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第7回 「サンクスギビングとジャズコンサート」&おまけ


 11月7日 晴れ

突然ですがマーカス・ロバーツというジャズミュージシャンを知っていますか?彼は5歳で失明し、その後ジャズピアニストとしてプロデビューを果たしたという汗とひらめきを持ったまさに、天才とも言える音楽家です。そのマーカス・ロバーツのコンサートがUCバークレーのゼイ・バックコンサートホールで行われます。夫と子供たち、夫の英会話のチューターであるエミリーさんと妹のシンシアさんと一緒に会場近くのチャイニーズレストランで夕食を摂った後、(夫たちと別れて)エミリーさんとふたりでコンサート会場へ向かいました。夜8時、ゼイ・バック前は人々でごった返しています。会場近くのイタリアンレストランでは、10人ほどの団体客が声をそろえて何か叫んでいます。アジテーションのような叫び。

会場に入ると、コンサートが始まる前からすでに、憂いのような風がよどんでいるのを感じます。わたしは、こんな広い会場でジャズを聴くのは初めてです。エミリーさんもジャズについてはあまり詳しくないとのこと。予備知識のない生のジャズコンサートは、わたしに何を与えてくれるでしょうか。楽しみです。


(マーカスのジャズというもの)

コンサートが始まる前の舞台は、丸いスポットライトの中にドラムとコントラバスとピアノという3台の楽器が静かに置かれているだけのシンプルなものでした。装飾も、演出も施されていないその舞台は、音楽そのものを楽しんでほしいというメッセージのようなものが感じられます。幕があがるでもなく、司会者が登場するでもない…開演のベルが鳴り終わると、静かにマーカス・ロバーツ率いるジャズカルテットが登場し、ゆっくりと楽器の側に座りました。

「どうかリラックスして聴いて下さい。」というシンプルなトークの後、ブルースが始まりました。わたしは、はっきり言ってジャズに関してはそーとーなシロウトです。ケニー・ジーのような白人ジャズは時々聴きますが、古典的ジャズとも言えるブルースなどはほとんど聴いたことがありません。もともと、ジャズは黒人音楽とヨーロッパ音楽との結合から生まれたものらしいのですが、マーカスの奏でるジャズは、わたしの耳には完全な黒人音楽として聞こえました。(彼らのナンバーのほとんどが黒人音楽から生まれたブルースであったことにもよるとおもいますが…。)
聴く者の体を、かなしみの霧で覆い尽くしてしまうような調べ。彫刻のようなマーカスの繊細な指と、しなやかなその動きは、体から独立した別の生き物のようにすら見えます。ココアのような深い色をした筋張った彼の手は、哀しみの断片のようなものがむき出しているようで…わたしはその手を見ているだけで、とても満たされた気持ちになりました。いつしか鍵盤はやわらかな雲になり、マーカスの指はそこにたたずむ子鹿のようです。子鹿は、雲の厚い所へ寝ころんだり、時に、雲を蹴散らして駆け回ったりします。その風景のような美しさと哀しさ…。ひたすらに前を向き、姿勢をくずさず、サングラスの中に心の視線を隠して、彼はいったいどこに向かってピアノを弾いているのだろう。機械のようでもあり、魂のようでもある、マーカス・ロバーツという人は独特な存在感を持った人です。約2時間の素晴らしい演奏が終わり、立ち上がって深くお辞儀をした彼は背の低い華奢な男性でした。ピアノを弾いていたマーカス・ロバーツはとても大きな人に見えたのに…。


 11月9日 曇り時々晴れ

今日はちょっとした記念日です。わたしたちが、旅を始めてからちょうど半年目と言うわけです。後半は初心を忘れず、チャレンジ精神をより、たくましくして臨もうと自分自身に言い聞かせました。
雨季の始まる前に「さよなら夏!バーベキュー」と銘打ったパーティをやろうということになり、バークレー日本人会の友人家族(総勢10名)と、ウォルナットクリーク近くのモラガコモンズという公園にやってきました。隣のバーベキュースペースでは地元の子供達が誕生日会を開いています。色とりどりの風船をテーブルの周りに飾り、鮮やかな色彩のテーブルクロス…。さすが子供の誕生会ひとつとってもこちらの人は、力の入れ方が違うゾ。3,4歳のブロンドの髪の子供達が、料理が揃うのを待ちきれず公園内の遊具で思い思いに遊んでいます。


わたしたちも網台に、(着火の弱い豆炭と液体燃料で悪戦苦闘の末、火を熾し)エビ、ステーキ肉、薄切り牛肉、味付けチキン、下ごしらえされた数種類の野菜などをのせました。ワイン、おにぎり、デザートなどもテーブルの上に並べ、さあ、パーティのはじまりだあー。
ジャージャーと音を立てて焼ける、肉の香ばしい香りと煙が、秋の蒼穹に吸い取られていきます。開放的で原始的なこの戸外での食事はなぜ、こんなにも魅力的なのでしょう。大人達の会話も弾み、子供達も行儀の悪さを大目にみてもらえる、治外法権的な状況の中で「食っちゃ、遊ぶ」を繰り返し…。「ああ、楽しからずや。バーベキュー」と思いっきり叫びたい衝動にかられつつ、ふとお隣さんに目をやると、やっと食べ物がバーベキュー台にのせられたところでした。「隣は、何を食べる人ぞ。」と好奇心が働いてチラリとのぞき見ると、なんと、山盛りのホットドック用のパンに山盛りのソーセージ…だけ。豪華な飾りつけとシンプルな食事、一番のご馳走は…会話というわけでしょうか…?もちろん例外はあるにせよ、こちらの母親は食事にあまり手をかけないと聞きます。でも、しかし…バーベキューというものは楽しけりゃそれでイイのだ。(バカボンのパパ風だな。)


 11月10日 曇り

はあーッ。しょっぱなから深いため息をお聞かせして申し訳ない。次男が風邪をひいてしまいました。鼻水を垂れ流し、咳も出ています。でも、次男の持病ともいうべき気管支炎がこちらでは一度も起きないので、日本にいたときは過剰ともいえた子供の健康に対する洞察眼というものが曇り、「鼻水?微熱?ヘーキ、ヘーキ。」と手綱はゆるむ一方です。でも、このように油断していると「子供の体を甘く見るんじゃなーい。」という神の啓示のごとく突然、子供は高熱を出したりするのです。

ここで、ちょっと不思議な話をお聞かせしましょう。これまで日本で風邪を引いたが最後、治るまでトコトン時間がかかっていた次男が、こちらに来て高熱をだしたのは2回。しかし、いずれもなんの諸症状もなく、1〜2日ですっきり解熱してしまいました。長男も6月に1度だけ熱を出しましたが、こちらは12時間くらいで解熱しました。さあ、これからが鼻、咳、熱との熾烈な戦いが始まるゾ!というところで肩すかしをくったように治ってしまうので、「意外に根性ナシだな。アメリカの風邪ってヤツは。」なんて夫婦で話していたのです。ある友人がこんな事を話してくれました。「アメリカには24時間熱なるものがあるんだって知ってる?突然、高熱が出ても24時間経つと嘘のように解熱してしまうらしいよ。」うちの息子達がかかったのはコレだったんだ…と納得しました。24時間営業のコンビニのようなお手軽な風邪はアメリカらしくて面白い…と思ったのですが、べつの友人から後日こんな話を聞きました。「うちの娘、月曜日に突然熱がでて、あわてて、医者に診てもらったら、24時間待ちましょうって言われて薬も出してくれないの。2日間様子を見たんだけど、まだ熱が下がらないので、また受診したの。そしたらあと24時間だけ待ちましょうっていうのよ。元気だし食欲もあったから様子を見ることにしたんだけど、金曜日になったら娘がぐったりしちゃって、あわてて別の先生に診てもらったら、肺炎になっていたのよ。驚いたわ。こちらの先生ってなんで24時間にこだわるのかしら?」…笑えない話です。今回の次男の風邪は24時間熱じゃない、タダの鼻風邪。「24時間を笑う者は、24時間に泣く。」しっかり養生させなくっちゃ。


 11月12日

私事で恐縮ですが、今日は我ら夫婦の9回目の結婚記念日にあたります。新婚時代と言われる子供のいない頃は、(いや、これは一般的にです。あくまでも。)ちょっとお洒落して銀座あたりまで食事に出かけたりもしていたのですが、9年目ともなるといつもと変わらぬ一日にすり替えられる記念日かな…です。
今日はわたしたちの味気ない結婚記念日のことをお話したいのではなく…こちらで見る夫婦のお話をしてみたいと思っています。アメリカは離婚率が高いことで知られていますが、わたしが町中で見る夫婦はおしなべて離婚とは縁がなさそうな仲むつまじい夫婦ばかりです。先日、ダウンタウンでケーブルカーを待っていると、わたしたちの前に並んだ30代後半のご婦人が突然、泣き始めました。驚いて何事かと様子をさぐってみると、その人のご主人の目に何か異物が入ってしまって、なかなか取れず、しかも痛みがひどくなってきたらしいのです。「オーマイガー!」「どうすればいいの?」 「おお、リチャードを助けて!」 とか叫びながら大通りと待合いの列の間を意味不明に行ったり来たりしています。その間、ご主人の頬を抱きしめたり、口づけたり…もうタイヘンというカンジでした。日本人のわたしたちは気の毒なような、羨ましいような…複雑な気持ちでその様子をながめていました。冷静に考えてみれば、そんな芝居じみた大騒ぎ(ごめんなさい)をするならご主人の目の異物を取る方に懸命になるべきでは?と思われなくもないのですが、リチャードはそんな妻がいとおしくてたまらない様子で、(異物は自分で取り除き)「ああ、ハニーごめんよ。もう心配はいらないから…。」なんて言って奥さんを抱きしめています。これは、決して特例ではありません。熟年と言われるご夫婦だって手をつないだり、お互いの腰に手をまわして町中を歩いているし、時には海辺で熱烈な口づけをかわしている白髪(はくはつ)のご夫婦も見かけます。マーケットのレジに並んでいるときだってベーッタリくっついて、おばあちゃんの首筋にキッスの雨を降らせているおじいちゃんもいます。ここで、大きな疑問。じゃ、なんで離婚率が高いのわけ?

錆びついた愛情の歯車を、ある日突然回し始めようとしても所詮無理なことで…歯車にさすべき潤滑油も見あたらない日本の一般的な熟年夫婦像を考えるとアメリカのそれは理想的であるかのように感じます。愛は鍋物のようなもので、熱ければ熱いほど食べるときはおいしいけれど、冷めはじめるとまるで味が変わってしまっていただけない…ということなのでしょうか?
空気のような存在に成り下がってしまった夫をながめつつ、「夫婦の愛とはなにか?」などとひとり無意味な模索をし、記念日の夜はあっけなくふけてゆくのでした。


 11月13日

夜中、とてつもない音と光で目覚めると外はストームだった。カミナリと雨と強風。窓辺から差し込む稲光の鮮やかさは、洋画のオカルトもののわざとらしさに似て劇的だ。とにかく、派手なカミナリ。結局、嵐は朝方まで続き、このカミナリは朝のトップニュースになった。日本じゃ夏場のカミナリくらい日常茶飯事的なこともないくらいなので、個人的にはなんら珍しくもなかったのですが、サンフランススコでカミナリが鳴ったのはニュースになるほど珍しいことなのだそうです。そして、大雨。嵐に付き物の大雨が、半日も続けばあちこちで浸水がおき、池は溢れ、道路は水びたし…所によっては道に船が出ちゃうこともあるんだそうです。今回もあちこちで、床上、床下浸水がおきて住民は後始末に大わらわ…と朝のニュースは伝えていました。雨が少ないカリフォルニアは、やはり雨には弱かった(ダイイチ、ほとんどの人が傘というモンすら持っていない)。もしとんでもない異常気象で、カリフォルニアに(東京を困らせるくらいの)雪なんか降ったらどうだろうか…。交通麻痺、通行人の相次ぐ骨折、ショック死する人もでるやもしれん。
ストームの後の洗われたような青空を見上げながら「ここじゃ、雪が降ることと、UFOが襲来することは同じレベルの確率なんだろうなあ。」なんてことを思ってしまいました。


 11月14日

村上春樹氏の「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいたら「ベルが鳴って受話器をとったら、すでに電話は死んでいた。」とかいう文章があって、「電話が死ぬ」なんて上手い表現だなあ…なんて感心していたら、夕刻、我が家の電話も突然死んでしまった。死んでしまった電話というのは、その死に際を目の当たりににするとなんとも唐突で、せつないものだということがわかる。ジーッ、ジーッと日本から一枚のファックスが入ってきた、その直後だった、電話のヤツが死んでしまったのは。わたしは、電話の心臓部ともいえる部分がダメになってしまったんだろうと思いこんでいたのだが、帰宅した夫に調べてもらったところ、回線が不通になったのであって電話が壊れたわけではないことが判明した。夫が帰宅するまでの間、(どうせ壊れちゃったんだからと)叩いたり、振ったり、やみくもにボタンを押しまくったりしていたことを密かに後悔しながらも冷静を装って「わたしも回線だと思っていたの。明日、電話会社に連絡しなくちゃね。」などと夫に話した。夫はすぐさま、お向かいのランバートさん宅をたずね、回線が寸断されてしまっているのは我が家だけだということを確認してきた。だけど回線なんてすぐに直るでしょう…フツウは…。この時はノンキにそう考えていた。「ここはアメリカだヨ、そこんとこ忘れちゃいけないなあ。」とトラブル悪魔くんがまたしても背後でほくそ笑んでいたことをこの時、わたしたちはゼーンゼン気が付かなかった。


 11月24日

その後、電話は死んだまま(正確には回線が)。ホントは生きているはずの電話が生きながらミイラ化してしまうのでは…と懸念されるほど電話はナガーイ時間放置されたままです。
電話が死んだ翌日、電話会社に連絡したところ「わたしどもが伺うのは簡単です。しかし、修理代を個人で支払うか、アパートのオフィスが支払うか、その辺をはっきりさせてからもう一度、ご連絡下さい。」的なことを言われ、夫は大学を早退してオフィスに掛け合いました。オフィスの人は「うちの修理人が直せなければ、電話会社をこちらで呼んで差し向ける。まずはうちのリペアマン(修理人)に修理させてみよう。」なんてことを言ったそうです。

それから約9日、一度もアパートのリペアマンは我が家を訪れませんでした。来たら、少々説明しなけりゃいけないこともあったので、わたしは一歩も外へ出ず、ひたすらリペアマンを待ち続けていました。その間、夫は4回もオフィスを訪れました。夫「まだ、リペアマンが来ない。いつ来るんだ。電話もインターホンも使えない。非常に不便だ。」(直訳なので、ぶっきらぼうです。ハイ。)
オフィス「今日、行かせる。今日だ。時間は確約出来ない。間違いない。」(同じくヤタラにぶっきらぼうです。)
このやりとりが4回も繰り返されたわけです。トホホホ…。そして昨日、業を煮やした夫は、わたしたちが入居した時の担当者であったレンタル部門のイザベルおじさんにこのことを訴えました。本来は担当部所の違うイザベルさんは関係ないのですが、この人にしか訴える人が見あたらなかったのです。イザベルさんは「明日、必ず行かせる。」と約束してくれました。そして、今日晴れて(というか)リペアマンが我が家のドアをたたきました。「郵便配達は2度ベルを鳴らす」なんて映画があったけどリペアマンの2度のノックがこんなにうれしいなんて!(なんてカナシイんだ。)満面笑みを浮かべた黒人のリペアマンは、そそくさと機材をコネクター部分にセットし、何かを確認し「原因は外です。すぐ戻ります。」と言って出ていって約10分。戻って来るなり「直りました。もう電話は使えます。」とこともなげに言いました。

10日も待って、10分で終わった回線寸断騒ぎ。なんだか、アメ・カゼの中、恋しいひとを10日も待ち続け、やっと来た彼の君に「なんだ、まだ待ってたんだ。君ってヒマだね。」ととんでもない肩すかしの言葉を浴びせかけられたような気持ちになりました。「待ってたんじゃないのッ。わたしは家にいるのがスキなのーッ。」ってリペアマン君…君にひとこと言ってやりたかったよ。


 11月27日 サンクスギビングデー

(パーティ・午前から午後の部)

何に感謝するのかも良くわからない、私のような「にわか住民」にとって感謝祭なるものは単に七面鳥を食べて、パンプキン料理をならべる日でしかありません。が、しかし、こちらに来てからやたらパーティ好きになってしまったわたしたちが、この日を見逃すわけにはいきません。「サンクスギビング・パーティやろう!」とすぐさま話はまとまり、総勢13人が我が家に集まりました。

今回は、主婦がもっとも楽なパーティにしよう、というので料理はすべて某マーケットのパーティセットを予約しました。でも、大きな箱に入ったパーティセットは何だかわけが分からないソースとかドレッシングなんかがいくつも入っていて、どうやって食せばよいのか…さっぱりわかりません。「まあ、とりあえず好きなモンに好きなモンをかけたり、つけたりして食べましょう。」ということで話はつきました。七面鳥の丸焼きなるものを初めて間近で見たわたしは、その大きさと肉の厚みに驚きました。実はこれにはレバーペーストのような色をしたソースを付けて食べるのが本当らしいのですが、わたしはレモン醤油で食べました。(チキンよりさっぱりしていて美味でした。)それと、この七面鳥のお腹には詰め物があって、この詰め物は別に食べるようにと、指示があります。(パーティセットには食べ方の指示表が付いていた。)この、詰め物がまったくスゴイ代物で、ちょっとスッパイ、ちょっと香ばしい、そしてちょっと生臭い、変なスパイスの味がするパンのようなモノでした。(これは山ほど、お残ししてしまった。)それと、ゴートチーズ(山羊の乳のチーズ)。これもちょっとクセがありました。そもそも、アメリカのお料理は、ソースに懲りすぎる傾向があり、懲りすぎたあまり、いれなくてもヨイものを入れてしまい、かえってマズくなってしまうという特徴のようなものがあるようにわたしには思えます。どんなものにも塩・胡椒だけのイギリス料理とまでは言わないけれど、もう少しシンプルに味付けすると素材のうま味を楽しめると思うんだけど…。
感謝祭の意味も知らんのに、違う意味で今回のパーティは、非常にトラディショナルなパーティだったと言えるのかもしないね…。


(パーティ・午後遅くの部)

実は、今日はパーティの掛け持ちだったのです。4時にお開きにした、我が家のパーティに続く6時からのシェーン教授宅のパーティ。これは、日本人ばかりのパーティとは違い、わたしにとっては息苦しさも覚えるほどの「英語だけのパーティ」。アレルギー反応が午後3時くらいから出始めて、すでに胃のあたりがモワワーンとしていたのです。「最近やっとトラベル英会話が、前よりマシになってきたかなー。」と感じていたところだけれど、ハッキリ言って(イバれませんが)わたしが出来るパーティ英会話は「笑顔以上、挨拶未満」です。(友達以上、恋人未満じゃないのヨ。)

今日は、夫の研究室の面々が一堂に会して行われる恒例のパーティ。なんと夫の研究室にはアメリカ人が一人も居ないのです。すべて外国から来た留学生及び研究者です。お国の言語をきちんと持ちながら、外国語をなめらかに使いこなせるというのは身近で見ていると本当にスバラシイの一言に尽きる。わたしの隣りに立っていた、ロシア人の奥様が話しかけてきました。

奥様「どこからいらしたのですか?」
わたし「日本からです。今年の5月に来ました。」
奥様 「わたしの夫は一年前、ロシアからバークレーに来ました。でも、わたしは昨日、ロシアから着いたばかりなんです。だから夫が住んでいるアパートには、ふたりで生活できるものが何も揃っていません。ベットすらもないのです。それに不便なのは…ぺらぺらぺらぺら…ぺらぺらぺらぺら…。」
わたし「すみません。速くてちょっと聞き取れません。」
奥様 「ああ、ごめんなさい。つい、長々とおしゃべりをしてしまいました。」

なんで、昨日今日来たばかりの研究者の奥さんがこんなに英会話が出来るわけ? わたしはひたすら、汗をかきかき落ちこんでいました。夫はろくに通訳もしてくれず、数人の輪の中に入って歓談しています。パティーの後半、夫人のリンさんが数種類のゲームをもって来て「そろそろゲームでもいかがですか?」とかたずいたテーブルの上にチェスや中国将棋やモノポリーなどを並べました。そしてゆっくりとわたしのところへ来て、「Etsuko(わたしの本名です。)、楽しんでいる?あなたの子供達にぴったりのゲームを持ってきたわ。わたしがルールを説明するから、子供達に通訳してあげてね。」と言って、箱の中からゲームを出しゆっくりとした英語でルールを説明してくれました。いつもながらリンさんの心くばりは、まわりの人々をあたたかく包みこんでくれます。でも、あったかいのはリンさんだけじゃない。このパーティ全体にどことなくあたたかい雰囲気があふれているのを感じます。少なからず、外国語で苦労した人々ばかりが集まっているからでしょうか?はたまた、アメリカという外国に住みながら、母国に対する郷愁を胸に秘め、ふんばって暮らしている人々の集まりだからでしょうか?そんな霧のような目に見えない連帯感が、わたしたちを深く結びつけているような気がします。「たとえ、英語が少しくらいできなくたって…君は一生懸命ここで生きているじゃないか。」と包容してくれるような…。わたしって、いつも自分に都合のイイ方へ考えてばかりいるようですが…。


11月29日 曇り時々雨

クリスマスの飾り付けっていつ頃しますか?こちらでは、サンクスギビングの後、ということにイチオウなっているらしいです。クリスマスデコレーションがなされた歳末のダウンタウンを見学しようと、女5人で繰り出しました。ユリさん、モトコさん、ユウコさん、ヨシエさん、そしてわたし。5人でおしゃべりしながら、にぎやかにダウンタウンを闊歩していると(どこから見たって日本人観光客なのでしょうねえ)、おみやげ店の呼び込み人は、わたしたちを放ってはおきません。「何日のお帰りですか?ブランドのバックや靴、もうお買いになりましたか?」この問いに答えて…「もう、いっぱーい買いました。買い忘れたものもありません。」なんてサラリとかわそうと思っても、「ちょっとだけ見ていってください。そこのビルの5階なんですよ。すぐそこ。お願いしますよ。」なんて前に立ちはだかっちゃう。
しかたなく、「ごめんなさい。ホントはわたしたちここに住んでいるものなんです。」と言うと、あっさり「そうでしたか。それじゃ…。」なんてきびすを返して立ち去ってしまう。その後ろ姿に向かって「旅行者にしか売れないモンなんて売るなッ。」ってわたしは言いたいゾッ。


(クリスマスツリー談議)

いくつかのデパートを見て回る。品物を見るんじゃなくて、クリスマスツリーを見るのです。その、デパートごとに個性があって、芸術的とも言えそうな見ごたえのあるツリーが飾られていました。こちらのクリスマスデコレーションというものを見るにつけ、クリスマスツリーとは実に創昨的なものだということがわかります。シンプルな緑色のもみの木に各自の独創性を反映させた飾り付けをほどこしてゆく。その家のツリーを見れば、その家の本質が見えてくる…と言ったら言い過ぎかな。本質とまではいかなくても審美眼に関してはカクジツに見えますね。それから、心理学のセンセーなんかに言わせれば、何を大切に思っているかとか、家族の親密さとか、そんなものまで見えてきちゃうでしょうね。クリスマスツリーにそれだけ思い入れが深いというのは、クリスマスというものが宗教という精神的なものを土台にした伝統的行事として最も重要な意味を持つ、アメリカだからでしょう。それに比べれば、日本のツリーはどこの家のものも個性がないです。あたりまえの事なんだけれど…。ツリー談議に花を咲かせながら歩いていると、昨日、点灯式を終えたばかりのユニオンスクエアーの大クリスマスツリーが見えてきました。細身で、背の高い二枚目のツリーです。
色彩的には非常にシンプルな赤と白と電球色。ツリーの足元には鳩がたくさんいて、灰色の冬空のせいか、わたしにはそのツリーが「しあわせの王子」のように見えてしまった。公園の真ん中にすらりと立つクリスマスツリー。色とりどりの輝く電球はトパーズや翡翠やダイアモンドでできていて、イブの夜、貧しいホームレスの家族のところへ鳩が宝石をくわえて飛んでゆく。やがて、クリスマスが終わる頃、ツリーは飾りをすべてはぎとられ、みそぼらしい姿に変わっていた…。なあんていう神の使いのような心やさしきユニオンスクエアーのツリー。寒空にもかかわらず、実にたくさんの人がツリーの下にすわって、静かにツリーを見上げていました。あたたかいものは心だけだという瞳をして。


《歳末大放出》

すごい大見出しになりましたが、簡単に言えばオマケのようなモンです。これまで約7ヶ月、アメリカの小さな街に住んで、実に数々のことがありました。これまでの旅便りに書ききれなかった事をふたつ、みっつ、思いつくままに書いてみることにしました。

【イロイロな人たち】
人生イロイロ…なんて歌がありましたけれど、さすが人種のるつぼアメリカ、色々な人がいます。わたしが見たイロイロな人。その人を見たときの衝撃度を「イロイロ度」と称して以下、数字であらわしてみました。


[1]電車の中で…(イロイロ度90)
とてつもなく太った、いかにも厚かましいおばさんが(いますねえ…どこにでも)小学生の息子を連れて地下鉄に乗り込んできた。買い物帰りだということがひと目でわかる。だって、某マーケットのショッピングカートごと電車に乗り込んできたのだから…。
ショッピングカートは通路をふさいでしまうほどの大きなもので、中には、買い物袋がワンサカ入っていた。ジッとしていればいいものを、空席をさがして車両から車両へ移動するつもりらしい…。「エクスキューズミー。」と言って人をかき分け、カートを押して移動を始めた。おばさんにはイロイロ度ならず、イライラ度100をあげたい。

2]マーケットの写真屋で…(イロイロ度85、イライラ度200)
渡米してまもなくの頃、某マーケット内の現像所に写真の現像をお願いするため、当時、車を持たなかったわたしたちはバスで出かけた。
そのフィルム3本は前の週末、初めてサンフランシスコへ出かけたときの記念すべきもので、しかも初めてこの旅便りに載せるため、わたしがソートーの思い入れで撮ったものだった。一時間で出来上がる現像をお願いして、近くのファーストフード店で昼食を済ませ、時間を見計らってカウンターへ行った。(ああ、思い出したくもない)カウンターには、25歳くらいの姉さんがひとり、ビリビリのベトベトになったフィルムを手に立っていた。「一時間の現像をお願いした者ですが…。」と夫は丁重に引換書を差し出した。
すると姉さん、手に持ったビリビリのベトベトを差し出して「これ、あなたのフィルムなの。機械にからまってしまって…。」夫「えっ?これ僕のですか?」姉さん「一本はうまく焼けたわ。あとの一本はまだ機械の中よ。はい、これ新しいフィルムをあげるわね。一時間たったらまた来て。」
わたしたちは、新しいフィルムを手に握らされ押し返された。「あのひと、謝りもしなかった。新しいフィルムを渡せば、事が済むって言いたいわけ?」わたしは怒りがこみあげた。バス便のため、一度自宅に引き返すこともできないまま、カフェで飲みたくもないコーヒーを飲んで一時間待つより仕方がなかった。その間、夫はほとんど口をきかなかった。(この人は怒れば、怒るほど無口になる)
そして、一時間が経過し、夫はカフェにわたしたちを残し再びカウンターへ…。15分ほどして戻ってきた夫は「あと、2時間待てってさ。機械を直しているんだと。」わたしは言葉もなく、体の力が抜けてゆくのを感じた。そして、2時間後(そうです。あなたのご想像通り…。)カウンターの上には、最後の一本のフィルムが見るも無惨なビリビリ、ベトベトの状態で、ゴミのようにのっかっていたのです。姉さん「やっぱり、ダメだったわ。はい、新しいフィルム。残念だったわね。」夫「……。」(怒ってるゾッ。ソートー怒ってるゾッ。)

結局わたしたちは、夕暮れのバスの中で、震える手に2本の真新しいフィルムを握ったまま「二度とあのマーケットには行かない。」とささやかな抵抗とでも言うべき、ささやかなる独り言を吐くしかなかったのです。罪を憎んで人を憎まず…っていうのは言うは易し行うは難しです。ホント。

[3]地下鉄のホームで…(イロイロ度50)
初めてUCバークレーに行ったときの事。
ホームには電車を待つ人がまばらに集まっていました。わたしの隣には、ごくフツーの平凡な30歳ぐらいの主婦が、ベビーカーに赤ちゃんをのせて電車を待っていました。
「まあ、お人形のようにかわいい赤ちゃん。」などと、わたしも頬をゆるませ赤ちゃんをのぞき込んだところ、その主婦の足元がちょっとばかり異様なのに気がつきました。そう、その人は靴を履いていなかったのです。身なりは本当にフツーで、洗濯のなされたこぎれいなトレーナーにジーンズ姿です。でも、完璧に裸足でした。「どっきりカメラじゃないですか?」と思わず辺りを見回しちゃいました。健康のため?美容と何か関係でも?涼しい顔で電車に乗り込んだ奥さん。どーか、教えてくりッ。

〔4〕駅前で…(イロイロ度75)
これは、わたしが直接会った人ではありません。夫がその人に会った夜に、夫からチクイチ話を聞いて(いつか書いてやるゾと)メモを取ったものを参考に書いています(念のため…)。

夫が駅前でバスを待っていると、白人の50代くらいのおばさんが近ずいてきた。おばさんいわく「あんた、お金持ってない?あたし、今から仕事に行くんだけど、お金がないのよ。1ドルか2ドルでいいよ。ねえ、ちょっと!聞いてんの?お金もってなきゃ、電車の切符でもいいわ。(こちらの地下鉄の切符はJRのオレンジカードのようにプリペード式である。)ねえ、切符…残ってるんでしょ?ちょうだいよ。あたし、仕事行かなくちゃなんないのよッ。」終始、おばさんは怒っていたそうだ。
夫は「僕の切符は20セントしか残っていませんよ。残念ながら…。」と言って彼はおばさんに切符(料金の残額が印字されている)を見せたそうである。その後、おばさんは「ふん。」と言ったきりスタスタと行ってしまったそうです。おばさん、身なりは悪くなかったし、お金に困っていそうな雰囲気はなかったそうだが、世の中、そりゃ怒りたいときもあるわな。でも、他人を不愉快な思いにさせる権利はアナタには無いはずダ。

〔5〕デパートで…(イロイロ度60)
9月に日本から両親が来たとき、ウォルナットクリークの高級デパートに行きました。「記念にひとつ、洋服でも買って帰ったら?」などと母に話しながら婦人服売場を見て回っていると、信じられないくらいおおっぴらに、大きな紙袋に高そうな洋服をはしッ、はしッと詰め込んでいる万引きおばさんを目撃した。

そのおばさん、数着の洋服を詰め終わるとそそくさと出口へ向かった。出口には、万引き防犯ベルがとりつけてあって、キャッシャーを通していない品物に反応する仕組みになっていた。当然のごとく、けたたましくブザーがなると、近くにいた店員がおばさんに詰め寄った。そこで、万引きおばさん、ひるむどころか何食わぬ顔でキャッシャーへ向かい、「お支払いするの、忘れたわ。お金なら持っています。問題ないわね。」なんて言って涼しい顔。
結局、おばさんはデパートの店員を煙に巻き、お客様然として帰っていきました。一部始終を目撃した母が一言。「日本のおばさんどころじゃないわね。アメリカはオバタリアンパワーもビックねえ。」日本のオバタリアンを感心させた万引き婦人…アンタは違う意味でかなりスゴイぞ。

〔6〕駅の改札で…(イロイロ度80)
これもまた夫から聞いた話です。
夫は夏休みが終わってから車での通学を少しの間やめ、(大学の駐車場が新学期以降、大変混雑しているという理由で)地下鉄を使っていました。その時、約1週間ほどの地下鉄のストライキがあって、こちらの交通は麻痺状態でした。(ハイウエイの大渋滞は特にひどかった)そして、そのストライキが解決した翌朝、地下鉄の改札口にひとりの女子駅員が立っていて、自動改札口をクローズにし、駅関係者専用の扉を開けてこう叫んでいたというのです。「フリー、フリー。今日はタダでご乗車できます。今日は、どこまで乗ってもフリーです。」

こちらの切符は前述の通りプリペード式です。自動改札機によって切符に乗車駅名を読み込ませ、降車駅の自動改札機で料金が引かれ、切符に残額を印字するシステムになっているのです。それを、切符に乗車駅名を読み込ませる必要が無いと彼女は言っていたのです。
いやな予感を抱きながらも夫は、「長いストライキで乗客に迷惑をかけたことのお詫びに、一日だけ料金をフリーにしたのに違いない。」と思い直し、他の乗客に混じって扉を通り電車に乗りました。そして、降車駅のバークレーの関係者専用口がオープンになっていることを祈りながら改札口へ向かったそうです。しかし、その願いもむなしく、いつもとなんら変わらぬ状態で自動改札機は作動しており、夫は絶句したそうです。出るに出られず、夫は近くにいた駅員にそのことを説明しました。すると、駅員は「ふむ…。」と言って関係者専用の扉を開け「ここから出て下さい。」と夫をうながしたそうです。
むむむ…。賃金が思うように上がらず、労働者側がしぶしぶ折り合いをつけた地下鉄ストライキ。だけど、うっぷん晴らしに乗客を巻き込んじゃいけないと…おもうけどなあ。

とまあ…。変わった人を数え上げれば枚挙にいとまがないアメリカです。実は、まだまだあるんですが、今日はこのくらいにしときます。いつかまた、この人たちを上回るイロイロな特性を持った人が出現した折りには、お話することにいたしましょう。(できれば、会いたくないけれど…。)


【バークレーの不可思議な店】
学生街というのはちょっと異次元的な空間で、ある程度「何をしても許される」的な空気というものがあります。そもそも学生というのは特権階級で、立派な大人の体を持っているのに働かない。異性とはイッチョマエなことしてるくせに子供料金に近い、学割なんぞ使って映画や舞台も観られるし、遊園地や博物館にだって入れちゃう。(過去の自分は棚に上げて)ゆるすまじ…大学生。という感じだ。そんなヤカラがウジョウジョしている異次元空間だもの…フツーの商店街にあれば、干されちゃうような店がケッコー繁盛していたりするのも不思議ではない。わたしがのぞいた不思議な店をふたつ。

〔1〕ナゾのコイン屋…古銭とかお札とか売っている店って日本にも結構ありますけど、そこの店主ってちょっと変わった人が多いですよね。(あくまでも、一般論です。おこらないでね。)
わたしのお話しするコイン屋さんはちょっと、ひと気の少ない場所にあります。実は夫がコインが好きで、昼休みにブラブラしていて見つけたのだそうです。「ちょっと面白い店があるよ。」と夫に誘われた週末、コイン屋さんへいってみました。古めかしい木のドアを開けると、壁にまでびっしりと古札、古コイン・古切手が張り付けるように並んでいます。
「おじさん、この前、店の掃除したのいつ?」って思わず聞きたくなるような埃だらけのショーウインドウの中には、価値があるんだか、ないんだかわかんないような古い上にキタナイ、札やコインや切手が無造作に飾られて(?)います。そして、コンクリートの床の上には、ダンボール箱が3つ、4つ散乱していて、口を開けたその箱の中には誰かから誰かへ送られたふるーい封筒やハガキの束が詰め込まれていました。その見ず知らずの人の郵便物に85セントという値段がつけられています。よーく見るとその郵便物の切手の上には1896年なんていう郵便スタンプが押してあります。ハガキなども第二次世界大戦中、サンフランシスコからニューヨークに宛てられたものであったりして、結構ドキリとさせられます。(英語の文面がすらすら解れば、もっと立ち入ったことがわかっちゃったりするんでしょうけど…)もう、亡くなっているかもしれない誰かの手紙やハガキ…それがどういう経路でこの店にやってきたのか?ナゾです。いくら切手が趣味だからって、それをたった85セントで買って家に持って帰るのもちょっとコワイ気がします。店のおじさんは、コインに関しては本まで出版している専門家だそうで「わしゃ、新聞にも出たことあるのよ。」って言いながら古い新聞の切り抜きを見せてくれたけど、新聞に出ていた写真は「コレ、ホントにおじさん?」って疑いたくなるような若い時の写真でした。そういえば、コイン屋の時計は止まっていたなあ…。きっと、ずっと昔に止まってしまって誰もネジをまかないのだ。

〔2〕ナゾの骨董品屋…この骨董品屋さんは、実は以前からとても気になっていた店でした。大学前のオックスフォード通り沿いにあって、ちょくちょく店の前を車で行きすぎていたのです。外から見るとガラクタばかりが店先を賑わわせ、中古の電化製品や家具なんかを扱っている店かな?(こちらにはそのテの店がとても多い)なんて思っていました。店の造りはとても小さくて、建物も古い。家具や電化製品を置くには狭すぎるなあ…と感じたのはその店先に別の用事で車を駐車したときでした。その日は、日曜日で店の前には数人の人だかりができていました。人だかりに弱いわたしは、店先の品物を見るべく「別の用事」は後回しにして、その中へ分け入りました。そこには、ダンボール箱が3つほどおいてあって、中には写真がたくさん入っていました。風景や人物などを撮ったモノクロの写真です。よく見ると、すべて生写真で、しかも相当の年代物です。写真の裏には、以前それがどこかのアルバムに直接、糊か接着剤で貼られていたのを証明するような黒やオフホワイトの台紙の切れはしがこびりついていました。海辺で恋人の姿をおさめたと思われるものや、3人の愛らしい子供達を庭で父親が写したものと推測できるような、プライベートな匂いがプンプンする写真です。その人物の身につけている洋服も時代的で、チャップリン映画などを彷彿とさせます。この写真群はどれも一枚1ドル25セント…。「うむむ…。」わたしは、またまた言葉を失ってしまいました。店の中にも7,8人の人がいたので、誘われるように中へ入ってみました。中はもっとスゴい。写真も写真、壁掛け式のフォトフレームの中に可愛らしい子供の顔写真が4枚組で入っているものや、スタンド式の銀製フォトフレームには、50年ぐらい前のものではないかと思われる家族の写真がはいっていて、フレームつきで30ドルとかの値段がついているのです。その他、銀製食器、燭台、古切手、古置物、看板、30年ぐらい前の雑誌などなど…。
銀製の食器は実に良く売れていて、わたしが店の中にいたわずかな間に、3人のご婦人が銀食器を買い求めていきました。わたしが手に取った銀製のケーキサーバーは1960年製と刻印してあってとてもステキなデザインでした。これが12ドル…。古い物に囲まれているとなぜか安らいだ気持ちになります。古い個人的な写真もいくつか集めて上手く飾れば、たしかにアートになるかもしれません。でも、やっぱりその写真の持ち主の血液のあたたかさまで所有してしまう気がして、ちょっとわたしには手が出せません。こんなモノ、日本でも売っているところがあるんでしょうか?誰か知ってたら教えてください。
12月は予定がメジロ押しでした。最大のお祭りであるクリスマスもありました。そして、またぞろナショナルパークに行きたくなって、クリスマス休暇をつかってデス・バレー・ナショナルパークへ行って来ました。次回はこのデス・バレーのことを中心に書きたいと思っています。


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