我が家に狆を:瞳ちゃんの場合


瞳を迎えたのは、本当、突発的な盛り上がりでした。
(他のみなさんには申し訳ないくらい)

今年の1〜2月頃だったと思います。
小田急線車内広告で家具屋のものがありまして、ブルドックの変形のような犬が載っていました。
”可愛いけど、あの犬、なんだろう?” そんな素朴な疑問を姉にぶつけたのです。
”ブルドックじゃない?写真の撮り方で違って見えるんだよ” という元写真部の回答に、私はすっかり納得していたのですが。姉が次の日か何かに ”日本と世界の犬のカタログ2002年版(成美堂出版)” を買ってきました。
話題の犬はそれでフレンチブルドックだと解ったのですが、それを見ているうちに犬を飼う事に盛り上がりました。

もともと、私はある事情で、犬を飼おうと思っていました。
もしくは、定年した父に飼わせようと思っていたのです。
その理由から限定される犬種の範囲で探していたのですが、それらの犬はマンション暮らしでは飼えるものではありませんでした。
父もそれとなく説得しているのですが、同居の母や妹も反対しているようですし、無理のようでした。そこから中型犬やパピヨンに興味が移っていく訳ですが、他に実は心惹かれた犬がいました。

実は、そのカタログの特集犬の中に狆がいたのです。
小学校低学年時代、私たちには自閉症の親友の男の子がいました。その子が一度、狆を連れて遊びに来たのです。あずかりものだといっていましたが..。
その日、父が買ってくれた図鑑で狆の事を調べた私たち。それ以来、将来狆を飼いたい、という夢を持っていました。

家庭の不幸な事情もあり、親友の男の子はやがて消息不明。
私たちもそれから暫くして、その住み慣れた町を離れることになります。

私たちの中で、カタログの狆の写真は当時の想い出と夢を蘇らすことになりました。
それで姉がすっかり盛り上がってしまったのです。
狆にしようよ、由美が狆にしないなら、私が狆を飼う。

そうだね、狆にしよう。

そうして決意してから、色々ありました。
その中でも、本当にいいんだろうか、という気持ちがずっとつきまとっていました。
別れはつらい。そうして今まで何度も泣いてきたじゃないか。
私に本当にそのこを育てる事ができるのか?
姉が一生懸命ブリーダーさんを探したり、交渉したりしてくれている中、実はずっと迷っていたのです。最初、交渉した大阪のブリーダーさんから、実はもう決まっているという話がきたとき、姉は凄く悔しがってましたが、私は内心ホッとしていました。

ですが、そのブリーダーさんが、知り合いの福島のブリーダーさんのところに生まれた子がいる、と連絡をくれました。申し訳ないことをした、と、わざわざ探してくれていたのです。
私の多忙の中、姉が色々やってくれました。
私も、その子が来るのが(忙しさの中、癒しを求めていたのか?)楽しみになってきました。
二月の三連休の最初の日に迎えに行く事に決定!
..ですが、そのうち二日間に休日出勤が入りました。
それで、土曜は諦め、日曜に妹の応援を頼んで、姉と迎えに行ってもらいました。
リーダーに事情をこっそり話し、日曜は早く返してもらう事に(裏取引?)。
土曜は姉が色々買うために走り回ってくれていました。
そうして迎えた日曜、敢えなく残業..と思いきや、リーダーの取り計らいで帰れました。


そうして会ってみると...でかい!
私の最初の印象はそうでした。手の平に乗る位と勝手に思っていたもので。

実は、福島のブリーダーさんの話では、大阪のブリーダーさんは知り合いでもなんでも無かったそうです。しかも、姉妹が死んで、この子は手放すつもりは無かったそうです。その大阪のブリーダーさんの情熱に打たれたとか。
そこまでしてもらっていたのですね、と感動しました。

初対面の時に名前は決めようと思っていました。
真っ直ぐに私を見る大きな瞳が印象的でした。

この出会いは多くの人に支えられています。
その人たちに感謝しています。
私たちの為にそこまでしてくれた大阪のブリーダーさん。
手放すつもりの無い子を譲ってくれた福島のブリーダーさん。
色々取り計ってくれたリーダー。
(実は私たちより前から犬を飼おうか迷っていたらしく、この件で、決意して、可愛いパピヨンを迎えました。少しは恩返しできたかな?)
もちろん、仕事で金を出す事しかできなかった私に代わって色々やってくれた姉。
突然の電話に応じて、週一の貴重な休みを費やしてくれた妹。
そして、いつもお世話になっている、担当の獣医さん。

そして、可愛い我が娘、瞳。

#しかし、母が、本当に初孫を迎えたおばあちゃんになってしまって、
 びっくりするくらい、瞳に執着しているのには姉共々冷や汗です。