第8回 「デスバレーとラスベガス旅行」他
12月2日
いよいよ12月。太陽の国、カリフォルニアにも本格的なレイニーシーズンがやってき
ました。青い空はライトグレーの雲に覆い尽くされ、時折、思い出したように雨がぱら
ぱらと降ってきます。でも、サンフランシスコ湾から海風がやってくる日などは、薄い
雨雲はひといきに取り払われ大きな太陽が存在を誇示するようにあらわれます。カリフ
ォルニアの太陽は大きいので、ちょっとやそっとの雨雲ではたちうちできません。寓話
「太陽と北風」の旅人のように、人々は上着を脱いだり着たりして、その日を過ごしま
す。明るい雨の季節。この雨の季節は2月ごろまで続くらしいです。そして、桃が咲き、
梅が咲き、そして桜が咲き、3月にはTシャツで過ごせる日もあるということです。そ
れからが、長い夏…心地よい風と大きな太陽と、花粉のように降るやわらかな日差しが
約束のように毎日やってくる。景色は洗われたようにみずみずしく輝き、度の強い眼鏡
をかけたときのように、なにもかもがくっきりとした存在感をもって見えてきます。5
月からの季節はわたしが知っている夏です。北カリフォルニアの夏は本当にすばらしい。
生きていることが楽しくなるような夏なのです。子供のころ、めいいっぱい太陽の下で
遊んだ後、息を弾ませながら大きな木陰に腰をおろしたときの清涼感、土と草のにおい、
目を閉じて呼吸を整えている間の太陽の残像。宝箱に入ってしまったはずの夏が、ここ
には毎日やってきます。ハチミツのような朝日とともに…。
世界中にはたくさんの夏のカタチがあるけれど、ここの夏はその中でも最上級品の夏と
いえるかもしれません。生きていることを喜びにかえることが出来る夏は、そうあるモ
ンじゃありません。
12月3日
いつもお母さんのように面倒を見て下さっているヨシミさんは、クリスチャンです。時
間のある時はあちらの教会、こちらの教会と飛び回ってたくさんの信者の方々のお世話
をなさっています。ヨシミさんにこの9月、お孫さんが誕生しました。そのお孫さんと
のスムーズなコミュニケーションのために、数ヶ月前から教会内の託児所のお手伝いも
始めたそうです。わたしは信者ではありませんが、アメリカのボランティア精神という
ものの一端を知りたくて、ヨシミさんのお手伝いとして今日、ジャパニーズチャーチを
訪れました。この教会の牧師先生と奥様は日本人。バイブルスタディに来る若いお母さ
ん達は国際結婚をした日本人女性がほとんどで、それぞれお子さんがいらっしゃいます。
わたしのお役目はそのお子さまたちのお世話をすることでした。お人形のように愛らし
い子供達は、みなお行儀がよく、年齢のわりには落ち着いています。英語しか話せない
女の子もいます。子供の目の高さで話をしてみると、「タップダンスを習っているんだ
よ。」とか「もうじき、兄弟が生まれるんだ。」とかいろんな話をしてくれます。スタ
ディ終了後、教会内のダイニングでランチの会がありました。となりに座ったナオコさ
んのご主人はカナダ人で、日本で結婚式をあげたあとアメリカには一昨年引っ越してき
たということでした。住み慣れた日本を離れ、慣れない育児と生活に懸命になっている
彼女たちを見ていると、頭が下がる思いがします。日本の母は強し…という神話がこん
なところでちゃんと息づいていることに喜びと(日本の母のはしくれとして)誇りを感
じました。
12月6日
我が家の長男は6歳です。本当ならこちらでは、9月から小学校へ上がらなければなら
ない年齢です。しかし、わたしたちは「にわか住民」であることの気安さから長男を団
体生活に入れずにここまで来てしまいました。こんな大きな子供を日中から連れ歩いて
いると、いつも行くマーケットのおばちゃんまでが「ねえ、どうしてこの子を学校に行
かせないんだい?早く学校に入れて、あんたも自由になっていろんな勉強をしなさい。」
なんて言って心配してくれます。たしかにアメリカでは、大学も専門学校も州立、市立
のアダルトスクールも年齢に関係なく門戸が開かれています。学びたい時が学生時代…
という意識が社会全体に浸透しています。それと、徹底した個人主義と独立自尊の考え
方。「子供は子供、親は親、人格も歩んで行く道筋も別…子供はハタチになったら直ち
に家を出よ。」というのが一般的な親たちの子育て原理だと聞きます。確かに「日本の
親は面倒見すぎ」という声に反発することは出来ませんが、親のわたしがカルチャーシ
ョックで胃がキリキリしているところに、その上、子供を介して欧米的教育の強い部分
を見せつけられては、こりゃもう、「降参、降参。」というカンジで長年持ち続けてい
た価値観までが根こそぎくつがえされてしまう気がしていたのです。(まあ、単に怖じ
気ずいていたのですが。)それと白状してしまうと、今春、長男が日本の小学校に転入
するまでの間、めいっぱい子供と過ごしたい…就学前の最後の蜜月を楽しみたい…なん
ていう日本の親の代表選手みたいなことを考えていたのです。でも、子供というものは
親の知らない間に成長し、知らない間にいろんなことを乗り越えているモノで「ぼく、
トモダチがほしいし、エイゴも勉強したいから、学校へいきたい。」なんてことを長男
は近頃言い始めました。そんなことを子供に言われるまで、子供の心の成長がわからな
かったわたしは自己嫌悪に陥りました。しかし「落ち込んでばかりもいられない。こう
なったら学校だ。」と遅ればせながらわたしは学校を探し始めたのです。
(ジャパニーズ・ランゲージスクール)
車の運転をしない母親は、子供を望みの学校へ入学させることも出来ない…というのが
こちらの現状です。(ほとんどの場合、送り迎えが必要だから…)アメリカで運転はし
ない、と決めた以上、子供の学校は限られてきます。週末ならば夫に送り迎えを頼める
し、ウイークデイはわたしの思う通り子供との時間を楽しめる、その上、子供にアメリ
カの学校という雰囲気も味わわすことが出来る。一石三鳥だ。そういう理由から毎週土
曜日に授業がある現地の日系アメリカ人向け日本語補習校、イーストベイ・ジャパニー
ズ・ランゲージスクールという学校に決めました。残りの5ヶ月足らずの短い期間でも、
アメリカの学校に通っていたというささやかな想い出が、息子の胸のどこかに残ってく
れればそれでいい…とわたしは思います。今日、親子で見学に出かけました。息子の入
る予定のクラスは生徒が18人、先生が2人。生徒のほとんどは日系アメリカンもしく
は息子のような駐在員の子供達というところで、4,5人のブロンド髪の女の子もいま
した。。年齢的にはバックグラウンド(家の中で使っている言語)が日本語の子供は、
エレメンタリー(小学校)の1,2年生、英語の子供は3年生までが入れるというクラ
スです。この学校は4歳児からエレメンタリー3年生までの学校で、この上の学年はサ
ンフランシスコ校に移る場合が多いそうです。どの子も、月曜から金曜までを現地の小
学校で過ごし、土曜日にわざわざ日本語の補習授業に赴いているわけですから、なかな
かのハードスケジュールです。学校の印象としては、アメリカの学校特有の自由な空気
と自主性を重んじる雰囲気を持った、とてもいい学校だと感じました。何事にも慎重す
ぎて、二の足を踏んでしまいがちな長男も今度ばかりは「早く、入りたいなあ。とって
も楽しみだ。」と妙に乗り気です。
12月11日
風が乾いています。どこか遠い、空気の生まれいずる場所から、その生まれたてのまま
吹き越して来た風。清潔でまっすぐで、その分ぎこちなく鋭くて冷たい。そんな風に吹
かれながらクリスマスソングを合唱するためにバークレーに行って来ました。クリスマ
スソングにふさわしい日です。子供のころ読んだ外国の童話に、雪の舞う夜、子供達が
家々の玄関で賛美歌を合唱する場面があって、鼻の奥が痛むような冷たい空気と天使の
ような子ども達の面差しと音楽のように降る雪が、一枚の絵を見るように美しかったの
を思い出しました。カリフォルニアで雪を望むことは出来ないけれど、今日の風は何と
もいいです。YWCAで各国の親子たちと共に歌うクリスマスソング…子供の頃、クリス
マスになると街中の店々から聞こえてきた楽しい歌…意味がわからないけど聞き覚えて
しまった歌、わたしにとってクリスマスソングはそんな存在でした。けれど今日の歌は
ちょっと違う。鐘塔の下にたたずんで、体中で鐘の音を聞いてるような厳かな気持ちに
なったり、笑い声が漏れてくる暖かい窓辺を見るように安らかな気持ちになったり、そ
の歌々が、歌う人すべてのために存在するのだという博愛的な調べの美しさに初めて気
がつきました。20曲ほどせいいっぱい歌っておもてに出たら、風はなお強くなってい
て、セーターの首筋の汗ばみを絹のハンカチーフのごときやさしさでぬぐい去ってくれ
ました。
12月14日
先月、ゼイ・バック・コンサートホールにエミリーさんとジャズを聴きに行ったとき、
エミリーさんに「ナッツクラッカーって知っている?アメリカではクリスマスの季節に
なるとあちこちの劇場で観ることができるのよ。」といわれて一瞬、何のことかわかり
ませんでした。その後、よくよく説明を聞いてチャイコフスキーの名作で、ホフマン童
話をバレエ化したあの「くるみ割り人形」だということがわかりました。「この次は、
それを観にいきましょうよ。ちょっと変わったナッツクラッカーで、とってもおもしろ
いから…。」といわれて数日後、チケットをおさえました。おもしろい「くるみ割り人
形」…といわれて「バレエをおもしろいとはこれいかに?」と思ったのですが、この
「くるみ割り人形」はそんじょそこいらの「くるみ割り人形」とは訳が違うモノでした。
(ザ・ナッツクラッカー・ウイズア・ツイスト)
マーク・モリスというアメリカでは有名な演出家がダンスグループを率いていて、その
グループはほとんどが男性という風変わりさです。そのゲイのようにも見えるダンサー
たちが古典バレエ曲「くるみ割り人形」に乗ってさまざまなスタイルのダンスを観せて
くれます。そのダンスがバレエ様式では無いという他は全くの舞踏劇そのもので、「く
るみ割り人形」をモチーフにした独自のストーリーが展開されてゆきます。舞台の背景
はすべてモノクロで統一され、対照的にダンサーたちの衣装は目もくらむほどのきらび
やかさでした。まずは、視覚に訴えるそのコントラストで観客をはじめに強く幻想世界
へ引きずり込んでしまおうと試みられているようでした。幻想世界という点では「いか
にも女装をした筋肉男」というダンサーたちがチュチュを着て裸足で踊る場面が印象的
でした。ダンサーは黄金色のチュチュをまとい、金の髪飾りをし、手に手に金粉を握り、
ジャンプするたびに周囲に金粉を降らせ続けます。総勢、3〜40人にもなろうかとい
う群舞です。はじめは、その醜貌と猥雑さで観衆はざわめくように笑います。しかし、
生真面目なフルオーケストラの演奏にのって、これでもかと繰り広げられる「バレエの
ようなダンス」を観ているうち、わたしはあることを感じました。「リアルでないも
のの中にこそ真実は隠れている」ということです。美しい貴婦人、立派な紳士、人形の
ような子供…確かに、人は視覚的に美しいものを見たい。美しいものを求めています。
バレエはまさしくそれを満足させてくれる総合芸術で、非の打ち所のない肢体を持った
舞踏手に音楽、美術、照明、衣装と、舞台を一枚の絵画にも代え、理想的なリアルを追
求しているようにも感じます。でも、この筋肉バレエには全編に人間のむきだしにされ
た本質というものが見られます。美しさの裏に隠れた傲慢、プライドと背中合わせの自
己憐憫、切なさの影で燃える憎悪。シュールな世界とでも言うのでしょうか、人間を多
角的に見つめた目というものを感じます。そんな真実の妙味を味わわせてくれること、
隠せるモノなら隠し仰せたい心の機微を思い切って表面に現したことなどを合わせると、
日本では観ることが出来ない稀なる舞台であると感ました。「いいものを観たな。」と
いう満足感に包まれての閉幕となりました。「見目麗しくとも本心をつかめない男と風
貌悪しくとも真実味を感じさせる男とでは、どちらを選びますか?」と聞かれれば、2
0代では前者、でも30代も中盤にさしかかろうという今では、迷わず後者と答えるで
しょう。フウテンの寅さん風イイ男がいっぱい登場した舞台を観た後、ふとそんなこと
を思いました。
12月16日
本格的なクリスマスホリデーを前に、お国に帰る留学生を気づかってシェーン教授夫妻
は早めのクリスマスパーティーを開いて下さいました。夫の研究室仲間とご一緒するの
は、サンクスギビング以来2度目です。初対面の時よりずいぶんリラックスしている我
が身をおもうのは、下手な英語でこちらから話しかけている自分に気がついたときです。
子供好きな韓国からの留学生Sさん、美人で気だてのいい奥様が自慢の香港からのCさ
ん、ドイツから来ている紳士的なYさん、ブラジリアンの陽気なPさんご夫婦、いかに
も学者というロシア人のAさん、心やさしき台湾の大学教授Jさん…夫にとってアメリ
カでの身内のようになった方々とひとときを過ごすのは本当に嬉しいことです。たくさ
んの語彙を使って完璧なコミュニケーションが出来ないと言うのはポジティブに考えれ
ば、少ない言葉で相手の奥に広がる心の風景を想像する作業を余儀なくされるわけで、
その分、余分な言葉をそぎ落とした詩のような響きにも似て、わたしはそれもまた「い
と、をかし。」と開き直れるようになりました。宴の最後に、持ち寄ったプレゼントを
大きなテーブルの上に集め、くじ引きをして番号順にプレゼントを選んでゆくという余
興がありました。この余興にはルールがあって、一度誰かが選び取ったものでも自分の
順番が来れば、すでにプレゼントを選び取った人の包みを横取りする事が出来るという
もので、横取りされた人はテーブルの上の手つかずの包みを取るも良し、または人がす
でに選び取った包みをまた横取りする事もできます。大きな包み、きらびやかな包み、
小さいけれどずっしりと重い包み、ぺらぺらの封筒に包まれたもの…子供の頃、こんな
プレゼント交換会が幾度となくあって、中身を想像してわくわくしたものです。久しぶ
りに童心にかえって悲鳴をあげながらプレゼントを横取りされ、めぐりめぐって最後に
我が手に残った品物は、バラの絵柄の陶製ソープケースでした。
12月17日
日本から4人の独身男性がやって来ました。なんていうと異国の地に住むかぐや姫の嫁
取り合戦に、わざわざ遠方から赴いた貴族たちを想像してしまいますが、貴族は貴族で
も独身貴族と名のつく日本のサラリーマン軍団です。夫の会社の同僚たちで、みな、(聞
こえは)頭のカタイ研究員ばかり。これから4日間を彼らと我が屋根の下で共に過ごし、
その後、連れだって憧れのデス・バレー・ナショナルパークに旅しようというわけです。
同僚のオクサンという立場よりも、ひとりの仲間として彼らと旅したいと思っています。
12月19日
初めの頃、妙によそよそしかった4人の貴族たちとの関係も日が経つにつれ徐々にうち
とけて、今ではジョーダンを飛ばしあったり、缶ジュースの回し飲みにまで参加して、
すっかり同士の気分です。旅は道づれ世は情け…これが良いのです。さて、旅支度も整
い、道づれの心もひとつになったところでいよいよ、「西半球で最も低い土地」「世界
一暑い場所」などとたくさんの肩書きを持つ、悪魔の住む谷、デス・バレーへいざ、ゆ
かん。
12月20日
朝7時、貴族たちと分乗して空港へ向かう。うっすらと雲は出ているものの空気が澄ん
でいて気持ちの良い朝だ。渋滞もなく、スムーズに空港に到着。サンディエゴの友人宅
へ向かう貴族のひとりと別れ、チェックインを済ませ、空港内のカフェで朝食をとる。
9時30分、定刻通り離陸。離陸後40分程で8月のアリゾナ旅行の時に見た、赤茶色
の山々が眼下に見えてくる。荒々しい原野の広がりを押さえ込むようにそそり立つ岩山
や、乾いた赤土山の頂に鏡のような湖がひっそりとおさまっているのを見ていると、4
ヶ月前アリゾナの大地を旅した興奮が呼び戻されてくるのを感じる。岩山の稜線は刷毛
に水をにじませた水彩のブルーで、図らずも懐かしい風景画をみるようだ。小学生の時、
写生の時間に水と青だけを大胆に混ぜ、ひといきに画用紙に塗りたくった空の色なのだ。
「また、きたよ。」原始の大地に声をかけた。
11時30分、ラスベガス・マッカラン国際空港へ到着。
(ラスベガスからデス・バレーへ)
灼熱の大都会という印象の強かった8月のラスベガスが、果たして冬という季節にどん
な顔をしているのかと楽しみだった。空港から一歩外へでてみると、皮のコートを羽織
ったご婦人や、厚手のジャケットの襟元に薄手のマフラーをした男性が目に入った。
砂漠の大都会にも果たして冬はやってきていたのだ。8月の暑さにあてられ、なかば捨
て鉢ぎみにクレージーだったギャンブル天国は、このしんみりとした寒気のせいか、ど
こか品良く落ち着いて、遥かに見えるホテル群も蜃気楼に浮かぶ宮殿のごとし。
昼食後、レンタカーで北をめざす。40分も走るともう都会の影は失せ、海岸につくっ
た砂山のような均一な形をした山々が連なり始める。どこまでも続く一本道。レンタカ
ーは二台にした。一台は貴族たちの乗るおろしたての新車、スカイラーク(スカイライ
ンじゃありませんよ。中型のアメリカ車です。)そして、もう一台はチャイルドシート
も勇ましい(?)我が家族の乗るビュイックです。「日のあるうちに着けるかな…。」
とちょっと夫が心配そうです。「宵闇迫る、死の谷か…いいじゃない。」とわたしが答
えると、「君はいつも呑気でいいよな。夜のデス・バレー・ドライブなんて方向感覚を
完全になくしちゃうぞ。」と夫はムッとしています。「コヨーテと一緒に野宿っていう
のも悪くないし、星空を見上げながら車で夜明かしをするのもイイね。」なんてふざけ
ると、マジメなこの人は急に寡黙になってしまいました。
《デス・バレーに詠う》
宵闇迫るデス・バレーが、あまりに素晴らしいので、わたしはある試みを思いつきまし
た。このデス・バレーにいる間に出来るだけたくさんの詩をつくってみようと。そして、
今回のデス・バレー便りを詩と散文と写真との3本立てで構成してみようと。頭の中に
はイマジネーションが膨らんでいるのですが、さてどんなものになりますか…。
〈夕暮れにて〉
地平線に近いわずかな場所だけが、選ばれたように輝いている。舞台の奥に水色の背景
があり、銀色の雲の垂れ幕がわずかばかり開いている、少しもったいつけるような開幕
前の小さな輝き。そして少しずつ、風の幕引きによって雲が押し上げられてゆくと、そ
れが水色なのではなく群青色だったことがわかる。群青色の夕空は、雲に隠され内側で
膨れ上がった、夕日の強い反射によって水色に見えていたのだ。4時15分、デス・バ
レー・ジャンクション通過。燃えるような暑さに耐えてきた、干しわかめのように細々
と干上がった雑草が砂と石ばかりの荒野に延々と続く。強い夕日が容赦なく岩山を照り
つけて、ざらついた岩肌に光と影の巨人が交互にたたずむ。
「宵」
赤土の
もえる山影
無鉄砲な風のオカリナ
夕日が爆ぜる瞬間の
水のざわめき
きおくなど いらない
わたしに あるものは
いま という
おもい いっしゅんだけ
闇のマントをはおった
このそらのひろさだけ
色違う衣を重ね着するように刻々と姿を変えながら、死の谷は夜を装ってゆく。はるか
なる山は紫にくれまどい、白桃のような産毛を光らせてサボテンは眠るようにそこにい
る。とうに時を忘れた大地に、記憶を呼び覚まさせるかのように時間の使者が訪れる。
そして容赦なく使者は、漆黒のマントをもってすべてを無にし、すべてを飲み、すべて
を静まらせる。夫の心配をよそに、パークの中心地でもあり、今晩のベットがあるファ
ーニスクリークランチにたどり着いたのは火の鏡のような夕日が、まさに山の背に沈ん
だ時刻だった。
「月がでた」
あま色のやまの頂に
月がでた
湖面は蒼く なまめかしく
月影は染め抜かれたように
たおやかだ
山のむこうは
霧の都があった場所
いまは
死に絶えた風の街
鴉の 羽色の 闇の おもての
岩影の 水やすむところに
足をひたして
このままいるか
幾千年も 月がでた
山の 硬い峰の 切っ先の
時の 忘れ形見にもみえる 頂に
弓なりの かなしい
月がでた
12月21日
朝7時、朝食を済ませファーニスクリーク・ビジターセンターへと向かう。今回の旅は
夫の夢を叶える旅でもあるのです。彼はアメリカの地を踏む前から「僕が一番見てみた
いのは、デス・バレーなんだ。デス・バレーにはいつかきっと行く。」とかなんとか言
い続けて、今回、子供たちの「クリスマスだからデイズニーランドに連れてって。」の
おねだりも聞き流してここへきました。今日の予定はそんなわけで妙に力の入った夫が
詳細な下調べをした結果、決定した順路を行くことになりました。10時、ビジターセ
ンターを出てデビルスゴルフコースとバッドウオーターをめざす。
「見渡す限り」とはこういう風景を言うのだと実感する眺めです。視界の果ては雪をう
っすら頂いた山々の他は何もありません。近くに見える岩山は、所々鉱物が表面にむき
出しになっていて、岩肌のコバルトグリーンやアザーブルーの鮮やかさに驚かされます。
道はなだらかに下降し続け、海抜0メートル以下の世界へとゆるやかに降りてゆきます。
「海よりも低い土地か…。空気の圧力が少し違うような気がするな。」と車から降りた
夫がつぶやいた通り、わたしにもその不思議な感じはわかりました。陸地であり、海の
中でもあるその不安定な空気。生あたたかいような、足首のあたりがくすぐったいよう
な。
悪魔ならばここでゴルフを楽しむだろう…というところからネーミングされた悪魔のゴ
ルフコース。数百万年前、火山活動で山が隆起し、渓谷の底は湖になった。その湖が干
上がって塩の浅瀬をつくったと言われているデス・バレー。そのとき塩の結晶と泥が混
ざり合い、固まって出来たのがこのデビルスゴルフコースということになるらしい。そ
れにしても、鋭利な凹凸だ。岩山の遥か麓まで、そのギザギザの岩石群は連なり、岩石
の表面は初雪が積もったようにまっ白に塩の結晶がこびりついている。岩石群の荒野に
足を踏み入れてみる。靴底がすれるほどの鋭利な岩肌、まるで荒いサンドペーパーの上
を歩いているようだ。悪魔が耕し、うずめてしまった追憶の荒野にすわって、しばらく
じっと風景をながめてみる。
「風の呼吸」
ここで ことばを
ゆるされたのは 風
ここで かみさまと
はなせるのは 風
風は けれども
なにも いわない
ただ いっぱいに
むねを ひろげて
せつない おとで
こきゅうをしている
耳を最大限にすましても、三つの音の他はなにも聞こえない。一つは、風が山から背の
方向へ吹き抜けてゆく木笛のような音。二つ目は時間の流れる音、刻む音ではない、あ
くまでもゆったりと川のように流れていく音だ。そして三つ目は、雲のゆく足音、旅人
のような面もちで、失われた民族の武器のようなカタチで、あるいは山だしの詩人のよ
うな茫洋とした表情で…様々な雲がゆく足音。静寂の海の底、突き放すような冷酷さと
荒々しさ。死界の使者が道の果てで手まねきしていても不思議じゃない風景なのだけれ
ど、わたしはその使者に体をあずけてもいいと思える様な、安らかな気持ちで満たされ
ていた。
「われらに失われしもの」
執着という衣を
脱ぎ捨てた生き物が
ここで 一生を
とじることができる
いのちとだけ
むきあうことに ひたむきな
黒曜石の瞳をしたものが
(バッドウオーター)
11時、バッドウオーターへ向かう。右遠方に雪原のような塩の海がみえてくる。
車から降り立つと、サイエンス・フィクション映画で見覚えのある世界が広がっていた。
「砂の惑星」とか「スターウオーズ」とかの異空間を撮影した場面に、入り込んでしま
ったような。塩の平原までは長く白い廊下が用意され、それが別世界への入り口である
かのような錯覚をおぼえる。純白の塩絨毯の上に、一歩足をを踏み入れようとしたとき、
夫が「あそこがSea Levelだよ。」と指さした。振り向くと車をとめた背後の
岩壁の中程に小さな標識が据え付けてある。「Sea Level」と書かれてあった。
ここは、すでに海抜マイナス85メートル、まさに西半球で最も低い土地…海の中なら
ばとっくに体に変調がおきている深さだ。長い塩の廊下を歩く、所々に誰かが掘った小
さな穴がある。じわじわと水が湧き出てきて、たちまち塩の結晶をシャーベット状に変
えてしまう。この分野のことに詳しそうな、貴族のひとりに声をかけた。「どうして地
中からこんなに水がでてくるのかしら。」彼は少し唇をとがらせて、腕組みしてから答
えてくれた。「この地下には水温30度もある川が流れていると聞きました。水の層が
走っているのだと思います。」シンプルな解説をしてくれた。降り始めて大地におちた
途端、凍りついてしまった雪のように清い塩。果てしもない塩の平原は、そこに立って
いればいるほど、それが塩だとは信じ難くなってくる。
でもそれは紛れもなく塩なのだ。清められた、湖の墓標なのだ。
「声」
わたしには わかる
ただ そこに
いつまでもあるということが
もっとも 無欲で
もっとも 尊いということが
動かざる山とか
おびただしい石ころの群とか
波打たぬ湖面の蒼さとか
そんなものこそが
平らかなる瞳をもって
ひろく ながく
世界をみているのだと
そして かれらは
とてもちいさな声で
はなしているのだと
いよいよ塩の平原に立つ。座り込んで瞳を顕微鏡に代えるかのごとく、よくよく観察し
てみると結晶はサンゴのように細かく枝分かれして育っているのがわかる。水晶のよう
に縦にのびた硬い結晶の上に、若い結晶が白猫の毛玉のように覆いかぶさっている。海
の底の塩サンゴの森…。遙かにみえる山のほうへ歩き続ける。夫はひとり山へ向かって
足早に行ってしまい、遠くなった夫の姿は純白の雪原に落とされた小石ように見える。
わたしは地質学者のような面もちでゆっくりとメモをとりながら歩いてゆく。地表の塩
の結晶は、山に近づくにつれ厚みを増して踏みつけるとザクッザクッと塩サンゴが砕け
る音がする。静寂の中にザクザクザクザクと破壊の音が響きわたる。まるで悪漢の大男
にでもなってしまったようだ。美しく育った塩サンゴを踏みつけて粉々にしなければ前
に進めないことに少し気が引ける。けれど、未踏の地をゆく気分は格別だ。ひとつの傷
もない雪原に自分の足跡をつけるときの感覚に似ていると思った。
「手をひろげよう」
手をひろげよう
ひとつの せいぶつの
すんだ いのちになって
手をひろげよう
くさや みずや
いしや つちににた
ばんぶつの ひとかけらとして
ひは のぼる
やみは くる
ただ めぐりのなかの
しゅんかんになろう
乾いた海の底の白き大地。からだの中があたたかくなるような微妙な圧力。手の中にす
くうことの出来ない水。美しすぎて口に含めない水。「人間の為にはならない」と自己
主張している天からの水。だから、人はこの湖の水をささやかな羨望と憎しみをこめて
バッド・ウオーター(悪い水)と呼んだのに違いない。
(アーティスト・パレットにて)
芸術家のパレットには、はたしてこんなに美しい色の絵の具たちが並んでいるのかどう
か知る由もありませんが、このネーミングはステキです。岩山に囲まれた狭い砂利道を
走りに走ると、突然、黄、赤、茶、紫、緑、青の鉱物が塗り込められたような岩山に目
を奪われることになります。地質学者の生きた実験場といわれるだけあって、こんな色
をした鉱物が地球上にあるのかと、無学なわたしはただただ感心してしまう。それにし
ても自然の絵の具は、なんてよい色をしているのだろう。人工色のうるささとは違い、
ミルクを混ぜたようなやさしい色だ。こんな色を染めぬいて着物をこさえたら素敵だろ
うな。和裁の得意な祖母がはりきりそうな反物ができるだろうな…と妙に日本的なこと
を思いました。
「子供、大好きなんです。」という貴族のひとり、O君と長男は岩山と岩山の谷間へ入
り込んでいきます。長男は、道無き道が大好き。山とか崖とか丘とか、起伏のある土地
をみると血が騒ぐらしいのです。夫も子供の頃そうだったらしく、今でも「ちょっと無
理じゃない?」と思われるような山の斜面も子供を抱いてどんどん降りていってしまい
ます。親子で血は争えない。ちょっと寄り道…のつもりが、長男の冒険に付き合わされ
長居をしてしまいました。次なる場所は、わたしが最も見たかったサンド・デューンで
す。
「笛と大地」
遠い笛がきこえる
みかづき の瞳をした
インディオの少年が
風上で牛をよんでいる
勇者のように
足をふんばって
弓なりの背骨をしならせて
疾風のような音色で
よんでいる
砂塵が休みなく
少年を痛めつけ
時代がしたり顔で
上空を行き過ぎようとも
少年は笛をふく
飢えたように その音色を
飲み込みつづける大地が
少年に笛をふかせる
(サンド・デューンへ)
午後1時、サンドデューンへ向かう。途中、ザイオンを思わせるような雄大な山並みが
が続く。「砂の惑星」へ向かう飛行士の気分で、SF的な砂漠の無限空間をおもい胸が
高鳴る。サンドデューンからほど近い、ストーブパイプウエルズのレストランで軽食を
とって、2時50分、夕暮れの砂丘に向かう。太陽の輝きが強く、低くなる中、風紋が
ほどこされた砂丘を歩き始める。光と影の気の遠くなるような連なりが、目に痛い。砂
に流れがあることなど知らなかった。水よりもしなやかで、やわらかい流れ…人影もま
ばらな砂丘の高みに座って、薄桃色に輝くたそがれの山並みをながめた。雲は放たれた
矢のような形をして、北から南へとたなびいている。澄んだ風が体をすり抜けてゆく。
女神の寝姿に似たしなやかな山の稜線を包むように、絹のような靄(もや)がわいてく
る。新しい闇を迎え入れる準備を、ゆっくりと始めた空に一番星が小さくまたたいた。
「流砂の記憶」
流砂の底にある闇に
あたたかく のまれてゆく
皮膚の上には
すき間ない砂粒子が
張りついて
砂のもつ 記憶のようなものが
しみこんでくる
「あなたにも そんな
かなしいことが あったのですね。」
抱きしめても 握りしめても
逃げてしまう つらい悔恨のように
砂は記憶をいだいて どこまでもおちてゆく
砂の大地の宵闇は息をのむほど美しかった。生まれてから、今日までこんなに美しい夕
暮れを見たことはありはしないのに、取り戻せない大切なものを思い出した時のように
なつかしさと口惜しさで胸が痛かった。
悪魔が住むという死の谷、このパークには現世離れした名前がついた見所が多い。それ
は、この風景が常識で言うところの地上とはかけ離れた様相を呈していること、海面よ
りはるかに低い特別な土地であること、そして、生命の生まれた原始の風景そのままの
汚されぬ自然が残された、稀なる場所であることによるものだと思う。生まれ、死ぬ。
生まれることと、死ぬことは、本当は良く似ているのかもしれない。寄り添い会う誕生
と死のはざまに、長き生の営みが横たわっていて、わたしたち生物はある地点からある
地点までの、抜き差しならないひとめぐりの旅をさせられているだけという気もします。
そういう意味では、死の神の住む場所はふるさとのようなあたたかき場所に最も近いと
ころにあるのかも知れません。
「疑問」
なんのために
きみは生まれたんだ
ゴム鞠のような
疑問をなげつけて
枯れ草はゆれる
わたしは途方に暮れて
ひざをかかえる
うまれてもよかった
うまれなくてもよかった
そんなものであることは
あんがい しあわせなものだ
枯れ草は うちあける
睫毛の先でふるえながら
なみだのレンズに浮かびながら
わたしは、か弱きいのちとなって、長い間、砂山の上にすわっていた。耳に忍び込んで
くる風の震える音。体から生への執着がうすれていく。手をひろげて自由になる、一個
の生命体になる。西から夜がひたひたと忍びよる。山はわずかな明るさにつつまれて乳
白色の霧でかすんでみえる。薄墨色の山影はわたしに美しい極楽浄土をおもわせた。死
出の旅先があるとすれば、きっとこんな所ではないかと…。
いよいよ真の闇夜が来るというので、車にヘッドライトをともし、夫がわたしを呼んで
いる。山影に最後の夕日がはぜるのを見とどけて、わたしはやっと車に乗り込んだ。長
いヘッドライトの光は荒野の道に生き物のようにのびている。その妖しい光の前を、悠
然と一匹の動物が横切った。狐のような豊かな尾がみえた。切れ長の瞳が白く光った。
「デザート・コヨーテだ。きれいだな。」夫は言うと、静かに車をだした。わたしたち
は、今日一日で原始の大地の仲間になれたのだ…コヨーテののんびりとした後ろ姿を見
送りながら細い笑いがこみあげてきた。
「ものがたり」
ほおづえをつく
賢者のような 大木のもとで
砂漠の追想を聞いている
それは
時雨のような嘆きであったり
雷鳴のような怒りであったりする
ここは むかし うみだった
そのあと ここは もりになり
そして さばくになった
さいごに 一本の老木がのこった
それは潮騒のささやきであったり
砂塵のつぶやきであったりする
砂漠の追想はやがて森の言葉になり
森の言葉はやがて海の言葉にかわる
ここは むかし
賢者の大木は語りつづける
わたしは あしもとの
ちいさな羽虫をみている
瞳の色も溶け出すような完全な闇に包まれた、日没後の午後5時30分、宿へ入った。
12月22日
朝、目覚めると妙に喉がいがらっぽい。部屋の中は砂埃の匂いがする。カーテンを少し
だけ開けて遠くを見た。視界の遠くが、砂丘があると思われる方角が、靄のように真っ
白にかすんで見えるのだ。「霧がでているのかしら?」起き抜けでボンヤリとベットに
座ったままの夫に振り向きざまに問いかけると、「窓をあけてみろよ。」と言う。窓を
開けて納得した。ものすごい強風なのだ。少しだけ開けた窓の隙間から、うなる笛のよ
うな音とともに風が回りながら吹き込んでくる。「砂あらしだわ。」…。
8時30分、宿を出発。ビティの手前にあるゴールドラッシュ時代のゴーストタウンへ
向かう。車で走り出して間もなく、遠くからひとかたまりになって見えていた砂あらし
の中へと入ってゆく。砂の粒子が細かいせいか、霧のやわらかな漂いの中を走っている
かのようで恐ろしさを感じない。車の中は快適そのものである。けれど、運転手はそう
はいかない。「ハンドルが取られるし、視界が悪いな。」とぼやいている。身を乗り出
してフロントガラスごしに空を見た。青い。良く研磨されたトルコ石のような青さだ。
砂丘の砂はこうしてどのあたりまで運ばれてゆくのだろうか。昨夕見た、あの静謐なオ
ブジェのような砂山が、今日は荒れ狂う風によってかき乱されている。「ここの自然環
境は予測不可能だな。」と夫が言って、「なんたって相手は悪魔だからね。」とわたし
は答えた。この砂あらしの激しさに包まれているとデス・バレーに暮らす厳しさがわか
る。灼熱と寒暖の激しい落差と嵐と洪水。繰り返される極端な自然現象によって、この
現実離れした美しさはつくられてきたのだろう。
砂あらしのただ中を過ぎて、ぼんやりと視界が帰ってきた。前方に見えるタワーのよう
な岩山は、天に向かってそびえ建つバベルの塔を思わせた。
(デス・バレーのゲートまで)
「帰りはちょっと遠回りだけど、リオライトっていうゴーストタウンを見ないか?」昨
晩、貴族たちの部屋で夫が口にした言葉にみんな賛成した。
リオライトは1848年1月ジョン・マーシャルが金を発見してのち、カリフォルニア
に押し寄せた探金者たちの住んだ街のひとつである。ゴーストタウンとしては比較的新
しいものらしい。この厳しい自然を抱えたデス・バレーの程近くに、人が自力で街をお
こしたなんて信じられない気持ちだった。
9時、ビティロードへ入る。前方の大きな岩山へぶつかってゆくように道は続く。その
山の頂が薔薇色に輝いている。「すごい色。」とため息をつくと「鉱物が日の光に反射
しているんだな。」と夫は説明した。バームクーヘンを縦に切ったような、はっきりと
した地層をみせる山。幾頭ものトドが丸くつややかな体を横たえたようなカタチで連な
っている山々。隆起したばかりの若い山の集まり。そんな飽くことのない山の風景を楽
しみながらデス・バレーの東ゲートへと近ずいた。
ビティの手前15マイルほどのところで、山の高みからジェットコースターのごとく一
気に下りおりる道になった。ゆるゆるとした登り坂だった道が頂点に達し、急に視界が
大きく開けて、そして一気に山を駆けおりるのだ。そこから見た荒野の風景は筆舌に尽
くしがたいものであった。地平線を抱き込むような遙かなる大地と、その地平線に消え
てゆくひとすじの白き道。「君はなぜにゆくか。なぜならそこに道があるからだ。」な
どとちょっと芝居がかって言ってみたい衝動にかられる。(ひとりならきっと言ってた
な。)
(リオライトへの道)
デス・バレーのひっそりとした東ゲートを通過すると、50メートル程先がネバダとカ
リフォルニアとの州境だ。そこで写真撮影をしようということになっていたので車を止
めた。夫が少しドアを開けると、何者かのものすごい力でドアが外側へひっぱられるよ
うに全開にされた。その直後、かん高い笛のような音とともに冷たい風がなだれ込んで
きた。その上、開けたドアは風圧でなかなか閉めることが出来ない。「ウヘーッ。ひど
い風だ。君と子供たちは中にいた方がいいな。僕がひとりで写真を撮ってくる。」そう
言って夫は力任せにドアを閉めた。耳鳴りのような静寂が車中に漂った。バックミラー
ごしに夫を見やると、髪は逆立ち、ジャンパーはバルーンのように膨れ、眼鏡をもおさ
えているところを見ると相当な風力なのだろう。遥か彼方の山々には、うっすらと雪が
積もっている。乾いた冷たい山おろしは、どこまでもわたしたちを追いかけてくるよう
な気がした。
(リオライトのゴーストタウン)
9時40分、リオライトに到着。到着したところで、一息つけるカフェなどはない。な
にせここはゴーストタウンなのだ。酒場やギャンブル場だったとみられる古びた建物、
崩れたアパートのような建物、小さな教会、朽ちた木製の小屋、錆び付いてゆがんだト
ラック…わたしたちを待っていたのは、突き刺すように冷たい猛風とその打ち捨てられ
た風景だった。だれが飾ったのか、建物の壁にはひとつずつクリスマスの飾りがつけて
あった。
「今度はわたしが写真を撮るわ。」そう勢い込んで言うと、カメラを握り思いっきり車
のドアを開けた。一瞬、口がふさがれたかと思うほどの強風に、さっきまでの勢いもす
ぐさま萎えてしまいそうだった。貴族のひとりが車から降りてわたしの方へ歩いてきた。
「すごい風だから、僕が撮りましょうか?」と言ってくれたが、どうしてもわたしは自
分で撮りたかった。100メートルほど先の建物を指さして、夫に「あそこを撮りたい
から車を回してね。」と風の音にかき消されないくらいの大声で窓越しに告げると、向
かい風に向かって歩いた。想像よりずっと強い風にたじろぎながらも崩れたアパートの
ような建物の側まできた。ゆっくりとカメラを構え、レンズの向こう側に神経を移した
途端、体がふわりと浮いた。浮いた気がしたのではなく、本当に浮いたのだ。カメラを
落としそうになりながらも咄嗟に腰を低くかがめて、地面に足を強く押しつけた。無重
力の瞬間のようだった。「怖い。」その途端、恐怖が背中じゅうを駆けめぐった。見渡
せば人ひとりいない荒野が坂の下に見える。視線を近くに戻してもそれは同じである。
人ひとりいない…二台の白い車だけが異星に降りた円盤のように空々しくあった。二枚
だけ、なんとかシャッターを切った。振り向いて手を挙げると夫の車がゆっくりと近ず
いてきた。車内へ入ってすぐ「大丈夫?」と夫は心配してくれたがそれには答えず「わ
たしの体が浮いたとこ見た?」と興奮気味に聞いた。今度は夫がそれには答えず「怖い
モノ知らず。坂の下まで転がっていったら良かったんだ。」と言った。
ゴーストタウンにサイドミラーごしで見送られながら「転がっていってたらどうなった
だろうな…。」と考えた。怖さと寒さで唐突に震えがきた。
探金を目当てに集まった男たちが暮らした場所は、「死の谷」と隣り合わせの小高い丘
の上だった。厳しい自然の力を見せつけられながら、欲望のためにすみかを選ばなかっ
た人々。1849年この地を去る時、探金グループはこう言ったのだそうだ。「グッド
バイ、デス・バレー(死の谷)。」そうしてこの谷に名前がついた。
(ラスベガスで遊ぼう)
「ラスベガスで遊ぼう。」今度の旅の個人的な目的にこの言葉がありました。前回、ま
ったく楽しめなかったラスベガスで、今度は思いっきり楽しもうジャないかと。
午後1時、ラスベガス市内へ車は入った。「うーん。相変わらずゴミゴミしてるな。」
しょっぱなからネガティブな言葉が口をついて出る。こんなことで目的は果たせるのだ
ろうか…と不安にかられながらも今日の宿泊ホテル、ルクソールへと向かう。ホテル・
ルクソールはその名の通り、ギーザのピラミッドとスフィンクスでデザインされた巨大
なホテルで、隣り合わせたタワーをあわせると2526室の客室を持つ。砂漠の中の大
都会にたたずむ鏡貼りのピラミッド…なんか引かれるモノがあってここに決めたのだ。
そもそもラスベガスのホテル群には、それぞれテーマというものがあるらしい。ニュー
ヨークの摩天楼をモチーフにしたホテル、ニューヨーク・ニューヨーク、MGM映画の特
撮アトラクションと遊園地がウリのMGMグランド、中世の騎士姿でスタッフがお出迎
えをしてくれるアーサー王伝説の城、エクスカリバー、熱帯雨林の森、火山も噴火する、
ザ・ミラージュ、「宝島」の世界へといざなう、トレジャーアイランド、などなど…。
(ふーっ。あとはラスベガスのガイドブックでも見て下さい。)
お金で見られるひとときの夢の世界、趣味じゃないけど「郷に入っては郷に従え」今度
ばかりは楽しもうと思っているのです。
(ラスベガスの夜)
ラスベガスと言えば、カジノ。本当にラスベガスのすべてのホテルは、このカジノを通
らなくてはどこにも(自分の客室にも)たどり着けない造りになっているのです。レス
トランへ、チェックインカウンターへ、バーへ、おみやげショップへ、どこに行こうに
もカジノの中を突っ切らなくては行けない。その緻密なる建物の設計もたいしたモノで
す。そして、老若男女(未成年者はもちろん論外ですが)小銭とわずかな時間があれば、
一攫千金のチャンスはカジノにころがっていると言わんばかりの魅惑的な様相なのであ
ります。
遅い昼食兼夕食をとるために、地下の「王家のダイニング」とかなんとかいうビュッフ
ェに向かいました。食べ放題でひとり7ドル程です。並んでる、並んでる。長蛇の列の
最後尾について、わたしたちも待ちました。普段、こういうとき絶対に並ばない夫も(以
前、ここで食事をしたことがあって)「中がものすごーく広いので客の回転が速い」こ
とを知っているのです。パン、飲み物、ステーキ、各種サラダ、中華料理にイタリアン、
ケーキにアイスクリームまでついてどれも食べ放題です。「これを王家のダイニングと
呼ぶにはちと、趣味が悪い…。」と感じながらも思いっきり食べました。
独身貴族のご一行は、ホテルに入るやいなやカジノの魅惑にとりつかれ、食事中とて気
もそぞろ。しかし、子供連れのわたしたちに付き合って、とりあえずシーザスパレス・
ホテルへ。古代ローマの街が空ごと再現されている、ザ・フォーラムというショッピン
グモールで買い物することにしたのです。
(ザ・フォーラム)
午後4時、タクシーをひろってシーザスパレスへ。噂には聞いていたけれど、ザ・フォ
ーラムの天井は美しい。とても屋内とは思えない。気持ちよく晴れ上がったイタリアの
街でショッピングを楽しむかのようだ。「これじゃ、客は時間を忘れて、つい買い物に
専念しすぎちゃうな。」夫がうまいことを言う。時間を忘れさせる、現実(いま)を忘
れさせる、それが設計者の目的ではないか。作り物だとわかっていても、人はしばしの
夢に遊びたいモノである。嘘だとわかっていても、つかの間の幸せに酔いたいのだ。そ
の辺の弱みをうまく突いたショッピングモールである。でもそれは、このラスベガスと
いう街全体に言えることではないだろうか。いつしか覚めてしまう夢の中の街。フォー
ラムの中をブラブラ歩いてみる。人々はどこかせわしない。東京の地下街を歩いている
みたいだ。一時間も何も買わずに歩き回っていると、すっかりわたしは疲労してしまっ
た。やっぱり、人混みはダメなのである。この分では「個人的な目的」はとても果たせ
そうにない。
(ルクソールホテル)
「せっかくラスベガスに来たんだから、もう少しいろんな所を観ましょう。」と妙にハ
リキッテいる貴族たちに「わたしはちょっと疲れちゃったから、あなたたちだけでどう
ぞ。」などとつれない返事をしてから、ルクソールの玄関前で貴族たちと別れました。
「おじさんとおばさんは、部屋に引き上げたほうがよさそう…。」と夫に言いながらエ
レベーターで14階へ上がりました。部屋に入ってビックリ。30畳くらいのリビング
とベットルームの向こうには、窓いっぱいに広がった夜景を観賞しながら入浴できる、
大きなジャグジーバスがあるのです。「なにこれ。こんな部屋をたのんだの?」夫はホ
テルを予約したわたしに聞きました。「知らないよ。コレってスイートルームじゃな
い!!」確かに予約を入れたとき、貴族の部屋は3人なのでエキストラベットが入る広
さの部屋を頼みはしました。(ジャグジー付きのスイートと聞いてもいたのです。)で
も、わたしたちの部屋は「普通でよいです。」と念を押し、料金も貴族たちのそれより
安い値段だったはずです。でも内心、わたしも夫も喜んでいたのです。図らずも、首ま
で浸かれるお風呂にこんなところでめぐり会えて。「今日は、あなたたちはパパと一緒
にねッ。」と子供たちに言い残し、わたしは早速、深いバスタブに体を沈めました。窓
の外は宝石箱を覗くようなラスベガスの夜景です。「ルクソールは最高のホテルだ。だ
ってバスタブが深い。」帰ったら、日本人会の面々にこう報告しようと決めました。
(貴族たちのこと)
夫の後輩である3人の貴族たちは「どうして結婚願望があるのにお嫁さんが来ないの?」
と首をかしげたくなるほどの好青年です。生真面目で子供好きなI君、礼儀正しく気配
りのあるO君、東大の修士を出たとは思えないほどのユーモアセンスがありその上、心
やさしいT君。息子たちを合わせても紅一点のわたしは、みんなから何かと気を使って
もらって、いつにも増して楽しい旅でした。
彼らは、明朝6時という早い飛行機でロサンゼルスへ向かいます。そこで乗り換えて
ロス発10時の便で帰国します。
夜9時頃、ドアがノックされて開けてみると、貴族たちが飲み物を持って立っていまし
た。「最後の夜なので、少し話しませんか?」と微笑んでいます。それから午前1時ま
で、楽しい時間は流れました。「じゃ、また日本で会いましょう。」と別れの挨拶をか
わし、夫が「これからどうする?」と彼らに聞きました。「今、寝てしまうと、とても
4時頃には起きられそうにないので、僕たちは寝ないで帰ります。せっかく素晴らしい
部屋をとってもらったけど、スイートルームは新婚旅行までとっておきますよ。これか
ら朝までカジノで幸運の女神を口説いて、口説き落とせたら部屋の前に巨大な縫いぐる
みを置いて帰ります。楽しみにしていて下さい。」O君はそう言うと、息子たちにむか
って「明日もし、縫いぐるみが無かったら、お兄さんたちはビンボーになっちゃったと
思ってね。」と笑って付け加えていました。
1泊200ドル近い部屋をとったのに、荷物を数時間置いただけでチェックアウトして
しまうなんて、やっぱり彼らは「貴族」なのでした。
12月23日の朝、長男は早起きをして、真っ先に部屋のドアを開けました。そして「マ
マ、お兄さんたちはビンボーになっちゃったね。」と言いました。
マッカラン国際空港で簡単な昼食をとって、12時40分サンフランシスコへ向けて離
陸。
生まれて初めて行った所なのに、デス・バレーは懐かしさにみちている場所でした。
気持ちよく晴れ上がった初夏の公園を散歩していて、突然吹き上がった噴水の水しぶき
が太陽の光に反射しているのを見て「ああ、きれいだな。」と思う。誰かと待ち合わせ
をしていた駅前で、何気なく見上げた街路樹が鮮やかに紅葉しているのに気がついて「あ
あ、きれいだな。」と思う。足もとの石ころが、ビルに囲われた折り紙のような空が、
電車から見えた川にかかる古い橋が、突然の輝きを持って視界に入ってくる。その、偶
然ともいえる自然美との出会いが、集積した場所がデス・バレーだったような気がしま
す。30数年間の偶然たる自然美との出会い…。そのひとつひとつが力を合わせて、こ
こへわたしを連れてきてくれたのだという気がします。「気がついてくれて、うれしか
った。」そんなメッセージを寄せて…。
12月29日
厳かでいて華やかなクリスマスも終わり、一斉にセールの始まったデパートやショップ
を目当てにユリさんとふたり、サンフランシスコへ繰り出しました。クリスマスが終わ
ったということは、一年のうちで最大の集団奮状態が冷めたことを意味しているのです。
お正月?それは日本ほど盛大ではありません。むしろ、無いに等しいくらいです。企業
や、商店が休みをとるのも元旦のいちにちだけですし、街なかの様子も「平常」という
言葉がふさわしい雰囲気です。食器や小物、洋服の店を覗いてからイタリアンレストラ
ンで昼食をとりました。ワインを飲みながらカラマリのフライを食べて、チキンサラダ
とミネストローネでお腹をいっぱいにするとその後は、とりとめもないおしゃべり。ユ
リさんにはプロの翻訳家になりたいという夢があって、今、勉強中なのです。わたした
ちは同じ年齢という近しさもあって、あーだこーだと話は尽きることがありません。ワ
インのグラスをテーブルに戻しながらユリさんは「この間のコンクールに出した文章ね、
自分でも結構いい出来だと思ったの。今、連絡がないところを見るとダメだったかな…。」
とちょっぴり元気がありません。「みとめられるのって難しいよね。運もあるし。」言
いながらわたしも思いました。書くことを生業(なりわい)にするのって並大抵のこと
じゃないと。「でも、がんばろうよ。お互い、自分が納得できるまでがんばろう。」育
児の手が少し離れて、気がついてみると大好きだった活字の世界は遠くへ行ってしまっ
ていました。詩人として女性として、尊敬している青木景子さんからこの旅便りのお話
をいただいた時は「わたしに出来るだろうか。」と不安でした。でも、書き始めてみた
らやっぱり楽しい。「生業にしなくたっていい。わたしは書くこと、つくることが好き
なんだ。ずっと、自分を探しながら書いていこう。」と今はそんなふうに考えています。
「若くもないし、守るものもある、自由はつくらねば無い、自分の持っている世界は限
りなく狭い。そんな立場にあって何が出来るというのだろう。」日本にいた頃のわたし
はそんなことを考えていました。ここに住んで、たくさんの友人に刺激され、楽しく文
章を書く機会をいただいて、いろんなものがふっきれました。「何かを始めなきゃ。」
漠然とそう思い始めました。
ユニオンスクエアの前に、全身金色のパフォーマーがいました。「あのひとマネキンだ
か石像になりきっている。すごいね。わたし、あのひとが荷物をまとめて夕方帰ってい
く姿が見てみてみたいわ。人間に戻る瞬間。」と笑いながら言ったユリさん。
「ユリさん。絶対にあきらめないで…。」わたしは、心の中でエールを送りました。
12月31日
大晦日。いつもと違うのは、おせち料理のための、様々な食材を煮たり焼いたりする特
有な匂いがキッチンからしてこないこと、近くの神社から除夜の鐘が聞こえてこないこ
と、年越しそばを食べないこと、そして何よりここが日本ではないこと。
1997年が終わります。テレビの音もない、静かな夜です。「とにかく、無事に帰ろ
うな。」夫が言いました。「堅実だからね、あなたは。大丈夫、元気に帰れるよ。」わ
たしは答えました。一杯のコーヒーをすすりながら元旦の午前0時を迎えました。
慌ただしかったけれど、良い一年でした。残されたアメリカでの約4ヶ月、想い出作り
のための短い時間です。「ずいぶん悩んだけど、ここに来てほんとに良かったと思う…。」
思ったことがそのまま口をついて出ていました。