であったのは重々承知だが、それでも遙かに民主党政権よりはましであり、民主党政権の一日でも早い崩壊を願っている。
民主党は左翼政権であり、内閣の顔ぶれを見ても社会主義政党といっても過言ではなく、その是非を論じる価値も無い政党だと確信している。中には保守派に属してもいいような政治家がおりだからそれが余計に国民を惑わしている。
共産党より社民党より公明党よりたちの悪いのが民主党であり菅政権だ。私がその危険性をいくら力説しても二人には通じることもなく空しい限りだが仕方が無い。
B近現代史・大東亜戦争
やはり後半には必ず大東亜戦争の話になる。
三者三様、いつものように自己の主張を述べる。何度語り合っても誰かに影響されていくことはないのかも知れないが、いろんな面で考えさせられることもあり、反論によって自分の意見が更にはっきりしていく。
過去の戦争は次の戦争が起こるまで、議論が一番盛り上がるテーマで有り続ける。それが「戦争」の本質であり、その本質をとことん考えることが大切だ。思考停止は愚の骨頂なり。
今日はSさんも時間を忘れ、議論に高潮していた。80歳を前に意気軒昂、10時過ぎに解散となる。
第十回は、平成22年7月9日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第十回『学び語る会』
2010/平成22年7月9日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん・家内:計4名
テーマ
@明治時代 (1603-1868):A参議院選挙への思い:B近現代史・大東亜戦争:Cその他
@明治時代
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)について
芝地君の話では、ギリシャ人の八雲が日本びいきになりに帰化したのは、彼の身長が150cmそこそこで、小さい時からのその劣等感が日本での暮らしに、溶け込んだ要因の一つだという説を聞き、なるほどそうなのか・・・と、思った。ギリシャでは小さくても当時の日本のなかでは、背の低さのコンプレックスも感じず伸び伸びと生きることが出来ただろう。
人間の行動は、そういったことに大いに左右され、権力を持った者の感情が時の歴史を作る。複雑怪奇とも言われる歴史的な数々の出来事は、結局、そんな人間の些細ともいえる性格が反映されると私は思っている。
日露戦争:旅順攻防の乃木希典(のぎ まれすけ)将軍の評価は、「坂之上の雲」とは違って、乃木は高く評価されるべきだ。日露戦争バルチック艦隊の遠洋航海の厳しさについてSさんは、戦後日本郵船の船乗りとして世界の海を航海した実体験から、到着時には「あれでは戦にならない・・・」とのことだった。それくらい長途の航海は厳しいものらしい。
A参議院選挙への思い
幾ら私が民主党政権の危惧を語っても、Sさんは自民党への怒りから民主党政権に「一度はやらせてみる」という強い意識を持っている。芝地君もその点、同様だ。二人とも「在日外国人への地方参政権付与」や「選択性夫婦別姓法案」には反対だが、民主党にやらせるとのこと。
私には反自民党という思いは理解できるが、さりとて民主党にやらすというのはいかにも無責任だと思うが、二人の意見は、私とは全く反対だ。私こそ「歴史を学ばないから、そんな考え方になり、それは宗教だ」と言われた。そのまま同じことを二人に返すも平行線である。
これが今の日本の現状なのだと思うしかない。
B近現代史・大東亜戦争
今日は戦争の話はあまりしなかった。途中、阪神vs横浜の野球中継で二人は盛り上がり、結局阪神ファンの二人が万歳する「6:5」の逆転勝ちで阪神が勝利した。ちなみに私は一応、巨人ファン。5時からボチボチ始まり9時45分くらいに今日は終わった。雨も上がり・・・。
80歳のSさんは、県会議員だった父親を持ち、今も和歌山県人会の世話をし、おどろくほど政治家などへの顔は広い。今も膝が痛めながらもすこぶる元気でアチコチの活動に参加されている。
第十回は、平成22年8月13日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第十一回『学び語る会』
2010/平成22年8月13日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん・家内:計4名
テーマ
会は6時からだけど、いつも芝地君は5時頃に来る。そしてビールを飲みつまみを食いながら、たわいのない話をする。今日はSさんも、盆で「明日は出掛けるので、嫁さんに早く帰るように言われているから早く行きます。」と電話があり5時半頃に到着、会は始まった。
去年の9月が第一回で、早くも8月の今日で丸一年になる。メンバーは増えないが何とか二人来てくれているので続く。今日は別段テーマもなく、何を語ったか?でも朝鮮学校無償化問題では、Sさんは私と同じく「言語道断」という意見だが、芝地君は「無償化賛成」である。いろいろその理屈を語っていたが、まるで納得できないが、こうまで意識が違うのが面白い。
これがまだ日本の現状なのだろう。因みに芝地君はインターネットの情報に対して拒否反応がある。チャネル桜は偏りすぎという、まるで私の対極だが、韓国への謝罪に関しては、私と同意で謝罪の必要は何もない・・・とのこと、ふ〜ん、分からん。
NHKの戦争番組「色つきの悪夢」を見ていたが、なかなかリアルで今まで見たことがないような映像に三人とも興味津々だった。私は「大東亜戦争を賛美する」と最近、公言しているが、二人はそんな私にあきれているようだ。
Sさんは、戦後生まれの私が、そんな思想信条になったのが不思議で興味があるようだ。元はといえばタカ派県会議員の息子として生まれ軍国少年だったSさんである。月一回といえど、わざわざ片道20分以上の道を歩いて来てくれるのはありがたい。Sさんも戦争・宗教・政治を本音で語り合う機会はなかなかないそうだ。いつまでもこの会が続くことを祈る。
戦争の現実は、今日のNHKでの映像よりもっと惨たらしく、どんな言葉でも表現できない残酷なものだろう。だからこそ「戦争の本質」を徹底して話し合うことが大切だ。その本質をどこまでも突き詰めて、当事者になることの恐ろしさを知るべきだ。それでも踏み切った先人の苦悩と決断を冷静に省みることが、次に負けないために重要だ。
我大東亜戦争を賛美する。きっと百年、二百年後の歴史の検証では、大東亜戦争が世界歴史の転換点として日本・アジア・いや世界で高い評価をされると信じる。Sさんも結局9時半頃までおられた。
第十二回は、平成22年9月10日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第十二回『学び語る会』
2010/平成22年9月10日(金)
出席者:安保・芝地君・家内:計3名
テーマ
@明治維新/A大東亜戦争/B死生観
「学び語る会」もこの12回目で2年目に入った。人数は増えないが、タブーを設けず、いや、一般的にまだまだタブーになりがちな、戦争・宗教・政治に関して自分の思いを率直に語ることを本文にして意見交換をしている。
最初は全く反対の論に、ギクシャクしていたこともあったが、互いの違いを認め合い、どんな話にも一応は素直に耳を傾けれるようになった。そして、「より真実に近づこう」「より当時の世界情勢・価値観をもって歴史の出来事を考察しよう」と、互いがそれを根拠として評価できるようになって来たと思う。
それだけでも私が思う進歩であり、この会の意義でもある。
今日もこの内容に盛り上がったが、明日は私が中国に出発ということもあって芝地君が気を利かせてくれ1時間早く終了した。家内はビールを飲み過ぎて途中から寝ていた。
第十三回は、平成22年10月8日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第十三回『学び語る会』
2010/平成22年10月8日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん・家内:計4名
13回目になった。人数は増えず家内を合わせて4人のままだが、勉強になる。Sさんも79歳の高齢ながら今日は出席してくれ、日頃は機会がない戦争・政治・宗教なんでもありの議論に、まだまだ興奮気味で自論を展開してくれる。
戦後、商船大学を出て日本郵船の船乗り(機関士)になり世界を回っているので、時折出る昔の世界情勢も興味深い。キューバの革命前は船乗り仲間の間では、キューバに行けば遊びと言うことにおいては、何でもありの自由奔放な世界があり、みんなが一度行って見たいところだったらしい。
枢軸国が、ベルリンとローマを軸(枢軸)として世界をコントロールすると言う発想で、ヒットラーとムッソリーニによって作られた言葉というのも初めて知った。連合国vs枢軸国というのも何も考えずに枢軸国という言葉を使って来たがなるほどそうかである。それに日本も加わった。その辺が日本の戦略的な誤りの始まりなのだろうけど。
そして尖閣問題によって中国の無茶苦茶さを世界に知らしめ、又能天気な日本人も中国の愚劣さを感じるきっかになった。その上、民主党の稚拙な対応が露呈し、日本にとっては今のところマイナスとは言えない。と言うのが私を含め珍しく三人の共通認識だった。
それに今となってビデオを公開しないことも、切り札を温存するということでそれを「是とする認識」も三人一致した。ホントは最初から毅然と処理する覚悟でビデオも即座に世界に公開し、粛々と中国の無謀に対峙するべきだったが、今となっては、切り札として温存するしかない。
これらの問題で民主党の政権能力欠如と、支那の“やくざ性”が日本人に更に浸透していくことを願う。これを一石二鳥という。
第十四回は、平成22年11月12日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第十四回『学び語る会』
2010/平成22年11月12日(金)
出席者:安保・芝地君・Sさん・家内:計4名
14回目もいつもの顔ぶれながら、午後5時頃から始まり10時5分前までの5時間弱もの時間を、ビールに焼酎を飲みながら夕飯(今日はおでん)を食べながら議論沸騰の時間を過ごした。
Sさんも79歳ながら時には紅潮し、自論を述べる。タブーなしの本音が全ての議論の機会はなかなかないので「あんたらと話すのが楽しい」と、来る時は“たこバス”に乗って、帰りはバスもなく歩いて25分くらい掛かる夜道を戻って行く。
今日は、尖閣ビデオ流出から話しは始まった。Sさんは「国の機密事項と指定されたからには、公務員として守秘義務があり、それを破ることは一義的に問題がある」と、言われたが、芝地君は私にとっては意外にも「国民的英雄だ。逮捕する理由はない」との意見だった。
無論私も海保保安官には「良くぞ流出してくれた」と思っている。逮捕前に読売テレビの取材に直筆メモを残していたそうだが、それには『これを国家機密とするのであれば、時の政府が自身に都合の悪いことは全て国家機密にしてしまえば、何をやっても許されるのではないでしょうか?
もちろん、国家機密というのも必要であると思います。例えば日米密約等、本当にその存在が発覚すれば大きく国益が損なわれるようなものがそれにあたると思います。今回の件で、我が国の国益は損なわれたのでしょうか?』
これが本当に彼が残したものなら、それ相応の思想信条があってのことだ。そして職を賭して流出させ自首もした。これこそ天誅であり直訴である。罪に問われるのは、船長を超法規的措置で釈放した政府であり、保安官ではない。
その他、いつもように大東亜戦争論・そして「TPP」に対しての見解などなど。Sさんは最初から日本の立場を守るためにも積極的に参加すべきだという意見であり、私は国家の垣根を無くすのは、こと経済的要因だけではなく人の往来も含めて、EUもどきに近づくだけで目先の利益に騙されず日本は参加すべきでないと言う意見で、噛み合うことはなかった。芝地君はこれに対して何も言わなかった。
その他、まさに話しは次々に広がり、あっという間に時間が経過した。
第十五回は、平成22年12月10日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
第十五回『学び語る会』
2010/平成22年12月10日(金)
出席者:安保・芝地君・家内:計3名
今年最後の15回目は家内を入れて三名の小数精鋭?での会だった。年長のSさんは前日が忘年会、何かと忙しくて欠席となった。来年には80歳を迎える高齢ながらまだまだ意気軒昂、阪神ファンで毎年数回は球場に足を運んで観戦されている。
身近でそんな元気旺盛な人生の大先輩に接するだけでこっちも元気が出てくる。そのSさんは欠席だったがS君と5時頃から、まず健康談義から始まった。
S君も私より遙か以前から体や食い物に関心が深く知識も豊富だ。そのS君が11月20日くらいから一日一食を始めて今に至っている。まだ20日ほどの期間だが調子は上々のようだ。
朝はトマトジュース、昼は食わず、夕方からビールに始まって好きな物を食う。体重も今の所変化ないようで調子はいいようだ。自分の体で実験し体感できるので面白いらしい。その他、いろんな話題に終始し気が付けば10前になっていた。
体は小宇宙であり、今日はS君が持ってきた神戸新聞の切り抜き記事、『細胞内でエネルギー生産「若返りの鍵握るミトコンドリア」』という話しから始まった。
ミトコンドリアを増やすには以下の四つの方法があるそうだ。
@やや強めの有酸素運動をする。
A背筋を伸ばす。
B寒さを感じる。
C空腹を感じる。
ミトコンドリアは一つの細胞内に100〜数千個もある小器官でブドウ糖や脂質を取り込み酸素で分解してエネルギーを作り出す。凄い!ホンマ神秘的で面白い。
この生命の根源であるミトコンドリアは、上記の四つの方法で割合簡単に数が増えるらしい。命の根源が増えるなら努力するのは当然だろう。その程度は分からないが、肝に銘じておきたい。
太田教授(談)↓
『老いとは、体が持っているエネルギーをつくる能力が低下すること。その点で、若返りの鍵を握っているのがミトコンドリア。認知症もミトコンドリアが生み出すエネルギーの低下が原因の一つと分かってきた』
『エネルギーをつくる能力をアップさせることが出来れば、体力がアップする上、若々しく、太りにくい体になる。このエネルギーをつくる能力のアップこそ、体を若々しくする機能の正体で、それはミトコンドリアの量を増やすこと』
『運動してハアハアしなくなるのは、体に取り込んだ酸素をミトコンドリアが有効に使えるようになったということ。ミトコンドリアの量が増えると、質もよくなり、効率よくエネルギーを作れるようになる』
『神経細胞のミトコンドリアを増やすには、脳の血流を増やす。運動は間接的に脳の血流を増やすのでお勧めという。また新しいことに興味を持つことも脳の血流を増やすことになる』
『ミトコンドリアの量が増えれば、エネルギー生産時の活性酸素の発生も抑えることが分かってきた。生命の根源であるミトコンドリアを増やせば、10年ぐらいは簡単に若くなるはず』
元気で生きることと死ぬことを学び語り、互いに己の体で実験しながら、その成果を自慢するのも面白い。「そんなに長生きしたいのか・・・」とすぐに揶揄されるが、そう言われるのは嫌だけど言いたい奴には言わせるしかない。動物の本能としてそうかも知れないから。
でも気分が良いし面白い。こんな良い趣味はないと思う。S君とはこの点趣味が一致する。彼は酒飲みだけど・・・。
第十六回は、平成23年1月7日(金)。出席者を随時募集中で〜す。
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