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第6回 「ポイントレイーズとモントレーの休日」他


10月2日 快晴

10月に入ってから、少しだけ空の様子が変わりました。朝夕に海の方から霧が漂って来ることが多くなったこと、そして空は伸び上がるように一段と高くなったこと。時々、ちぎれ雲が風にちらかされ、絹のハンカチを幾枚も巻き上げたようになって一面に広がること。
突然モントレーとカーメルへ行きたくなって、今日、宿の手配を済ませました。静かなる芸術の街を、秋空にいだかれながら歩きたい。ひと気の失せたビーチで、のんびり海をながめていたい。これという目的のない、時間的に贅沢な旅をするためにモントレー・カーメルは最良の場所だと思ったのです。

10月4日 晴れ

冬になると鯨の回遊が見られる岬があるらしい…というのは、数人の日本人から聞いていました。そのレイーズ岬はサンフランシスコの北西に位置する岬で、1906年の大地震によって半分ほどマリンカウンティから切り離されています。地図で確認すると、なるほど岬はハサミを入れられたように半分まで断ち切られている。ポイントレイーズからロサンゼルスにかけてのベイエリアには、サンアンドレアスファルト断層という舌をかみそうな名前の巨大な断層が走っているらしいのです。(もう一度、大きな地震が起きたら、ポイントレイーズは大陸から完全に切り離され、島となってしまうかも。)
しかしながら、地殻変動が激しい場所というのは、えてして美しいものです。今日は、その岬へ行ってみることにしました。


(ポイントレイーズまでの道)

岬の突端には小さなライトハウス(灯台)があって、そこから太平洋を見るというのがわたしの目的でした。でも、ポイントレイーズは思ったよりずっと遠かった。US101からUS1へ入ると、急にガードレールもない断崖絶壁の道になります。行く手には入り組んだ断崖に取り囲まれた、紺碧色の大地のような太平洋を見ることができます。
絶壁にぶつかった波は、白馬のたてがみの揺れるごとく、いさぎよい激しさで砕け散っています。ゆるゆると山道を下っていくと、まさに目の高さで海辺の風景が開け、迫りくるような力強い海に迎えられます。そこが、スティンソンビーチという国定レクリエーションエリアの中にある海岸です。道が少しずつ海をそれるようにカーブしてゆくと、大きな潮だまりがしばらく続きます。そこは野鳥の安息場。さまざまな特徴を持った野鳥たちが、楽園を渡るようなすがすがしい飛び姿を見せています。ファイブブルックスという西部開拓時代そのままの牧場を左手に見ながらいくつかの街を通り抜け、岬への分岐点近くのオレマの街でもう一度地図を確認。あと、約30キロ…。地震で切り離されたトマルスベイを右手に確認しながら走り、あとは、岬まで一本道だ。ここからの景観は筆舌に尽くしがたいほど雄大で、清らかで、どこか激しい。もう、海と崖と牧草地と空と風の他は何も目にすることは出来ない。「世界には、これだけのものしか無い。」という不思議な錯覚にとらわれる。牧草地の緑が、挑発的な海の青をなだめるように柔らかい。牛がいて馬がいる。馬のたてがみや尾が、一方向に強くなびいている。まだ、ライトハウスは見えない。


(ポイントレイーズ・ナショナル・シーショアー)

海にぶつかって行くように、まっすぐに車は走る。どんどん両側の崖がせばまってくる。三方向から海が見渡せる場所まで来ると、そこからは歩きだ。小さな駐車場に車を止めて外に出ると、体が浮きそうな強風にしばし歩けない。ライトハウスまで、あと400メートル。ジャンバーの襟元を堅く閉じながら、ホエールウオッチングポイントに立つ。
眼下には太平洋のごう力を一手に受け止める荒涼とした海岸線が続く。浜から沖にかけてグラデーションを施したように世の青という青が、横たわっている。人間というちっぽけな生き物は、決して受け入れないとでもいうような気むずかしい海のかたち。ここへ、グレーホエール(コク鯨)は来るのだ。そう思うだけで心がおどる。せりあがるような道筋をたどると、ささやかなビジターセンターがあり、そこから長い石段を下った、まさに突端に、赤い屋根のかわいらしいライトハウスがある。想像していた、背の高い真っ白な灯台ではなく、塔の上半部だけをがっちりと据えたような実用的な形の灯台だ。白いボディに赤い三角屋根。厳しい潮風と日差しの中で、遠い国の使者を待つような面もちで、ひっそりと灯台はたっていた。そこから見た太平洋の海は、午後の柔らかな日差しに照らされ、水面には雲母岩の輝きがひるがえっている。逝ってしまった幾つかの時代は、こんな場所に墓標を建てるのだ。その墓守のような重厚な顔つきの岸壁をいだきながら、いずれやってくる新しい時代をまっている大海原。


10月5日 快晴

もったりとした午後の日差しの中、アパートにあるプールで泳いでいると、浮き輪をだいて賢明にばた足を繰り返す我が息子をみて、プールサイドからだれかが叫んだ。「上手。上手。小さいのにこわがらないのね。」前にも書いたが、このアパートでは夫と子供以外の人間から、日本語を聞くことがまったくと言っていいほど無いので、わたしはハッとして振り向いた。声の主は、(信じられないことに)真黄色なサリーに身を包んだインド人の女性だった。「Do you speak Japanese?」彼女がきわめてクリアな発音で日本語を話すことが、いまひとつ信じられなかったわたしは、こう聞き返した。彼女はとてもしっかりと答えた。「はい。日本語、できます。」彼女はアキラーさんというインド人で、プールにはご主人と4才の娘さんが泳いでいた。わたしと彼女が話をしていると、ご主人が近ずいてきて「日本人ですか?懐かしいなあ。」とこれまた、美しい発音で話しかけてきた。聞けば、彼らは二年半ほど東京で働いていたという。そのあとカナダに一年、そしてここアメリカにはすでに一年住んでいるということだった。「カナダはフランス語を話す人が多いですよね。」とたずねると、フランス語も出来るという。そして驚いたのは、日本で生まれたという娘さんは英語しか話せない。「家族の会話は英語です。夫とわたしは同じインド出身ですが言語は違うのです。だから祖国の言葉を話すことはほとんどありません。」とアキラーさんは話してくれた。世の中には現実に、世界中をすみかとしている人たちがいる。
「アメリカに飽きたら、ヨーロッパにでも行きます。世界中を旅してみたいから…。」と、こともなげにアキラーさんは言った。「今まで住んだ国の中でどこが一番好きでしたか?」と質問すると「お世辞じゃなく、日本。たくさん友達が出来ました。日本人大好き。本当はもう少し住みたかった。」と答えてくれました。お世辞だとしても…うれしい。


10月9日 晴れ

あさってから行く、モントレーにはとても評判の良い水族館がある。なんでもモントレーが魚の缶詰め工場で賑わったころ、水族館のある場所は、皮肉なことにイワシの加工工場であったという。イワシの怨念がしみついている場所をあっさり水族館にしてしまうのも、さすがアメリカだと思ったけれど…。モントレー水族館は、かの葛西臨海公園水族館のモデルになったところだと聞き、わたしは訪ねてみたくなった。(葛西の水族館はとてもステキだ。)バークレーのタワーレコード店内にチケット・バスという前売りチケットセンターがある。すでにモントレー水族館を訪れた人から聞くと、当日券を買うには、長い行列にならばなくてはならないらしい…。それならば、前売りを買うに限るというわけで、今日、チケットを買ってきました。「入場日の希望は?」と聞かれ「へっ?」と思ったけれど、まあ、入場制限があるほど人気の高い水族館だから、入場日を限定されることぐらい仕方がないのかもしれません。まるで、オペラにでも行くようなかっちりとしたチケットを手に、心はすでにモントレーに飛ぶがごとし…です。


10月11日 快晴

今月のメインテーマはモントレーとカーメルにしようと、行く前から決めています。というのは、カーメルという街は詩人が多く住む街としても有名なのです。この「詩人の街」という響きはわたしの好奇心をくすぐり、心をあまく満たすのでした。詩人が好む空間とは、いったいどのような場所なのだろう。詩人が束になって歩いているところをちょっと想像してみて下さい。(そんなもの想像できないか…。)なんとも、異質な空気を漂わせ、詩人が束になって街を行く。まったく興奮するなあ…。なにはともあれ、わたしはカーメルに行くぞ。(「ぼのぼの」風に言えば)行くぞったら。


(モントレーへ)

はちみつ色の朝日が低いところでもたついて、やがてあふれかえるような明るさをはらんで昇ってくる頃、アパートの窓をあけました。うん、いい日だ。いざモントレーへ急がん。
8時に出発した車は、10時ちょうどにUS101沿いのモーガンヒルといイチゴの産地を通過しました。起伏のある丘の上は見渡す限り、葉の緑と実の赤という2色の斑点模様。風にのってイチゴの甘酸っぱい香りが車の中へも入ってきます。US1に入ると、今度はニンジン畑。こちらも線香花火が風にたなびくがごとき繊細な葉が波のようにゆれ、おだやかで牧歌的な風景です。正面にモントレーベイが見えてきました。エメラルドグリーンの輝ける海。ハイウエイを降りると、町なかはいかにも港町という様相で、船着き場の風景は漁船のかたちからも南欧のそれを思わせます。今は観光スポットとなったフィッシャーマンズワーフの横を通り抜け、目的のモントレー水族館へと向かいました。


(モントレー水族館)

モントレー水族館は、海洋研究施設を思わせる落ち着いた外観と、海洋生物との共存というコンセプトを掲げたことから一躍、北米屈指と言われるほどになった人気の水族館です。なるほど、外観は、言われなければそこが水族館だとわからないくらい地味で、小さく見えます。しかし、一歩中へ入ると天井からは鯨のレプリカがつり下がり、巨大な水槽があっちにもこっちにも見え隠れして、水族館好きは思わず興奮してしまいそうな雰囲気です。「これから、とてつもないものがみられるぞ…。」という期待がふくらみます。(わたしは、沖縄海洋博覧会場跡地の水族館で思いもかけずジンベイ鮫と対面し、その大きさとかわいさに不覚にも涙した経験を持つ。)まずは、(嵐の海で母親とはぐれ、海岸にいたところを水族館スタッフに保護され、育て上げられたいう)ラッコの水槽をのぞいてから、「葛西よ。おぬし、これを真似たな。」と思わせる海草の森という巨大水槽をぐるりと見て回る。その水槽でイワシが同方向へ回遊している(葛西はマグロの大回遊が売り物)さまは、日本の女子高生を連想させた。先頭を泳いでいるイワシが「やっぱり、こっちにまわるー。」と言って急激な方向転換を試みると、後ろについていた大勢が「えーっ。しんじらんなーいっ。」と言いながらも、すばやく身をひるがえす。「ええい。イワシよ。オトナにならんかい。」と喝をいれてやりたくなる。


(不要なる捕獲コーナー)

その水槽から50メートルくらい離れたところに巨大な皿とフォークが壁に掛かっているのが見える。近ずいてみると、その皿には小さなエビが一匹のっている。「不要なる捕獲」というテーマコーナーだ。入り口でまず驚いてしまったのは、そこを飾る大きな写真。写真の大きさに驚いたのではない。その写真はまさに、築地市場の写真だったからだ。その写真といっしょに「マグロは東京市場をいつまで賑わせることができるのか?」というコメントがあった。「言いたいことはわかるけど、集中攻撃はフェアじゃないなあ。」と思っていると、東京だけじゃなかった。世界中の漁師を敵にまわせそうな、細かな現状調査結果が写真やグラフなどで記されている。「漁獲方法をもっと模索すべし」という、一環した訴えが良く分かる。エビを捕るためにどれだけの魚が犠牲になっているか…という内容のビデオには息子達も目を覆っていた。そして出口には、ハガキ大のカードがおいてあり、感想をかいてくれとあった。(そして、実にたくさんの人がそこでハガキを書いていた。)なんとも真摯な姿勢の展示物と見学者のリアクションである。「こんなに重いテーマをつきつけられる水族館ははじめてだね。」と夫に言うと、「でも、目と鼻の先のフィッシャーマンズワーフのレストランでは、エビだのイカだの食べてんだろ。ちょっと矛盾してないか?」と鋭い指摘…。「でも、食べるなとは言ってないんじゃない?食べながらも考えろってことじゃないの?」とわたし。このテーマコーナーを見て、「二度とエビを食べない。」などと言う人はたぶんいないだろうと思う。その餓鬼のごとき罪深き欲望が、すべての生き物の生態系を狂わせてしまうまで人間は捕ることをやめないだろう。きっと。


(クラゲのコーナー)

この水族館で感激してしまったのは、クラゲのコーナーが充実していることだ。個人的にクラゲを見るのが好きなのだ。(たとえ、一昨年の海水浴で夫が足をクラゲに刺されてひどく腫れ上がったのを間近で見ていたとしても。刺されたのはわたしじゃないし。)暗い回廊にならべられた絵画のように、クラゲの水槽はある。moon jellyというクラゲは、本当に夜空に浮かぶ月のようなカタチをしている。そして、ほの白く光っている。
lobed comb jellyというクラゲは、線状の発行セルを体内に持っていて、暗闇でも自ら光を発することができる。このクラゲはcomb jellyの中でも特に小さい種類で、ベロのようなカタチをした部分がネオンのように光っている。U字型をしたネオンがはじからひとつずつ光っては消えてゆく、それを果てしなく繰り返している。このネオンクラゲが水に漂っている様は、「滅んでしまった地球に新しく芽生えた生命」というものをわたしに連想させた。暗黒の闇の中にほのかに輝きはじめたいのち。「人間の罪の歴史など、あずかりしらない。」という無垢の生命が芽生えはじめた地球。暗い水槽におでこをくっつけてネオンクラゲのつぶやきを聞いてみたかった。でも、まばたきのようなその言葉はわたしに届くはずもなかった。


(水族館私評)

しつこいようだが、まだ水族館のことを書く。これで最後。アメリカの誇る水族館というものをじっくり見学して感じたこと。あっさり言ってしまえば、やっぱり水族館は日本のほうが素晴らしい。ロケーションの見事さを差し引いて考えるなら、日本の、魚とともに生きた民族史の深さが、そのまま海の生物に対する造詣の深さとなっているような気がします。そのたしなみを踏まえた水族館作りというものが、アメリカの水族館には感じられなかった。
きっと、こちらの人は海の生き物と、ともに遊ぶ楽しさを求めて水族館を訪れるのであって、日本人のように、自分たちを生かしめてくれた、ご先祖様に会いに行くような想いを秘めて魚達に会いにいくのではない…と感じました。同じ水槽に、同じ魚をいれたとしても、日米の魚達の間にはちょっとした顔つきの違いが見て取れるんじゃないか。
現に、モントレー水族館の魚たちは、呑気で悠々自適な生活を心底楽しんでいるように見えました。日本じゃこんな呑気な顔をした魚には、まずお目にかかれまい。(日本の水族館で、マグロやタコを見て「おいしそうだ。あれでどれくらいするだろう。」と話しあっているおじさん達を何度も見かけたことがある。そんな視線を感じながら、呑気になどしてはいられない。)食の文化の違いだけでなく、魚とは切っても切れない深い関わりが日本人にはあるのでしょう。その代わりといってはなんですが、アメリカの牧場の牛達はどこかせっぱ詰まった顔をしているように見受けられます。(そういえばこちらで、牛や馬と遊ぶ牧場というものを未だ見たことない。もちろん、アイスクリームも牛乳も売ってない。)わたしの気のせいでしょうか。


(17マイルドライブ)

スパニッシュベイからカーメルまでの27キロは、海辺をゆくドライブロードとしては、まさにお手本のような道です。そういう意味では、7ドルの通行料は少しも惜しくない。17マイルドライブロードに入るとすぐに、右手に白砂のビーチと(大胆にグリーンを混ぜ込んだ)ブルーに輝く太平洋が続きます。あるところは岩場になっていて、東映のタイトル・バックみたいな見事な波が岩に乗り上げています。道の左側は広大なゴルフコースで、空に吸い取られてゆくように見える真っ白なゴルフボールが、寸分の狂いもなく刈り取られたグリーンの上に綺麗な弧を描いて落ちてゆくのが見えました。ここは架空の楽園にあるゴルフコースで、どこか遠い場所からやってきた架空の人々がゴルフを楽しんでいるようにわたしには見えました。(この絵のような風景の中でゴルフを楽しむということに、わたしの思考は不慣れなのです。)至る所にカモメがいます。砂の上に、岩の上に、ベンチの上に、わたしの足元に。羽のあまりに白いのを見て、カモメさえも現実感の薄い風景のひとつに見えます。何もかもがわたしの知る天然色から大きくはみ出していて、足場を失った小舟のようにわたしの思考は寄るところもなく漂うばかりです。ああ…色の嵐。
キプレスポイントを通過したあたりからは、目を見張るような別荘群が道の両側にしばらく続きます。お城かホテルと見まがうような豪華な建物です。映画「ミクロキッズ」の子供達になってしまったような好奇な瞳で、わたしはその国(土地)の住人を捜すのだけれどとうとう一人の姿も確認できませんでした。ああ…非現実的な別荘地。「いったい誰が何の目的でここに建物をたてたのか?」とその建造物を前に思案に暮れている遺跡発掘者の心境でした。この別荘地も、天空の城のような存在。そして最後に目にするのは、高額な賞金をあらそってトーナメントが行われることで有名なペブルビーチのゴルフコースです。もう、ここまで来ると出るのは「ため息」ばかり…。「お金で買えないものに常に価値を見いだして生きていこう。」などと言い合って、慎ましく暮らしている我ら夫婦も、「お金で買えるものの素晴らしき価値」についても考えないわけにはいかなくなります。17マイルドライブロードは虚像の世界に横たわる、ひとすじの実相。


(カーメルの夜 パート1)

私たちが泊まったモーテルは、カーメルのバレー側にある比較的ひっそりとしたモーテルでした。若い観光客はだいたいがビーチの近くに宿を取りたがるので、山沿いは人混みを避けてくつろぎたいシニア層が集まっているようです。モーテルの中で顔を合わせたのは、ほとんどが理想的な老後を送っている(と見受けられる)老夫婦か、壮年のカップルでした。そのアダルトな街並みの中で、とても素敵なショッピングモールを見つけました。ちょうど、モーテルの裏手にあたる場所に、本当にひっそりとそれはありました。モールの入り口は質素で静か…、一見したのではそこがシッピングモールとは分からないような作りになっています。(夕方は人影も少なかった。)でも、一歩中へ入るとそこは数段の階段でしつらえた小道が花壇に取り囲まれるようになっていて、その両脇に木製の小さな店がいくつも並んでいます。実にかわいらしい。「秘密の花園」のようなショッピングモール。「採算なんて考えたこと無いね。ここで商売していることが幸せなんだよ。」きっと小さな店々の店主はそう言うでしょう。山小屋のような作りの本屋、木製のショーウインドに飾られた品の良い宝石、カントリー調のキルトハウス。

夜のとばりが静やかに辺りをおおい、電球色のライティングがそのモールを真綿のようなあたたかなものでくるんでしまうと、どこからともなくぽつりぽつりと客が来て、何かを買ってどこかへ帰ってゆきます。あとでガイドブックを読んだらそこは名の知れたショッピングモールであるということが分かりました。有名だけれど、人が少ない…いかにもカーメルらしい不思議なショッピングモール。


10月12日 快晴

朝、目覚めるとモーテルの窓からは、山々の稜線にくっきりと杏色のふち取りがなされているのが見えました。その背後には日差しがねむっているのに、それよりも早起きをしてしまった鮮やかなターコイズブルーの空が見えました。何もかも生まれたてのようにつやつやと輝いています。
7時30分にモーテルのダイニングで軽い朝食をとり、カーメルのビーチへ向かいました。ビーチは中心街の突き当たりにあります。街中を車でゆくと、信号機がひとつもないことに驚かされます。人や車の通行は多いのに信号機が無いのは日本人の感覚からすると不思議です。安全のため、どの車も時速20キロくらいでゆるゆると走行しています。でも、カーメルの街には時速20キロくらいがちょうどぴったりくる速度なのです。さすが詩人や画家が住む街だけのことはある。機械的なものと時間には束縛されない生活を守り通しているのだ。この時点で、すでにわたしは、カーメルの甘い魔法にかかってしまったようでした。


(カーメルビーチにてもの思う)

カーメルビーチに座っていると、本当に幸せな気持ちになれます。「急ぐことはない。ここで好きなだけ立ち止まり考えていきなさい。」と人生を見本のように生きた老人に、肩をたたかれたような安らいだ気持ちになれます。世界中の砂時計の砂が集められたかのような均一な粒の白砂。一握の砂はいくつもの砂時計となって浜辺に座る人の手の中からこぼれ落ちてゆきます。さらさらさらさらさらさらさらさらさらさら…。
その砂のような時間の流れが、日常とは隔絶された空間を作りだしているのです。(おびただしい砂の粒は目に見える時間の粒子となってわたしの手の中にある。)空と海と風がずっと彼方で交わって、ようやくひと色に仕上げたような海の色を見ていると「一編の詩のように生きる」ことは案外たやすいことなのかもしれないと、わたしには思えます。よけいなものをそぎ落としてしまった人生を送ることは案外…。しかし、それはこの浜辺の上空を流れてゆく、砂時間の中でならば叶う話なのでしょう。シンプルな生き方。それはわたしにとって、理想的であり、その分むずかしい生き方なのだと思います。この「一編の詩のような浜辺」で、こんなふうに未来のことを考えるのは、とても自然な成り行きのような気がしました。そして、もっと大局的に考えれば、人がどこかへ運ばれてゆくのも自然の摂理のように感じました。遺伝子の乗り物としての体が、未来へ運ばれてゆく。運命というネガティブな響きをもった未来とは、スケールの違う未来が、すべての物を引っぱっている。ここに、座っているとその引力をすこしだけ感じ取ることができます。(宇宙から降り注ぐ電磁波とか、そういう人の意識に到達しないものたちのことを、ふと考えてみるような…。)よけいなものをそぎ落としたシンプルな人生とは、そんな目に見えない引力の存在に、時々は意識を集中させ、そういう大きな流れには逆らわないという柔軟な精神を持ちながら送った一生のことを言うのじゃないかしら…。あまりにも雄大な場所にいると、生命に対する執着が薄らいでゆきます。すると体から力が解き放たれたようになって、頭も心も軽くなります。わたしたちはやはり「いつでも自然にかえれるスタンス」というものを保っていなければいけないなあ・・・」と思います。


(カーメルの街を歩く)

カーメルの街は詩であふれている。細い路地。小さな公園。店のショーウインドウ。人の歩き方、話し方。家の窓辺。どれもみな、一編の詩のようだ。すべてを切り取って一冊の詩集に綴じてしまいたいほど、そこには美しさがある。人を感動させるためには、まず、美しくなければだめだ…(というのがわたしの持論です)。カーメルの街を注意深く、詩のように歩く。詩のように歩けているかを…時々確認しながら(詩のように歩くのは結構むずかしい)。画廊や、趣味の店に入ってみると、そこの店主が詩のような人々なのに驚く。店の奥の方で笑うともない微笑みをつくって立っている(あるいは座っている)。そして多くを語らず、その店で売られているものの一部であるような、そこはかとない存在感を漂わせている。カーメルの店は本当の意味で店なのです。店主が好きなものしか売っていない。「店主の好きなものばかりを並べた店がいくつも並んでいるっていうのは、商店街としてこんなに気持ちの良い空気をつくり出すものなんだ。」とわたしにとっては発見でした。一件のカバン屋さんへ入りました。カバンは確かにショーウインドウを飾っているのだけれど、中に入ってみるとライターや、ジャケットや、セーターなども並んでいます。ショーウインドウを飾っていた深いエンジ色のカバンがどうしても気になった夫は、そのカバンについて店主にたずねました。鰐皮の型押しで、14万円なり…です。店主はわたしたちがそのカバンに目をとめたことを、とても喜んでいるようでした。わざわざショーウインドウから出してきて、カバンの中を綿密に見せてくれ、手にとって提げてみろとすすめました。「いえ、どうせ買えませんから…。」と夫が断っても、「いいんだ。気に入ってくれただけで。とにかく手に持ってみてくれ。」と言いました。なんでもそのカバンは店主がイタリアで見つけてきた、オール手作りの一点物なのだそうです。「僕の好きな物を世界中から集めてきて売っているんだ。本当にこのカバンが欲しくなったらまた来てくれ。マケてあげるよ。」と笑って言った店主。「うーん。14万円はちと、高いけど。あの店の雰囲気と店主の存在感をひとまとめにした想い出ごと買えるなら…鰐皮の型押し、ぜひ欲しい…。」
このようにカーメルとは、買い物だって「詩のように」できちゃう街。


(カーメルの夜 パート2)

夕刻、インディアンを改宗するというセッラ神父の思いがカタチになった地中海様式の教会、カーメルミッション(1797年)を見学しました。ここは質素で、実に厳かな教会です。
礼拝堂は暗く静かで、水のような澄んだ匂いがします。空気が緊張しているとでも言えばいいのでしょうか…押し黙った幾つもの過去が、壁際にうずくまっているような印象を受けました。教会内のミュージーアムを見学してから、モーテル近くのレストランで夕食をとることにしました。そのレストランは、表向きはモントレーで水揚げされた魚介類を売っているフィッシュマーケットなのですが、店のとなりに幾つかの椅子とテーブルを置いて料理も出してくれます。「生で持っていくかい?それともオレが適当に料理したものをここで食べていくかい?」といった風の人情を感じさせる店と、わたしには感じました。「こういう店はきっとおいしいと思うよ。わたし四谷にある魚屋兼食堂っていうのに良く行ったけど、すごくいい味だったもの。」などと夫を誘い、さっそく食事と相成りました。
わたしたちがそこで食べた物…カラマリ(イカ)のフライ、パン、コールスロー、クラムチャウダー、ダンジネスクラブのカクテル、ビール。それで27ドル、安いでしょう?「うーん。食べた、食べた、思った通りのいい味だった。」と大満足してモーテルに帰り着き、シャワーを浴びてベットに入ったまでは、上々の一日だったのですが、そんなに世の中あまくはない。わたしにはもともと胃痙攣が持病としてあり、これまで何度もとてつもない痛みに苦しめられてきました。(いつもそれが、なんの前触れもなく、所かまわずやってくるので、劇薬的な胃痛専門の痛み止めは手放せない。)よりにもよって、その夜10時頃から胃の痛みがやってきた。痛み止めを飲んでも少しも良くならない。真夜中になり、あまりの痛みに冷蔵庫から氷を出し、それを胃の上にあてがった。冷やすことによって、痛みを麻痺させてしまおうと思ったのだがこれも役に立たなかった。結局、朝まで痛みと向かい合い、一睡も出来なかった。わたしは、真夜中に救急車でカーメルの診療所へ運ばれる我が身を何度も想像してみた。救急車か?我慢か?救急車か?我慢か?そのうち子を産んだ時の痛みを思い出していた。どう考えても子を産む痛みの方が勝る。これは我慢できる痛みなのだ、と自分に言い聞かせた。(そして、乾いた朝が来た。)胃の辺りに、殴られたあとのような鈍い痛みが残っている。痛みに打ちのめされた後のアザがわたしの胃にはきっとある。そう思えるような痛み。近くのレストランでホットミルクだけの朝食をとった。ミルクのやわらかな膜が、胃のアザを静かに治癒してゆく様子を想像しながら、とても長い時間をかけて一杯のミルクを飲んだ。
昨日までのわたしはカーメルといえば、美しい詩的な街を連想した。でも、今日からの人生、カーメルと聞くと胃痛を連想してしまうようになるのだろうか…やれやれ。


10月18日 晴れ

渡米後はじめて、夫や子供と離れてサンフランシスコのダウンタウンへ出かけました。といっても一人ではなく、ユリさんとモトコさん(女子大生のモトコさんではないです。)という日本人会の奥様で、英会話レッスン仲間でもあるおふたりと一緒です。ユリさんは、翻訳がご専門で、日本で開かれている翻訳コンテストでは何度も受賞されている方です。モトコさんは、数学科の修士を卒業したあと、ご結婚まで中・高校の数学と化学の先生をしていらした純理系の女性です。(当然のように英会話が出来るこのおふたりと、英語アレルギーのわたしがよくも一緒にレッスンを受けることにしたもんだ。と我ながらカンシンする。)
今日は、サンフランシスコMOMA(美術館)で、久しぶりの絵画鑑賞をしたあと、秋物の洋服をみて、昼食をご一緒しようという…普段、子供と二心同体(わたしは三心ですが)のような生活を送っている子持ち主婦にとって、まさに「水を得た魚になって泳ぎ回れる」がごときプランをたてました。さっそく、地図を片手にダウンタウンへのり込みました。地下鉄のパウエルストリートからは近いと聞いていたサンフランシスコMOMAですが、(どうしてこうも方向オンチなんだ。女ってやつは。)マーケットストリートという大通り沿いを少し歩くと、もう位置関係が分からなくなってしまいました。うろうろしていると、ダウンタウン名物の「朝から酔っているおじさん」に怒鳴りとばされるし、不審な白人に声をかけられるしで、よけいに頭が混乱してしまいました。(後でわかったのですが、わたしたちは結構危険な地域を歩いていたのです。)やっと、美術館に到着してみると開館40分前で、まだエントランスが開いていません。仕方なく、隣のカフェでコーヒーを飲んで時間をつぶすことにしました。女三人よればなんとやら…ですっかり時間をつぶしすぎてからの美術鑑賞となりました。モダンアートの世界(無知なわたしにもエネルギーのようなものが伝わってきた)に浸り、タルボッツでセーターやジャンバースカートを買って、スペイン風のカフェでパンとスープの昼食をとり、終始おしゃべりの花を咲かせながら無事、帰路につきました。ああ、文句なしに楽しかった。(これ以上なんの文句があるってんだ。夫談)


10月25日〜27日 

2回目くらいの旅便りに登場したサッチャンが、2泊3日で遊びにやってきました。この前来たときはユキちゃんという子も一緒だったのだけれど、ユキちゃんは昨日の飛行機で新しいホームステイ先であるポートランドへ旅だったそうです。語学学校でいつも一緒だったユキちゃんがいなくなって、サッチャンはちょっと寂しそうでした。いろんな出来事があって、5ヶ月の間にホームステイ先を2回もかわらなければならなかったサッチャンは、ちょっとした困難をくぐりぬけて、ずいぶんたくましくなっていました。「もう部屋で泣くことはなくなったけれど、やっぱり早く帰りたい。」というサッチャンを元気づけるために、夫は彼女の好きな場所へ連れていってあげようという提案を出しました。サッチャンは学生の身であるし、学費も生活費も日本から持ってきた貯金でまかなっているので、当然車を持っていないのです。(車を持たないアメリカ生活はやった人にしかわからない。)サッチャンは「US1号線を走ってみたい。」というシンプルな答えを出しました。US1は西海岸沿いをなぞるようにつくられた道路で、ポイントレイーズのずっと北から南はロスアンジェルスまで、海を見ながら走れる道路として知られています。夫は、「よし、ポイントレイーズへ行こう。」と車を出しました。岬の突端から太平洋を見ていたサッチャンは「このずっと向こうに日本列島があるんだね。自分で選んだことだけど…なんかずいぶん遠くへ来ちゃったな。」と独り言のようにつぶやきました。来年の1月10日の飛行機で6ヶ月間の語学留学を終えて帰国するサッチャン。サッチャンを見ていて思いました。女の子ひとりで乗り込むにはアメリカは、いろんな意味で大きすぎるところかもしれないと…。


10月30日 晴れ時々曇り

今の今まで、YWCAの事はあまり書いていないのに気がつきました。YWCAとは、バークレーで開かれている「外国人留学生の夫人向け文化交流の場」(とでも言えばいいかな?)を主催してくれている団体です。YWCAはその他にも、ヨガ、ソシアルダンス、各種語学、など趣味の講座も開いてくれています。ボランテアで自分の特技である何かを教えたい人と、それを教わりたい人の仲介をしてくれているのです。必要経費は大学が提供してくれているのだから誠にありがたい…。わたしは、毎週木曜日に開かれる「文化交流」に参加しています。留学生夫人の面倒を見てくれているのは、主にUCバークレーの教授夫人の方々です。ここでは、アメリカの芸術、習慣、歴史、祭事、教育などについて細やかな講座が開らかれ、実際に使われる物を見せてくれたり、食させてくれたりもします。子供たちにも楽しい催しがあり、子連れのわたしにとっては本当にありがたい場所です。今日は、そのYWCAで一日早い、ハロウィーンパーティがありました。近頃、日本でも知られるようになったハロウィーンですが、子供達が思い思いのコスチュームで家々をまわる様は、本当に愛らしく、楽しそうで、本場で過ごすハロウィーンの一日は、日本のそれとは全く趣が違うものでした。ハロウィーンが近ずくと、町中に突然あらわれるカボチャ市場。例のジャックオーランタン用の巨大カボチャが露店に並べられている様子は圧巻ともいえます。我が家の子供達は、くまのプーさんとトラのティガーに仮装してパーティに臨みました。最初、気恥ずかしい様子だった息子達も、元来、子供が持っている変身願望を満たしてくれる催しに、楽しさを見いだしたようでした。(子猫ちゃんに仮装したブロンドの髪の女の子に、次男は見とれていました。)ハロウィーン独特の揚げ菓子をほおばり、色々な国の子供達に囲まれ、生の異文化体験を親子共々楽しんだ一日でした。


10月31日 晴れ ハロウィーン

今日は、夫の大学の教授であるシェーン先生のお宅から夕食のご招待を受けています。渡米時、色々とお世話になった教授夫人のリンさんとの再会に、わたしは少し緊張しています。朝から、クッキーを焼き、花屋でバラの花束を作ってもらいました。シェーン先生の夕食会は7時に始まります。日没が早くなったこの頃は、5時半ですでに空は暗くなります。大学がある夫と6時半にUCバークレー近くのカフェで待ち合わせをしました。子供連れのわたしは、あまり安全とは言えないUCバークレー周辺を暗くなってから歩きたくはなかったので、5時にカフェに入りました。


(カフェの情景)

今、5時45分。一時間近くもカフェの椅子に腰掛けている。子供達は、おとなしくナフキンに絵を描きつづけている。わたしは、太平洋戦争を舞台にした長い小説を読んでいる。カフェは暗闇の中の一個の電球のような重い明るさをはらんで、静かだ。誰かがひっそりと入ってきて、誰かがひっそりと席を立つ。カウンターの中では、長身の男性が黙々とコーヒーを立てている。スペイン人らしいウエイトレスは穴のあいたジーンズをはいて、気だるそうにテーブルをかたずけてゆく。外は、黒い霧のような濃密な暗さが路地や軒下にひそんでいるような夜で、向かいの古い書店からのびてくるひとすじの鈍いライトが、道に鮮やかな光の帯をおとしている。その、闇と光のコントラストのちょうど真ん中にこのカフェの明るさがあるという感じだ。後ろの席は、ラッテを飲みながら読書する学生で、前の席もテーブルいっぱいにバインダーをひろげ論文を書いている女子学生だ。斜め後ろは、スペイン語でせわしく話をしている男性のふたり連れ、窓側の席には、もう一時間近くも新聞を注意深く読んでいる老人がいる。わたしは、読書を中断してこのカフェの人々のことを素描する。今、カフェの扉をいきおい良く開けて、キャンディーバスケットを持ち、ジャックオーランタン柄のシャツを着た親子が入ってきた。お母さんはとても太っていて、子供の機敏な動きがうとましいように見える。始終なにか、お小言を言っている。ソーダとカプチーノを注文してから一番奥の席に座った。他にやることもないので、また太平洋戦争の小説を開くと、向かいに座った女子学生がわたしの本を珍しそうにながめている。日本語で書かれた表紙をトランプ手品を見る子供のような目でながめている。考えてみればこんなにしんみりと、異国の人の中に座っているのは初めてのことだ。日本を離れて約6ヶ月、旅をしているとすれば、結構遠くへ来たのかもしれない。うちの近くのキンモクセイが匂う公園はどんなふうかな…今日みたいに寒い日は、井上精肉店の揚げたてのコロッケはおいしいだろうな…有機野菜を配達してくれていたお兄さんは元気かな…豆腐やのおじさんはラッパを鳴らして毎日来ているのかな…なんだか、とてもしみじみと日本のことを考えてしまった。目を閉じて、(日本の自宅の)玄関を出て近所をしばらく散歩した。知り合いにたくさん会った。あいさつをしたり、立ち話をした。「おい。寝てたの?」突然肩をたたかれ、目を開けるとそこには夫が立っていた。


(シェーン教授の夕食会)

シェーン先生のお宅の玄関前からは、見事な夜景が臨める。サンフランシスコベイの対岸までに達する光の波は、このお宅があるバークレーヒルの高みから砂金をまいて、それがただよっているかのような不安定な光の海を思わせる。ある場所は、金塊がうずたかく積まれたような濃密な光の密集であり、ある場所は黒いビロード地の上に注意深く置かれたひとつぶの宝石のごとく、孤高に輝いていたりする。闇とその不確定な光の落差がサンフランシスコの夜景のおもしろさかもしれない。
玄関ドアを2回ノックすると、二匹のマルチーズ犬とともに、教授と奥様のリンさんが笑顔で迎えてくださった。リンさんのやさしい面差しは、初めてお会いした日のままだ。バラの花束とクッキーを手渡すと、「有り難う。アパートの住み心地はいかがですか?」と聞いて下さった。「とても快適です。あの時は色々とお世話になりました。」とお礼を言うと、「ほかのゲストをご紹介しましょう。」と中へ招き入れて下さった。わたしたちの他に、日本から招待講演のため来米されている、鈴木博士と、夫と同じ研究室にいる中国からの留学生がすでにテラスで待っていた。博士は明日の飛行機でカナダへ発たれ、中国からの留学生の彼女は明日、スタンフォード大学にポス・ドク(ポスト・ドクター)として移るとのことで、壮行会も兼ねた夕食会らしい。居間でワインをいただいてから、奥のダイニングへ通されました。リンさんが心をこめて作って下さった手料理がテーブルいっぱいに並んでいます。メインのダンジネスクラブは、リンさんがわざわざモントレーの港で買い求めてきた新鮮なものらしく甘みがあってとてもおいしかった。中国家庭料理というものを初めていただいたけれど、ほとんどが野菜中心で、動物性タンパク質を極力抑えてあるように思えました。「中国の女性は油を多く摂る割に、スマートですね。」と鈴木氏がたずねると、「それは誤解なのです。中国では肉をほとんど食べません。野菜中心で、タンパク源は大豆です。」とリンさんが答えていたのには驚きました。日本で食べる中華料理は、ほとんどが油を使ったものだからです。でも、その日のリンさんの手料理も、きのこのスープや餅米をつかった蒸し物、湯葉に野菜を巻いて焼いた物など、薬膳料理のような健康的な味わいでした。食べると元気が出てきそうな、リンさんの人柄そのものの家庭料理を味わって、ちょうど折り返し地点に来たわたしの旅を振り返りました。リンさんと出逢った日から始まったこの旅。リンさんには、特別な力を感じます。背中からそっと押してくれるような、あたたかなパワーを感じます。「YWCAには来てくれていますか?わたしも時々、顔をだしているのよ。子供達は楽しく過ごせていますか?そうそう、男の子が好きな遊び場を教えてあげましょうね。今、地図を書いて上げるわね。」と相変わらず、頭が下がる心くばりです。日本の事を懐かしく想い出した日に、リンさんにお目にかかれたことは、なにか出発点に戻れたようでうれしい出来事でした。


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